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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

ヤコブの階梯

 

 二週間も記事の更新をサボっていた。

 じつは、このブログの方向性を見失ってしまったのだ。なにを書いても嘘くさく思えてしまい、書いてもアップを逡巡してしまう。完全なスランプだ。 

 よく読まれている記事は、サイドバーのTOP10をご覧になればわかるが、往年のアーティストに検索をかけると上位にランクされるエントリーが大半だ。それらのリストをのぞいた方々の訪問で、一見アクセスがにぎわっているように感じるが、それは必ずしも良い評価にはつながらない。読んだ方が感心したり、関心を示したという証拠はまったくない。かりにぼくが訪問したって、ざっと目を通して「ハイ次っ」てなシロモノだ。ぼくでなければならない、鰯ならではの視点で書かれたものは、ほとんど読まれていないに等しいのだ。

 愚痴はこのくらいにして、ここで宣言しておこう。

 音楽、とくに「いにしえのロック」にかんする記事を、しばらく封印します。

 そうすることでしか、このブログを継続することは難しい。

f:id:kp4323w3255b5t267:20151002180326j:plain 削除した『Clues』という記事で使った写真。

 また、写真をたくさんアップすることも控えたい。

 写真は雄弁だし、情報量も莫大だ。が、写真を掲げることにより、肝心の文章を書くことが疎かになっている。たいした写真は撮っていないのだが、写真への依存が、文章をやせ細らせている感はいなめない。

 もともとは、長い文章を思いきり書く場所にしたかったのだ。書きたい内容だけを書きたいだけ、書く。それだけが目的だったのに、いつの間にかぼくは、なんとか見栄えをよくしよう、見せ方を工夫しようと、そこにばかり比重がかかってしまっていた。

 写真の使用は、アイキャッチ画像という本来の目的で、一つふたつにとどめたい。そして写真そのものが、記事の印象を決定づけないように気をつけたい。象徴的な意味合いをあまり持たせないように心がけたい。 

 ぼくはマメな部分とズボラな部分がある。どうでもいい箇所に力を注ぎすぎるし、肝心な場面で手を抜いてしまう。しかも「有明海を覆った千切れた雲の狭間から射しこむ幾条もの光の束」と書くよりも、「ヤコブの階梯」とありあわせの耳学問でやっつけてしまう性質がある。そうしたディレッタント気どりも、今後ほどほどにしたい。

(この簡略化は、あきらかにツイッターに耽溺したあげくの悪影響である。)

f:id:kp4323w3255b5t267:20151002180311j:plain うっすらと見える山影は雲仙普賢岳

 

 いまぼくが腐心しなければならないのは、ことばと格闘することである。あるいは、思うぞんぶん戯れることである。

 次の記事では、ぼくがこのブログ『鰯の独白』で披露した、『春休みの友』を題材にとりあげてくれた、あるブログへの返信を書きます。

 それでは、また後ほどお会いしましょう。