<ジェネシス━━また下らない名前のバンドだ。 でも彼女がそのネーム入りのシャツを着ていると、それはひどく象徴的な言葉であるように思えてきた。起源。>
村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』(上)講談社文庫、旧版72-73ページより抜粋
ピーター・ガブリエル在籍時のジェネシスのアルバム群。上から2枚めの『侵入』、『怪奇骨董音楽箱』、『フォックストロット』、『月影の騎士』。
①「ミュージカル・ボックス」デモ
anthony phillips - musical box demo (1969)
創世記。先鞭をつけたのは初代ギタリストのアンソニー・フィリップスであることを忘れてはいけない。彼の整えた滑走路に導かれてこそ、初期ジェネシスは無事に離陸できたのだ。
②「ナイフ」/初出『侵入』
Genesis - The Knife - (HD HIGHEST RES ON YT) Bataclan 1973 - SIX DOLLARS LIVE
この「ナイフ」が全ジェネシスの映像では一番凶暴。まだ未熟なアンサンブルがパンキッシュだ。フィルは警笛をピーピー鳴らすわ、ピーター最後はマイクスタンドを投げつけるわ。
③「ウォッチャー・オヴ・ザ・スカイズ」/初出『フォックストロット』
前にも書いたが米TV番組ミッドナイト・スペシャル出演時のジェネシスは素晴らしい。
ピーター・ガブリエルとは何者か? 後奏におけるマントのひるがえしから取り乱した振る舞いを経て鏡(に擬えたタンブリン)を外した瞬間に見せる虚無の視線まで。人類の愚挙に絶望した監視者の演技が観るものにショックを与えただろうことは想像に難くない。
④「ミュージカル・ボックス」/初出『怪奇骨董音楽箱』
同上ミッドナイト・スペシャルより。この番組のピーターがエロ爺の強慾を最も達者に演じている。「フレ〜ッシュ」と舌舐めずりする箇所の手つきのイヤらしさったら格別だ。
⑤「ゲッテム・アウト・バイ・フライデー」/『フォックストロット』
Genesis - Get 'Em Out By Friday, Live In Reggio Emilia, Italy 1973
ジェネシス在籍時のピーターが書いた歌詞で見逃せない側面は、SFや寓話を装った社会批評である。「金曜日までに追いだせ!」は国家による「地上げ」の歌。ロマンティックなおとぎ話の世界が次第にグロテスクなディストピアへと変貌してゆく。つまりガブリエルは「プログレに政治を持ちこんだ」のだ。
例えば『月影の騎士』の原題である、“ Selling England by the Pound ”(英国をポンドで売ります)は、当時の労働党のスローガンから採られた。
⑥「ピーター七変化」
The Many Costumes of Peter Gabriel
これをアップした人は私と同じ趣味だ(笑)。意味不コスプレイヤー・ピーターは正しく「変態」。低予算でも創意工夫で最高の演出家。
ただのタンブリンも、ピーター・ガブリエルが手にした途端、それは神器と化す。
「音楽箱」の爺さんは“Creepy Geezer”、「666」の(エヴァンゲリオンに出てくる使徒みたいな)プリズムは“Magog”、「スリッパーマン」は「ハロウィンパーティから追い出されること確実」と記されている。で、一番人気はやはり赤いドレスの“Sexy Fox”。
⑦「サパーズ・レディ」/『フォックストロット』
Genesis - Supper's Ready (Live 1972)
「英国人の意識に潜むものを暴きだしたかったんだ」ピーター・ガブリエル談。それを一言で表せば「エロス」である。ピーターの過剰なコスチュームは抑圧されたエロスを開放するための手段であり、ジェネシスの歌詞には「卵」やら「花」やら「蛇」やら、エロスの暗喩があちこちに認められる。
「晩餐の準備」の場合、72年のピーターが歌うと、まさに大天使ガブリエルが地上に降臨したって図になるけど、76年のフィルが歌う姿は、約束の地に導く(レンブラント描くところの)モーゼのように見えるね。
Genesis Live 1976 with Bill Bruford: Supper's Ready (Pt. II)
ビル・ブルフォード在籍時の76年はフィルの誠実な歌い方がとても好き。そして観客の真剣な眼差しとウェーブに心打たれる(静止画では約2名が寝てますが)。
陽の光の中に天使が立っている。大声で叫んでいる、「これが大いなるお方の晩餐です」と 。君主の中の君主、王の中の王が、子らを家へと導くために帰ってきた。彼らを新しいエルサレムへ連れて行こうと。
ウィリアム・ブレイクの詩や図版に出てきそうな場面だ。
⑧「エピング森の戦い」/初出『月影の騎士』
Genesis - The Battle Of Epping Forest - In Concert 1974 2DVD set
私が(トニー・)バンクスはショスタコ的だと評した理由は「森の歌」からの連想だけではない。これなど随所にショスタコーヴィッチの影響を見出せるではないか。「おしゃれ」とはほど遠い「♪ピ~クニック」。
マイケル・ラザフォードの貢献、とくにコーラスでの活躍も挙げておきたい。
⑨「ファース・オヴ・フィフス」/初出『月影の騎士』
YouTubeの再生回数が飛び抜けて多い曲。ジェネシスの全レパートリーでも指折りに数えられる。作曲者バンクスの構築的なフレーズとスティーヴ・ハケットの叙情的なギターソロと、山場が二つも三つもある。
⑩『眩惑のブロードウェイ』(全)
じつはCDを購入したのは初めて。帯のオレンジが色あせていたけど、かまうもんか。
ぶっ通しで聴くと分かるけど、前作までとの違いはロマンチックの入る隙がまるでないってとこ。うっとりさせない「リアル」にひりひりする。
ちょうど『眩惑のブロードウェイ』を聴きながら筒井康隆のインタビュー記事を読んでいたところ(あのウルトラヘイトスピーチの約一か月前)、マルクス兄弟におけるシュールレアリズム云々のくだりで「さっぱり笑いの受けないグルーチョ」の歌詞が耳に飛びこむという、シンクロニシティを経験した。
Groucho, with his movies trailing, stands alone with his punchline failing.
"Broadway Melody Of 1974"
CD1枚め後半、レコードだとB面の「カウンティング・タイム」などのポップな曲調ではマイケル・ラザフォードのベースが冴える。CD2枚め、ブライアン・イーノのSEが大活躍する「待合室」では、後半のいわゆる「ジャム」がどことなくレディオヘッドの『OKコンピューター』を思わせる。とくにスティーヴ・ハケットのきらきらしたアルペジオが降り注ぐところなんか。さらに「エニウェイ」から「ラミア」にいたる三連打では、これぞハケットの真髄ともいうべき捻った旋律をたどるソロが堪能できる。とくに「超人的麻酔医師」のテンポ・ルバートで雪崩をうつ下降フレーズには、他のギタリストでは味わえぬカタルシスがある。
それにしても「ラミア」!ピーターはエロスの根源を描くのに長けた作家だ。これほど性愛の快楽と射精後の空虚を的確に表した歌詞がはたしてあるだろうか?(もちろん表層的な解釈である。詩の内容はむしろ……いや頓珍漢な説明はやめておこう。)
でも『眩惑のブロードウェイ』についてなら、いつまでも語っていられる。
Tony Banks the colonny of slippermen "genesis keyboard"
「スリッパーマン」の鍵盤パートを「弾いてみた」この映像を観ると、『眩惑のブロードウェイ』がなぜ飽きないのかが分かる。トニーの和声の工夫の複雑にして巧妙なこと。動画をアップしたオルガン奏者にも拍手。
さて、スティーヴン・キングの小説と同じタイトルの奇妙な最終曲“It”には、
'cos it's only knock and knowall, but I like it.
という必殺リフレインがあるけれど、元ネタであるローリング・ストーンズ、『イッツ・オンリー・ロックンロール』とのタイムラグはどれくらいだろうか?
リリース時を調べてみたらストーンズは1974年10月、ジェネシスの『ブロードウェイ』は1974年11月。1か月後とは、早い!まさに「新聞読み(Paperlate!)」の面目躍如である。
しかし、過酷なツアーに倦み、家族との平穏な生活を望んだピーター・ガブリエルは、ザ・フーの『トミー』、ピンク・フロイドの『壁~ウォール』と並ぶ三大ロック・オペラ(と呼んでもさしつかえないだろう?)をものにしたジェネシスを突如として去ってしまう。 取り残された四人の心境をトニー・バンクスは(上流階級独特の婉曲さで)こう語った、
「許されることではないと思った」。(フィル・コリンズ編につづく?たぶん)
【参考】
Spotifyにこの記事にちなんだプレイリストを編んでみた。聞いてみて。