鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

謀でおじゃるよ

 

人は誰しも自分の見たいものだけを見ようとし、聞きたいものだけを聞こうとする傾向にある。インターネットの世界はテレビとは違って能動的に情報を選択することができる。いっけん素晴らしいように思えるけれども、そこには陥穽が潜んでいることも同時に意識しておかなければならない。

前記事で「信用」することの難しさを書いたけれども、信じるという行為はなかなかに厄介で、口で言うほど簡単ではない。ある日、突如として何もかも信じられないという感覚に襲われたことはありませんか? たとえば、ぼくは子供の頃にこういう空想をした。

ぼくが下校して帰宅してしまった後に本当の授業が始まる。ぼくが過ごしていた昼間の学校は、先生をはじめとしたみんながぼくをだまして演技しているか、あるいはぼく自身が想像した架空の世界なんだ。

何もかもが嘘くさく、セカイが作り物めいている感じがした。たぶん一人っ子で、想像力だけはやたらとたくましく育った結果だとは思うのだけど、あの頃に感じた疎外感のようなものは、この年齢になっても忘れることができない。

 

インターネット、とくにツイッターでの錯綜を見るたびに、あのときの奇妙な感覚がよみがえる。はたして、このアカウントは本物なのだろうか。もしかしたらオレを欺くために作られたアカウントじゃないだろうか、と。

分かるかな? アカウントにはそれぞれの名前やハンドルネームが記されている。人の名前らしいものもあれば動物の名前のようなものもある。曲名を冠したものもあれば映画のタイトルのようなものもある。星やハートのマークがついていたり、かぎ括弧で括られていたり、それはもう千差万別だ。

それらを前にしてぼくは目眩を覚える。まるでサルトルの『嘔吐』のように、ありとあらゆる表象の意味が剥ぎとられていく。卵型のアイコン、子猫のアイコン、アイドル歌手のアイコン、バイクのアイコン、南洋の海岸のアイコン、それらすべてにリアリティを感じられなくなってくる。

ことばの羅列。意味をなくした漢字やカタカナやひらがながディスプレーの上に散乱しており、何を読んでいるのかさえ分からなくなる。安倍だの軽減税率だの人権だのゾーニングだの、それらの語句がそらぞらしく文脈から剥ぎとられ、浮遊している。そんな感覚を抱いたままタイムラインの流れを見ているうちに、妄念は増幅の一途をたどる。

<こいつら、実は存在しないんじゃないか? ひょっとしたら何もかもがハリボテのアカウントじゃないのか? おれの意見に調子よく合わせているだけではないか? もしくはおれの読みたい意見だけが選りすぐられているのではないのか?>

たぶん原因は自分の側にある。自意識が強すぎるから、こんな錯覚に陥るのだ。そう思いつつもなお、ひょっとしたら……と疑念がむくむくと持ちあがる。

<誰かが・おれを陥れようと・大勢を使って・担いでやがる!>

そういう思考に到るまで、あと一歩のところまで来たときが、なかったとは言えない。

 

 

かくして「内面化」がはじまる。

<この奇妙な感覚、疑わずにはおれない現象は、私ではなく何者かが操作していると仮定すればぜんぶ辻褄が合う。背後に何か禍々しい組織が存在しており、私の言論を封じたり印象を捻じ曲げているとすれば、合理的な説明がつく。そうだ私は悪くない。悪いのは「やつら」だ。私の意見を斥け、私の存在を蔑ろにする一団が、インターネットの世界には確実に存在している!>

その仮説を実証しようと躍起になり、その正しさを証明しようと誰かれとなく訊いてまわる。仮説は確信にとって代わり、疑う者や異議を唱える者を無視できずに説得しようとする。そして終いには自説に賛同しない者や承認しない者を罵倒しはじめる。この歪んだ思考サイクルに陥っている者の、なんと多いことか。

 

きみは肝心なことを忘れてしまっている。

この世の中は、きみだけが存在しているんじゃない。

きみ以外にも、何十億人もの人間がいて、それぞれ別個の考えを持っているんだよ。

きみの考え方が認められない理由は、きみが間違っているからではなくて、きみが他者の思考を、可能性や多様性を、端っから否定してしまうからだ。

きみと同じような思考・嗜好・志向を持つものは、ごく僅かだと思ったほうがいい。

存在しないという前提が、むしろ適切かもしれない。

きみはトンデモ、でもなく、突拍子もなく、でもない。

でも、

わりとありがちなパターンだということも、同時に気づいていたほうがいい。

きみだけじゃない、ぼくだって似たようなものだ。

似たもの同士が、背中合わせで喚きちらしている。

似たようなことを言っていても、永遠に交わらず。

 

自分以外のアカウントがみんな嘘くさく思える症例が高じると、アレは誰それの別垢/捨垢だと陰口をたたくようになる。ぼくも胡散くさいアカウントに苦しめられた経験があるけれども、あまり周りの誰かを疑ったことはない。そんなことを考えはじめたら、SNSなんておっかなくってやってられなくなる。疑心暗鬼もほどほどにしないと、身を滅ぼしかねない。

一回だけ、あーこれはアイツの別アカウントだなと見破ったことはある。違わずそれは悪質な「なりすまし」だったが、よほどの確証がなければ、それと指摘はできない。もしも間違いだったら、えらいことになってしまう。みんなもう少し、慎重になったほうがいいと思うよ。

 

ぼくが今朝つぶやいたツイートを紹介しておこう。

ツイッターは一種のパラレルワールドだ。ぼくのタイムラインと、これを読むあなたのそれでは、成り立ちがまったく違う。情報の内容も価値観もすべて、人の数だけタイムラインが存在する。だが、その平行世界は必ずしも独立しているわけではない。境界線はあいまいで、相互に影響し合うし、干渉もする。

それゆえに、境界線を越境する可能性を、発信者は常に念頭に置かねばならない。「他人の領域を侵すことなかれ」。これは現実世界と同様に、SNSにも適応する原則である。でないとツイッターは、デマ生成装置へと容易に堕してしまう。

分かりやすく言うとだな、ぼくのタイムラインで、小沢一郎氏は検察およびマスコミに嵌められて失脚したというのは大前提の常識なんだけど、そうは思わないタイムラインの持ち主のほうが、ずっと多いっていうことだよ。口惜しいかな、それが現状なんだ。

そいつを覆したいと思うんならなおさら、今まで以上に信頼を得るよう努めなくちゃね。

 

 

他者の意見を尊重できないと、容易く陥ってしまうわな。それを一言でなんというか、そなたはご存知か?

f:id:kp4323w3255b5t267:20151215181003j:image 柳生一族の陰謀』烏丸少将(成田三樹夫

陰謀論というのでおじゃるよ。

 

 

 

 

 

 

Steve Winwood - Plenty Lovin' (with lyrics) - YouTube