鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

冷笑に打ち克つには

 

 去年の今ごろ、ぼくはひどい腹痛にさいなまれた。ちょうどノロウイルスが流行していた頃だ。帰郷して2年、係りつけの医師を持たなかったので、どこで診てもらおうかと思案した。そのとき、知人の言をふと思いだした。

「ネットで有名な小野先生に診察してもらった。丹田のデカそうな、頼りがいのある先生でした」

 そのひと言(正確にはツイート)で、小野出来田医院に足を運んだのである。自分でも、もの好きだなあと苦笑しつつ。

 小野出来田医院は、どこにでもありそうなたたずまいの診療所で、おおぜいのお年寄りが待合室にいた。名前を呼ばれて診察室に赴くと、ディスプレー上のカルテを無表情に見つめている小野俊一先生がいた。

「なにか悪いもの食べましたか?」

「腹痛の前日、マクドナルドに行ったんですが……」

「ハンバーガーで下痢になるとは、ちょっと考えにくいね」

 ぼくを診察台に寝かしつけ、触診し、原因はわからんなあとつぶやきながら、

「たいしたことないね。じきに治るだろうけど、下痢止めを処方しましょう」

 と診断を下した。

 医院内の薬局でもらった薬を服用したら、翌日に腹痛はケロリと治まった。

 たぶんまた、どこか身体の調子が悪くなったら、小野先生のところにいって診てもらうつもりだ。

「onodekita」というアカウントにまつわるネットの評判とはまったく関係ない、一人の町医者がそこにいたから。

 

 

 さて、今日ここに触れる人物は、俊一さんの対極ともいえる、もう一人の小野さんについて、である。

  小野昌弘さんのことは、ずいぶん前から知っている。

 2010年11月、ぼくがツイッターをはじめた最大の理由は、小野昌弘さんの発信をいち早くキャッチしたかったがためである。かれは世にいう「陸山会事件」における司法判断や報道のあり方などに疑問を呈し、鋭いメスを入れていた。以来かれの発信にはつねに注目していた。

 小野さんの文章は単刀直入で、一本気なところがある。それはおそらく、誤解される余地をできるだけ省こうとする意志の表れである。それだけに、対立する意見の持ち主の感情を逆なでするきらいがある。ふつうならユーモアのオブラートで包むような部分にも、ためらわず手を突っこむからである。

放射能おばけ」は、その最たるものであろう。ほかに呼び方はなかったものかしらと思わなくもないが、小野さんにとって、放射線被ばくについて過剰な風説をまき散らす一群を端的に指し示す、もっとも適切な表現だったのだろう。ぼくがその理由を解説するまでもなく、本人が順を追って説明している。

 小野昌弘の記事一覧 - 個人 - Yahoo!ニュース

 小野昌弘さんが「脱被ばく系」と称する一群の末席に、ぼくも座している。原子力発電は一刻も早く廃止に追いこみたいと希うし、福島の原発事故で漏れ出た放射性物質の総量は、莫大なものであろうと想像するし、政府が安全だと宣言しようとも、容易に信用できない気持ちがある。感情的に、受け入れられないでいるのだ。

 だけど、かれがくり返し述べていることは、放射線量はたいしたことないよ、という楽観論ではない。そうとしか読めないようなら、目が曇っているとしか言いようがないし、また、小野さんの論が無視できない強靭さを持っているからこそ、対立する立場にとっては、やっかいな存在なのだと思う。

「小野のようなヤツは」と反発を受けるのを百も承知で、かれは論陣を張る。科学に携わる科学者の矜持を示す。そのいちいちが対立者には鼻につく。そこで揶揄する。自家撞着だ、トートロジーだ、理系特有の危うさだと、鼻で笑うことによって言説を無効化しようと試みる。

 ぼくがつねづね危惧している、それは「冷笑」の働きである。

 科学的知見に乏しいぼくは、小野さんの発言すみずみまで理解することはできない。専門的な事柄にかんしては完全にお手上げだ。ただ、この人はレトリックで煙に巻こうとしていないなと感じることはできる。それは文章に表れる実直さ、きまじめさによるものだ。

 少し長くなるけれども、放射能恐怖という民主政治の毒(9):放射能おばけとは何か(1)(小野昌弘) - 個人 - Yahoo!ニュース の冒頭部分を紹介しよう。

忘れられたこと

かつて日本で医師として働いていた頃、70歳前後の男性が顔に最近でてきた「できもの」を心配して私の外来に来たことがある。

その男性の顔に小さく2、3個できている茶色くて表面の少し硬いその「できもの」は、何のことはない、歳をとれば誰にでも出るような「老人性のいぼ」 であった。私はそれが良性のできもので全く心配いらない旨を簡単に説明し、カルテを閉じようとした。

ところが男性は椅子を立とうとはしない。私が少々戸惑って彼のことを見ると、その男性はおもむろに、ひとつひとつ言葉を切りながら、こう言った。

「先生、これは原爆と関係がありますか?実は広島で被曝したんです」

これはもう10年以上前の出来事だが、そのときの男性の真剣で、しかも少し疲れた目が忘れられない。原爆による被曝から半世紀以上の時間が流れてもなお、何の変哲も無いできものができたときでさえ原爆の影に怯えなければならないという人生を、私はいまだに十分に想像しきれない。おそらく彼は、これまで経験した他のすべての病気についても、その都度同じように、病気が原爆のせいで起こった可能性を考えなければならなかっただろう。そこにあるのは 底なしの不安、さらには静かな無制限の恐怖である。

もちろん、原爆から何十年もたって現われた、ごく普通の「老人性のいぼ」が原爆と関係する可能性は医学的にない。この「線引き」は可能だ。だから、私はその外来で「線引き」をした。彼のできものは、原爆とは無関係だという線引きを。 そのときはじめて男性は笑顔を見せてくれた。まるで憑き物が落ちたかのように。

原爆は、当事者ではない者たちには容易には想像できない不安と恐怖を被曝者に与えた。彼らが残してくれた社会への教訓と知見を、我々は決して無駄にしてはいけないと思う。

 この「線引き」を医師の、あるいは科学者の特権だと見てしまったら、私たちはいったいなにを信じればよいだろう? ここに示されたエピソードの、若き小野先生の「言葉がけ」は、はたして「気休め」だったか? 違うだろう。医師として、科学に携わる者としての、当然の努めであるところの、診断を下したのである。

 ぼくは、そこに誠実を見る。文章から立ちのぼってくる「小野先生」に信を置く。

「御用学者」だの「権威主義」だのといった評価は、だから見当違いであろう。小賢しい学者だったら、現政権に楯突くような危うい言説を避け、ネット上の諍いをほくそ笑みながら傍観しているはずだ。

 

<かれほど権力機構から程遠い学者も珍しいと思うんだがなぁ。>

 

 ここでちょっと、個人的な事情を話そう。

 ぼくが2013年春に尋常性乾癬に冒されたことは、以前このブログ記事に書いた(プライバシーを縷々綴っていたので現在は非公開)。最初の病院では「掌蹠膿疱症」と診断されたのだが、のちに病名が「尋常性乾癬」に改められた。ごく簡単にいうと、免疫の異常亢進により、皮膚がものすごい勢いで生え変わっていく。つまり、表皮が定着しないまま剥げ落ちていくものだから、内側の肉が露出する。そこに触れると痛い。それこそ尋常じゃなく、痛い。

 18日間入院し、その後1年間通院した。治療はいたってシンプルなもので、a)酢酸ワセリンで殺菌する、b)ビタミンD入りの軟膏を塗布する、c)紫外線(UV)を照射する、の三つである。

 お陰さまで、今はなんとか小康を保っており、たまに患部が痒くなる程度には治まっているが、担当医によれば、一生つき合わなくてはならない皮膚病、なのだそうだ。また、原因は不明だとも告げられた。

 2011年3月15日、ぼくは埋蔵文化財発掘の仕事に携わっていたので、屋外に出て作業していた。その時に被ばくしたんじゃないかという不安が脳裏を過った。思いすごしだよと笑い飛ばしたいけれども、どうしても暗い思いがつきまとう。だって、のう胞がブツブツと手足にできたじゃないか、あれと同じ症状が、福島や北関東で、多く報告されているじゃないか……

 その懸念を払拭してくれたのは、やはり入院先の医師団の適切な治療計画によるものだ。再三問うても、原因の特定は不可能だと主治医はいった。ぼくは一度だけ、心因性かと問うたことがある。ストレスに起因するという可能性はありませんか、と。

「違いますね。乾癬は皮膚病です。メンタルとは関係ない」

 あっけらかんと、しかし確信に満ちた調子で主治医は答えた。その明瞭なことばをきいて、患者であるぼくの悩みがどれだけ軽減したか。快方に向かうのだという気力をわき立たせてくれたことか。

 ぼくの裡の、乾癬は被ばくの影響からではないかという疑念が、完全に払しょくされたわけではない。心の奥底に深く根を下ろしている。しかし、それ以上に、ぼくは今日を生きていくという希望を、こんにちの医療から授かったのだ。

 

<それははたして、盲目的な信頼なのだろうか?>

 

 ぼくの個人的な悩みなど、ちっぽけなことにすぎない。また、医師や科学者が、個々人の思いにいちいち対処することも必要ないと思う。

 ただ、しかし今ぼくが真に怖れているのは、この日本という国を覆う、いいようのない「不信」の念である。政治不信、行政不信、教育不信、あるいはマスコミ不信と、不信の根はありとあらゆるところに、まるで蜘蛛の巣のように張りめぐらされている。不信意識の横溢する不幸な国。それがいまの日本である。

 自縄自縛的な不信の眼は、とりわけ「科学」に差し向けられている。それこそが、科学者・小野昌弘のもっとも危惧するところである。だから口酸っぱく、科学が自然から身を守るために人類が生み出してきた知恵であることを――科学者が科学を称えているという自画自賛のそしりも承知の上で――訴えているのだと思う。

 今ぼくは、インターネット上の各所でとぐろを巻く、知的なものに対する怨念みたいなものが、克服すべき問題を棚に上げ、知識と経験に基づいた言説を圧倒しつつある現状に慄然としている。ほんの些細な、どうでもいいような事柄に因縁をつける風潮が、ツイッターのような即時的な言語空間を乱し、個人の尊敬を貶めている。きまじめで、正直な意見は冷遇され、薄ら笑いにコーティングされた揚げ足取りが跳梁跋扈している。そこにささやかな異議を申し立てるやいなや、よってたかって潰しにかかる。

 インターネットで発言するようになってから5年。ぼくもずいぶんすれっからしになって、やり過ごしたりいなしたりするテクニックもそれなりに身につけてはきた。が、冷笑という名の妖怪は、この世にあるすべての「信頼」を、ことごとく食い散らしながらますます巨大化してきた。そこで抗うすべを持たないぼくは、嘲笑されたらオシマイだと失言に用心しつつ、あたりの様子を窺いながら、空気を読みながら、レトリックを駆使しながら、窮屈になった言語空間を、ひらりひらりと、慎重に回遊し続けていた。

 

 小野昌弘さんは、その欺まん的態度に真っ向から「否」を突きつける。

 だから意見を異とする者に、適当にコトを済ます者に疎まれるのだと思う。

 かれが亡き科学者に詠んだ惜別の詩(だとぼくは思う)に注文をつけているツイートを偶さかみた。

 それは批判でも反論でもない、ただの冷やかしだった。発言者を溺死させようとする悪意の眼差しだった。

 そして、そういった冷笑の集積が、まっとうな言論を封殺し、信頼に基づいた社会を荒廃させる要因となっているように思えてならない。

 小野昌弘さんが伝えたいことは、じつにそこなのではないか。

 

 いったん失った信頼をとり戻すことは、ひじょうに難しい。

 未曽有の災害を経験した日本に住む人々は、自信とともに、お互いの信頼をも失ってしまった。だけど、失った信頼をとり戻す作業は、七面倒くさくとも続けていかなければならない。

 それは「絆」とか「応援」とかいった、安っぽいスローガンを唱えるだけではダメで、

 粘り強く、愚直に、営み続けなければならない。

 日々の暮らしの中で。それぞれが、自らの専門の分野で。専念しなければならない。

 あったりまえのことを回避していても問題は解決しない。

 

 小野さんは、専門家のいうことに口をはさむなと言っているわけではない。

 専門家の言うことだけが正当で、他は取るに足らないと突っぱねているわけでもない。

 ただ、科学が専門の自分だからこそ言える、ことを言っているだけだ。

 知識と、経験と、数限りない研究・実験を重ねてきたものだからこそ、の。

 小説家には小説家の、歌うたいには歌うたいの矜持があるように、科学者にも科学者の矜持がある。その矜持を表出するのになんの躊躇いが要るだろう。

 そいつを半可通がくさしても、なんら世のためにはならない。

 医師の診断に疑問を抱いてもよいし、医師の施術に文句をつけたっていい。

 だが、患者の病を具体的に、文字通り具体的に治療できるのは、現状ではやはり医師だけなのである。

 が、

 冷笑がこの国に蔓延っているかぎり、科学を志す若者は減少するだろう。

 産婦人科の医師のなり手が、めっきり少なくなってしまったように。

 根拠のない非難や批判が、この国の英知を滅ぼしてしまうだろう。

 不幸を唱えながら、「信じられない病」に斃れていくだろう。

 そうなる前に、なんとしてでも食い止めなければいけない。

 科学への不信をなんとか払しょくしなければならない。

 小野さんの熱っぽい訴えは、その一念からだと思う。

 f:id:kp4323w3255b5t267:20151226133809j:image羅生門』下人・上田吉二郎

 ※黒澤明監督の映画『羅生門』に、東宝の上層部は関心を示さなかったという。が、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を獲得するやいなや、手のひらを返したように大絶賛したという。

 

 小野昌弘さんは、今日も研究に明け暮れていることだろう。専門分野は免疫学、しかも皮膚科の医師である。

 いつの日かかれと、かれの研究者仲間たちが、免疫の異常亢進というやっかいな皮膚病である尋常性乾癬を、この世から駆逐してくれることを、ぼくは願ってやまない。

「いや、それは私の研究テーマではありませんよ」と苦笑なされるかもしれないが。

(と、最後はいつもの調子に戻ってしまうイワシ節でございました。)