鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

普遍化する能力 ジョー・ジャクソン

 

ある種の輝きを有しながらもそれを普遍化する能力が幾分不足した(不足していると僕には思える)ジョー・ジャクソン

村上春樹ダンス・ダンス・ダンス(下)』1988年

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 ベスト盤『ステッピン・アウト』裏ジャケット

 

 久しぶりにブログに投稿しようと思うのだけど、温めている題材がいずれも手に余る感じがして、中途半端で書き進めずにいる。まあ、こんなときはムリをせず、好きな音楽の話でも書けばいい。というわけで、今日はジョー・ジャクソン(プレイリストを聞きながらお読みください)。

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 ファーストアルバム『ルック・シャープ』に出会ったのは1979年。ぼくがまだ高校生だったころだ。石畳に白い(ロボットの)靴のコントラストが印象的なモノクロ写真のジャケット。それはパンク・ニューウェーブに目覚めたものの、いまいちとっつきにくくて手を拱いている、ぼくに差しのべられた導きの手だった。

 ピアノを弾くぼくにとって、ジョー・ジャクソンのこしらえたアンサンブルは納得のいくものだった。ギターは右手、ベースは左手だと感覚的に理解できた。ははあこういうふうに成り立ってんのかと、頷きながら聴いていた。二曲目を「サンデペイパー」と一緒に口ずさみながら。

  ゴキゲンだった。いままで聴いていたロックと違う斬新さがあった。ざっくりいえばスカッとした。スカという名前のリズムパターンだとはまだ知らなかったけど。

 アルバムではその次に収録されている「Is She Really Going Out With Him?(奴に気をつけろ)」も好きだった。分数コードがさりげなく使われている。ギターがFと弾けば、ベースはGと弾く。それでいてスカした感じがしない。(当時流行した)シティーミュージックのような気取りがないのだ。

 

 ジョーは間髪を置かず、すぐにセカンドアルバムを放つ。『アイム・ザ・マン』。パワー・ポップのお手本ともいえる、バンドの一体感とスピード感、それにメロディアスな楽曲群。ベースのグラハム・メイビーがグッと存在感を増してきた。スマッシュヒットした「ディファレント・フォー・ガールズ」のイマジナリーなプレイや、


Joe Jackson - It's Different For Girls

 アルバムのラストを飾る「フライデー」の高速ビートもいいが、

 なんといっても表題曲の弾けっぷりに尽きる。

 なんというかジョーの歌いっぷりには「ふてくされ感」がある。世の中を斜に構えてみているような不遜の態度。それは当時の閉塞したイギリスの社会情勢を反映したパンクロックに共通する身振りであるが、ジョーの「へっ、なに言ってやがる」みたいな歌いとばしに、ぼくはかなり影響を受けたものだ。

 

 が、その「ふてくされ」は全方位に及ぶ。自分に振り向いてくれない女のこや、自分をないがしろにしたヤツらへの、不満や鬱憤を歌詞で晴らすことの多かったジョーが、サード・アルバム『ビート・クレイジー』では社会状況に目を向ける。ただ、その眼差しは幾分か錯綜しており、右へ左へと振幅が激しい。当時のジョーは、ユニオンジャックをステージに掲げる程度には「愛国者」であり、休日になるとデモに参加するガールフレンドを痛烈に批判する歌「ワン・トゥ・ワン」を聴くとわかるけど、左派政党や社会主義にはかなりの嫌悪感を抱いている。が、その一方では、ロック・アゲンスト・レイシズムに共感するような、権力に対する「抵抗」の姿勢も持っている。このへんのスタンスは当事者にしか推し量れないものだけど、その鬱屈したエネルギーみたいなものは、英語を正しく聞き取れない日本人の学生にも、ビンビンに伝わってきたものだ。

 しかしビートバンドを率いて「一晩じゅうクランプスをかけて踊る」のに倦んだのか、

 ジョーは音の読めるグラハムのみを温存し、バンドを解散する。身長こそ高いが腺病体質なので、激しいビートに身体が悲鳴を上げたのかもしれない。が、療養中に聴いたゴキゲンなジャンプナンバーに生気を授かったかれは、そのお礼とばかりに『ジャンピン・ジャイヴ』をリリース、鮮やかな転身を遂げた。

 それほどスウィング感のないスクエアな演奏だけれども、ノスタルジックに陥らないシャープなエッジが、あの時代にはむしろ爽快だった。

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 これは86年の東京でのライブだけど、楽しそうでしょう。そう、ジョーは青筋をたてて怒りを表すスタイルにオサラバを告げ、演奏そのものを聴かせる方向へシフトチェンジしたのだ。

 

 好評の余勢をかって、ジョーはニューヨークへ渡る。サルサをはじめとするラテン系の音楽に着目したかれは、女性パーカッショニストを雇い入れ、新たなアンサンブルの構築を図る。名盤『ナイト・アンド・デイ』の誕生だ。

 このアルバムは捨て曲ナシだけど、レコードだと「危険な関係」からはじまって「スローソング」で終わるB面〈Day-Side〉の流れがとくに素晴らしい。ぜひ通しで聴いてほしい。

 そしてついに、このアルバムからは大ヒットナンバーが生まれる。全米チャート最高6位、グラミー賞にもノミネートされた「ステッピン・アウト」。


Joe Jackson - Steppin' Out

 出だしのチープなリズムボックスとシンセ(サイザー)ベースのリフレインを耳にするたび、ぼくはワクワクしてくる。次いで密集しては開離する複合的な和音の響きを奏でるピアノと、降りそそぐグロッケンシュピールが現れ、都会の夜をクリアカットに映しだす。シンプルな歌詞と構造だのに、何度くり返して聴いても飽きない、完璧なポップチューン。だけどヒットを狙って作られた楽曲ではない。ごく自然な形でジョーの内側から湧きだしたものだ。それゆえ聴き手は無理なくジョーの誘い、「踏み出そうよ、夜の街へ」を受け入れられる。

 このチャーミングな曲は時代を超える普遍性を有しているとぼくは感じる。

追記】 ここで素敵なカヴァーを紹介しよう。

アメリカのジャズヴォーカリスト、カート・エリング2011年の傑作アルバム『ザ・ゲート』より、「ステッピン・アウト」!

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 このアルバムが成功したころ、ぼくはジョー・ジャクソンの初来日コンサートに足を運んでいる。会場は中野サンプラザ。いま顧みてもPAのバランスがよく、充実したアンサンブルの各パートが明瞭に聞き取れ、ジョーの誠実なステージマナーも印象に残る、感じのよいコンサートだった。ラストナンバーの「スロー・ソング」ではちょっとうるっとしたもんね。

 そういえば……

 会場で配られていたチラシ(フライヤーなんて言葉は当時なかった)に、「ジョー・ジャクソン・ファンクラブ入会のご案内」があったので、ぼくは皮肉まじりに「へえ、ジョー・ジャクソンにもファンクラブなんてあるんだ」となぐり書きして投函した。すると数日後に、「ジョーだって人間。そんなことを言われたら、きっと傷つくんじゃないでしょうか」と書かれた手紙が返ってきた。ぼくは「ジョーのファン層もずいぶん変わっちまったな」と思うのと同時に、愚かしいハガキを送ってしまったことを、ちょっぴり後悔したものだ。

 

 大ヒットを受けての潤沢な予算で作られた次作『ボディ・アンド・ソウル』は、充実した内容の意欲作だった。シングルに切られた「ホワット・ユー・ウォント」は期待を裏切らぬ出来栄えのファンクナンバーだった。新ギタリスト、ヴィニ・ズモのバップスタイルもカッコよく、ジョーは押しも押されもせぬスターになったなと感じたものだ。 


Joe Jackson - You Can't Get What You Want (Till You Know What You Want)

 が、ないものねだりかもしれないが、「なにかが一つ欠けている」気がしたのも確かだ。その「なにか」が具体的に何なのか、当時は分からなかった。音楽性ではない、ただ、もどかしいけど、パズルの最後のピースが埋まってないような気がしてならなかった。

 冒頭に抜粋した村上春樹の引用は、そのもどかしさについて言及している(と思われる)。主人公が耳にした歌はなにか? おそらく「ステッピン・アウト」か「ホワット・ユー・ウォント」のどちらかだろう。身もふたもない感想だと思うけど、読んだときにはうっかり頷いてしまった。

ボディ・アンド・ソウル』の話に戻すと。ぼくは最終曲の「ハート・オブ・アイス」をこよなく愛す。これはジョーがたどり着いた最高到達点といっても過言ではない。

 こんな「ボレロ」を書ける「ロックシンガー」がどれほどいるだろう?

 

 ジョー・ジャクソンはそれでも歩みを止めなかった。次作『ビッグ・ワールド』ではレコーディングの挑戦、ステージ上での演奏の一発収録(観客は入れるが拍手はさせない)を実践する。ちょうど同じころ、トッド・ラングレンも『セカンド・ウインド』で同様のアプローチを試みているが、その異様ともいえる緊張感は、確かに聴く者の姿勢を正す厳かな響きがあった。


Joe Jackson-Hometown(The Big World Tour,1986)
 代表曲のひとつ「ホームタウン」。この「枝葉の多いアルペジオ」、プロのギター奏者に訊ねてみたら「簡単なようでめちゃくちゃ難しい」らしい。

『ビッグ・ワールド』は、ジョーによる「諸国漫遊記」の体裁をとってはいるが、全体を貫く歌詞の内容の充実は、今まで以上である。それは「正義とはなにか」を問うた「ライト・アンド・ロング(Right and Wrong)」や、戦争終結の束の間の平和を描いた「フォーティ・イヤーズ」、市民の精神性を高らかに謳った「マン・イン・ザ・ストリート」などを聴けばわかるが、グローバリゼーションの到来を予見したかのような、歌詞に注ぎこまれた重層的な思考は、『ビート・クレイジー』で「ソ連製ミサイルの恐怖」を喚いていた昔日を思うと、感慨深いものがあった。

"Forty Years"

(On the 40th anniversary of the end of World War II)

Here in Berlin - people line up to get in
To wait for the end - living in glorious sin
They've looked around - and now there is no looking back
To when rivers ran red - now it's the sky that grows black
Shadows are cast as two giants roam over the earth
We light a match - but what is that little flame worth

Once allies danced and sang
But it was forty years ago

Here in D.C. - they talk about 'Euro-disease'
And how the French are always so damn hard to please
otions are passed in Brussels but no one agrees
And no one walks tall - but no-one gets down on their knees

Once allies laughed and drank
But it was forty years ago

Where I come from
They don't like Americans much
They think they're so loud, so tasteless, and so out of touch
Stiff upper lips are curled into permanent sneers
self-satisfied
Awaiting the next forty years

Once allies cried and cheered
But it was forty years ago 

 さあ、サウンドの試行錯誤も、歌詞の吟味もさんざんやり尽くした。これ以上なにを求めればいいのだろう。

 英国王立音楽アカデミーで正統な音楽を学び、古典から現代音楽まで通暁しつつも、ロックンロールのモンキー・ビジネスに身を投じたジョーである。なにを演らせても、それなりの形に整える。ジャズのイディオムも、ラテン系のリズムも、ユーロスタイルのシンセサイズドも、おおかた修めてしまった。しかし本質的な部分は、デビュー作『ルック・シャープ』の時点から、さほど変わってはいない。A&Mレーベルに残したアルバムからセレクトしたベスト盤『ステッピン・アウト』の、冒頭の「奴に気をつけろ」から中盤の「危険な関係」、そしてラストの「ナインティーン・フォーエヴァー」を並べてみると分かるが、アレンジの表層を一皮剥いてみれば、聴いた印象はおそろしく均一なのである。すなわちタイムレス。イングランドの素朴な田園風景が立ちのぼってくるような伝統的で堅牢な音楽。ぼくが10代のころに惹かれたものは、斜に構えたポーズの裏側に隠されていた、朴訥なジョーの素顔だったのだ。

 A&Mでの最終作『ブレイズ・オブ・グローリー』や、ヴァージン移籍後第一弾の『ラフター・アンド・ラスト』は、手厳しく言えば、佳作だけれどもパッとしない楽曲の見本市、だった(なにせ一等出来の良いトラックが、フリートウッド・マックのカヴァー「オー・ウェル」なくらいだから)。持ち札を使い切ってしまった印象があった。

 そしてジョー・ジャクソンは90年代はじめに、ひっそりと表舞台から退場していく。後に知ることになるが、うつ病に悩まされた時期もあるらしい。それでも94年の『ナイト・ミュージック』 は、音楽家としての情熱と誠実を無心に傾けた、噛めば噛むほど味のある傑作だった。

 たどる旋律に気品が宿っている。ノーブルな資質は隠せようもない。が、もう隠す必要もなくなった。安心して身を委ねることができる。『ナイト・ミュージック』には音楽の宝石が潜んでいる。

 

  近年はふたたびバンドを結成し、ロックンロールの原点に立ち戻った活動を続けるジョー・ジャクソントッド・ラングレンとの双頭ツアーもあったが、器用なピアノを弾けるサポートメンバーみたいな扱いで、正直いってあまり愉快ではなかった(ぼくはトッドの大ファンなんだけど、たまにこの人はコト音楽となると冷淡だなと感じるときがある)。だからジョーがんばれよと思わず応援したくなる。

 そう、ぼくは聴いていて他人事のように思えないときがある。自分がむかし録ったデモテープを聴きかえすと、ときおり吃驚するほどジョーと歌いまわしが似ていることに気づく。それは発声だとか語尾の切り捨て方だとかを、単にぼくが真似ているだけだけど。

 そこでもう一度、冒頭に掲げた村上春樹のコメントに触れる。音楽を語るに人一倍すぐれた感性を持つ作家のことだ、ジョーの音楽性の高さは疑っていないだろう。けれども何かが足りないとハルキは考えた。輝きとはなんだろう。華か、艶か、それとも(言いたかないけど)ルックスか?

 ぼくなりに導いた結論は、「歌声」だと思うんだ。

 ジョーの声質は普遍性を持ち得ない性質のものである。

 それは、奏でられる演奏と歌声の関係があまりにも分かち難く、ジョー以外の誰かが歌っても良さげに聞こえない、つまりスタンダードになりにくい種類の音楽だからだ(;その後の調べで、カート・エリングの秀逸なカヴァーを発見したので、この部分に関しては撤回)。

追記】もちろん例外はある。スラッシュメタルの雄、アンスラックスのカヴァーした「ガット・ザ・タイム」。ジョーのオリジナル版は1stの『ルック・シャープ』に収録。

Anthrax - Got The Time - YouTube 

  もしもジョーの声質がもう少し艶やかで、親しみやすく甘美であったなら、ジョー・ジャクソンの音楽は、より世界を席巻しただろうか?

 あり得ない。少なくともぼくには想像がつかない。

 ジョーは、デヴィッド・ボウイのように、音楽スタイルのさまざまな衣装をまとってリスナーの気を惹き、飽きさせない努力を重ねたけれども、本質的にはシンガー・ソング・ライターなのだ。

 それもきわめて不器用なタイプの。

 しかも、誰にも似ていない。初期にはエルヴィス・コステロやグラハム・パーカーとよく比較されたが、もはや(三者とも)独自の境地に至っている。ジョーのようなタイプのアーティストは他に見あたらないし、後継者が現れる気配もない。ジョー・ジャクソンの創りだす楽曲は唯一無二であり、かれ自身が歌ってこそ輝きが増す。言い換えれば普遍化しようにも普遍化し難いタイプの音楽家なのである。

 

 ここで4年前にパリ市オランピア劇場で開催されたジョーのライブを観てもらいたい(なじみの女性パーカッショニスト、Sue Hadjopoulos の参加が嬉しい)。ジョーは懸命に歌っている。自分の持ち分を発揮し、できうる最良のことをオーディエンスに伝えようとしている。

「ジョーだって人間」。ファンクラブからの返信の、険しい文字を思いだす。

 そうだ、人間味にあふれているんだよ、ジョー・ジャクソンのライブは、音楽を奏でる喜びに満ちあふれている。だから、また観たい。ぼくは二度かれのライブに足を運んだけれども、そのたびに満たされた。それはジョー・ジャクソンのエロキューションで歌われなければ伝わってこないようにできている音楽だからだ。

 最後に、ぼくにとって永遠のスタンダードナンバーを掲げて、普遍化する姿勢に著しく欠ける、この稿を畳むことにしよう。

 

 

【蛇足】

Twilogに検索をかけたら、2012年2月26日に連続投稿していた。

イワシ タケ イスケ(@cohen_kanrinin)/「ジョー・ジャクソン」の検索結果 - Twilog

<「若ハゲだけどむちゃくちゃカッコいい」って部分に、アーティストへの愛情を感じます>という返信が届いたときは嬉しかったな。

 

②ジョーは禁煙化の波に抗って、住居を転々としている。以下Wikipediaより引用。

喫煙者としての立場からニューヨークその他の都市における極端な禁煙条例への反対運動に参加するなどの活動を行っている。2003年にはタバコ禁煙条例などにうんざりし、長年住んだニューヨークから引き上げ、2006年までイギリスで英国のタバコ禁煙条例の反対運動に意欲的に参加したが、イギリスで全面禁煙条例が2007年7月に施行されるのを機に、同年1月にベルリンに移住した。現在はドイツで禁煙条例への反対活動に参加している。

 や、いかにもジョーらしいエピソードではないか。半年前にタバコをやめたぼくだけど、またしても彼の反骨精神に共感するのだった。

 

③この記事を最後まで読んでくれた方々にアンコールナンバーを。映画『マイクス・マーダー』(1984年)のサントラ盤に収められた、ジョーの小夜曲です。

 

④2018年11月30日、新譜「ストレンジ・ランド」発表。ジョーにしか書けない、まさに会心作である。

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