鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

青春というにはあまりにもおこがましいが(プレハブの新芽7)

 

  いまにして思えば、あれはぼくの「第二の青春」だった?

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 府中本町駅前の、徳川家のお鷹狩場だったとされる現場を発掘していたときのこと。季節はちょうど今頃、どんより曇った寒い冬の午後。作業員たちが食事をすませ、プレハブの詰所で思いおもいに休憩時間を過ごしていたところへ、

 ヤンことフクイ君が、

「あのーイワシさん、これ聞いてみてください」

 といいながら、ぼくにMP3プレーヤーを差しだした。

「ん? いったい何」

「新曲です」

 聞かせて貰います、とぼくは頷いてイヤホンを耳にした。

 フクイ君は歌がうまい。誰かが「ムダに上手」といっていた。美声だし声量もある。オペラだって歌えるんじゃないか、声楽を習ってみたらどうかと意見したこともある。今回のデモもそうだ。いい声だと感心している間に終わってしまった。

「どうだった、ですか」

 フクイ君は不安げにぼくの顔を覗きこむ。ぼくは、いいんじゃないか前回のよりも、曲にメリハリが出てきたし演奏もこなれてきたし、と当たり障りのない返事をした。

「まあ、ちょっと長いかもな。余分な箇所をカットするか詰めるかしたら?」

 無難なアドヴァイスに、ありがとうございますとフクイ君はこうべを垂れた。すると、このやりとりを傍で聞いていたサエグサ君が、やおら身を乗りだしてきた。

「どれヤン、おれにも聞かせろよ」

 フクイ君は戸惑いながらもサエグサ君にプレーヤーを渡した。

 しばらく目を閉じて聞くことに集中していたサエグサ君だったが、三分ほど経ったのち、やにわにイヤホンをかなぐり捨て、あぁん? と顎をしゃくらせた。

「だからさヤン、もうこういうの、そろそろヤメようぜ」

「え、つまらなかったですか?」

「つまる・つまらない以前の問題だよ。だって、歌うことについての自己言及ばっかじゃんかよ。曲を書くんなら聞き手のことを少しは想像しなって」

「えー、でもボクは、今の自分の気持ちを率直に」

「率直すぎるから、聞いてて困惑すんだよ。なまじ歌えるからさ、悩んでる自慢にしか聞こえないの。あーなんだかむず痒くなってくる、なにが……」

 サエグサ君が歌詞の拙さを具体的に論おうとしていたそのとき、テーブル席の斜向かいに座っていたアイカワさんが「そっちこそ、そのへんでヤメろよ」と水を差した。

 サエグサ君は「割りこむなよ、いま批評してんだよ」と気分を害した。

 すると、普段は甲高い声のアイカワさんは、絞りだすような低い声で唸った。

「さっきから聞いてりゃケチつけてばかりじゃねえか。作り手の気持ち、ちったあ考えろよ」

「考えてるから、真剣に指摘してんじゃねえか。よくない箇所を」

「そうは聞えないな。宅録だからって莫迦にしてんだろ。そうとしか思えねえんだよオマエの口調は。ヤンは一所懸命、作ってんだろうが」

「じゃあ何か? 作るヤツだけがエライのか。作らないヤツは言う資格ないのか。一所懸命作ったんだから批判するなってか」

「んなこと、言ってんじゃねえよ。ただ、言い方ってもんがあるだろう。オマエの言い方には優しさがかけらもないんだよ」

「ハッ、正直な感想を言って、優しさがないって言われたら、言いたいことも言えねえな。おうヤン、オレの感想、迷惑かよ?」

 もちろんフクイ君はサエグサ君の剣幕に動揺してしまい、まともに答えられない。

「ホラ見ろ困ってんじゃねえかよ」

「横入りすんなって、ってんだろ」

「なんだよぉ」

「なんだよぉ」

 いよいよ険悪になってきたところへ、「いい加減によさねえか」と、ブキさんが仲裁に入った。

「他に迷惑だ。やりあうんなら外でやれ。今は休憩中だぞ」

 年かさのブキさんの仲裁で、いったん言い争いは治まったが、それでも二人は席を立たぬまま、ときおり「なんだよぉ」「なんだよぉ」と唸りあっていた。居たたまれなくなったのかフクイくん、そのうち自分から席を外してしまった。

 確かにサエグサ君は言葉がすぎた。そこまで言うことはないだろうに、と思わないでもなかった。が、おびただしい数のレコードを所有し、イヴェントではDJとして活躍する彼は、独自の感性と音楽観を持っている(とはいえ、それでは食えないので遺跡発掘やっていた)。言っていることは決して外れていない。というか、ぼくがフクイ君の歌を聞いたときの、もやもやとした気持ちを、ずばりと指摘しているように思えた。

 もちろんアイカワさんの助け舟がなかったらサエグサ君の追及は止まらなかっただろう。アイカワさんはプロのベーシストだし、アイドル等のプロデュースも務める現役のミュージシャンである(その収入だけでは生活できないから遺跡発掘するのだ)。フクイ君に自宅録音についてのいろんなアドヴァイスをしていたし、彼がベースを購入した際には渋谷の楽器店で一緒に選んであげていた。つまり面倒見がよい。だから、一所懸命やってんだろう? と思わず言い募ってしまったのだ。

 ぼくは二人の諍いを目のあたりにして、率直さをうらやましく感じた。ぼくはフクイ君にたいして、音楽の欠点を指摘することもなく、また、サエグサ君の痛烈な批判から庇おうともしなかった。ただ、フクイ君の感情を害さないよう、あいまいな感想を口にしただけである。とにかくサエグサ君もアイカワさんも、ぼくよりか真摯にフクイ君の音楽を受けとめていた。

 そのことはフクイ君に伝えておかなくちゃいけない。ぼくはちらほらと雪の舞いだした冬空の下に飛びだした。

 ところがなんとフクイ君は女子作業員たちとバドミントンに興じているではないか。

「あれ、どうしたんですか、もう終わりましたか?」

 と呑気に訊くものだから、ぼくもつい、

「どうしたんですか、じゃねーよ!」

 と声を荒げてしまった。

 誰のせいで口論になったと思っているんだ、とあきれているぼくのそばを、ズーシミことシミズさんが足早に通りすぎて、

浅田真央キム・ヨナに届かなかったね、残念」

 と、訊ねてもいないのに、今しがた聞いたばかりのフィギュアの結果を教えてくれた。

 

 そうか、あれからもう8年も経つのか……

 ぼくは埋蔵物文化財発掘の作業員を6年間も勤めた。そこで忘れがたい人たちとの出会いがあった。けれどもそれを「第二の青春」と呼ぶには、あまりにも傍観者然としていた。他の作業員たちのように深くつき合わなかった。一緒に飲んだり夜通し語らったり、バンドを組んだりイヴェントを企画したり、交際したり争ったり、一切しなかった。ただ一緒に働き、昼飯を食い、連れだって駅まで歩き、電車に乗った程度だ。

 それを青春というにはあまりにもおこがましいが、ただ目の前に展開するさまざまな人間模様は、ぼくの生き方や考え方に大きな影響を与えている。ぼくは当事者とならずに、観察していただけだけれども、そこで垣間見た(主に氷河期世代といわれる者たちの)生態は、自分と同世代の勤め人たちのそれよりも、はるかに共感を覚えた。こういう言い方を許してもらえるのなら、親しみを感じていた。そのことは今一度、かれかの女らに伝えておきたい。

 のちにフクイ君は、ぼくの作った「Z橋で待つ」という歌をカヴァーしてくれた。朗々とした歌声で、40歳を過ぎた今でも、青春の苦悩を叫んでいるのだろうか。

 サエグサ君は子どもができたのを契機に遺跡発掘を辞め、障がい者の装着する器具をつくる会社に勤めた。ぼくが入院したときには見舞の手紙を寄こしてくれた。

 お見舞といえば、いろんな曲の入ったMP3プレーヤーを送ってくれたホソダさんは、ぼくの中退した大学を卒業した先輩で、いつだったか米軍機の編隊に「この人ごろしめ」と上空を睨んでいた。

 熊本が震災に見舞われたとき、真っ先にぼくの安否を気遣って連絡してきたのは、福島県いわき市出身のミュージシャン、アイカワさんである。

 ミュージシャンといえばプロのギタリストもいた。眼光鋭いノムラさんは、ぼくにインターネットでの発信を勧めてくれた。阿佐ヶ谷の名曲喫茶で何度か即興演奏を聞かせてもらった。

 ブキさんはぼくと同じ路線の住人で、子どもが大学に合格したとき、お祝を包んでくれた。ぼくが遠慮すると「まあ受け取ってくれや、こんな嬉しいことは滅多にないんだからさ」と胸もとに封筒を押しつけた。

 沖縄に移住したコヤマ夫妻もいたし、埼玉に土地を借りて農業を始めたハヤサカ師匠もいた。週末になると古本の蒐集に余念のないヤノちゃんさんもいたし、シミズさんのように美術館めぐりをする趣味人も多かった。

 みんな、みんな元気だろうか。

 ぼくのことを覚えているかい。

 記憶はもうあやふやだけども、

 ぼくは君たちを生涯忘れない。

 

 今回の記事の内容とはまったく関係ないけども、フクイつながりで、これを。


Ryo Fukui - Scenery 1976 (FULL ALBUM) 

 ぼくも福居良をユーチューブで知ったクチである。クロスオーバー全盛の時分、こういうストレートアヘッドなピアノトリオはさほど話題にならなかったに違いない。が、この音源は今や再生回数400万を超えている。ジョン・コルトレーンの『マイ・フェバリット・シングス』とほぼ互角の数字は、日本のジャズの中で一番多いのではないか。けれんみがなく、何度聞いても飽きない。とくに3曲め「アーリー・サマー」のみずみずしさ、爽快感は格別だ。エヴァーグリーンと呼ぶにふさわしい。

 

 ふと思いだした一場面を記録しただけの、とりとめのない記事になったが、たまにはこういうのもいいだろう? その頃を描いた他の記事も読んでみてください。

 シリーズ『プレハブの新芽』はこれにておしまい。なお、これらは実際をもとにしたフィクションです。