鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

的外れなレスポンス

 

ぼくは先日、こんなお茶らけた記事を書いてMediumに投稿した。

 

特命試走車自動車教習所の授業で観る古いフィルムが好きでしたね。白黒画面にスクラッチの雨が降っている、荒川土手の未舗装道路を三輪トラックが上下左右に揺れながら徐行しているような「短編映画」が。

そんな昭和の映像を観たくなってYouTubeをザッピングしていましたら下に貼ったドキュメンタリーを発見しました。

特命試走車」。どうぞご覧ください。

凄いでしょ。悪いけど私、30分弱の間に何度も笑いました。以下、見所を列挙。

  • テストコースに突如スパイ(ライバル会社)のヘリが急襲する。布カバーに覆われた試走車を撮影されてはならないと、伝声管に向かって叫ぶ警ら係の緊張した声。「大変!大変!」。

  • テストドライバーは朝食を摂らない。水分は禁物なのだ。わが子に「ちゃんとご飯を食べろ」と諭しつつ、自分はチョコレートを齧るだけ。

  • ナレーションの調子がやたらと仰々しい。「○○なのである。だから〜」と「だから」を連発するあたり、原稿の文章が粗雑い。

  • しかし、なんと言っても凄いのは、リーダーが檄を飛ばすところ。「お前らたるんでるんじゃないのか?(略)辛いなどと言わずに気合で、大和魂で乗り切れ」と叱咤、三日三晩(映像を確認すると四日四晚でした)不眠不休ノンストップで殆ど未舗装の北海道を一周する。しかも前のタイムが不甲斐ないので連続2回目の走行なのだ。

と、まあ全編これ高度経済成長初期に於ける企業のありようがうかがい知れる貴重な資料であり、かつ愉快なフィクションである。だってノンフィクションを謳うには、あまりにも作為的だもの。

今の目で見るならば、あまりにも合理性に欠ける研究開発/実験だけど、当時はこのような手段しかなかったのかもしれない。よりよい数字=記録を叩き出す目的を達成するために、エンジンがオーバーヒートするのも厭わず試験走行をくり返す。これは「世界に追いつき、追い越せ」の一念に支配された男たちの、血と汗と涙とオイルにまみれた根性物語、でもある。

かりにその「企業精神」が、戦後日本の自動車産業の礎となった事実は否定できないにせよ、滅私奉「社」の精神と、暴走族の理不尽なヤキとのアマルガム(合金)が、昨今隆盛のブラック企業の地金になったこともまた否定できまい。

つまりは企業PR映画なんだ。企業の内に発奮を促すための。昭和の真面目さや直向きさの向かう先は大半が社内か国内。外には開かれていない宣伝材料。

だから面白がって観たあとに、なんとも言えない苦い後味が残る。それは結末の場面にそれとなく示されている。耐久と徒労。ぜひ観て確かめられたし。

(ここに悪趣味な自画像イラストを貼る。お行儀よいMediumへのちょっとした挑発のつもり)

今回の記事の内容とはぜんぜん関係ない話だけれど。

Mediumのレスポンス機能を使わない手はないよ。ハイライトにマークして返信するだけだ、気軽に書いて送ればいい。

私は、気安い私信のときはタグをつけずに、発想の起点となるような記事を見つけたときはタグをつけて送信する。タグをつけると公に表明することになるから元記事を書いた方に失礼のないよう配慮するが、そういう使い分けをすることでMediumの楽しみ方も増えるはずだ。

私は面白がる観点が人様と違うようだ。どうかみなさんも遠慮なく、意識の高いふりした鰯に熱いレスを。(12月19日)

 

Mediumにはresponseという便利な機能があって、ユーザーは要所(highlight)をマーキングしたり、そのマークが起点となった返信を送ったりすることができる。後半は、それ、もっと活用しましょうよという呼びかけである。

すると、記事自体はたいして読まれていないのに積極的な反応が返ってきた。Mediumユーザーからの返信は転載しないので、リンク先をご確認願いたい。

 

はい、そのやみくもなエネルギーが戦後日本の復興には必要だったのでしょう。根性を否定する気持ちはありません。それは興した業の継続に不可欠な要素だと思います。

ただ、国が豊かになってからの日本は、ど根性が形骸化して精神論「の、ようなもの」に変質していった。私の同世代がその風潮を促進したとの忸怩たる思いがあります。

やがて「努力した分だけ報われる」が、いつの間にか「努力した者だけが報われる」社会にすり替わってしまった。そしてそれが自己責任論を呼び起こし、生活保護不正受給者パッシングまでエスカレートしている。それは「不安の払拭は気の持ちよう」と嘯く文化人らの言説にも顕著に現れている。旧来型の頑張りが肉体から離れ、観念のみの知の遊戯に堕している。そんな現在進行形の冷笑的な風景よりも、直向きに頑張れた戦後まもなくの日本の方が、まだまともで健全だったように感じてなりません。

が、

映像の昭和は懐かしい。けれどもノスタルジーに溺れてはならないと思っています。昔よりも今の時代がより素晴らしい。基本的にそう感じていたいし、そうであらねばならない。

長くなりました。続きは今後のテーマとします。返信ありがとうございました。鰯

 

  少子化する日本社会は、否応なく老後を意識する社会に変貌しました。年金支給についての政府の方針は一貫しており、「身体が動かなくなるまで働け」というメタでもないメッセージが含まれていますね。かりに政権が変わっても、官僚の描くデザインに大幅な変更はなさそうです。

Medium内をざっと見渡すと、若い方々は冷静に社会の推移を読んでいるし、中高年は国や企業に依存しないライフスタイルを選択している印象がある。早い話が賢いし、強い。だからユーザーがなかなか増えないのかもしれない(笑)。

老後かあ。若い頃はまったく意識してなかったし、今も意識の片隅に追いやっていますが、さて、どうしよう。いつまでも考えていられるテーマがまた増えました。

返信ありがとうございます。鰯

 

こういった丁寧なやりとりはTwitterでは味わいにくい(不可能ではないが)。Medium最大の長所だと思う。ぼくも興味深い記事にはなるたけ反応しようと心がけている。次はその例。

 

私は先日Twitterで、落陽の瞬間を見たというツイートを、落葉の瞬間だと錯覚して勘違いも甚だしい感想を送った。するとユーモアたっぷりの返事をいただいた。

「いい歳をしてまさか。」

私は入院中の彼がたぶん感傷的な気持ちになっているのだと早合点した。けれども彼は違った。いま沈みゆく夕陽を記憶に刻んでおきたかっただけなのだ。

御記事を読んだとき、そのときの感情がにわかに蘇りました。そして、勘違いした理由がいくぶんか解けた気がしました。

的外れなレスポンス、失礼しました。鰯

 

これは元記事の、

夕焼けを見ると、大きく分けて、悲しくなるという人や、元気が出るという人になる。

でもそれは、その瞬間瞬間の気持ち次第なんだ。

コンテキストとは、文脈などと訳されることが多い。実はwebのプログラムをしているとよく出てくるワードで、トランザクションにおける瞬間瞬間の情報をひとまとまりにしておいて、またその中のどこかで利用するような、比較的曖昧な単語だ。

気持ちというコンテキスト。これが呼びよこされる似たような瞬間に出会うのが郷愁。そういう感覚と錯覚するのが既視感。

すごく、曖昧なものなんだ。

そしてそれはあまり共有されることがない。

なぜなら曖昧で、その瞬間瞬間で体験したものだからだ。人の感覚は読めるようで読めていない。

という文章に喚起されて送ったレスポンスである。

これを書いた方は高校生だが、マナーをわきまえており、洞察力も高い。ぼくのやや不躾な反応にも、このような返信を送ってくださった。

Responseありがとうございます!

御記事などとたいそれたことは書いてはないですが^^;、的外れでは無いと私は思います。

音の同じ文字を読んでThe Last Leaf的なお話を先に思い出すのは、相手が病院に入っているというコンテキストの一部を共有しているからでだと思います。ただその重みが外から見ているのと内から見ているのではじつは相違があった、ただそれだけなのではないでしょうか。

素敵なお話をいただくきっかけを作っていただいた、お友達の方の早急な退院を願っております。

なんとかれは、ぼくの<落葉の瞬間だと錯覚した勘違いも甚だしい感想>が<The Last Leaf的なお話>だったことを、文脈から読みとったのである。これには舌を巻いた。

この高校生に限らず、Mediumには若く・頭の柔らかいアカウントが多い。ぼくはかれ・かの女らから多くの教えを授かっている。

 

ぼくがTwitterで的外れな感想を宛てた相手は、新潟在住の方で、時どき『鰯の独白』の告知を紹介してくださる。<ブログ再開祈念しております。>とのリプライまでいただいているのである。が、目下のぼくは応えられずにいる。つらい。

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写真は、金峰山に沈む熊本の夕陽。(でも、本当に伝えたかったことは、新潟で見た夕陽は、今までに見た他のどの地方の夕陽よりもきれいでした、ということ。)

 

 

このブログについては書くだけの動機がなければ発表しないほうがましだとのキビしい姿勢で臨んできた。けれども、発信する場所がTwitterとMediumだけになったら途端に窮屈さを覚えた。どうやらぼくには個人的な声明、つまり独白を撒き散らす余地が必要なようだ。

「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴を掘るための空き地が。

来年のことを言うと鬼が笑うそうだが、来年になったら『鰯の独白』を再開します。

みなさん、よいお年を。鰯