子どものころは一日が、一夏が、一年間が、いまよりもずっと長く感じられました。それこそ、無限に続くかと思われるくらいに。
何も描かれていないスケッチブックのように、まだ開かれていない本のページのように、茫洋たる未知が、目の前に広がっていたのです。
じりじりと焼けつくような陽ざしが少年の首筋を焦がしている。
正午の太陽は天頂にピンで刺されたようにまんじりと動かない。
塗られたばかりのアスファルトを避けるようにして歩いている。
まるで神経をちりちりと焼ききられているようだと少年は思う。
十代になったばかりの子どもが思いついた、他愛のないゲーム。
いさかいの原因がなんだったのか、誰もなにも覚えちゃいない。
ただクラスの男女が、ある日をきっかけに口を利かなくなった。
互いに男子が悪い女子が悪いと言い募り、対立は激化していた。
少年ともうひとりの少年に、スパイになれという指令が下った。
女子チームに潜伏し、情報を収集してこいとリーダーは命じた。
男子チームには与しない、ぼくたちは女子の味方だと吹聴せよ、
ただし連絡を怠るな、相手の動向を探り逐一報告するべし、と。
重要な任務を担ったふたりの少年は、おおいにその気になった。
女子の仲間にまんまと加わって男子の横暴を声高に唱えていた。
じっさいちやほやされていたから少年はまんざらでもなかった。
が、女子の味方だという幸福な期間は二日三日と続かなかった。
放課後になるとふたりは男子のアジトである体育倉庫に向かう。
その様子を目撃した複数の女子から、スパイの嫌疑があがった。
すぐさま査問委員会が開かれ、男子チームの走狗であると判明、
窮地に陥った少年ともうひとりはプールサイドへと連行された。
女子リーダーは厳かに言った、処分を下さなければなりません、
裏切られたわたしたちがどんな気持ちだか身をもって思い知れ。
そして少年ともうひとりはプールを囲む金網に押しつけられた。
風のひと撫でした水面が細波に揺れる瞬間を少年の目は捉えた。
女子による平手打ちの乾いた音がプールサイドに響きわたった。
最初は躊躇いがちに、しかし次第に殴打は激しくなっていった。
とつぜん、もうひとりの少年が、泣きながら自己批判し始めた。
もっとなぐれ、みんなを裏切ったぼくは卑怯者だったと訴えて。
その様子を横目で見ていた少年に、おかしさがこみ上げてきた。
ククッとほくそ笑んだ途端、リーダーの痛烈な一打を食らった。
なにがおかしいの?あなた自分の立場わかってんのと難詰され、
少年は、くだらない遊戯にはつきあってられないなと毒ついた。
だって滑稽じゃないか、こんなの学生運動の真似事じゃないか。
ばかばかしくてやってられない、先に降りるよハイさようなら。
いちぬけた!とわめきながら少年は女子のあいだを駆けぬけた。
呆気にとられている女子たちを尻目に、一目散に家へと帰った。
翌日、重たげな気持ちを無理やり奮いたたせて登校してみると、
少年の目に映ったクラスは、いつものように平穏なものだった。
いや違う、昨日まで口も利かずに冷ややかだった男子と女子が、
和気あいあいと、なにごともなかったかのように談笑していた。
これはいったいどうしたことだ、と目を疑った少年の目の前に、
男子のリーダーがつかつかと寄ってきて、一言だけ、と断った。
ゲームは強制終了したんだよ。これがお前の望んだ結果だろう?
その後少年は、授業中以外、誰からも話しかけられなくなった。
無視は一ヶ月ほど続いたが、少年には永遠のように感じられた。
誰も表だって非難はしないが、朗らかな排除は徹底されていた。
ただ女子たちはこれ聞こえよがしに、男らしさを賞賛していた。
男らしいもうひとりは、やがて女子リーダーと交際しはじめた。
焦げくさいアスファルトの臭いはまだそこかしこに漂っている。
こうべを垂れた稲穂が少年の往く道の周りを取りかこんでいる。
とつぜん、秋の気配が黄金色の豊穣を揺らしながら掠めていく。
瞬く間に通り過ぎる風のゆくえを少年の瞳は追いかけつづけた。