鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

備忘録

 

被災地の写真を撮って、より多くの人たちに被害の様子を知らせたほうがよいという意見がある。報道で伝えられる範囲はごく僅かであるし、ニュースに割かれる時間が減るにともなって、人びとの記憶は次第に薄れていき、あゝもう通常の生活に戻ったのだなと誤解されかねないので、被災地の現状を知ってもらうためにも、拡散することが必要である、と。

もっともな意見である。異論はない。

だが、ぼくは被災地の写真を撮ることができなかった。倒壊し、潰れた家屋を撮影できるほど、ぼくの神経は太くない。プライバシー保護の観点からしても、見知らぬ世帯の家屋を許可を得ることなく撮影するのは憚られるし、モラルに反しているとも思う。だって自分が倒壊家屋の住民だったら、撮られたくないもの。

なので、ぼくは写真を撮らなかった。撮れなかった、というのがより正しい。ただ、震源地に立ったときの拠り所のなさだけは捉えておきたかった。ぼくはそそくさとスマフォを構え、虚空に向かってシャッターを切った。以下はそのときの写真と、添えたキャプションである。

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平衡感覚を奪われた町に立ってみればいい。ぼくはこの一枚を撮るだけで精一杯だった。

これを撮った瞬間の言明しがたい感情を忘れないでいたい。いや、忘れられるはずもないのだが、記憶から失われることのないように記録しておきたい。その思いからこの画像をTwitterのヘッダーに掲げた、ぼく自身が忘れないように。

 
 
(この記事は5月19日に書いたものである。投稿を躊躇って下書きに収めていたが、掲載することにした。)