鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

2016年4~5月のMedium(地震編)

 

本エントリーでは余計な解説を省く。反響は以前の投稿とは比べものにならなかった。

被災者

Mediumを利用しているみなさん。

私は熊本市に住んでいます。

そう、今現在も地震の頻発している地域です。

4月14日夜の地震では、まだ自覚がありませんでした。が、

4月16日にはさすがにハッキリと認識しました。

「私は熊本地震の被災者である」と。

思えば震災を甘くみていました。14日の地震のあとも、のほほんと過ごしていました。あれ以上の揺れは来ないだろうと、高を括っていたのです。

けれども、それは間違いでした。

16日深夜の揺れに遭ったとき、私は「死ぬかも」と思いました。

いつまでも続く激しい揺れはまさに恐怖でした。停電による暗闇がそれに拍車をかけました。私は老いた両親の傍で、ひたすら祈りました。

朝が来るのを。

朝明けの光をあれほどありがたいと感じたことは今までにありません。ほぼ同時に送電が復旧し、私と私の両親は安堵の息をついたのでした。

その後も何回も、余震は訪れました。睡気に襲われ、ウトウトしているころに、決まって足下から突き上げてくるのです。

起きろ!と。

そのたびに私は、未明の恐怖がよみがえります。船酔いにかかったように、身体の軸が定まらず、ゆらゆらと、いつまでも揺れ続けているように感じます。

でも、恐怖に慄いているばかりではなりません。水道は断水し、都市ガスもストップしている。幹線道路も鉄道も遮断され、空港は閉鎖されている。救援物資は滞り、避難所では給水車を待つ人々の長蛇の列。そんな中で、身動きできない年寄りを抱え、不安に苛まれながら、それでも生きていかなきゃならない。ライフラインが切断されようと、サヴァイヴしなければならない。泣き言なんて言ってられない。水を確保し、三度のめしを食べ、平穏が再び訪れる日まで、生き延びていかなきゃならないのです。

私はこれまで、Mediumで抑制した文章を書いていました。けれども今は、そういった余裕がありません。正直に書いています。格好をつけようがないから。

これを読んだMediumユーザーのみなさん。どうか少しだけでいい、熊本の、九州の被災者に思いを寄せてください。同情でもかまいません。救援物資や義援金を要求するつもりはありません。もちろんあればあるに越したことはないけれど。それよりも私たち被災者が一番欲していることは唯一つ、被災地への理解です。今の境遇を想像し、理解してほしいのです

そしてその上で、被災地から遠く離れたみなさんは、いつものように健康に暮らしてほしい。一緒に悩んだ挙句、疲弊してしまっては元も子もない。普段通りの生活を営んでください。そうしてもらえることが、被災者にとっての一番の救いとなりますから。

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長くなりました。このとっ散らかった記事もそろそろ終わりにします。今また余震がきました。私の足下で飼い猫が震えています。彼は震災後、すっかりナーヴァスになりました。地震がもたらす心理的な負担は計り知れなく、その影響は人間だけではない事を、私は今回の被災で、はじめて知ったのです。(4月16日)

 

目に見えにくい被害

熊本地震」が始まってから早くも6日が経ちました。

全国各地から運ばれた支援物資が届き始め、避難所には災害派遣の車両が給水を確保し、空っぽになったコンビニの棚にも僅かながら食料品が並び、営業を再開する店舗も少しずつ増え、熊本市街は少しずつ活気をとり戻しつつあります。

私も今日は買い物に出かけ、近所のスーパーでバナナや豆腐や納豆を、小さなパン屋さんでパンを買いました。食べものがあるだけで気持ちにも余裕が出てきます。

だけど、あ、もう大丈夫なわけねと思われるのは心外です。熊本の人は我慢強い。泣き言を口にするのはみっともないとする気風がある。文句ばっかり言うけれど、弱音は滅多に吐きません。

だけど、それでいいのかな?我慢は美徳じゃないんじゃないかなと思うのです。私たちが平然と「熊本は大丈夫だから」と明るくふるまっていることが、却って仇になっているのではないかと。

今回の震災は、「熊本地震」という名称で固定化されつつありますが、そのことに私は違和感を覚えます。何故、「九州大震災」ではないのか。大分を始めとし、地震の被害は各県から報告されているはずだのに、熊本に地域を限定するのは不自然で、地震の名称一つをとっても、ずいぶん冷淡な決定だと感じます。

これは私たち熊本県民が、耐えしのび過ぎるのも一因なのではないか、被災者として、もっと積極的に窮状を訴えるべきではないかとも思うのです。でないと政府は、「大したことはないな、東日本に比べると死者数も少ないし、激甚災害を認定する必要もなかろう」と判断してしまいそうな気がします。

いや、それでは困るんだ。

私たちは、目に見えない被害に苛まれています。夜が怖くて眠れぬ人がどれだけ多くいることか。地震の数を時間で割れば、15分に1回の間隔で体感の揺れが発生している計算になる。ついさっきも震度5弱地震がありました。その度に私たちは、またあの激震と、暗闇の恐怖がよみがえるのです。

崖崩れや倒壊家屋、火災や津波といった、目に見える(絵になりやすい)被害とは違って、そういった心的な外傷は、気づかれにくいものです。証明できる手立てがありませんから、弱音を吐いているだけだと判断されて終わりです。でも、それでいいのだろうか?

イヤ言を押しつけられると、人はうんざりするものです。被害者面という蔑みの言葉が示すように、日本社会において被害を訴えるのは見苦しいこととされてます。だけど沈黙していては、いつまで経っても相手に伝わらない。疎まれてもかまわないから、苦しい、辛いと訴え続けるべきではないか。

先ほど7時のNHKニュースを観ていたら「避難者の数は85.000人余にのぼる」と報じられていました。だとすると、自宅で避難生活を送る私たち家族は、避難者に勘定されていないのか、被災者数に含められていないのか、と不安に駆られます。平気だよと明るくふるまっていると、では支援する必要もないねと思われやしないか、そう案じてしまうのです。

私の住む地区では、水道が復旧しつつあります。喜ばしいことだけれども、わが家は依然、断水しています。生活用の水がないことの不便さといったら。炊事、洗濯、トイレの排水、そして入浴と、水の流れない生活は、本当に辛い。市長は懸命に采配を振るい、水道局と現業は連日連夜で復旧に努めている。その労に頭の下がる思いがします。復旧のためにみんなが励ましあい、協力し合う被災地の現状。でもそれは、明るく振るまわないと、「やっちゃおれん」からです。

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飼い猫がカリカリを食べてます。食欲は戻ってきたけれど、口の端を怪我していました。かれのためにも、早く部屋を元どおりに片付けなきゃなと思います。けれどもそう決心すると、嘲笑うかのように強い揺れに見舞われ、その度に私は、復旧する気持ちが萎えてしまうのです。(4月19日)

 

野良

昨年、五輪エンブレム問題が世を賑わせていたころ、或るデザイナーの書いた記事に、こんな箇所を見つけた。

世界に登録済みの商標はヘタをすると億単位です。(略)未登録の野良ロゴは、この数十倍存在すると考えられます。

この「野良ロゴ」という言葉、野良ゴロっぽい響きが印象に残ったが、おそらくデザインの業界で通用する符丁なのだろうなと理解した。それにしても嫌らしい含みがある語感だとは思ったけれど。

さて、新しい五輪のエンブレムが決定し、デザイン騒動の記憶が風化しつつある昨今、こんどは新しい野良に出くわすこととなった。

野良ボラ

詳しい説明は省く。要するに、被災地に迷惑をかけるボランティアのことである。社協等の公的機関と連携をとらないで、手前勝手に活動する個人なり団体を指す。

被災地に混乱を招くようなボランティアはむろん迷惑な存在だが、この「野良ボラ」という言葉が多く使われだしてから、何だろう善意に基づいて自発的に行動することまでを揶揄する傾向に、ちょっと疑問を感じてしまう。

自己満足なんだよね、誰かのためにというより、助けたい自分の気持ちを優先して。野良ボラの連中は大概そうだよ。

だから被災地に迷惑をかけても平気。自分らの食事はないですかってシレッと聞いてくる。ボラとして現場に入るんなら自給自足が原則でしょ。なに甘ったれてるんだって話。

「」内に示したような言説がSNSを飛び交っている風景に、私は憂うつな気持ちに陥ってしまう。そしてこうも思う。

要するにキミたちは、誰かを叩きたいだけだろう?止むに止まれぬ気持ちで被災地に駆けつけるような、向こう見ずな行動自体が気に食わないだけだろう?

ボランティア活動に通暁している方は、決して野良ボラを苛烈に批判はしない。初めは誰だって初心者で、右も左も分からないまま志だけを携えて被災地に飛びこむものだから。現場にマニュアルはない。被災地それぞれに地域ルールが発生することも知っている。それらの事情はやはり、経験によって培われるものなのだ。

だからこそ、地域の自治体や社会福祉協議会との連携を密にすべきであり、人員が替わっても引き継ぎが為されるよう腐心すべきなのである。ところが「野良ボラの連中ときたら」という者の大半は、被災地の現状を知らないまま、気に食わない気分だけで野良ボラを叩いている。避難生活を送る人たちは、仮に野良ボラが不埒な振る舞いをすれば怒るだろうが、懸命に自分たちを助けようとする人に対して、感謝こそすれ迷惑だとは思わない。自分たちの目に入らないところでメシを食え、自分たちの食べる分は自分らで賄えなどとは口が裂けても言えない。言えるものか、そんな情けないこと。

もちろん、怪しげな団体や胡散臭い勧誘などは糾弾されて然るべきであろう。ただ、ボランティアに不慣れな者を十把一からげに「野良」だと蔑称することには、どうしても納得いかない。被災地には秩序も(ある種の)統制も必要であろう。しかし、制度づくりに雁字搦めになってしまうと、それこそ柔軟な対応が疎かになるのではないか。被災地に必要なのは排除の論理ではなく、むしろ包含や許容の姿勢であろう。「被災者は心の余裕がないものである」を前提にしてしまっては、この国にせっかく芽ぶいたボランティア精神が開花しないまま潰えてしまうおそれがある。

今の私はボランティアに駆けつけたくても自分の事で手一杯だから現場に駆けつけられない。それがディレンマでもあり、また後ろめたさでもある。けれども自分が身軽でない限り、激甚被災地に赴く資格はないと心得る。だから、自分に出来ることは何かないだろうかと取るものも取りあえず現場に向かうボラの人たちに、私は素直に拍手を送りたい。例えかれ彼女らの行動に至った理由が自己実現であったにせよ、利己だけではなく利他の発露であることは間違いないのだから。被災地の一市民としては、野良どもを暖かく迎え入れてあげたいと思うのである。

おそらく私は「野良」に含まれたランク分けの意識に反発しているのだろう。野良とラベリングすることにより、何となく自分が優位に立っていると錯覚する者たちに憤りを覚えるのだ。

なぜなら私は野良だから。基礎的な教養もなく、体系的な技能もなく、経験則でしか物申せない、何処の馬の骨だか分からないひとりである。

けれども野良には野良の意地がある。飼われているヤツには絶対に負けないぞという。何処にも帰属しない、私はノラ、違った野良。(5月6日)

 

頑迷で厄介な気質

先日、激甚被害地区の益城町へ赴いたとき、唐突に過去の記憶が脳裏を過った。

それは昔住んでいた賃貸マンションでの出来事だった。1階に暮らしていたが、部屋のすぐ前は1車線幅の道路で、そこにしばしば大型の4WD車が路上駐車していた。ベランダの真ん前に停めてあるだけでも不愉快だのに、真夜中にエンジンをかけっぱなしで低い振動が伝わってくる。まだ幼かった子どもがぐずりだす。私は堪らずカーテンを開けて抗議した。「エンジン停めてくれない?うるさくて眠れないんだ」。すると運転席の男性は不貞腐れた素振りでエンジンを切ったが、助手席の女性が寒いわよと不満を漏らした。そしてドア窓から顔を突き出して、私にこう返した。

そんなにうるさいんだったら、どこか違うところに引っ越されたらいかがです?

私の語気が荒かったのかもしれない。が、そんな憎まれ口を叩かれる筋合いはないと思った。それ以上揉めるのは面倒なので控えたけれど、カーテンを閉めても私の憤りは治らなかった。

思えば些細な諍いである。しかし何故、これほど古い記憶が呼び覚まされたのだろう?


また、こんなことも思いだした。

数年前、熊本市は大雨の影響で白川が氾濫し、多くの家屋が床上浸水の被害を受けた。私の住む家のすぐ近くにも水浸しになった地域がある。それを知った上で或る方がこんな感想を漏らした。

家を建てるべきではない土地って、やっぱりあるのだよ

おそらく彼は、行政による宅地造成の規制を念頭に置いた上で口にしたのだろう。が、その軽口を聞いた私は、心ない言葉だと感じ、内心穏やかではいられなかった。

彼は今回の震災でも同じように思うのだろうか?


震災の影響でゴールデンウィーク期間中の九州に訪れる観光客が激減したという。それは仕方ないことではある。けれどもTwitterでこんな意見をうっかり目にすると、本当にウンザリしてしまう。

自粛して行かないのではない。地震がこわいから行かないのだ。的確な危険回避行動だ。ただ地図が読めないから、大きめな防御をとって九州全体を忌避しているひともいるようだ。

この意見の主は大学で火山を研究する学者であるが、東日本大震災のときも福島に対して酷い発言を繰り返していた。今回もそうだ。あるシンポジウムで彼は、参加者に向かってこう呼びかけるつもりだと言う。

逆に(略)私から聞きたい、シラス噴火が起きたら鹿児島のひとは死んじゃうのに、なんで川内原発を心配してるの?毎週噴火する桜島が目の前だ。よくこんなところに住んでるな。なんで引っ越さないの?

こんなの警告でもなんでもない。人を小莫迦にした単なる戯言だ。私は彼を数年前に批判して、以来「相互ブロック」の関係だが、あの時の直感は間違っていなかったと確認する結果となった。


避難できないかと人は問う。避難できるものならとうにしている。命あってのものだよと説かれると苦しい。私とて、いよいよ家が倒壊するとなるならば決心するだろう。が、不幸中の幸いか古い家は瓦が落ちもせず傾いてもいない。検査を待たない素人判断は早計だが「危険」の赤札を貼られることはないと思う。私は土地や家に執着があるわけではない。ましてや郷土愛が旺盛なわけでもない。骨を埋めるだなんて真っ平だ。機会あれば何処か知らない土地で暮らしたい、が将来の夢である。

もっとも熊本から離れるには相当なカクゴがいるだろう。言い訳めくが、先立つものがない。先の見通しが立たない。先行き不安である。後先考えず・見る前に飛べは柵のない者の特権である。残念ながら私はもう若くない。無謀な賭けは最早できない。

要するに容易く口を挟まれたくないのだ。「引っ越されたらどうですか。そこは住むべき場所じゃないよ。どうして逃げないの」などという思いやりのない語句に、いちいち反撥してしまう。あゝこの頑迷で厄介な気質。私だって無自覚な言葉を用いて人知れず誰かを傷つけているかも知れないのに。

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かなり感情むきだしの記事になったが、これが本来の自分である。Mediumでは〈私〉を主語にすると決めているが、その初期設定を遵守することで、私は感情に箍を嵌め、辛うじて自制していられる。

読み辛い文章のお詫びに、昨日咲いていた可愛いキーウイの花を。(5月11日)

 

復興するために

一週間ほど前に、Twitterに面白い意見の投稿を見つけた。

今日、話してる時に「熊本城サグダラファミリア化計画」というのを思いついた。「熊本城の再建を木造城郭建築で行い、現場を観光資源にする」というもの。Web でも見れるようにして、大石の設置みたいなイベントを盛り上げる。なんてしていけば、20年くらい掛けてもよさそうに思える。

(SHIBUYA Hidetoshi)

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そうだ、何も焦って再建する必要はない。しゃちほこのない天守閣や、なぎ倒れた長塀、崩壊した石垣を目にするのは痛々しいけれども、再建プロセスそのものを観光資源にするとはアイディアは卓抜した発想だと思う。私は大賛成だ。

熊本城が市民にとっての精神的な支柱であり、熊本を象徴する建造物であることに疑いはないが、熊本には他にもまだ、街を特色づける交通機関がある。熊本市電である。

熊本市には路面電車が走っている。市民の貴重な足は熊本駅および上熊本駅から市内中心部を通って東区の建軍に至る。線路の周囲に敷かれた石畳は震災でかなり傷んでおり方々に破損や窪みが認められる。けれども早い段階で運転を再開したのだ。この古くて新しい市電が活躍する姿に市民は勇気づけられる。(岩下 啓亮)

実際、(震源地の益城町にほど近い)神水から建軍にかけての区間など、よくぞこれほど荒れた路面で走れるものだと感心してしまうほどだ。そしてこれも、どうせ整備するのであれば、もっと路線を延長すればいいのにと考えてしまう。簡単に出来る話ではないとは百も承知なのだが、北は子飼(熊大の近く)南は川尻(風情ある町だ)と、かつての路線を復活してもよいだろうし、思いきって東の終点を益城町にするのもアリではないか。震災後に連日クルマの大渋滞を経験して、私は尚更その感を強くした。

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素人の思いつき的なアイディアなのだけど、建設的な意見はブレーンストーミングよろしく、どんどん出していった方がいい。実現不可能なことも多いだろうが、ともかく自由に発想してみることが大事だと思う。


前々記事「野良」で、私は行政とボランティア活動のミスマッチをやんわりと指摘したが、それでもボランティア活動に秩序を求める方からは厳しい意見を頂戴した。

災害地の今は『有事』なのですから」。

確かにそうだ。けれども「有事」を常態化してはならない。被災地の市民は日常に再び帰還しなければならない。

もちろん喫緊の課題は、避難者たちの総合的な生活支援であり、損壊した建物の撤去であり、仮設住宅の設営である。これらを何時までもボランティア活動を前提にしてはならない。善意はいずれ潰えるものである。しかしこれを持続的な救援を保証するための復興事業だと自治体が位置づけ、相当の予算を計上すれば不可能な事ではない。

ゴールデンウィークには600人のボランティアが不足しているとの報道があった折に、Twitterでこのような意見の投稿を見つけた。

これだけ復興ボランティアが不足しているのなら、現在職を失っている方々を県が企業と連携するなどして、雇用を生み出していく方法はありだと思います。600名のボランティアという人数がどれだけ不足しているのか分かりませんが。復興のためにもなるし、熊本県民のためにもなると思います。(シンタロウ)

似たようなことを考えている方は少なくなさそうだ。同意の思いで私もこんなツイートをした。

大江の職安(ハロワと言いたくない)には沢山の人が列をなしているよ。行政が臨時採用という形でボランティアに相当する頭数を集めればいいじゃないか。復興と雇用をマッチングさせることは不可能じゃないと思う。今は公的機関に人手が足りなさすぎる。よく問題となる「現場の秩序」も解決するのでは?(岩下 啓亮)

職業安定所に並ぶ方々すべてに、物資の運搬やがれき処理といった肉体労働を求める訳ではない。行政の煩雑な処理が円滑に進むべく事務方の採用も必要であろうし、被災者の生活を具体的にケアするスタッフも必要だろう。専門的な業務からいわゆる「素人」にでも出来る作業まで、仕事は呆れるほどたくさんある。これら期間限定の雇用を行政が率先して行うことにより、復興事業のためのマンパワーが確保できるという考えである。

ボランティアの「野良」問題にしたって)復興をただで・安く済まそうとするから被災地の現場で齟齬が発生するのではないか?雇用の形をとれば、指示系統も明確になるではないか。労力にはそれ相当の対価を払わねばならない。支出をケチっているから、困った事態に陥るのではないか。

最初の地震から早くも一ヶ月が過ぎた。私はボランティアに頼る救援活動から公共事業に転換する時期にさしかかっていると思う。そして速やかに移行した方が、復興も促進するはずだ。

もちろん、東日本大震災のときのように、一部の業者が潤ったり仕事が次第になくなったりと、負の側面も発生するだろう。しかし、これは短期間の措置である。復興事業に参加した者に新しい職業を斡旋するといったアフターケアも視野に入れた上で、市民自らが復興に携わることで、結果的に被災地を再建する筋道へ繋がるのではないかと、さしより(さしあたって、の熊本弁)思うのである。

 

【追記】

今年は農作物の植付けが出来なくなったという農家、廃業せざるを得ないとの結論に達した町工場、店舗を再開したくても出来ない商店と、被害を受けた人々の嘆きを彼方此方で聞く。打ちのめされてもかれ彼女らは人生を降りるわけにはいかない。必要なのは同情ではなく、日々の食い扶持を稼ぐための当座の働き口である。

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震災前の過去には戻れない。が、震災後の今は未来へ連綿と続く。この震災を奇貨とする提案は時期尚早かもしれない。が、私は市民が自ら復興を手にするための、古くて新しいビジョンである「公共事業」を、夢物語に終わらせたくはない。(5月16日)

 

【さらに追記】

今朝がた市長宛に当記事を送信したのだが、私が申すまでもなかったようだ。昼にはこのようなツイートが発信された。

地震で被災し離職された方を熊本市の臨時職員として雇用します】
失業された方の雇用不安解消と、当面の生活確保と就職支援を行うため災害により離職した方々を臨時職員として直接雇用いたします。条件、応募方法等詳しくは熊本市HPをご覧下さい。(熊本市長・大西一史)

ただし、こういった情報を周知させるためには、〈パソコンやスマートフォン等に触れない層へのインフォメーション〉も今後の重要な課題となるだろう。(5月17日)