コンピューターの、未だ何も書かれていない白い画面には聖性が宿っていると、レナード・コーエン師は語っていた。ぼくは『白い薔薇の淵まで』の山野辺塁のように、何時間もディスプレーを眺めていることがある。何も書くことの思いつかないとき、書くことはあってもなかなか書きだせないとき、あるいは文字を連ねたはいいが、まったく意にそぐわず、ぜんぶ消去してしまったとき、何もせず、ただ呆然と、真っ白なディスプレーを見つめているのだ。
頭の中にはさまざまな着想の源が渦巻いているが、それを整理整頓し、順番に書き起こしていくことのやるせなさは、なかなか言葉には言い表せない。ある程度の体裁を整え、さあこれがこのテーマに沿った道筋ですよと説明することが、とても胡散くさい行為に思える。そんな簡単に説明できるものではないのだ、このもどかしさを表現するのは。
だからそれを、誰かれに打ち明けられるわけでもなく、ぼくはまた、画面の前で沈黙し続けるのだ。
誰かれに、似ているといわれるのが、昔から好きではなかった。とくに自分のこしらえたものが、〇〇に似ていますねと指摘されると、ぼくは途端にやる気を失くし、そいつを引っこめてしまう癖があった。
まだ十代のころ、拙いながら作詞作曲を始めていたが、ようやく作った自前の曲を友だちに聴かせると、おおかた返ってくる感想は「〇〇に似ている」だった。このリフレインはユーミンの歌にあっただの、これと同じメロディが陽水にあっただの言われた日にゃ、一日じゅう苛立ちが治まらなかったものだ、おれはそんなモン聴いちゃねえぞ、と。けれども、レコードを買ってなかったにせよ、その歌をラジオかなんかで耳にしていたかもしれない。そして、自分では意識しないまま、影響されていることは大いにありうるなと考えるようにした。
似ていると言われないようにするためには、似せていることをあらかじめ自覚しておくことだ。底の浅い考えだが、以来ぼくはそのように努めた。何かに似ていると言われる前に、何かをモチーフにしているんだと弁明しよう、それがいちばん得策だと、愚かにも思っていたのだ。これはね、きみは知らないだろうけれども、ウェザー・リポートの「マン・イン・ザ・グリーンスーツ」のコード進行を拝借したんだよと、聞かせる前に解説することで、似ているという指摘を回避するようになった。
それは創作者の態度としては悪手である。聞き手に先入観を与えるだけであるから。けれどもぼくは、その「解説ゲーム」に夢中になった。ぼくの作った音楽が、結果的に認められなかった理由は、その「音楽の中で音楽の内容を説明する」ありようが、あまりにも露骨だったからだと思う。
しかしその病は、ぼくだけじゃなく、音楽を制作する者に顕著な傾向であった。意地悪な聞き手に対抗するために、元ネタをあえて開陳するという手法が、90年代以降、目に見えて増えていった。たとえばぼくは、オアシスやレニー・クラヴィッツが出現したときに、アレンジの着想となった元の素材を衒いなくさらけ出す姿勢に、なんだコレまんまビートルズじゃんと呆れてしまった。ヴォーカルに強烈な個性があるので、真似っこには聞こえないのだが、それでもコレはちょっと露骨ではないかと、しらけてしまったのである。それに追随したわけではないだろうが、邦人アーティストの音楽にも、そういったものが増えていった。あーリンゴみたいなフィルだ、ジョージみたいなアルペジオだ、いやぁよく似せているよな、たぶん同じ楽器を用意して、同じようにマイクをセットして、同じエフェクト(ビートルズはフェアチャイルド製のリミッターを使用していた)をかけているんだろうなと、想像がつくような。
それは同時期に勃興したHIP-HOPの手法、素材となるレコードの一部分をスクラッチし、ループさせ、あるいはサンプリングすることで、まったく別のトラックをこしらえる方法論と、軌を一にしていたといえよう。が、HIP-HOPが、先人たちの残したもっとも美味しい部分(たとえばジェイムス・ブラウン「ファンキー・ドラマー」の8小節間のドラムパターンなど)を遠慮なく拝借し、新たなライムを載せるという図々しさとも違う、逞しさに欠けた、マニエリズム的なアレンジの仕方だった。そして、そのことにもっとも自覚的だったのが、ムーンライダーズである(そこから最初に脱却したのも、またムーンライダーズだったが)。
いずれにせよ、ポピュラー音楽全体が、「オマージュ」や、「リスペクト」といったエクスキューズに支配、より極端にいえば汚染されていった。そこに、今までになかったような音像を創りあげてやるといった、むこうみずな気概が後退しているように映った。もちろん、自分の知らないところで、つねに地殻変動は起こっていたから、一概にそうだとは断定できないけれども、全体としては、ポピュラー音楽はずいぶんつまらないところに落ち着いちまったなあと、嘆息を洩らすしかなかった。
けれども。
ぼくはここまで書いて、上の全部の行を消去したい衝動に駆られている。なにを達観していやがるんだ、それこそオマエが音楽をやめるに至ったことへの、言いわけに過ぎないじゃないかと。
そういうひねくれた根性では、あたらしい何かなぞ、とうてい生みだせやしないぜ。
ぼくは、生業ではないが、文章を書いている。このブログは、読んでいるみなさんが思っている以上に、真剣に取りくんでいる。文章を書くにあたっては、なるたけ謙虚に、たくらみを排除しようと努めている。つまり簡単に言ってしまえば、思うが侭に書き連ねることを心がけている。音楽を作っていたときの過ちを、二度とくり返したくないのだ。
けれども、ちょっとしたことで、つまづくこともある。先日、ぼくの文体が松本隆のようだという意見があって、ちょっと心外だった。確かにぼくは、松本隆氏の初期の著作(『風のくわるてっと』『微熱少年』)に大きな影響を受けている。しかし、むさぼり読んだにせよ、意識的に真似をした覚えはない。似ているのかもしれない。知らず知らずのうちに、山の手風の文体が身体に沁みこんでいるのかもしれない。
だけども、そのことについて、自覚的でありたいとは思わない。
ことばの使い方、あしらい方を分析しすぎると、自縄自縛に陥ってしまいそうだから。
(そりゃあいくつか自覚症状はあるよ。たとえば「女の子」と書かずに「女のこ」にするのは、片岡義男だとか、「馬鹿」を「莫迦」と記すのは、新井素子だとか、テニヲハの配置や句読点の置き方は、山際淳司だとか。)
でも、根本にあるのは、自分の喋りだ。
喋りたいことを、自分の語り口で、文章に書き起こしていく。
これが、ぼく流のやり方で、それは、〇〇に影響されたから、ではない。
好きな作家は誰それですか?と訊かれると、ひじょうに困る。ぼくはそれほど読書家でない。
それに、こんなふうな文章を書きたいとか、この小説家を見習いたいとかいう気持ちになったことは、一度もない。
ただ、今までに読んだ諸々の文章に、影響されていることは事実だ。
無意識に影響されているものについては、避けられようがないのだ。
なんて鮮やかな黄色だろう
たぶん、ぼくが今いちばん影響を受けているのは、ツイッターのタイムラインからだろう。
こないだ、こんなツイートが目にとまった。さりげないけど、とても共感できる内容だった。
その「お気に入り」ツイートを掲げて、混乱気味なこの稿の終わりとしたい。
例えば音楽批評では、このフレーズはビートルズに似てるからこのミュージシャンはビートルズから影響を受けたのだろう、とかよく書かれますよね。
でもフレーズなど全く似てないのに、過去の音楽を彷彿させる曲があって、それが本当の「影響」だと思います。