読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

想像力を駆使して

Music
 
 姜尚中さんが『クローズアップ現代』に出ていた。ご存知の方も多いかとは思うが、姜さんは今年の1月1日より熊本県立劇場の理事長兼館長に就いた。かれの郷里である熊本の文化事業を、ますます豊かなものにしてくれることを願ってやまない。
「県劇」は個人的に思い出深いハコである。メータ指揮イスラエルフィルのマーラー1番『巨人』を観たのもここだし、舞台に立ったこともオケピットに潜ったこともある。一昨年にはゲルギエフ率いるマイリンスキー劇場管弦楽団チャイコフスキー6番『悲愴』も観た。近々また小さな朗読会に足を運ぶ予定もある。
 送られてくる県立劇場の予定表を見るのは、ぼくの楽しみでもある。日常からのちょっとした離脱をはかるのに、コンサートホールほど相応しい場所はない。
 
 すぐれた劇場には聖性が宿る。
 けれどもその聖性は、建築家が立派な設計をしたばかりでは、支配人が魅力的なプログラムを組んだだけでは、宿るものではない。
 舞台で奏でるもの・演ずるものと、その表現を観るものとの、交歓なくしては不可能である。相互の連絡が、長い歳月をかけて、蓄えられてこそ、容物の柱や壁にも聖性は宿るのだ。
 昨年、中野サンプラザの建て替えや、津田ホールの閉館決定が報じられた。老朽化や採算などの、さまざまな問題はあるのだろうが、私的な感想を述べれば、なんとももったいない話である。どちらも音響がよく、使い勝手のよい、名演を数多く生んだホールである。その、せっかく培った聖性を、失うのは惜しいと考えるのは、けっしてノスタルジーばかりではない。文化的価値とは何かという問いかけが、スクラップ&ビルドをくり返す東京という都市から、すっぼりと抜け落ちている、そんな気がしてならない。
 
 東京文化会館は、ぼくのもっとも好きなハコのひとつだ。前川國男の設計による建築物のたたずまいが、まずすばらしい。一歩中に踏みいれたとたんに、かすかな高揚と、穏やかな感慨が、等しく訪れる。
 とりわけぼくは、小ホールがお気に入りだ。歌劇などで賑わう大ホールのロビーを横目に、緩やかなスロープを下りていくと、壁にかかったパネルーーケンプ、オイストラフ、フルニエなど、巨匠の「瞬間」を捉えたモノクロのーー写真を眺めながら、左に折れ、階段をのぼり、ロビーにたどり着く。ホールへ至る過程で、音楽を受け入れる準備が整うよう、入念に設計されている。
 歴史の重みを感じはするが、しかしもったいぶったところはない。カジュアルな意匠とさえ言える。ロビーから客席に移動するのに、心理的な抑圧がかからないように、フラットな構造になっている。二重扉を開くと、舞台を三方からとり囲むように客席が設置されている。舞台は高くもなく低くもなく、客席のどこから観ても、すみずみまで見渡せる。客席からは奏者の緊張や息づかいまで捉えられるほどの、舞台からは観客のしわぶきから固唾をのむ音まで届くほどの、近い距離にある。
 三善晃による開演のサヌカイトを使ったチャイムが、いと高く尖った天蓋から霰のように降りそそぐ。客電が落ち、下手から楽器を携えた奏者があらわれ、所定の位置に立ち・座し、構える。視線と視線が示し合わされ、厳かに、あるいはさりげなく音楽が始まる。期待と不安の交錯する、表現者らの意思が放たれる瞬間。おおげさなようだが、あの一瞬を感じたいがために、ぼくは生きているといっても過言ではない。
 
《あの聖なるホールで今日はどんな音楽が奏でられているだろう。》
 
 目を閉じて想像してみる。奏でられているであろう音に耳を凝らしてみる。
 バッハが、ブラームスが、ショパンが聴こえてくる。
 それはかつて、この小ホールの空気を震わしたアンサンブルの残響である。
 ピアノの粒だちも、弓弦の擦れも、それらすべてが渾然一体となったTuttiの響きも、記憶の箪笥に収まっている。ぼくはときおり抽斗を開け、そっと取りだして記憶の音楽をたどる。細部は不確かだけれども、その音像は、どんな音源や楽譜よりも鮮明である。なぜならばそれは、送り手と受け手の、一期一会ともいえる、かけがえのない時間を共有したという、経験に基づく追想なのだから。
   すぐれた劇場には聖性が宿る。
    が、
    そこに何かを供えないかぎり、空虚な容器にすぎない。
    空っぽの器を満たすものは、人間の営みそのものなのだ。
 
 想像力を駆使して、ぼくは東方に耳を澄ます。
《これは……ベートーヴェン?》
 しばし思いめぐらし、思いを凝らし、思いに馳せる。そしてその、今回ついぞめぐり合う機会のなかった音楽が、コーダにさしかかり終止符を打ったとき、ぼくは誰よりも早く不恰好な発音で、快哉をさけぶだろう、
Bravo!”と。
 
f:id:kp4323w3255b5t267:20160106025204j:image

 ローリング・ストーンズの名盤『ベガーズ・バンケット』を想起させるこの写真は、<東京文化会館>で画像を検索したときに発掘したものだ。記事には、「楽屋のロビーにある壁一面の落書き。といっても出演者たちのですよ。このエリアは普通なかなか入れないので、一応写真撮っておきました。すごいサインの量です。」と記してある。ブログ主に断りなく写真と文を拝借してしまったが、たぶん許してもらえるだろう、かかる思いをひそかに綴って贈ることで。

 

 

 【追記】

 スロープは下りではなく上りではないのか、また、左に折れたのち、ロビーに至るまでは階段ではなく、やはりスロープではないのかとの指摘をいただいた。当記事を書く際に小ホールの平面図などは確認したのだが、プロムナードにかんする記述は、記憶を頼りにしている。その記憶が不確かなものであれば、間違いを書いているのかもしれない。実際に行って確認すれば済む話だが、その機会はとうぶん訪れそうにない。ぼくの記憶は曖昧であやふやなものであるから、間違いだと分かれば訂正するつもりである。鰯