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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

陰惨で、殺伐とした風景

 

①陰惨で、殺伐とした光景が目の前にくり広げられている。ヘイトを許さないという共通の意識を持ったもの同士が、相互理解の連絡を断ち切ってしまう。この潰し合う状況を、ほくそ笑みながら眺めているのは誰だと思う?他でもない、きみたちが真に打倒すべき対象であるヘイトスピーカーどもではないだろうか。

②ずっと見てるんだけど、自分たちと見解の違いがあるアカウントを潰してまわるのは、いい加減にヤメたほうがいい。叩くことのみが目的化してしまっている。紅衛兵の熱狂にも似た、曝し、威嚇、吊るしあげ、粛清。見苦しい。そんなやり方を続けていたら理解者が減る一方だ。そんなことも分からないのか?

③何度も言うが、相手を見誤るな。きみたちがたたかうべき対象は、そこには居ないはず。「正しさ」の証明ばかりに血道をあげていては、袋小路に窮まるだけだよ。今までみたいに、最前線を突っ疾ってりゃいいじゃないか。ついて来れないヤツは置いていくという宣言通りに。いったい何に拘泥しているんだ?

④ぼくは「人の権利」と「表現の自由」が相反するものだとは思わない。どちらも大切で、かけがえのないものだ。その二つに優先順位をつけるのは違うんじゃないか。基本的人権の尊重表現の自由を保障することは、日本国憲法の要諦だろう?なぜそこに無理やり対立軸を持ちこむんだ。分からないよ意図が。

⑤ことばの精度が著しく劣化しており、たんなる罵倒に堕してしまっている。カウンターの長所であった率直さ、切り返しの素早さは今や見る影もない。ユーモア、余裕、遊び、そういう要素を悉く排除していった結果、他者の意見を受けつけられず、思考が硬直し、柔軟性を失いつつある。その自覚はあるのか?

⑥この荒涼とした光景を目のあたりにして、かなり多くの人たちがタイムラインから目を背けはじめている。分かるか?引いちゃってるんだ。引き返すなら今だよと忠告していたけど、そのセリフ、そのままそっくりきみにも当てはまる。頼むよ、嚙みつく相手を探しまわるゲームは、そろそろ終わりにするんだ。

⑦ぼくを「中立病」と蔑んでもいいぜ。しかし、そんなことをしたって、何の問題も解決しない。

f:id:kp4323w3255b5t267:20151108083228j:image ぐうぜん撮れた写真

以上は、昨晩(11月8日)に投稿した記事である。

正確にいえば、ツイッターに投稿しようとしたのを思いとどめ、ブログのほうに移したんだ。これを今のタイムラインに抛りこむのは、ちょっと勇気がいる。ぼくのような弱小アカウントに噛みつく手合いはほとんどいないだろうけど、それでも投稿を躊躇したのは、厄介ごとに巻きこまれたくないなという、怯懦によるものだ。

けっきょく④だけをタイムラインに載せたが、それにもこんな注釈を加えた。

<もちろん、立憲主義の観点から、この考察は外れている。が、しかし為政者に法の縛りを遵守させたいのなら、権利を獲得したいのであれば尚更、憲法の精神を個々人が尊重し、日常の活動に反映させることが肝要なのではないか。そのような思いあっての前掲ツイートです。>

かれらの目の届かないここで、こんなことを書き連ねていても何の意味もないし、陰で悪口を言っているようで卑怯だなとも思う。だけど、名指しで批判せずともパトロール隊はそれを嗅ぎつけ、ここに隠れていやがったと通報するだろう。こいつ陰でコソコソおれたちを批判していやがった、許せない、しばきあげろとなるのが、怖いのだよ。

だから、上の文章だけでは誤解されるかもしれないと思って、大幅に加筆したんだ。

 

基本的にぼくは、カウンターと総称される一連の行動を好意的にみてきた。ヘイトスピーチを許せない思いは人一倍あるし、最前線で、在特会などの〇〇集団に果敢に立ち向かっていく姿勢には敬意を払っていた。けれども最近、ツイッターのなかでの傍若無人なふるまいが目に余るような気がしてきた。

具体的な例は挙げるまい。さらに人物名、アカウント名も。

ただ、その動きの中心的なひとりにかんしていえば、ぼくもまんざら知らないわけじゃない。かれは先鋭的な音楽ライターだったし、その動体視力と勘のよさに一目置いていた。ボクサーのようなステップで反論をかわし、痛いところをグサッと刺してみせるツイートは、ラップにおけるフリースタイル・バトルをみるようで、うーんと唸らされることも多かった。 

だけどもどうだ、さいきん切れ味が鈍っているンじゃないか?

しかも近頃じゃ、相手をdisりゃ勝利wwみたいな、粗悪なエピゴーネンが無数に湧き出てきている。やつらは見境なく噛みつく相手を探しては@メンションを飛ばしまくる。それはもう、言いがかりとしかいえないような見境のないアプローチであり、ことばの汚さ、思考の乱雑さは目を覆うばかりである。

もはや、ほとんど「ネトウヨ」と同レベルなのである。

ある優れたアカウントが、芸術家R子の発言の一部を擁護したばかりに、かれらの格好の的となり、総攻撃を受けていた。理路をもって語りかける意見などほぼ皆無で、ぼくのみる限りでは罵倒一辺倒の攻撃だった。かれらは言う、「ヘイトスピーカーを利する行為だ、許せない」と。だがそれまでに、そのアカウントがいかに人権を大切にし、アジア諸国との軋轢を文化的な視点から解消させようと試みる素晴らしいツイートを矢継ぎ早に放っていたのかを、かれらは決して省みようとはしない。いったいどっちを見ているんだ、頼もしい味方を叩いてどうするんだ、と強い憤りを覚えた。

上記で紅衛兵という喩えを使ったが、かれらの知識人や文化人にたいしての敵愾心は度を過ぎているとしかいいようがない。まるで文化や学問を軸に論を展開するのは間違っているとでも言いたげな、極端な志向がうかがえる。たしかにカウンターは「街」の行動様式を示していた。ヘイトに対抗するにはキレイごとだけ言っても始まらない。相手を圧倒する物理的な力が必要であるとの考えは説得力を有していた。だが、その現場の論理をそのままネット空間に持ちこんでしまっては、せっかくの共感や理解も水泡と帰してしまう。「あんたらには分からないかもしれないが、現場じゃそんな温い言いわけ通用しないんだよ」と、理性ある他からの意見を頭から否定してしまっては。

ぼくが、事あるごとに「お花畑」を擁護するのは、「お花畑」を維持することがいかに困難であるかを言いたいためである。

かんたんに「お花畑」を罵倒のセリフに使うなよ。おまえら、せっかく丹精こめて育てた畑をめちゃくちゃに踏み荒らしていくだろう?

「ことばづかいの問題か?」なんて屁理屈を使うなよ。

サーチ&デストロイのゲームに夢中になっているだけじゃないか。

 気に食わない言説を片っ端から踏み潰していくゲーム。

梯団の列から一歩離れてみて、己が立ち振る舞いを検証してみたほうがいい。

自分が握りしめているはずの「正義」が、いかに根拠の薄いものであるかを。

 

こないだね、ぼくも一歩踏み外しそうになった。ある仏人(という設定の)アカウントが、ハロウィンの莫迦騒ぎに関連して、こんなことをツイートしていた。

<日本人がピアノやヴァイオリンを習わせることに哲学はあるのか?>

カチンときたね。なにが哲学だ、ふざけるんじゃねえと思った。

だけども、脊髄反射的に反論したい気持ちをグッとこらえた。反論ではなく、自分に問うてみたんだ。はたしてどうなのか、と。しばらく経ってから以下のツイートを投函した。

 

黄色人種がピアノやヴァイオリンを習うことが、そんなに滑稽か? と、あるツイートを目にして、ネトウヨみたいな思考が一瞬だけど頭を掠めた。

②もちろんそこに哲学はない。あるはずがない。ただ、庶民の気分=直感は、連綿と続く土着的な習慣から最も遠く離れたものを無意識に選択したのではないか。ハロウィンの仮装は逸脱のための口実だと思う。

なお、その動きが加速したのは3.11以降である。

③でもさ、(哲学の)根拠となる(歴史的)背景の希薄な催事であればあるほど、参加する際の敷居は低くなる。「これもまた広告代理店の仕掛けだ、キミたち愚民はそれに乗せられているのだよ」式の達観を装った冷笑には与したくないね。どうせ一度っきりの人生じゃないか、楽しめるだけ楽しめばいいのさ。

 

ぼくのなかにも確実に存在する「貶められたくない気持ち」や「排外的な感情」を、そして「自尊心を国家に委ねる傾向」を如何になだめすかし、凶暴化しないように努めるか。なにかを表現する際それは常に心がけておきたい。

なぜなら、私たちはみな「表現者」であるから。そして、その表現の自由を担保するためには、自らの表現が「則」を越えていないかを絶えず検証しなくてはならない。

つまり、ヘイトスピーチを断ずるのにヘイトスピーカーと同じ口ぶりを使うことは厳に慎まなければならない。自身のことばに毒が回っていないかを確かめてから、世に向けて発信するべきである。少なくとも、ぼくはそうする。

 

陰惨で、殺伐とした風景が、今日もタイムラインに映しだされる。ぼくは、そしてきみたちは、川面に浮かぶ芥のようなことばを放出したいだけなのか?違うだろう。威勢のいいことを喚いて吼えて、一時的に溜飲を下げたところで、国は・為政者は・権力は制度を使った暴力でぼくたちを圧倒し続けている。その事実は変わらない。私たちは絶望的に微力だ。

しかし、無力ではない。

 

 

ツイッターが、☆マークの「お気に入り」から、♡マークの「いいね」に変わった。フェイスブックみたいで嫌だという意見が圧倒的だが、ぼくはさほど不愉快でもない。それよりも、ひょっとしたらツイッター社は、粘着・難癖・論破・ブロックといった不毛な「毟りあい」を緩和するために、あえて♡マークを採用したんじゃないかと、やや穿った見方をしている。

それほど、ぼくのタイムラインは、いま陰惨で、殺伐としている。きみのはどうだい?