鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

mixi日記より発掘 「懐かしいひと」 2011年01月12日

 

 連日のプレの深掘り(地面から2,8メートル掘り下げている)で、少々バテ気味なんですが……。最近、日記の更新が滞りがちだから、頑張って書いてみよう。

 年末から気にかかっている、懐かしいひとの話をしたい。もっとも彼と再会したくても、2006年に亡くなっているから、二度と会えないのだけど、なぜか思いだしてしまう。
 彼の卒業したM大学で発掘をしているせいか? それもある。
 だけどたぶん、彼の不在を強烈に意識したのは、昨年(2010年)末の東京都青少年健全育成条例の改正案が、都議会を通過してしまったからだ。生きていたら、と痛切に感じる。「表現の自由」を守ることに関して誰よりも意識的だった(そのためには政治家や法律家とも手を組んだ)。彼なら戦線を統一し、イシハラ都政の不条理きわまりない条例立案に「NO!」を突きつけることができただろう。返すがえすも残念だ。

 堅い話はこのくらいにしよう。
 ぼくは1981年、19歳の時分に上京、彼の住む下北沢の借家に転がりこんで2ヶ月半も居候した。ほとんど見識のないぼくを受け入れたのは、共通の知人がいたことと、熊本県人だからという、それだけの理由だ。まぁおおらかというか、度量が広いというか。実際は断りきれなかっただけなのかもしれないが。
 彼の部屋は本やマンガであふれかえっており、根太が歪んで床が沈んでいるほどだった。彼とぼくは、冗談ではなく、本と本との谷間に埋もれるようなかたちで布団を敷いて寝ていた。だけどぼくはマンガやSFが好きだったから、願ってもない状況だった。毎晩、夜が明けるまでマンガを貪り読んだ。そのあいだ彼は、本業であるマンガ評論の原稿をせっせと書いていた。
 彼がいかに寛容な人物だったかは、具体的な例をいちいちあげるまでもないが、そんな彼を、一度だけ怒らせてしまったことがある。
うる星やつら」の最新刊が小学館から送られてきた。
 たしか「著者謹呈」の栞が同封されていた。ぼくは当時、高橋留美子のファンだったので、先に読ませてくださいと頼みこんだ。彼が「ああいいよ」と鷹揚に頷いたので、ぼくはビニールを破り、それから本カバーのまわりを飾る「帯」を外し、ごみ箱へ無造作に放り投げた、そのときである。
「なんで帯を捨てるんだ!」と、とつぜん彼は怒鳴ったのである。
「いや、だって邪魔でしょ読むのに」
 言いわけしても、怒りさめやらぬ様子。そこでぼくは、よせばいいのに疑問をぶつけた。
「・・・・・・にしたって、なんで帯がなくっちゃいけないんですか?」
「帯がなくっちゃ古本屋に高く売れないじゃないか、買いたたかれちゃうよ」
 この答えにぼくは鼻白んだ。皮肉たっぷりの口調で訊いた。
「なーんだ、これ古本屋に売っ払っちゃうんですか?」
「売るわけないだろ」彼は唸った。「この部屋にあるやつ、一冊たりとも売るもんか!」

 いま思いだしても、若さゆえの無知に顔が熱くなるが、先日知人のコレクターYさんにこの話をしたところ、「いやそれ分かるなー、売るつもりがなくても、高く売れる状態をキープしておきたいと。コレクター心理ってまったくそうなんですよ」と頷いていた。
 彼自身は「ぼくはコレクターじゃないよ」といっていたそうだが、彼が収集したマンガや雑誌の膨大なコレクションの数々は、現在、下記の場所に収蔵されている。駿河台の、彼の卒業した大学に。
   http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/index.html

 ひょっとしたら蔵書の中に、帯に折れ目のついた「うる星やつら」があるかもしれない。

 一般的に、彼の業績の筆頭に挙げられるのは、「コミックマーケット代表(二代目)」。さよう、あの巨大イベント、「コミケ」を取り仕切っていた張本人なのである。
 当時、彼は柳田国男を引き合いに、コミックマーケットについて、こう語ってくれた。
「マンガって描くのも読むのも地味じゃない? 日常の延長、いわば『ケ』だよね。ぼくは『ハレ』の場所を提供したいんだよ。空想を具現化できる、いわば祝祭空間としてね、コミケット(と彼は略した)を仲間と立ち上げたんだ」
 大会に集う若者らに向ける彼のまなざしは、どこまでも優しかった。仲間うちの同人誌即売会としてスタートしたコミックマーケットを、彼はそんな気持ちで維持し、大きく育てていったのである。
 ああ、それにしても――
 ぼくはなぜ、生きてるうちに会いに行かなかったのだろう。会う機会なぞ、いくらでも作れたはずなのに。住所も電話も知っていたのに。逢いそびれているうちに遠くへ旅立ってしまった。いくら後悔しても、後悔しきれない。

 だけど、彼と一緒に暮らした30年前の夏の日々を、ぼくはちょっぴり誇らしく思っている。

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【今日の一曲】
 50~60年代のアメリカン・ポップスにも造詣が深かった。この曲の存在は彼から教わった。


Lou Christie Lightnin' Strikes - YouTube

  Lightnin' Strikes ――これ、「青天の霹靂」と訳してもいいですかね?