鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

“ラスパルマスのキリスト” 松本隆『微熱少年』より

 

 たとえば、カエターノ・ヴェローソ71年の作品「ロンドン・ロンドン」を聴いていると、ふと松本隆の詩作を想起してしまう。(亡命先である)英国の曇天の空の下で陽光のふりそそぐ故郷ブラジルのクリスマスを想う、みたいな対比の拵えが。

open.spotify.com

 あるいは、先日ぐうぜん耳にした<ザンビア出身のアマナズ、1973年の唯一のアルバム『アフリカ』。どの曲もびっくりするくらいフツーのロックで、聴いてて心穏やかになる。この歌なんかホラ、『ゆでめん』ぽいでしょ? でもね、こういう誤魔化しのない録音は時代を超えて尊いの。>なるほど、各楽器の音程こそ怪しげだけど、こいつは確かに「しんしんしん」そっくりだ。

open.spotify.com

 こんなふうに、ぼくは半世紀も前に勃興したムーヴメントと、そののち派生した数多のグループに、未だにとらわれている。国や地域が違っても、共通項をたくさん見出してしまうのだ。

 はっぴいえんどに。

 

 ご多分に漏れず、ぼくもはっぴいえんどにかぶれた。彼らの作った3枚のレコードは、好む好まざるにかかわらずロック少年たちの必修科目だった。メンバー4人の活動は欠かさずチェックしていた。とりわけぼくは歌謡曲の作詞家に転じた松本隆のことが気になった。彼はなぜドラムセットから離れたのだろう。彼はなぜ太田裕美アグネス・チャンの作詞に手を染めた(失礼)んだろう? 不可解の理由を知りたくて、2冊の本を買い求めた。その謎が解き明かされるかもしれないと思って。

f:id:kp4323w3255b5t267:20180826132720j:image

左:『風のくわるてっと』発行 ブロンズ社 昭和47年11月10日

右:『微熱少年』発行 ブロンズ社 昭和50年6月30日

 謎は謎のまま深まるばかりだったが、ぼくはよりいっそう松本隆に惹かれた。この2冊は音楽の水先案内人のようだった。『風のくわるてっと』でプロコル・ハルムグレイトフル・デッドを知り、『微熱少年』で“ニュー”ソウルの潮流を知った。ぼくはリズム&ブルースになかなかうまく接近できずにいたが、松本隆の熱っぽく語るダニー・ハザウェイカーティス・メイフィールドのアルバムを通じてソウルミュージックの豊穣に開眼することができた。そのこと一つをとっても感謝している。

 さらにぼくは、彼の文体にも決定的な影響を受けた。少し身構えたような、硬質な筆づかいを無意識に模倣していた。たとえば、こんな箇所に。

昨日、ぼくは春の海という奴を見た。あわただしい演奏旅行の最中だった。屹立する工場の高い煙突や、テレビ・アンテナが帆船の帆檣(マスト)のように乱立している街並の隙間から覗いた海はひねもすのたり、といったイメージからはおよそかけ離れていた。(『風のくわるてっと』60ページ「失われた海を求めて」より)

  カッコいい! ぼくは痺れた。情景を描写しつつも感情に溺れすぎない。ハードボイルド。探偵小説みたい。

 村上春樹が『風の歌を聴け』でデビューしたとき、ぼくは〈松本隆みたいな文体の小説〉だと友だちに説明したけれど、これも距離感が似ていた。自分が日ごろ感じている「曖昧な領域」をみごとに抽出してくれているように思えた。つまり松本隆は、十代のぼくの物差しだったのです。

 ここでひとやすみ。

open.spotify.com

 

 さて、今回ぼくがこの稿を起こしたきっかけは、下の拙いツイートが松本隆さんご本人の目に触れ、リツイートされたからであるが、

 それともう一つ、『微熱少年』の中に、ぜひとも紹介したいエッセイがあったからだ。全部を書き写す愚は控えるが、ここに記されたいくつかの問題提起は、今この時代にこそ読まれるべきではないかと、ふと思ったからである。テキストからいくつかを抜粋してみよう。

 なお、文中は初版の表記に従った(「黒人」等)。

 ジェリーとぼくはアパートメントの入口をふさぐ鉄柵の前に立つと、壁に取りつけられているテレビ・カメラに向かってトムというその詩人の名を告げた。すると鉄柵は自動的に開き、ぼくらをアパートメントに導いた。まるでスパイ映画のような仕組みにぼくは、このビルの何処かで機械を操作した管理人の姿を思い描いていた。(80ページ)

  自分の詞が英訳されることになった「ぼく」だが、翻訳するトム氏とはどうも話が噛み合わない。言葉の微妙なニュアンスやバックボーンの差異ばかりが取りざたされる。たとえば〈歌詞の一節に「十二色入りの色鉛筆」と書かれているが、アメリカに色鉛筆はなく、十二色も伝わりにくい。七色なら虹色として表現されるが〉と諭される。

 ぼくは答えにつまってしまった。日本語の色鉛筆と言う単語から派生しているイメージ群を考えた。というよりも先に表現主体として存在するそれらのイメージ群が、それぞれ志向し、それらが交わり集約したから、この単語自身も存在するのだ。このイギリスの詩人は言葉の目に見える部分だけを読みとっているにすぎなかった。ぼくは既に奇妙なナショナリズムの虜となっていた。

 ーー日本語というのは、余白を大事にするんです。つまり書かない部分があるわけです。とりわけ俳句なんかは、書きたいことが十あるうちで、文字となるのは一か二でしょう。

 ぼくはこんな風にいいながらも、アメリカに来て俳句談義をしようとする自分にうんざりしてしまった。(83~84ページ)

 「ぼく」はアメリカに滞在中、〈奇妙なナショナリズムを感じ続けていた〉が、帰国後には〈想い出す記憶の殆んどが、「何通りの何という店で何を食った」〉であり、日本より味覚が劣ると感じていたアメリカの〈あの店でもう一度あの料理が食べてみたい〉と印象が変化している。

 アメリカでは「ブラック・イズ・ビューティフル」の機運が勃興し、通りの風景は〈日本のそれとは全く別な色素で構成されている〉ように際立った色彩にあふれていた。街を歩く黒人は魅力的で、白人は沈んでみえる。

 ニューソウルの旗手たちのポスターが店頭を飾るハリウッド通りのレコード店で、「ぼく」は中年の白人に声かけられる。

 ーーあんたはアメリカのレコードを買うのかい、私を見てごらんよ、日本のを買うんだぜ。

 (略)「春の海」とか「能楽」とかに英語で解説してあるレコードを、その男は八枚も手にしていた。

 ーーあんた方は聞かんのかね

 ーーこういうのをですか

 ーーそうだ

 ーー学校で聞かされましたね

 ーーふうん、好きじゃないのか

 ーーあまり聞きませんね

 ーーアメリカの音楽がいいかね

 ーーええ

 気恥ずかしくあいづちを打ったぼくは、ここでも奇妙なナショナリズムを感じていた。伝統のないアメリカ。そして伝統のある日本。何故ぼくは日本の伝統を誇れないのだろう。この異邦の街角で、今まで抱いていた〈日本〉が、急にぼやけはじめる。確固としてあるのは日本人という肉体の器を持つ自分だけ。(88~89ページ)

  この、自分が確かに抱いていたはずの「日本人しての意識」が、急速に不確かなるものに変容する感覚は、ぼく(岩下)自身も何度か海外で経験している。そして帰国後に、自分の生まれ育ったはずの国が、まったく違った容貌を見せることも。それを松本隆は〈奇怪な入れ替り〉だと記している。 

 ぼくは初めて日本を訪れた異邦人のように日本を見つめている自分を発見した。

 そしてエッセイは最後のコーナーにさしかかる。「ぼく」はラス・パルマス通りの交差点の角にあるバーガー・インに入った。そこで〈買ったばかりのソウルのレコードを広げていると、隣の席の若い黒人が声をかけてきた〉。

 ーーきみは日本人かい

 ーーそうだよ

 黒人は自分をベンと紹介した。

 ーーレコードを見せてくれないか、やあ、いいもん聞いてるじゃないか

 ーー好きだからね

 ーーいいね

 ぼくは黒人と喋りたかったので愉快だった。ふと言葉が唐突に口から出てしまった。

 ーーアメリカにキリストはいるかい

 ーーえっ、どういう意味だ

 ーーぼくはこの二週間ばかりアメリカを歩いたけど、キリストはいなかったぜ

 ーーそうさ、彼に出会うのはちょっと難しいな

 とベンは笑いながら言った。

 ーーすごく単純な質問をするから、気を悪くしないでくれよ、アメリカはキリスト教の国家だろ、それがどうして戦争して人を殺せるんだい

 ベンは今度は笑わなかった。彼は言葉を続けた。

 ーー日本にもキリストを信じている人はいるかい

 ーー少しね、ぼくは教会に行かないけど、あの人が好きなんだ、最近どうしようもなくね

 ーーいいね、すごくいいね、ぼくもあの人が好きだよ

 ーーぼくがもっとうまく話せたらなあ、もうちょっと学校で勉強しときゃよかったよ

 ーー言葉なんていいさ、来週の日曜日に黒人街の教会に連れてってあげよう、きっと楽しいよ

 ーーああ、とっても嬉しいけど、来週はシスコに行くんだ

 ーーそうか、あそこはいいとこだ

 ーー何かいいコンサートがあるといいけど、ぼくはソウルが見たいんだよ、カーティスなんかがね

 ーーあいつは最高だよ

 ぼくはレコードをまた紙袋のなかにしまった。ぼくはこれだけ喋っただけですっかり疲れてしまった。

 ベンは何か考えているようにうつ向いていたが、ふいに顔をあげて、白い綺麗な歯を出して笑いながら、(以下略。90~92ページ)

 やりとりのほとんど丸ごとを引用してしまったが、途中どうしても省略することができなかった。なお、ベンが何と言ったかは、この記事の末尾にリンク先を記しておくから、各自『微熱少年』文庫版を購入したまえ。

f:id:kp4323w3255b5t267:20180826132732j:plain 挿画:ますむらひろし

 今回、「ラスパルマスのキリスト」のテキストを読み返していて、いかに自分が松本隆の文体に影響を受けているかをあらためて思い知った。ことばの選択、たどる道筋、抽出と省略、その何れもが絶妙な均衡の上に成り立っている。ぼくは書きながら何度もため息をついた、こんなの真似したくっても真似られないや、と。

 そして、常日ごろ忘れていても、ふとしたことで記憶は唐突によみがえる。そうだな、絲山秋子の小説を読んでいたときなんかに、

 河野が、ダッシュボードの中を探してカーティス・メイフィールドのCDをかけた。ファンタジーはしばらく黙っていたが、やがて厳かな声で、

「この人は、俺様より偉い」

 と言って手をこすりあわせ、はなを啜った。やはり大した神ではないらしいと河野は思った。(『海の仙人』文庫版58~59ページ)

  ベンと「ぼく」のやりとりを連想するのである。

open.spotify.com

 

 ぼくは寓話が大好きだ。現代にもおとぎ話は有効だと考えている。それは意外な箇所に穴を穿ち、時を越えて共振することがある。今回この稿をしたためながら、いろんな想念がぼくの脳裏を過った。日本人の意識に潜む人種や男女への差別が、また、美しい国・スゴいよ日本のキャンペーンが内包する空虚な慢心が、さらには沖縄の故・翁長知事の提唱した「イデオロギーよりもアイデンティティを」という呼びかけが。それらの是非をここでは問うまい。ただ、優れたテキストは現在進行形の事象に違った角度から光を照らし、影を生む。まるで十二色の色鉛筆で描いたように、さまざまなイメージ群を与えてくれる。

 ......そういえば、こんなこともあった。

 そのころ受験生だったぼくは、参考書や赤本には目もくれなかった。ある日ついに、父が「くだらん本ばかり読みおって!」と憤慨し、勉強に関係ない本を没収した。とうぶん返ってこないものと諦めていたところ、二時間ほど経って、渋い顔しながら2冊だけ返してくれた。

 ーーいかにもお前の好きそうな本だな

 と呟いて。

 亡き父は、父親なりに、できの悪い息子を理解しようと努めたのだと思う。

open.spotify.com

 

 

 

課題図書

エッセイ集 微熱少年 (立東舎文庫)

エッセイ集 微熱少年 (立東舎文庫)

 
風のくわるてつと (立東舎文庫)

風のくわるてつと (立東舎文庫)