《旅先でからだを壊してしまったらどうなると思う?》
20代後半のかれは愛の放浪者だった。
博多駅では『トップ・オブ・ザ・ワールド』がかかっていた。岡山駅では『島唄』を、神戸三宮では『ホワット・ゴーイン・オン』を耳にした。大阪梅田では『フーズ・ソーリー・ナウ』が、名古屋地下街では『やさしく歌って』、横浜石川町では『ヘイ・ヘイ・マイ・マイ』が聞こえてきた。東京駅八重洲口では『スメルズ・ライク・ティーンエイジ・スピリッツ』を、そして千歳空港では『ついておいで』を聞いた。
幻聴ではない。確かにそこでかかっていたお気に入りの音楽。それらは、あるときはぼくを鼓舞し、またあるときはぼくを滅入らせた。いずれにせよぼくは、みんなとはひどく遠く離れたところにいた。
1990年代の前半は、1年のうちの3分の2を出張に費やしていた。出張こそぼくの存在証明であり、生きがいでもあった。ぼくはおおよそ8年間のあいだに、国内のほとんどの都市に足を運んでいた。
やりがいのある仕事だった。全国の小中学校、幼稚園・保育園、教育委員会、音楽サークル、大正琴やハーモニカの音楽教室などを訪問し、子どもたちや先生がたに楽器の使い方を指導したり、器楽合奏やマーチングの指導計画を作成したり、音楽教室の運営展開を計画したり、あるいはまた、音楽会の発表会でのバックバンドを担当したりしていた。だから、仕事そのものに倦むことはほとんどなかった。
しかし正直なところ、出張中ぼくは心細かったし、とても寂しかった。仕事が終わり、現地のスタッフと別れるのがとても辛かった。街から街、出張用の重い鞄を携えて次の移動先へと向かい、ビジネスホテルにチェックインし、ひとりで飯を食らう。その土地土地の郷土料理を出張経費で食べたとしても、ちっとも旨いとは思えなかった。気の利いた構えのカウンターバーに飛びこみ、バーボンなぞをあおっていれば、たまにはその街の女のこと、知りあえる僥倖だってあるが、それはしょせん束の間のこと、明日になれば違う空の下。次第にぼくは夜の街を出歩くのが苦痛になり、毎晩ホテルの部屋で缶ビールを空けるようになっていった。くだらないテレビ番組をボーッと眺めながら、孤独を飲み干したのち、硬いベッドに眠りにつくのだった。
その日ぼくは、からからに乾いた風が吹きすさぶ、地方都市にいた。1日に5ヶ所の訪問先がブッキングされているという、ハードなスケジュールだった。行った先々で喋りすぎたぼくは、その土地の空っ風の影響もあって、したたかに喉を痛めつけてしまった。
先方の営業マンと別れ、夕刻の人いきれで賑わう繁華街を通り抜け、駅にたどり着いたころには、すっかり息が上がり、悪寒が背筋を走った。どうやら夏風邪に罹ってしまったようだ。
《まずいなこれは、熱もかなりあるみたいだ……》
次の目的地に向かう特急列車の到着時間まで、あと1時間はゆうにある。ぼくは駅前の薬局で総合感冒薬を求め、経験則から消化の良いものをと、立ち食いスタンドでかけうどんを啜った。コップ水で錠剤を流しこんで、よっこらせと鞄を担ぎ、重い足どりを引きずって構内へと向かった。が、待合室は想像していたよりも人が多く、座る場所も見あたらない。柱にもたれかかっていないと、目眩がして倒れてしまいそうだった。どこかで横になりたい。しかしそんな場所はない。まだ30分近くある。特急に乗りこんだら到着地まで3時間とっぷり眠ろう。それまでの辛抱だと自分に言い聞かせた。
いつもなら待ち時間をコミック雑誌で紛らわしていた。だが、いまはページをめくるのさえ億劫だ。どうやってやり過ごそう、この所在ない時間を。
電話をかけようか?
誰かの声が聞きたい。誰でもいい、知っている人の声がむしょうに聞きたい。
でも、どこへ?
結局、出張の報告がてら会社に電話することにした。携帯電話がまだ普及していない時代である、緑色した公衆電話に千円分のテレフォンカードを挿しこみ、相手が出るのを待った。
しかし10回ほどコールしても誰も出てこない。こりゃだめだ、みんな帰ってしまったみたいだ、諦めかけたそのとき、電話は繋がった。
「はい、××楽器です」
聞きなじみのある声だった。久しぶりに聞く声だった。ほんとうのことを白状すれば、今いちばん聞きたかった声だった。
「イワシさんですか?」
「うん、そうだ、ひさしぶり、元気? おれ? おれはダメ、風邪ひいちまった、夏風邪に、サイアク、いやま、いいけどさ。
で、何? まだ事務所に残ってんの? 他のやつ居ないの? 帰っちゃった? ひでえな、ひとり残業かよ、大変だ、かわいそうにな」
「いえ。でも、そちらも大変そうですね。イワシさん、もう1ヶ月くらい社に戻ってきてないじゃないですか」
「まあね、おれが居ないほうが平穏無事、いないほうがうまく回転するって、部長も毎度いってるしな」
「会社じゃ評判になっていますよ。あいつ最近すごいなって。行った先々で成果を上げているって」
「ああ、そう」
《きみはわかっているのかな? いったい誰のせいでハードなスケジュールを好きこのんで組んでいると思うんだ。会社から強要されているわけでもなく、全国を飛び回っている理由はただひとつ、きみから逃れるためだってことを……》
「ほんとに、ひさしぶり、ですよねー」
《だのにきみは、のんびりした声で、ひさしぶりですよねー、なんていうのだ》
「イワシさん、ずっと会社にいらっしゃらないから」
《どうしてきみは敬語を使うんだ》
「もう、話せないかなって、思ってたから」
《ああ、たしかにぼくは、あの気まずい夜からずっと電話をしなかった。たまに出社しても、顔を合わせないように、極力距離をとっていた》
「話せて、うれしいです」
《まだそんなことをいうのか? その無自覚なことばに、どれだけぼくが苦しめられたことか。期待させるようなセリフを吐くのは、いい加減やめてくれないか》
「あのね、そうだあたしね。さいきんお花を習いはじめたんですよ」
「……お花? 生け花、華道ってやつ?」
「そう、それでねーー」
熱のせいだろうか、ぼくはかの女の声が、波を打つように近くなったり遠くなったりして聞こえた。このまま永遠にこの呑気な声を聞いていたいような、しかしそのあまりにも無邪気に話す内容に毒つきたくなるような、アンビバレンツな感情に揺れていた。
「先生がね、厳しいんですよ。あなたにはセンスがないって、いつも言われるの」
《ぼくが聞きたいのはそんなことじゃない。わがままで一方的な言い分だってことはわかってるさ。でも、聞きたいのはそんなことばじゃないんだ。ほんとうにぼくはいま弱っているんだぜ。少しだけでいいんだ、心配してくれないかな。ぼくはただ、『だいじょうぶですか』と訊いてほしいんだ……》
「あのさ、悪いけど。長々と話してる余裕ないんだ。もう特急に乗らなくちゃ」
ぼくはせいいっぱい虚勢をはって、かの女のお喋りを断ち切った。
「あ、そうなんですか」
「それじゃまたな、お元気で、さいなら」
ぼくは公衆電話のフックにかけた指を、ゆっくりと下ろした。カードの残数は、まだ半分は残っていた。時間は5分も経っていなかった。もっと話すことだってできた。が、もうこれ以上、話す気力はなかった。ただ、ツー・ツーという断続音が、右の耳から左の耳へ抜けていくばかりだった。
かの女とは、もう話す機会もないだろう。それだけは、はっきりと理解できた。ぼくはかの女の欲しいものを提供できないし、かの女もまた、ぼくがなにを欲しているのかがわからないだろう。互いは鉄道のレールのように、平行線のままで、永遠に交わる可能性はない。
ふたたび鞄を担ぎ、改札口へと向かう途中だった。そのとき、どこかで聞き覚えのある音楽が、ぼくの耳に届いた。ピノ・パラディーノの奏でる特徴あるフレットレスベースの音色。
《これはたしか、ポール・ヤングのあの歌だ》
朦朧とした頭で、記憶を懸命にたぐり寄せてみる。
《そうだ、マーヴィン・ゲイのカバーだ。『帽子を置くところ、それがおれの家』とかいう歌詞の。
帽子を置くところがおれの家ってことは、いまのおれみたいなものかな、それともたんに、「おれってモテるんだぜ」って自慢なのかな……》
そのとき目の前がぐらりと揺れて、ぼくは倒れおちた。しばらくうずくまるように、その場にへたり込んでいた。が、コンコースを行きかう人々は、チラッとぼくを一瞥するだけで、声を掛けるでもなく、通り過ぎてゆくのだった。

それから約1ヶ月後、まったく違う場所で、かれは渇望していたことばに、ようやく巡りあう。
「だいじょうぶ? ムリしないでね」
それを聞いてかれは、砂漠を彷徨ったあげく、コップ一杯の水を差し出されたような、ありがたい気持ちになった。
愛の放浪者はそのことばを一息に飲み干した。
旅は終わりに近づいていた。