鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

夏天空の伝説 The Enid “In The Region of the Summer Stars”

 

 The Enidが4月に来日した。観にはいけなかったが、鳴った音を想像しているだけで愉しくなる。観に行かれたるなさんの感想によれば、<イワシさんの別腹1位をライブで聴いて来ました。ゴドフリーさんも初期アルツハイマーなど微塵も感じさせない流麗なタッチで、やさしい人柄そのものの音でした(以下略)>だそうである。

 さよう、ぼくはエニドを永遠の別腹1位と定めている。より正確に言えば、ファーストアルバムの“In The Region of the Summer Stars”をこよなく愛する。
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むかし戯れに書きとめた文章を再掲してみる。
エニドをひとに聴かせると、「イージーリスニングじゃん」とよく言われる。それならまだいいが、「こんなのロックじゃねえ、クラシックの紛い物だ」と、蛇蝎のごとく嫌われる。だから強いて勧めない。いや、じつをいうと、これはかつての自分の意見なの。シンフォニックロック? ケッ!と、偏見だらけだったの。
でもさ、なんのきっかけか、ファーストアルバム『夏天空の伝説』を聴いて、終盤のテーマソングのトリコになって。それからは一気呵成。嫌いが大好きのツーテンジャック。セカンドに入っている「オンディーヌ」なんて、夕暮れ時に聴いて泣きましたもん、切なくてせつなくて。
あと、エニドにはどことなく、極右か極左か分からんスタンスの「秘密結社」みたいな雰囲気があって。そこもまた不気味な印象を抱きがちだが、好きになったらアラ不思議、そういう部分があべこべに魅力のスパイスと転じてしまう。
なんかね、エニドを聴いていると背徳的というのか、いけない遊びに耽っているような気になるんだ。思いきって書いちゃうと、エニドを聴いてると<ナルシスが水面に映った自分にうっとりしている姿を木陰からこっそりのぞきながらマスターベーションしている>みたいな感覚に襲われる。さしずめエコー。三島的というか。あ、エニドの音楽自体はきわめてヘテロセクシャルな構造を示してるんだがな。
さて、これに匹敵する「ロマンチック」なロックがはたしてあるだろうか?あるかもしれないが、私的にはピンク・フロイドピーター・ガブリエル在籍時のジェネシスよりも上に位置する。極南に十字星は燦然と輝いており、他と比べようがない。セカンドの“Aerie Faerie Nonsense”①や、それに続く“Touch Me”②、“Six Pieces”③も好きだけれども、1枚目の純粋さ、直向きさには及ばない。あの何とも言えない玄妙な響き、息をつかせぬ展開、弛みのない構成、厳しさと甘酸っぱさが同居した感じを言葉に表すのはとても難しい。霊性を帯びたような雰囲気の源は何処から来たものなんだろう。
ここはボレロ、ここはサン=サーンス、ここはブルックナーと影響を指摘するのは簡単だけど、それも虚しく覚えるほど批評を拒否する音楽。だからエニドを好きな者はとことん好きだし、嫌う者はけちょんけちょんに貶す。ぼくのように中途半端なファンはあんまり居ないと思う。エニドについての詳細な考察は、だから他を当たったほうがよろしい。ぼくに言及できることといえば、例えば表題曲はエニド流のレゲエ(風味。言い過ぎであるならリゾート感)である、ということくらいか。孤高を保っているように見えるが、ロバート・ジョン・ゴドフリーは横目で時代をしっかりと見据えていた。1976年というプログレッシヴロック爛熟の時に、どのような新味を取り入れたらよいのかと腐心した形跡を発見し、後追いのぼくは微笑ましく思うが、こんな感想でアルバムの価値が減ずることはなかろう。
現在YouTubeには2種類の“In The Region of the Summer Stars”がアップされている。いつ削除されるか分からないが、やや大人しめなオリジナルミックス(a)とコントラストが明瞭な80年代リミックス(b)の2つとも掲げておく。聴き比べるのも一興。だが、今のぼくはくすんだ音質の、76年盤を採る。
(a)

www.youtube.com

(b) 

 
ひょっとしたらぼくは、少年の憧憬を具現化したような、繭型のジャケット写真に惹かれたのかもしれない。