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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

わたしは宗教を持たない

 

わたしは宗教を持たない。

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教会やら神社やらの写真を載せると、おや信仰心にお目覚めかと訝しがる向きもあろうが、わたしは信仰心を持たない。信心に著しく欠けておる。お祈りをしたとて、お参りをしたとて、形式的なふるまいである。偽装に等しい。敬う気持ちもなければ、崇める気持ちもない。ゆえに奉らう対象が見あたらない。「ニューヨークあなたはまるで宗教のよう」と歌うローラ・ニーロの敬虔さを理解できなくはないけれども、共感にはいたらない。

 

街中の教会にマルティン・ルターのポスターが掲げられている。わたしは歴史に詳しくない。いや、もちろん1517年に宗教改革が始まった史実は学んでいる。だが何故そのような改革が行われるに至ったかという経緯を漠然とは知っていても、そうせざるを得なかったルターの心情までを推し量ることはできない。わたしは神学を学んでいないから小泉純一郎がやめようよといった神学論争がいかなるものかも分からない。論争するだけの材料を持たぬのだ。それゆえ「カラマーゾフの兄弟」を読んでいても、文学史上重要だとされるイヴァンとアリョーシャの論争の場面など、深入りせずに読み飛ばしてしまった。これを読書とは到底言えまい。概要を知ったに過ぎない。だから、いつまでたっても教養が身につかない。

 

ただ、なんとなく、なのだ。わたしはルターの肖像画をデザインしたポスターの赤を、雰囲気がいいというだけの理由で撮影した。そこに哲学はない。そう、わたしは哲学を識らない。「ソクラテスの弁明」すらまともに読みおおせていないし、読みおおすつもりもない。哲学書を紐とく気持ちが起こらない。知的に怠惰である。精神的に向上心のない者はばかだ、と「わたし」は「K」に言った。あゝばかだ、莫迦ものだ。さしたる定見もない大莫迦ものだ。無知なくせに、浅はかなことばを並べたて、美学の何たるやも無視して、ただ感覚だけを肥大化させ、250もの記事をネット上に開陳し、それで恥ずかしげもなく息してやがる。

 

へっ、こんなヤツに神のご加護があるもんか。わたしはお参りの最中にだって不埒なことを考えてしまう俗物だ。どうか金持ちになりますようにだの、どうか一日でも長く生きていられますようにだの、碌でもないことが頭のかたすみにちらついて、まずいぜこれじゃ神サマの逆鱗に触れるぞ、とおっかながる程度には小心者である。だからこの戯文をお読みのあなた、どうか深刻に受けとめないでいただきたい。これは単なるがらくたの放出だ。意味はない。ただ、溜めておくと重たくなるから書いて流しているだけさ。

 

わたしは宗教を持たない。天国と地獄があるかどうかもわからない。分からないことをわからないという態度を、えーとなんていうんだったっけ。不可知論? 違うな。はて?