鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

アル・クーパー『赤心の歌』

 

「レコード会社に提案したんだ、ジャニス・ジョプリン(のバンドリーダー)にアル・クーパーをあてがったらどうかと。きっと凄いものができあがるだろうから。まともに取りあっては貰えなかった。いいアイディアだと思ったんだがな……」ボブ・ディラン
f:id:kp4323w3255b5t267:20150913165033j:image B○○K○FFで500円也
アル・クーパーの日本編集盤、『フリーソウル』を入手した。これを編まれた時代の雰囲気が全体に横溢するスカしたコンピレーションだけど、クルマの中で聴くぶんには爽快な、一種のベスト盤だといえよう(宇野功芳ふう)。
これに収録された19曲を肴に、今夜はアル・クーパーの魅力についてを語りましょう。
 
なんだコレは?「カウボーイ・ビ・バップ」みたいなインストルメンタル。まずは洒落たジャンプナンバーでご機嫌を伺うという趣向だろうが、レノン&マッカートニーの、これは要らない。
おれだったら一曲目は、「マジック・イン・マイ・ソックス」で決まりだな。フィリップ・ロスの小説、『ポートノイの不満』をモチーフにした、オープニングにふさわしい快速ナンバーは、69年のセカンドソロアルバム『孤独な世界』のトップに収録されている。

シカゴを意識したブラスアレンジがめちゃくちゃカッケー。

 
2, BRAND NEW DAY
これぞアル・クーパーの典型的な作風。ぶ厚いアレンジと、シンガーソングライター風味の混淆。数種類のギターを重ね録りして「音の壁」を作っている。
 
3, FLY ON
フォー・トップスに歌わせるつもりで書いた曲。だか採用はされなかった。アルのソウル・コンプレックスが丸出しの愛おしい曲。72年の5枚目『早すぎた自叙伝』三曲目。
アルバム副題の『Childhood's End』 は、アーサー・C・クラークSF小説、『幼年期の終り』から採ったものだろう。


4, WHERE WERE YOU WHEN I NEEDED YOU

アル・クーパーを知らない人に、まず勧めるキャッチーなナンバー。冒頭の火を噴くようなハモンドオルガングリッサンドからアル・クーパー・サウンドが炸裂している。タイトなバック陣はアトランタ・リズム・セクション。72年の6枚目、『赤心の歌』B面4曲目。

 

5, JOLIE

日本でいちばん有名なアルの曲でしょう。J-WAVEでかかりそうなコじゃれたアレンジのカヴァーも数多い。かくいうぼくも、初めて買った2枚組のベスト盤『アルズ・ビッグ・ディール』(なんちゅうタイトルだ!)で、最初に好きになったのはコレでした。『赤心の歌』A面3曲目。アルのヴォーカルが、程よくアレンジに溶けこんでいる。

 

6, MISSING YOU

これは76年だから、両性具有のジャケットが物議をかもした『倒錯の世界』からだね。クラヴィネットのバッキングに、当時席巻していたディスコ・ミュージックの侵食を感じる。カッコいいけど、楽曲の出来はイマイチだから、おれならオミットするかも。

(↓代わりにコレなんかを入れるね。今の時節にぴったりだ。)

追記:前言撤回。何度か聴いてるうちに「ミッシング・ユー」、好きになってきた。

 

7, BACK ON MY FEET

フリーソウル」というコンセプトだからチョイスしたんだろうけど、71年の4枚目、『紐育市(お前は女さ)』から選ぶとなると、これより重要なナンバーがあるでしょ?たとえば「静かにくるっていくぼく」なんか、なぜ外すの?先年お亡くなりになった林光先生も、自著で取り上げていたくらいのマッドな名曲だってのに。

 

8, WITHOUT HER

ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ(以下BS&T)のファーストアルバム、『子供は人類の父である』(68年)に収録。一枚限りでアルが脱退した理由は、「イモだったから追いだされた」という説もあるけれど。にしても、弦楽四重奏の原曲をジャズボッサにアレンジしたコレは出色の出来。渋谷陽一が何度かラジオで紹介していた。そういえば氏の初期の評論で印象に残るのは、アル・クーパーにかんする長い論考だった。

さらに渡辺亨氏は、音楽の共通性から「アル・クーパーローラ・ニーロトッド・ラングレンは異母三兄妹」だと評したが、そこに、この珠玉作を書いたハリー・ニルソンを加えても差し支えあるまい(違うか)。

Harry Nilsson - Without Her (1971) - YouTube

 

9, THE MONKEY TIME

傑作。アルの魅力がいかんなく発揮されている。原曲はメジャー・ランスのヒットナンバーだが、アルの気の抜けたような歌声が、作曲者のカーティス・メイフィールドのそれを彷彿とさせる。

アル・クーパーは、意余って力足らずの典型であり、力みかえると失敗する。が、このようにリラックスして歌えば、かれの脳内シミュレーションも実を結ぶのだ。

 

10, I DON'T KNOW WHY I LOVE YOU

で、これは(おれに言わせると)失敗例。スティーヴィ・ワンダー初期の代表曲を、よりドラマチックに表現しようとしているが、残念ながらヴォーカルの技量が追いついていない。はっきり言って、アルのヴォーカルは、弱い。だが、その弱さが、同じようにソウルミュージックに憧れを抱く、日本の洋楽ファンの琴線に触れるのだ。

 

11, COLOURED RAIN

アル・クーパーはそのアレンジ能力を買われ、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を皮切りに、ローリング・ストーンズの「無情の世界」でもいい仕事をしている(ザ・フーの『ライフハウス』計画にも関与していた)。当然ロンドンにも足しげく通っており、かの地でのサイケデリック・ムーヴメントに触発されたのは想像に難くない。スティーヴ・ウィンウッドが作ったトラフィックの佳曲を、よりカラフルに彩った編曲の妙に耳を澄ませたい。ソロ第1作、『アイ・スタンド・アローン』のA面4曲目。

 

12, COME DOWN IN TIME

スティングもカヴァーしたエルトン・ジョンの名作を、アルはしっとりと歌って聞かせる。弱々しい歌唱も「おくれないでいらっしゃい」という詞の内容とあいまって、身の丈に合っている感じだ。ベーシストに『エルトン3』の名手、ハービー・フラワーズを起用するあたりに、アルのアレンジへのこだわりがうかがい知れる。

間奏のニール・ヤング風テープ早回しギターソロはいかがなものか?しかし、この「やりすぎ感」もまた、アルの特徴としてファンは受け入れなくてはならないのである。

 

13, NEW YORK CITY(You're A Woman)

文句なし。アル・クーパーの最高傑作。転調をくり返すコード進行も、低音から高音まで飛躍する無理むりなメロディーも、孤独と向き合う個人の苦悩をみごとに描きだす。私的にはルー・リードの「コニー・アイランド・ベイビー」と並ぶ、生涯離れられない一曲である。

 

14, I CAN'T QUIT HER

BS&Tの中からチョイスするとすれば、やはりこの歌になるのだろうが、おれなら「マイ・デイズ・アー・ナンバード」を選ぶけどな。アルの描いた、ロック・コンボにメイナード・ファーガソン楽団風のブラスセクションを合体させるというアイディアが、より重層的に結実しているからだ。

(ハイヒッター)ルー・ソロフとランディ・ブレッカーの壮絶なトランペットバトルが後半に繰りひろげられる、95年の2CDライブアルバムのヴァージョンを聴いてくれ。しかし、これまた今日的なタイトルだよね、「マイ・デイズ・アー・ナンバード」って。

 

15, THIS DIAMOND RING(恋のダイアモンドリング)

このゲイリー・ルイスとプレイボーイズのヒット(全米1位)を書いたことで、アルの経済的な基盤は確保されたのだろう。そういえば、レコード棚の前にたたずむアルの写真が、サウンド&レコーディングマガジンに掲載されていたが、その膨大な枚数に圧倒されたことを思いだす。CDのヴァージョンは『倒錯の世界』でのセルフカヴァー。


Al Kooper – Act Like Nothing's Wrong - This Diamond Ring

参考までにオリジナルをどうぞ。

Gary Lewis and the Playboys - This Diamond Ring - YouTube

 

16, SEASON OF THE WITCH(魔女の季節)

BS&T脱退後の、いわゆる「スーパーセッション」に、あまり興味が持てない。相方のマイク・ブルームフィールドが(凄いギタリストだとは思うけど)ちと苦手だからだ。けれどもこのドノヴァンをお題にしたセッションは、スティーヴン・スティルスのクールなカッティングが退屈を感じさせない。スティーヴンは当時の白人にしては珍しく、16ビートのウラを刻めるギタリストだった。


Mike Bloomfield & Al Kooper - That's All Right [HQ Audio] The Live Adventures Of, 1968

※あまりにもカッコよかったんで貼っておきます。

 

17, SAD, SAD, SUNSHINE

オリジナルは、ザ・ハードタイムズというグループの、67年の作品。このインド風のアレンジは、一寸ムーディー・ブルースを思わせるな。

※アルはファーストアルバムで「ケンタッキーの青い月」を歌った直後に、「これってバ・バ・バ・バ・バーズ(The Byrds)みたいだよね?」と、種明かししちゃう自虐的な人だ。

 

18, SHE GETS ME WHERE I LIVE

冗漫な問題作(とおれは思っている)『イージー・ダズ・イット』の中ではキャッチーなナンバー。フォー・シーズンズのチャーリー・カレロ(ローラ・ニーロの『イーライと13番目の懺悔』や山下達郎『サーカスタウン』のA面でもおなじみ)に、思いっきりゴージャスなアレンジを依頼している。「スパークリングジュース・アンド・ワイン」という歌詞の一節がカワイイ。

 

アル・クーパーは、自分の思い描いたイメージを、余すことなくレコーダーに収録したがるタイプだ。かれのあたまの中には、きっと壮大なビジョンが渦巻いていて、本人はそれを表現しつくしたつもりでいる。しかし実際には、かれの構想とは程遠い結果になることも少なくなかった(そのことを、ボブ・ディランはするどく見抜いていたから、冒頭の発言になったのだろう。が、念のために書き添えると、ボブは『ブロンド・オン・ブロンド』におけるアルのハモンドの演奏を「水銀のようなオルガン」だと評価している)。

けれどもおれは、そんなアルの弱みに惹かれる。歌はあまり巧くないし、キーボードもアドリブが利かない(と揶揄された)。けれども、とくに日本の洋楽リスナーにとって、アルがかけがえのない存在になりえたのは、強いアメリカの対極にある、弱みをさらけ出す、かれ独特の感性によるものではないか。

のちにサザン・ロックの覇者となったレナード・スキナードを発掘したアル・クーパーは、プロデュース業が忙しくなったのか、はたまた商業的成功を収められなかったからか、73年以降になるとソロ活動が停滞してしまう。だが、それまで怒涛のようにアルバムをリリースしていたアルの、72年に発表した第6作目『赤心の歌』(原題:Naked Songs)は、表現者としての誠実を感じさせる、秀逸なものだった。

f:id:kp4323w3255b5t267:20150913165026j:image その落ち窪んだ瞳は何を見据えていた?
 

19, UNREQUITED(人生は不公平)

これをラストに置くことに異存はない。ここにはアルの等身大の語りかけがある。できれば『赤心の歌』を、全編通して聴いてほしい。冒頭の「Be Real」から、最終曲の独白までが、ひとつの組曲として循環しているので。