鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

2016年11月のMedium

 

たくさん投稿していると思いこんでいた11月だが、どうやら錯覚だったみたいだ。

たちまち

会話していて、おやっ?と思うときがある。相手が、日ごろ自分の使わない言いまわしで話したときに、とりわけそう思う。

今しがた使った〈とりわけ〉がそうだし〈今しがた〉もそうだ。私はそれら耳慣れないことばの響きに魅了され、同時に文字面を想像する。そして後々自分の書く文章に用いようと〈サンプル&ホールド〉する。ボキャブラリーを増やすのが目的というよりも、自分にとっての新語を使ってみたら文体がどう変化するかに興味があるのだ。

昨日は〈たちまち〉ということばに反応した。「ちょっと待て、そのタチマチって最近あんまり使われないね?」と、話題を明後日の方向へ逸らしてしまう私。会話の流れを遮るのはいささか気がひけるが、性分である、なかなか直らない。

たちまち【忽ち】(一説に、原義は「立ち待ち」、立って待っているうちの意)にわか。すぐ。急。早速。「ーーのうちに」「ーー売り切れる」(広辞苑

なるほど漢字をあてると「忽ち」になるのね。と、いちおう辞書をあたって使い道を間違えないよう気をつける。たまに適切でないところに覚えたてを無理やり挿入して失敗することも〈ままある〉からだ。

「あー、たちまちをたちまち使ってみたい」みたく、不自然な使い方をして恥ずかしい思いをする。それもまたインターネットへ気軽に文章を投稿できる時代ならではの悩ましさではありますが、〈ともあれ〉【名・副】の扱いには要注意。

おそらく数日以内に私は〈たちまち〉をそれとなく文中に紛れこますだろう。見つけがてら、ご笑読あれ。(11月6日)

註:あと、〈まちまち〉とか〈めいめい〉とか〈思いおもいに〉とか、ね。 

 

私、クルマを買いました。

なにしろ変わったデザインのクルマです。一番特徴的なのはフロント部分。縦長のヘッドライトが目立つ。私はクルマ事情に疎いので、最初に見たときは外国車か?と思いました。でも、国産車なんです。

註:フロント部分の写真は、google検索すると特徴がありすぎて、やたらと目立つから割愛しました。

WiLL Cyphaという車種です。年式は2004年。もちろん中古車です。今は製造されていません。トヨタ製ですがトヨタのエンブレムはどこにもありません。WiLLシリーズは今世紀初頭に3車種作られましたが現在いずれも廃番です。

ボディカラーはホワイト。蛍光ペンみたいな黄緑やオレンジは街中でもたまに見かけますが、白いウィル・サイファは逆に珍しい。50000㎞しか走っていないし、エンジンもきれいでしたから、購入するのに躊躇いはありませんでした。

隣県まで用事があったので、昨日さっそく雨の高速を走らせてみたのですが、車内は思ったよりも静かだし、馬力は過不足なく車体の安定性も良いので、走行中ストレスを感じることはありませんでした。燃費も(ハイブリッド車とは比較になりませんが)悪くなさそうです。ヘッドライトが暗いという評価をネットで見たけれど、明るさは十分だと思いました。

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しかし、見ればみるほどまん丸です。曲線が主流の今においても、これほど円さにこだわったクルマも稀ではなかろうか。だいたい私は流体力学に則った昨今の流麗なデザインに反感を抱いていましたが(過去記事『SAにて』を参照のこと)、ここまで徹底して丸いとなると、その遊び心満載の意匠があべこべに面白いと感じるのです。

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私にとっては高い買い物です。買ったばかりが最高潮だとの意見もあります。まあいずれいろんな不満が出てくるでしょうが、今の時点では大満足です。何せ自分名義のクルマを所有したのだから手入れしながら大事に乗るつもりです。(11月9日)

註:じっさい走らせていると、いろんな箇所の不調に気づきます。が、不満はとくにありません。来月(10月)には車検も通します。身の丈に合ったクルマですから。

 

レナード・コーエン死去。

レナード・コーエンは旅立ったのだ。カナダ国籍であることから、ユダヤ人であることから、あらゆる約束から解放されて、アメリカの行く末を見届けつつ、いま、静かに旅立ったのだ。

【関連過去記事】

註:レナード・コーエンについては、私の他の記事にも名前が散見するが、古井由吉の小説とならんで、未だに解けない難問のようなものである。

 

きざ・キザ・気障

私は自分の書いた文章を一歩ひいて眺める癖がある。ついさっきもツイッターで「忍耐力に欠ける」よりも「堪え性のない」の方が良かったかな、と言い訳めいた訂正を投稿したばかりである。

自分でもキザだなと感じるときがある。先日、私のブログ記事を「カッコいい」とほめてくださった方がいた。皮肉ではないと思いたい。私は現実の冴えないイワシさんよりも数等カッコよさげに繕って書いている(ように思えてしまう)。

文章に過度な修辞は禁物だが、それでも私の文には余計な修飾が目立つ。きざは「気に障る」という漢字を当てるが、修飾過多に自分でも気に触ることがある。

Mediumを始めたころ私は「私」を主語に統一すると決めた。目的は「よりソリッドにするため」だった。喋り口調で書くと、どうしても内容がバラけてしまい、焦点の絞りきれない感じがするのだ。が、最近ではずいぶんくだけた文体になった。肩の力が抜けたのかもしれない。幾つか決めた縛(いましめ)は、とうに解いてしまったが、一つだけ、今なお遵守していることがある。それは政治性を詳らかにしないことだ。リベラルな傾向は隠しようがないにせよ、党派性は伏せている。それは自分と違う考えに触れたいがゆえにである。似た考えのアカウントの意見で埋めつくされツイッターで、それはもはや不可能に近いので。

さて、ここまで書いた文を再読してみると、やはり気障としかいいようがない。スタイリッシュを目指しているのではなく、むしろ内心を忠実に掬いあげて表現しようと努めた結果なのだが。喋るような書き方では思考を十全に反映できないような気がする。私の書く文章はキザだけど、断じてカッコつけではないことをご承知おき願いたい。


Trio Los Panchos - Quizas, quizas, quizas.

私の癖のある文体は、おそらく昭和の小説(戦前と戦後まもなく)と、平成に乱読したノンフィクションに影響を受けた故だと自己分析している。(11月15日)

註:※いま思いかえすと、ポンピィさんの寄こした感想は、やや皮肉まじりだったな。 

 

この世界の片隅に』を観ました。

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熊本の新市街サンロードにある電氣館は老舗なんですが、シネコンではかからない映画が多く上映される結構な映画館です(例えば昨年は三上智恵監督の『戦場ぬ止み』を観た)。今日は話題のアニメーション映画、『この世界の片隅に』を観てきました。

シン・ゴジラ』『君の名は。』と話題の作品を続けざまに観るなんて、けっこうミーハーだなと自分でも思いますが、「のん」こと能年玲奈が主役の声を演じているとあらば、駆けつけないわけにはまいりません。

昨日クルマの中で岡田惠和のラジオ番組を聞いていたら、連ドラの話題でゲストの薬師丸ひろ子が「主役の女のこを中心に役者とスタッフが一丸となって〜」と語っていた。なぜ能年玲奈(のん)の名前を出さないんだろう。とっさの判断かもしれないが、賢い薬師丸さんの配慮はどこに向けたものなんだろう。(Twitter

些細なことかもしれませんが、能年さんをシカトする芸能界の問題の根は深いなあと思ったばかりなので、早い話が応援したくなったんですよ。マスコミが無視したくてもできないくらいに映画が大ヒットすればいいなとの思いがあったのです。

【追記】のんさん、大輪の花が開いた

さて、肝心の映画の内容ですが、これはもう、ぜひご覧くださいと言う以外は思いあたらない。前に挙げた2作品もそれぞれに見どころがあり、面白かったし考えさせられたけど、この世界の片隅に』を観終わったあとの満足感は比べものになりません。冷静になって批評する気にならないし、欠点を挙げる気にもならない。私がどれほど物語の中にのめり込んでいたかと言うと、始まってからしばらくすると、主人公「すず」を「のん」が演じていることすら、すっかり忘れてしまった。つまり、客観視できないくらい集中していたのです。

いや、一度だけ我に返った瞬間があって。それはある重要な場面にさしかかったときに地震が起きた。後で聞くと震度2、震源地は熊本駅あたり(つまり電氣館にほど近い)だったそうですが、一瞬「音響効果か?」と勘違いしました。シネコンみたいなドルビーシステムを持たない小さなハコだと言うのに。しかし震動は見事に映像とシンクロしていたのです。

私は原作者である、こうの史代氏の淡い画風があまり得意ではありませんでしたし、コトリンゴさんの音楽も好みではありませんでした。けれどもその先入観は刷新されてしまった。こと音楽には喧しい私ですが、とくに万華鏡みたいに音の散らばるエンディングの歌には脱帽でした。

客席を見渡すとご高齢の観客が半分くらい。若者はちらほら。できれば武器や船舶に詳しいマニアックな方々にこそ観てもらいたいと思いました。そして熊本でも満席になることを切望します。なぜなら焼跡の果てしなく広がる光景は、私たちが四月に目のあたりにした崩壊の現場と同一のものだから。登場人物の感情を、痛みを慈しみを、今の熊本人は誰よりも理解できるはずだから。(11月17日)

註:※この映画の受容のされかたにかんしては、のちにずいぶん批判している。簡単に説明すると「戦時であっても幸福はあったのだ」という論に回収されるおそれがあり、後日その懸念を「はてなブログ」の記事に書いた。 

<だが、その素朴な筆致が「美しく」解釈されてしまう危険性をはらんでいるという点は、指摘しておいたほうがよいかもしれない。>と私なりに警鐘を鳴らしたが、残念ながら、その懸念はあたってしまった。

*ところで、上掲の記事に、冒頭の「たちまち」が紛れこんでいるよ。

 

忘れものです。

雨の日の公園はお客さまが激減するので昨日は忘れものの整理をしていました。数年前の遺失物ですが、もったいないなと思いつつも、傘やタオル等がほとんどなので、迷わず分別&処分しました。

が、

どうしても捨てきれなかったのが、このぬいぐるみです。持ち主の可愛がりようが想像できるくたびれかたですが、見ればみるほどせつなくなってしまう。おまけに背中のスイッチに触るとワンワンと鳴く。もう胸キュンですよ。

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よほどこの仔を持って帰ろうかと思いましたが、それはルール違反ですので、私はこのワンちゃんを、受付のマスコットにしようと決めました。今はカウンターに鎮座まします。なお、心あたりある方は遠慮なくご連絡ください。持ち主の元に帰るのが一番ですから。(11月19日)

註:情が移ったぬいぐるみは今もカウンター内側の「ワンワンのおうち」にいる。

 

ドライフラワー

公園のバラの花は来年に向けて剪定してしまいました。いま観に来られてもバラ園は殺風景です。申しわけありません。

受付の花瓶に飾った花はドライフラワーにします。ずぼらな私は適当に束ねて壁に吊り下げるだけ。ホラこんなふうに。

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乾燥した部屋だと、一週間もすればいい感じのドライフラワーが仕上がります。バラ以外の花もいろいろ試してみましたが、あまり上手くいかない。枯れる前に花びらが散らばってしまうのですね。あと、バラでも黄色や白だとあまり冴えません。色褪せたらくすんだベージュになる。それはそれで趣あるけれど、やはり深紅の花びらが一等きれいです。

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♪ きみの希望は吊り下げられて、触れては散らばるドライフラワー

月末は何かと忙しい。軽いエントリーでご勘弁ください。(11月30日)

註:こうしてふり返ってみると11月は亡父の四十九日もあったせいか、Twitterはてなブログとも低調だった。なお「♪ きみの希望は~」は私が二十歳のころに作った歌詞。