鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

『あらかじめ壊れていた関係』 パディ・ジョーとウェンディの話

 

  "Paddy Joe, say Paddy Joe Don't you remember me?" 

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 ニューカッスルからロンドンに出てきたばかりの頃は、成功するかどうかなんてまったく想像もつかなかったよ。ぼくらは自主制作のシングルを出して、それがたまたま(BBCの)ジョン・ピールに気に入られて、キッチンウェアってレーベルから、『卒倒』って意味の可笑しなタイトルのアルバムを作ることができたんだけど、それから先の展望はまるで見えちゃいなかった。


Prefab Sprout - Don't Sing

 ただ、(親会社の)CBSからは忠告されたよ、「ワールドワイドで展開したいんなら、もっとプロらしいアプローチをしなきゃダメだ」って。プロらしいってどういう意味なんだろうね。ぼくにはよく分からなかったけど、とにかく隙をつくらないことなのかなと、自分なりに解釈したんだ。

 じっさい、ぼくらは隙だらけのバンドだった。ぼくのギタープレイは褒められたものじゃなかったし、弟のマーティンが弾くベースも同様だった。(そのころ加入したドラマーの)ニール・コンティだけかな、達者なプレーヤーだと言えるのは。ウェンディについては、言うに及ばず、だろ?

 そう。ウェンディをどうするかが、目下の課題だった。かの女は歌もギターもプロとしての力量に欠けている。〈だったら外すか? いやとんでもない。ウェンディはプリファブに必要不可欠だ。サウンドの貢献なら微々たるものだけど、かの女には「華」があるからな。〉と、レコード会社の連中は、ビジュアル的な要素を理由に、ウェンディをひきとめた。ぼくは、その裁定を「なんだかなー」と思っていた。まるで他人事みたいに、周囲の人間関係があれよあれよと変わっていくのを、ただ傍観していたんだ。

 みんなも知っているように、ウェンディはバンドのファンだった。そしてリーダーのぼくと恋仲になった。そして、デビュー直後にその関係は破局を迎えた。大勢の人前にさらされ始めたころには、もうすでに、恋人同士じゃなかった。が、パブリッシャーはそれすらも、プロモーションの材料にしたんだ。かれらは「あらかじめ壊れていた関係だ」と。

 だったら、それを題材に一曲ものにしようか。ぼくのよこしまな野心は、ソングライティングに向けられた。素人くさいと評されつつも、ぼくの作る楽曲は、注目されはじめていた。奇妙なコード進行と、一筋縄ではいかないメロディーライン、屈折した歌詞と、ぼくの塩っ辛い声質。それらが渾然一体となると、演奏の弱さをものともしない、独特の響きをもたらすことができた。ぼくは自分のソングクラフトに、過剰な自信を抱いていた。なんだって作れるさ、思うがままに、あなたがたの望むように。なんなら作ってやろうか、あらかじめ壊れていた関係とやらについての歌を。ホラこれだろ、あんたがたの聞きたいものは?(

 そうしてできあがった歌が「When Love Breaks Down」。シングルリリースされて、ヒットチャートをかけのぼった。最初はフィル・ソーナリーのプロデュースだったんだけど、もうちょっとブラッシュアップしたほうがいいね、というレーベル側の意向で、トーマス・ドルビーがPPGウェイヴを使って艶やかな意匠を施したんだ。


Prefab Sprout - When Love Breaks Down (The Tube 1985)

 ね。これはシングルのリリースと平行して制作されたプロモーションビデオ(PV)なんだけど、観ればみるほど、ぼくらカッチカチに固まってるよね? すごく不自然。だけど、そんななか、ウェンディだけはバッチリ決まってる。クールなたたずまいが、観る側を惹きつけるんだ。ハン、連中の読みは当たっていたよ。ぼくがきまじめに歌っているだけじゃツマラない、訴求力に欠けるんだ。愁いを帯びた瞳のウェンディが、控えめなコーラスを添える。それがプリファブの印象を決定づける要素だったんだね。

 ぼくは、だったら尚のこと、「そのこと」を核にテーマを拵えていったらいいんじゃないかと気づいた。いや、もっと前から、おぼろげには感じていたんだけれど、ソングライティングの明確な目標になったのは、トーマスと組んだセカンドアルバムからだ。


Prefab Sprout - Johnny Johnny

スティーヴ・マックイーン』って「ふざけた」タイトルが物議をかもしたけど、ぼくはいたって真剣だったんだ。イギリスの片田舎にも否応なしに波及するアメリカ文化からの避けられない影響。それと真摯に向きあった結果が、あのアルバムのテーマなのにね、肝心のアメリカ人には受け入れられなかった。

 

 ぼくはちょっとムキになる傾向があって。だったら、そのアメリカの常識を徹底的におちょくってやろうじゃないかと目論んだ。それが次作の『ラングレー・パークからの挨拶状』に結実したわけだよ。シングルに切った以下の2曲「Cars and Girls」と「The King of Rock'n Roll」に、それが如実に表れている。


Prefab Sprout - Cars and Girls

 どう、ぼくもそれなりにさまになってきただろう? 役者振りが板についてきたというか。


Prefab Sprout - The King of Rock 'N' Roll (Wogan 1988)

  でも、ウェンディには負けるんだ。この自然体の「鼻持ちならなさ」には、とうてい太刀打ちできない。ね、テレビ映えしてるだろ?

 同時に、そうじゃないんだという証明もしなくちゃならなかった。ぼくは反面、アメリカ文化に敬意を払っているってところも見せとかなきゃならないと。だから、シナトラを気取った「ヘイ・マンハッタン」やら、スティービー・ワンダーにハーモニカを吹いてもらった「ナイチンゲール」やらを、アルバムに収めたんだよ。さらに、ウェンディの名誉のためにも。かの女本来の気質を表すために、「スープ・キッチンの女神」を書きあげたんだ。

Prefab Sprout - Hey Manhattan! - YouTube

Prefab Sprout - Nightingales - YouTube

Prefab Sprout - The venus of the soup kitchen - YouTube

 ここでぼくは、ウェンディの新しい「描き方」を発明した。ウェンディを、かつての恋人として扱うのではなく、もっと崇高な、全女性を代表する存在としての役割を担わせようとしたんだ。もちろん、ウェンディがそれに快く同意していたかどうかはさだかではない。控えめな人だからね、持ち上げられるのは好きじゃないんだ。そのへんの複雑な心境を『プロテスト・ソングス』の「トーキング・スカーレット」で触れてみた。

Prefab Sprout - Talking Scarlet - YouTube

Carry no bright torches for me」。これは実際に、ウェンディがぼくに向かってつぶやいたことばだ。

 いったいぼくはどうしたかったんだろう。第二次ブリティッシュインヴェイジョンの一翼を担う存在として、スター然とふるまうのか、それとも依怙地な音楽莫迦として、愚直に作品を発表し続けるのか。多くの同期のアーティストが、そのディレンマに陥っていたよ。たとえばスクリッティ・ポリッティのグリーン(・ガートサイド)。かれなんかぼくたち以上にアメリカで大成功を収めていたわけだけど、なにもかもがすっかりイヤになって、故郷のウェールズに籠ってしまった(ぼくは、かれのことをほんとうに尊敬していたんだぜ。これが証拠さ Paddy McAloon discussing Green Gartside of Scritti Politti - YouTube )。

 閑話休題

『プロテスト・ソング』は、トーマスが磨きをかける前の、荒々しい・等身大のぼくらを聴いてもらいたかったんだ。ぼくらのレパートリーで、ライブ映えする曲は数えるほどしかないもんね。「ゴールデン・カーフ」みたいな、ストレートな楽曲が、けっきょく盛り上がるわけだし。でも、プリファブになにかを期待してライブに来るオーディエンスは、必ずしもノリノリのナンバーを求めているわけでもない。そういう現実とイメージの乖離した状態は、なかなか改善されなかった。

Prefab Sprout - Golden Calf - YouTube

 下の映像は85年ごろのライブなんだけど、ぼく自身は全編を観る勇気がないんだ。あまりにもヘボだからね。この中でなんとか正視できるのは、(エルヴィス・)コステロもカヴァーしてくれた、「クルール」だけだな。

prefab sprout live munich 1985 full concert - YouTube


Prefab Sprout - Cruel (w/ Lyric)

 そこで、ライブはヤメにしようと決心した。観に来たお客さんをがっかりさせるよりも、磨きぬいた楽曲をちりばめた珠玉作を拵えることが、自分に課せられた使命だと判断したんだ。もちろん、逃げもあるよ(笑)。ツアーの苛酷さから遁れるための口実だもんね。ニール・コンティは不満だっただろうな、ドラマーはライブこそが生きがいだから。

 

 というわけで、ぼくはがむしゃらに曲を書きまくって、『ヨルダン:ザ・カムバック』を相棒トーマスと創りあげた。かれはほんとうに理想的なプロデューサーでね、ぼくの進みたい方向を妨げたりはしないんだ。ぼくの、素人くささの抜けない部分も許容して、巧く辻褄を合わせてくれる。「パディ、そのヘンテコな進行がキミの個性だね」と冗談をいいながら。それでぼくは迷いなく、アルバム制作に没頭できたんだ。


Prefab Sprout - Looking for Atlantis

 いくつか並べてみようか? VEVOはずいぶんたくさん、ぼくたちのPVを所有しているね。きみはユーチューブが好きかい? ぼくはレコード盤を聴くほうが好きだけど、たまに自分たちのPVをのぞいては、含み笑いをしたり、頭を抱えたりするんだ。

【追記】久しぶりにユーチューブでプリファブの映像を探してみたら、なんと!PrefabSproutVEVO というチャンネルが開設されていた。ここにプリファブ・スプラウトが80年代に製作したプロモーションヴィデオが、ほとんど網羅されている。みなさん登録しましょう。


Prefab Sprout - All the World Loves Lovers

 このPVは、後悔している。もちろんウェンディは要求されるがままに「ミニー嬢」を演じたんだけれども、あそこまで露骨にみせる必要はなかった。「ニュー・シネマ・パラダイス」仕立ての設定がよかっただけに、なおさら。だってぼくの歌には「ほのめかし」が多いだろ? 「パープル・レインってそういうことだよね」みたいな。でもPVはイメージを固定してしまう。曖昧模糊とした部分を、あっけなく絵解きしてしまうんだ。

Prefab Sprout - Enchanted - YouTube

 ウェンディは一本筋を通す性格で、仕事であるからには妥協は一切しない。聖女にも悪女にもなりきることができる。でも……違うんだ。かの女のかたくなさにはホトホト手を焼いたよ。そのことは、アルバムでは次に控える「アイス・メイデン」を聴いたら分かるはずだ。ぼくの炎では溶かすことができなかったんだ。

Prefab Sprout - The Ice Maiden - YouTube


Prefab Sprout - Carnival 2000

「カーニバル2000」。これはほんとうに好きなフィルムだ。フェリーニの映画みたいな仮面舞踏会の場面が曲想を過不足なく伝えてくれている。莫迦面さげたぼくの頬に、ウェンディがキスしてくれるところも。21世紀になった今だって、恥ずかしくならずに観ていられる。


Prefab Sprout - I Remember That

 これはちょっと戻って『ラングレー~』の頃のPVなんだけど、撮ってる間はとっても幸せな気分だったなあ。ウェンディがぼくの肩に寄り添って、「あのこと覚えてる?」ってささやく。仮構した歌詞の世界が、つかの間だけど具現化する瞬間。ぼくの顔が、まるでリンダと一緒だったころのポール(・マッカートニー)みたいじゃないか。


Prefab Sprout - We Let the Stars Go

 でも、同じセピア色した回想でも、『ヨルダン~』収録のこれは、なんとも切なく感じる。演出とはいえ、もはやウェンディは傍らに寄り添ってくれないし、胸元のボタンはいちばん上まで留められている。曲の中盤で最高のロールオフを聞かせるニールは、アルバムの完成とともにバンドを去ってしまう。あらかじめ失われた関係が、いよいよ現実味を帯びてきた。そのことを暗示している映像が、ぼくをひどく滅入らせる。プリファブ独自のサウンドは『ヨルダン~』でほぼ完成の域に達したけれど、ぼくらのこころはもう一つではなく、とっくに離れてしまっている。

 

 ベスト盤を編んだときに、ぼくは2曲を新たに加えた。ここでプリファブの物語はいったん終結する、いや、終わらせなくてはならないとの思いに駆られて。ぼくはもう一度だけウェンディを題材に扱った。「If You Don't Love Me」。しみったれた結末は好みじゃないから、思いきってユーロビート仕立てのアレンジを施した。


Prefab Sprout - If You Don't Love Me

 いちおうスターの部類に属するぼくは、美しい女たちの誘惑には事欠かなかった。お望みしだいで、かの女たちを味わうこともできた。でも、ぼくはアバンチュールを楽しめなかった。浮ついた気持ちを抑制させた理由は、ウェンディの存在があったからに他ならない。そのことはウェンディ本人がいちばん分かっていたことだと思う。かの女の本質的なきまじめさは、プリファブを脱退した後の軌跡を追えばわかる。ウェンディは恵まれない人たちへの慈善活動に従事した。ぼくがいみじくも「スープキッチンの女神」で予言したことを、かの女は実践してみせたんだ。

 ぼくはウェンディを「プリファブの象徴」として扱ったわけだけど、かの女は地道な生き方を選択することで、ぼくの夢見がちな目を拭きとってくれた。その清新な芽を摘みとるわけにはいかない。感応したぼくは、いままでに書いたことのないストレートなメッセージを、「The Sound of Crying」に託すことができた。
Prefab Sprout - The Sound of Crying

 ぼくの意識を触発するもの、パディ・マクアルーンのクリエイティビティを喚起してくれる存在として、ウェンディ・スミスはプリファブ・スプラウトに在籍していた。けれども、夫婦漫才みたいな「あらかじめ壊れていた関係」を維持するのに、10年という歳月はあまりにも長すぎた。

 ぼくはウェンディのために、惜別の歌(スワンソング)を紡いだ。そして、ついに修復できなかった関係を回想しながら、今日もまた歌を書き続けている。年老いて、ろくに目が見えなくなって、耳が聞こえづらくなって、手足の皮膚がささくれだって、脚が萎えてしまって、杖なしでは歩けなくなっても、この一途な思いだけは、生涯ひきずるだろう。ぼくはウェンディなしでも、歌い続けている。それをきみたちがまだ聴いてくれるというのなら、ぼくはいつだってホラ、差し出すことができるよ、音楽を、みんなの前に。

 


PREFAB SPROUT : AMERICA

 人生は奇跡。ぼくたちはスーパースターにはなれなかったけれども、星くずとなって輝き続けることができるんだ。

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 現時点での最新作『クリムゾン/レッド』

 

  Prefab Sprout Discography (Albums)

  • スウーン / Swoon (1984)
  • スティーヴ・マックイーン / Steve McQueen (1985)
  • ラングレー・パークからの挨拶状 / From Langley Park to Memphis (1988)
  • プロテスト・ソングス / Protest Songs (1989)
  • ヨルダン:ザ・カムバック / Jordan: The Comeback (1990)
  • アンドロメダ・ハイツ/ Andromeda Heights (1997)
  • ガンマン・アンド・アザー・ストーリーズ/ The Gunman and Other Stories(2001)
  • レッツ・チェンジ・ザ・ワールド・ウィズ・ミュージック / Let's Change the World with Music (2009)
  • クリムゾン/レッド / Crimson/Red (2013)

 

 

 

 

 【お断り】

 今回は、パディ・ジョーになりきって書いてみました。これはまったくのフィクションです。くれぐれも事実だと誤解なされぬよう、お断り申しあげます。

:たとえば、『スティーヴ・マックイーン』のA面に収録の失恋ソング群は、プリファブがプロデビューする前に、パディが書きためていた楽曲をトーマス・ドルビーが選んだ結果です。「ボニー」にしてもウェンディのことではなく、べつの女性について歌ったものだとか。そういう現実との齟齬は二次創作に特有の間違いとして、デタラメじゃんと笑い飛ばしてください。)

 この記事では、プロモーションビデオを軸に、プリファブ・スプラウトの軌跡を追うかたちをとりましたが、かれらの音楽は映像ぬきで聴くことを強くお勧めします。なぜなら、音楽そのものに映像を喚起する力が備わっているから。パディ・マクアルーンは1980年代に現れた最高のソングライターだと、ぼくは思っています。

 (※ところで「ゲッティーイメージズ」の写真を使用した場合、あとで請求されるんだろうか?)

 

 

 

 【追記】

伊藤英嗣さんの主宰するクッキーシーンに、パディのインタビューが載っている。これは架空じゃなくて本物だから、この記事をご覧になったみなさん、読んでみてはいかがでしょうか。

 🔗 プリファブ・スプラウト - COOKIE SCENE

②2017年3月、渡辺亨さんがDU(ディスクユニオン)BOOKSより『プリファブ・スプラウトの音楽』を刊行した。長年プリファブのライナーノーツやインタビュー記事を書いてきた渡辺氏の、プリファブ・スプラウトの音楽そのものを真っ向から論じる書籍である。ぼくはこれを読んで、この記事を削除したくなったほどです。が、思いとどまった。もし当記事を読んで、プリファブ・スプラウトの音楽に興味を持っていただいたのなら、ぜひとも読んでほしい、必読書です。

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【プレイリスト】

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