鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

“カリフォルニア・ソウル” 輝く星座 フィフス・ディメンション

 

たまには幸福な気分に浸りたい。そんな時ぼくの手が伸びるのはフィフス・ディメンション。1966年に高く打ちあがった風船は、50年近くたった今でも気持ちを高揚させてくれる。流行おくれのファッションが何度もリメイクされて甦るように、五人の歌声はいつ聴いても新鮮に響く。その理由は音楽そのものが実力に裏打ちされる確かなものだったからだ。 

The Fifth Dimension

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左より時計回りにフローレンス・ラルー、ラモンテ・マクレモア、ロン・タウンソン、マリリン・マックー、ビリー・デイヴィスJr.

Ⅰ.ビートでジャンプ

ロスアンジェルスのクラブを中心に活動していた五人組を見出したのは歌手ジョニー・リヴァースだった。プロデューサーとして自ら指揮を執り、ソウルグループとしてではなく「黒いママス&パパス」として売り出した。そしてフォーキーな「青空を探せ」をシングルカット(全米16位)、さらに満を持して第三弾に「ビートでジャンプ“Up, Up and Away”」をリリース。全米7位を記録し、幸先の良いスタートを切る。

聴いてみようか。

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複雑なコーラスワークを見事に歌いこなしたグループと、転調をくり返す技巧的な曲を書いたジミー・ウェッブは、ともに注目を集めた。他のライターが書いたフォークロック調の曲よりもジムの書いた5曲の出来栄えが(私見だが)はるかに勝っている。この「若きバカラック」の称号が与えられたウェッブを中心に次のアルバムが制作される。

 Ⅱ.マジック・ガーデン

録音技師だったボーンズ・ハウ(下写真中央眼鏡)がプロデューサーに昇格、ビートルズのカヴァー「涙の乗車券」以外の、すべての楽曲をジム・ウェッブ(下写真右スーツ姿)に任せた意欲作。ジムは編曲(含むオーケストレーション)まで手がけたが、チャートでは振るわず最高105位。

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確かに突出した楽曲がない=シングルカットに向かないといううらみはあるだろう。だが、この音楽の密度はどうだろう。まさに「サマー・オヴ・ラブ」を体現した一枚と言えるのではないか。私的にはいちばん愛着がある(トータル・コンセプト)アルバムである。

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たとえばXTCなどの「手の込んだポップ」を信奉する向きに「ペイパー・カップ」はどう聞こえるんだろうか?


The 5th Dimension - Paper Cup

Ⅲ.ストーンド・ソウル・ピクニック

前作で不首尾に終わったグループは軌道修正を図る。持ち前のソウルフィーリングを加味し、アフリカン・アメリカンとしてのアイデンティティを明確にしたい。それはプロデュース側の意向であり、本人たちの希望でもあったが、路線に沿った楽曲を書けるソングライターが必要である。そこで白羽の矢が立ったのがニューヨーク生まれのティーネイジャー、ローラ・ニーロ。プロデューサーのボーンズ・ハウはローラの才能をいち早く見抜いていた。

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ローラ・ニーロはグループのソフトなイメージに強さと陰影を与えた。ソウルフルに張らなければ歌いおおせない楽曲。冒頭の「スウィート・ブラインドネス」と「ストーンド・ソウル・ピクニック」(全米第3位)の2曲は、アルバム全体の求心力を担った。

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【追記】

フランク・シナトラの番組で御大と共演している映像をご覧あれ!


Frank Sinatra - "Sweet Blindness" (Concert Collection)

これによりフィフス・ディメンションR&Bチャートにも名を連ね、ソウルミュージックとしても認識されるようになった。それを象徴する楽曲が、アシュフォードとシンプソンの男女コンビのペンによる「カリフォルニア・ソウル」である。


The 5th Dimension California Soul

陽気さや溌剌さはそのままに、グループ本来のソウルフィーリングをいかんなく発揮した佳曲である。グループ自らも「カリフォルニア・ソウル」を標榜したという。

ここで念のため簡単に紹介しておくと、フィフス・ディメンションのアルバムでバックを務めた演奏陣は、ハル・ブレイン(ドラム)、ジョー・オズボーン(ベース)、ラリー・ネクテル(キーボード)、トミー・テデスコ(ギター)といった、のちにレッキング・クルーと呼ばれる(白人の)スタジオミュージシャン集団である。この人たちの業績を語りだすときりがないので控えるが、個人的な意見だと、ハルのドラムとジョーのベースがもっとも生き生きと弾けているのはフィフス・ディメンションの各アルバムにおいて、である。演奏に埋もれないヴォーカルパートが上に乗っかると想定できたからこそ、リズムセクションは思う存分にドライヴできたのだと思う。

Ⅳ.輝く星座

そして4枚目のアルバム『輝く星座』でグループは最高潮を迎える。反戦と愛を謳ったミュージカル『ヘアー』からのメドレー、「輝く星座(アクエリアス/レット・ザ・サンシャイン・イン) 」と、ローラ・ニーロの「ウェディング・ベル・ブルース」の2曲が、ついにヒットチャートの1位を射止めた。

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アルバム全体を通じて感じるのは対位法的なコーラスパートがより複雑化したこと。ボブ・アルキバーのトレーニングが功を奏したか、メンバーそれぞれの表現力が深まっている。当時のフィフス・ディメンションはヴォーカルグループとして、かなり高水準に達していた。 次に掲げるフィルムは、このアルバムを発表した69年のライブの模様である。TVショーと違ってマイムではないので、グループの真の力量は推し量れよう。


The 5th Dimension on Andre Salvet 6 10 69

ビートルズの「愛こそはすべて」をカヴァーしているのはご愛嬌だが、それとバカラックナンバーを融合させているのが興味深い。アルバムではクリームの「サンシャイン・オヴ・ユア・ラヴ」をカヴァーしているが、アメリカン・ショービジネスの渦中にいながらも英国の動きをしっかりと視野に入れていたようだ。

この時期、「レット・ザ・サンシャイン・イン」のシャウトで男をあげたビリーがマリリンと結婚。「ウェディング・ベル・ブルース」は図らずもトピカルソングとなった。

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(1971年の編集盤『リフレクションズ』のアルバムジャケット)

さて、67年の「サマー・オヴ・ラヴ」を体現した五人組は、69年にアポロが月面着陸したときには宇宙への憧れを歌った。が、その楽天的なスタイルは次第に影を潜め、70年代の到来とともに、グループはイメージの変化を余儀なくされる。

 

Ⅴ.ポートレイト

ニール・セダカ作のアーシーなナンバー「パペットマン」で幕開くこのアルバムは、ぼくが親しみを寄せる一枚だ。トラフィックデイヴ・メイスンが作曲した「フィーリン・オールライト」や、ラスカルズの「自由の讃歌」などを取りあげており、さらにローラのレパートリーからは「セイヴ・ザ・カントリー」をチョイスするとなれば、相当ロック寄り、しかも反体制寄りは明白だ。が、これは時代の変化を反映したものだと思う。

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ビリー・デイヴィスの熱いシャウトが全編に炸裂している。 けれども一般が好んだのは、はじめて公に取りあげたバート・バカラックナンバー、2曲目に配された「悲しみは鐘の音とともに"One Less Bell to Answer" 」だった。

『ソウル・トレイン』出演時の映像だが、カメラはマリリン・マックーを主軸に捉えている。もともとモデルあがりのマリリンなだけにビジュアルの訴求力は抜群だけど、ここにきてマリリン&バックコーラスの様相を呈してきたのは、ちと寂しい。

ところで下のTVドラマ『スパイのライセンス』では「パペットマン」を歌っているが、スタジオの入口にローラ・ニーロのポスターが貼ってあるのをお見逃しなく(おそらくスタジオエンジニアを演じる(笑)ボーンズ・ハウの差し金だろう)。


Fifth Dimension - Puppet Man

Ⅵ.愛のロンド

長年在籍したソウルシティ(リバティー)レコードを離れ、ベル・レコードに移籍したグループは、71年に『愛のロンド“Love's Lines, Angles And Rhymes” 』を発表。全体にしっとりした肌触りの佳作だが(フィフス・ディメンションに駄作なし)、初期と比べればコーラスのテクニックは格段に向上したものの、グループの一体感が薄れてきた印象は否めない。

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耳を惹くのは、やはりマリリンが独唱するタイトル曲だ。このスローバラードを切々と歌いあげたことにより、マリリン・マックーはアダルト・コンテンポラリーの歌手として認知されたのである。


5th Dimension - Love's Lines, Angles and Rhymes (1971)

確かによくできた楽曲で、とても好きな曲なんだけど、ここまできたらもうフィフス・ディメンションじゃないような気がする。結局ビリーとマリリン夫妻は、この後ライブ盤を含む3枚のアルバムまで参加したのち、73年に脱退してコンビとして活躍する。残された3人はフローレンスを中心にグループを継続するが、残念ながらその後の動きまでは追っていない。

72年から73年にかけての重要な曲(ベスト盤などに必ず入っている)を掲げておこう。

① 邦題:「夢の消える夜」

(Last Night) I Didn't Get to Sleep at All, a song by The 5th Dimension on Spotify

② 邦題:「とどかぬ愛」

If I Could Reach You - Digitally Remastered 1997, a song by The 5th Dimension on Spotify

③邦題:「愛の仲間たち」

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【追記】

バート・バカラックのホストする番組で、フィフス・ディメンションがコーラスワークを創りあげていく模様が映しだされる映像を見つけた。ミュージシャンシップにあふれた、よい記録だ。実際のプリプロはこれほど和気あいあいとはいかないだろうけど、それでも歌い手や演奏家たちにとって、バカラックとのセッション、創造する過程は充実した時間だったのではないだろうか。


The 5th Dimension Nobody Knows the Trouble I See (Full Version) Shangri-La Special 1 26 73

 

え? どうしてしつこく邦題を記しているのかって? それはね、最近Twitterで「#女性映画が日本に来るとこうなる」というハッシュタグが話題になっていて、日本で公開された外国映画の、とくに女性向きと判断された映画の邦題がいい加減で、本来の意味をまるで伝えていないと悪評ぷんぷんなのだ。それを念頭に置き、あえて「ビートでジャンプ」だの「愛のロンド」だののダサい邦題を記しているわけです。まあフィフス・ディメンションの場合、70年に大阪で開催された万国博覧会に招かれているくらいだから、日本での人気はかなりなものだった(リアルタイムでないから推測です)し、邦題の多さは人気のバロメーターとも言えるだろう。それにステージ101の「シングアウト」や「いずみたくシンガース」や「赤い鳥」からコカコーラのコマーシャルにいたるまで、フィフス・ディメンションのコーラスワークとアレンジメントは70年代前半の日本産ポップスにさんざん模倣されていた。影響を受けていない演奏を探すのが難しいくらいである。だから初めて聴いたときに、ひどく懐かしさを覚えたんだろうな。

なにせぼくが後追いでフィフス・ディメンションを知ったのは今から30年ほど前。アメリカから輸入されたカット盤が無造作に積んであるレコード屋で1枚100円、紹介した6枚にハーブ・アルバートやらB.J.トーマスやらを加えて計10枚を1000円で買ったのがきっかけだった。盤質は悪く、傷だらけで聴きづらいことこの上なかったけど、針の摩擦音の向こうから聞こえてくる爽やかな歌声はなんの翳りもなく、元気いっぱいで希望に満ちあふれていた。その歌の邦題が「ビートでジャンプ」だなんて当時は知るよしもなく、ただただ何度も、♪アップ、アップ、アンド、アウェイと口ずさんでいた。歌は硬質なデジタルの音像に疲れたぼくの耳を優しく慰撫してくれた。

もう一度、聴いてみようか。

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アクエリアス」以降のテクニカルなコーラスも魅力的だけど、ぼくは初期の、チームワークが身上のユニゾンがより好きだ。とくにフローレンスとマリリンが児童合唱のようなファルセットで歌い、その下をロンとラモンテとビリーが持ちあげるミドルエイトがいちばん好きだ。これ一曲を作ったってだけでもジミー・ウェッブは尊敬に値する。そしてなによりも、ジムやローラ・ニーロといった優秀なソングライターの存在を教えてくれたフィフス・ディメンションには足を向けて寝られない。かれらは飲みこみ辛い楽曲に、ひと匙の砂糖をまぶした。まさしく人口に膾炙したのだ。それは裏方の録音技師やダンヒル直系の腕っこきバンドマンが、しゃかりきになってグループをサポートしたおかげでもある。

つまり、ぼくにとってフィフス・ディメンションはポピュラー音楽の学校だった。とても楽しいプライマリースクール。だから卒業したあとも時どき思いだしては校庭に遊びにいく。そして思いきり遊んだあとは、ちょっぴり切なくなる。

カリフォルニア・ソウル、輝く星座、5次元に届け11の歌。