鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

2016年7月のMedium

 

Mediumの読者(フォロワー)も増えてきたためか、7月は呼びかけ調の記事が増えた。

 

投票という行為

私の仕事は日曜日に休めないので、選挙のときはいつも期日前投票に赴く。近くに区の出張所がある。午前中の投票所は空いていた。投票する者は私以外に誰もいなかった。

今回の参院選、TVのニュースでは殆ど報じられない。国政を左右する大事な選挙だというのに。日々の暮らしの中で話題にものぼらない。政治の話題は何となくはばかられる日本社会だけれど、この状況はかなり異常なのではないか。この無風状態は果たして何ものかの意図によるものか。それとも単に国民の無関心に起因するものなのか。

住所と名前を用紙に記載し、郵送された受付用のハガキを選挙管理委員に手渡すと、投票用紙を渡される。一枚目は地方区、二枚目は全国区比例代表である。受付時に赤鉛筆でチェックされるが、表をのぞくと、ざっと二、三十ほどしかレ点が並んでいなかった。火曜日の午前ならそんなものなのだろうか。

私は仕切り板に囲まれた机に向かい、備えつけの鉛筆で、ゆっくりと・筆圧をこめ・大きな文字を、茶色い囲みの中に書いた。地方も比例も候補者の名前を書いた。たっぷりと時間をかけたつもりだったが、わずか二、三分で済んだ。

けれども、この二、三分の行動で、大げさに思われるかもしれないが、今後の日本のゆくえが決まる。今回に限らず選挙はみな重要だが、今回の参院選はとりわけ大事な選挙だと思う。意中の候補や政党が見当たらなくても、棄権することだけは避けていただきたい。あなたの票はたかだか一票だが、かけがえのない大切な一票である。私ごときが言うのも失礼な話だが、有権者の権利をみすみす手放なさぬよう、くれぐれもお願い申しあげたい。

私はTwitterのアカウントに、こんな固定ツイートを掲げている。

選挙に投票する瞬間、私たちは完全に「ひとり」だよ。家族・所属・職場・思想。関係ない。それらからの束縛はいっさいないんだ。命令に従うわけでも背くわけでもない。絶対的な個人となる稀有な時間。自分の意思で選ぶ、ただそれだけのことさ。2014/12/13

一昨年の衆院選のときに書いた文章である。このときと思いはまったく変わらない。いや、むしろより切実な気持ちになっている。これに付け加えるべきことばは何もない。投票率が毎回5~60%だなんて、先進国として恥ずかしいとは思いませんか。私は一人でも多く投票所に赴き、一票を投じてほしいと願う。

今回はオチもサゲもユーモアもなし。

参議院選挙投票日は来る7月10日、今度の日曜です。(7月5日)

【過去記事参照】 

ひなわ

ポケットに放りこんだ

スマフォの画面に触れた指が

これは無意識に探りあてた文字だ

ひなわとは?

火縄だろうか

私の潜在意識は

なにをまさぐっていたのか

ひまなときには

ひねろうか詩でも

ひなたに寝ころんで

ひなわに火をつけて

いずれ

炸裂するかもしれない

意識の底にねむる火種が

(7月11日)

註:参院選における野党惨敗の痛手が尾を引いているように読める。

 

SAにて

私用で高速道路をやむなく使っている。ただいまサービスエリアにクルマを停めてこれを書いている。

私は高速に入るたびに緊張する。ハンドルを握る掌に手汗がにじむ。ガムを噛んでいないと落ち着かない。原因は見当がつく。免許取りたての頃、高速から降りた途端に後輪がパンクし、二転三転クルマがスピンし緑地帯に乗り上げた経験があるからだ。幸い深夜で他に被害を与えなくて済んだが、あのときは心底から肝を冷やした。

それからというもの、高速道路で飛ばせない。たまに100㎞をオーバーすると心臓がバクバクする。なるべく80㎞程度で走るようにしている。周りのクルマは焦れったげに私のクルマを追い抜いてゆく。交通標語のたいていを私はくだらないと思うが、たまにつぶやきたくなる、「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く?」と。

それだのに、高速道路の制限速度を一部区間で120㎞に引き上げることが検討されているという。

よろしい。実態とかい離しているとの理由なら、制限は撤廃しようじゃないか。かまわん。♪Wir fahr’n fahr’n fahr’n auf der Autobahn.

だけど、のんびり走りたい者の気持ちを考えてもみてほしい。みんながみんな、急いで目的地に着きたいわけではないのだ。これは警察庁にというより、ドライヴァー諸氏に言っているのだ。

どだい私の乗っている旧いコンパクトカーは、かっ飛ばしたくともできないのだ。車高は高いし横風を受けやすい。最近販売中の新型車は例外なく流線形で、どれもこれも区別がつかないが、空気抵抗と燃費の関係で似通ってしまうのなら、いっそ各社共通のパッケージデザインにすれば合理的ではないかとも思う……おっとこいつは僻み根性だ。自制、自制と。

そういや昔ご自慢のマセラッティで、私を空港まで送ってくれた方はお元気だろうか。ここには書けない程とんでもないスピードで次々と他を追い抜いていった。「ぼくは運転しているときだけが生きていると実感するんだ」と余裕で語っていたけど、私はあのときほどおっかないと感じたことはないよ。しぬかと思った。♪Life in the fast lane.

ともあれ私は80㎞で走る。速くなってもせいぜい90㎞までだ。安全運転を心がけているというよりも単に臆病なだけ。だから後ろからくるビー・エム・ダブリュ、どうか煽らないでおくれよ、頼むから。

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さて、気がすすまないけど、車道に戻るとするか。時間はまだ、たっぷり余裕がある。ゆっくり走ろう、焦らずに。(7月15日)

註:このころはまだ、なき父親お譲りのトヨタ・キャミに乗っていた。 

 

草むしり

このところ連日、早朝に草むしりをしています。我が家に面した国有地が、草ぼうぼうで、誰も手をつけようとしないから仕方なく私が草刈りをしている。

この暑さです。30分も作業すれば汗だくになります。しかし刈った面積は微々たるもの。捗らなさに徒労を覚えます。

<いったい何時になったら刈り果せるのだろう?>

労苦を自慢したいわけではありませんが少しだけ愚痴らせてください。

<やって当然あたりまえの地域で、一定の存在感を示すには、このような無償の行為が大切なんだよ。汗を流してみせ、通りゆく近隣の住民とさりげなく挨拶を交わすことで、「あーイワシさんがガマだしよらす(頑張ってらっしゃる)」と認めてくれる。べつに地域社会に溶けこむ必要はないさ。けど何かの折に、発言する機会があった場合、少なくとも耳を傾けてはくれるだろう?これくらい「貢献」していたら……>

いいえ、下心があって草刈りしているわけではないんです。ただ単に、国有地の一角にゴミ集積所があって、草むらが腰の高さまで伸びていると見苦しいからです。法面(のりめん)を覆いつくす蔓草が鬱陶しいからです。

だので私は今朝も草むしりをしてきた。無心に鎌を引いて汗だくになった後、シャワーを浴びる気分は悪くないものです。汗と一緒に雑念も流れていくようで……

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なにせ国有地は3年前に雄猫チャイを拾った場所だから。大きな杉の木の下でビャービャーないていた。いわば彼の故郷。なので少しはきれいにしておきたいんですよ。(7月20日)

 

追記:夕方もうちょい頑張ってみた。

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おもしろいね。ゴミ集積所に捨てられた落花生が芽吹いて立派に成長していました。迷わず引っこ抜いたけど。(同日)

【関連】

①除草の件だけど。近年道路脇が草ぼうぼうになっているのは予算不足および人手不足によるものでしょう。道路そのものの整備を含めて。地方の道路、舗装がひどい状態になっているものね。

②熊本はとくに地震の影響もあってか、道路の整備がおざなりになっている。そこは行政の判断で、今は後まわしだけど、いずれ直すだろうと、淡い期待をしている。

③2ヶ月くらい前に、わが家の前を通る県道の、櫨(はぜ)の木が伸び放題なので、枝を切ってほしい旨を土木センターにお願いした。道路標識が隠れて見えなくなっていると指摘したら早急に対応したよ。優先順位の根拠が行政には必要なんだよな。

④国・地方自治体にかかわらず、予算はどうしても華やかしい方向に配分されがちだ。公共施設の利便や整備点検保守についての費用は、新しい開発やら建設やらに回され、削減の憂き目にあう。その方が潤うし、やってる感が演出できるから。そして新しい道路が敷かれる一方で、昔からある道路の荒廃が進む。

⑤こないだ九大生から聞いた話。<九大は(福岡市の西端)伊都に広大なキャンパスを作った。自分が通う工学部が先に移転しましたが、交通は不便で、周りには何もないんですよ>と。老朽化・手狭になった・移転しよう・新しい学園都市だ。その一連のプロセスはダイナミックだけど、壮大なムダにも思える。

⑥逸れた話を戻すと。夏草の生い茂る道路がみっともない、危険だと思うなら、まずは住む町の行政に連絡することだ。ボランティアの誰かを期待してはならない。草ボーボーでみっともないと思うンなら自分が刈ればいい。そして、国土強靭化計画とは本来そういう主旨ではなかったか?と政治家に問うがいい。

農業と農家が元気だったころは公役などで除草されていた道路も多かったと思います。合志市議・上田欣也氏の返信)

⑧おはようございます。 今朝、私の通勤途中にある小学校では、何処も保護者と子ども(先生もいると思われ)による除草が行なわれていました。清掃活動はとても有意義だと感ずる一方で、素人の出来る範囲は自ずと限られるのだから、財政難の行政が市民の善意に頼りきりになっても困るなあと思いました。

財政難ではないとは言いませんが、正確には市の事業予算の配分の問題です。市では年間数百万の予算で、緊急の危険箇所修繕や草刈り等を実施する直営の事業はあります。合志市議・上田欣也氏の返信)

 註:引用は今年(2017年)8月25~26日のTwitterにおけるツイートおよび返信である。上記「草むしり」の記事と関連深いのでまとめて載せてみた。

 

Mediumってなんですか?

これ、先月スマフォを買い換えたとき、ショップの店員さんに訊かれた言葉。緑色のMのアプリに見覚えがなかったらしい。

ツイッターとブログの中間的なサービスですね」と私は簡単に答えた。

「それでね、入力がとてもラクなんです。サクサク書ける。だからぼくはブログを書くときの下書きにも使ってる」

「へえ、そうなんですか。知らなかったなあ。私もアプリを購入しようかな」

「使い勝手、いいですよ」

すると彼女は、ちょっとだけ口を尖らせた。

「だけど私、忙しくて。文章を考える時間の余裕がないんですよね……」

「そんなあなたにこそピッタリだと思うよ」の、あと一押しが足りなかったかなと、私はちょっぴり後悔している。

昨日目にした記事の〈有名ブロガーさん達に、この領域を荒らされたくないと思うのは私だけでしょうか〉という部分に共感し、ハイライトをつけたあとで、ふと思い出したやりとり。

Medium、もっと大勢に知られたほうがいいのか、それともこのままでいいのか?

以前、Mediumそのものを言及することに疑問を挟んだけれど、はたしてユーザーが増えているのか、私は少し心配している。気に入っているだけに。

あっ、写真は記事とは全く関係ありません。夏になると聞きたくなるジョイスの名作カップリングの2枚組。(7月26日)