鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

『権力の美学』? ンなもん、あるかよ!

 
ちょうど一年ほど前に、ぼくは「日本くん、だいじょうぶ?」という手紙みたいな記事を書いた。ガイジンからみた日本というみたてで、日本人にたいして、ささやかな忠告をしてみたのだ。ぼくがブログになにかをしたためたところで、日本が改心するわけじゃないけれど、いずれ気がついてくれるはずだと、そこはかとない期待もこめて。kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

が、

あれから一年が経って、日本はますますひどい状況になった。見るもの聞くものすべてが、信じられないくらいだ。え、どこがひどいの? と自覚してない方は先を読む必要はない、時間の無駄だ。ぼくは、あゝひどいなと頷いてくれる人にだけ、伝えられることばを刻む。
日本は、日本人は、完全に方向を見失っている。行き先不明の幽霊船のように。ぼくは同じ日本語を話す日本人として、この煮詰まった状況がいつまで続くのか、かなり絶望的になっている。
理由を挙げればきりがない。どの問題を採っても、解決策は見あたらないばかりか、あえて最悪の選択ばかりをしているとしか思えない。だから、一点のみに絞る。日本が重篤に陥っている原因の一つは、自画自賛である。
自画自賛の最たるものが、美しい日本というキャッチフレーズだ。日本はいま世界に向かって、自分は美しい、自分はクールだ、自分は強い、自分は安心・安全だ、自分は優秀だと訴え続けている。自分には誇るべき歴史と伝統があると自称している。自分の作った料理は絶品ですと自慢する。自分はおもてなし上手ですから自宅にいらっしゃいと手招きしている。そして、どうして来ないのだ、こんなに素晴らしい国家なのにと、嘆くばかりか憤っている。
行かないよ、誰も行きたくないよ、そんな鬱陶しい場所には。
日本に来る観光客の年間総数(13年調べ)は世界で26位なんだそうだ< http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150609-00000030-zdn_mkt-ind >。韓国よりもタイよりもランクが低い。日本政府はそれを悔しがっている。もっと海外からのお客様を呼び寄せねばと焦っている。そこで官僚は観光立国の方策を練り、政界は法外な予算を注ぎ、経済界は挙って喧伝し、建築し、花火を打ち上げる。そして、そのほとんどが、始まる前からしくじっている。やり方があまりにも不調法で無粋で非効果的だから。
しかも、そこには文化の欠片もない。
図らずも、文化ということばを使ってしまったが、文化とは、計画したからできるものではなく、議論してどうなるものでもなく、ましてや「江戸しぐさ」みたいにでっちあげるものでもない。その地域に住む人々の営みが、時間をかけてゆっくりと醸成していくものである。付け焼き刃では無理なのだ。何人かが貧しい歴史認識を土台にし、文化芸術についての懇話会を開いたり、日本のために会議したりしたところで、文化は創生できない。その地域の風土と人智が何世紀にも渡って育んだすえに、文化の花は開くのである。偉そうにいってはみたが、こんなこと、少し考えれば小学生にだって分かる理屈でしょ。
ぼくは、いまの日本が、文化を捏造しようとしているように思えてならない。それは先ほど示した「江戸しぐさ」などが典型だけれども、物語の創出が、いたるところで為されている現状である。その代表的な例が、国際社会へのアピールとしての「世界遺産登録」騒動である。
 
この陳腐で、ナンセンスなブレゼンス。今夜の今時分、ドイツはボンで開かれているユネスコの会議で、日本は、「九州地方を主とした、23の『明治日本の産業革命遺産』< http://heiwa-ga-ichiban.jp/sekai/sub/sub26.html >を、世界遺産として登録せよ」と主張しているのだ。あゝ恥ずかしい恥ずかしい。これほど恥知らずな行為が他にあるだろうか。日本の美徳とされる謙虚さの微塵もない破廉恥な振る舞いだ。テメエのご先祖さまが拵えた工場やら炭鉱やらを、世界的な財産だと認めなさいと申し出るとは、さぞや出席した各国代表も、呆れてものが言えぬだろう。
え? 他の国のエントリーだって多かれ少なかれ同じような側面がある、だって? そんな橋下徹みたいな話法で逸らすなよ。ぼくがいっているのは、日本の立ち振る舞いかただ。立ち振る舞いが見苦しいといっているのだ。日韓の調整がままならないだと?そんなの、九州各地の炭鉱を遺産の候補に挙げた時点で、わかりきっていたことじゃないか。筑豊の石炭産業の担い手となった炭坑夫の多くが、朝鮮半島からの人々だったこと。過酷な労働、低賃金、最低の生活水準。そして……
「明治日本の産業革命遺産」として、炭鉱等を登録させようとする運動の主体< http://lite-ra.com/i/2015/07/post-1250.html >は、上野英信を読んだことがあるのか? ないだろうな。炭鉱の町で働く人たちは、なにも朝鮮人ばかりではなく、もちろん日本人も含まれている。その人々の犠牲を省みることなく、ただ産業革命の偉業のシンボルとして、炭鉱を遺産に登録せよとせがむのは、あまりにも浅ましい所業である。
「歴史などに踏みこんだ発言は控えるべきだ」と日本側はコメントしているが、歴史認識なき遺産など、ただのガラクタだ。なぜ広島の原爆ドームがいち早く世界遺産に認定されたのか、考えてみれば分かる話だろう。私たち人類が語り継いでいかなければならない歴史が、そこに刻まれているからだ。その認識を持たぬ者が、遺産として認めてもらいたいとふんぞり返っているのは言語道断、襟を正して出直すべきなのは、他ならぬ日本の側ではないか。
松下村塾を遺産に加えていることこそ、政治的意図が丸見えだって証左よ。語るに落ちるとはこのこと、明治維新への懐古とは憧憬。脱亜入欧・富国強兵にまい進する時代の始まり。そこに焦点を当てて、歴史認識を強固にしたいのが、現政権ならびにそれを支える財界の宿望だ。
ぼくは今朝、このことについて、<日本政府の・手前褒めによる・国家威信のための、自画自賛でしかなく、これを世界的な遺産と認める価値は殆どない。>とツイッターに投稿したが、それをさらに正確に表せば、「国家権力の・中枢にいる者たちの手前褒めによる・国家威信ならびに国家帰属意識のための、自慰的な自画自賛行為」である。そこにただよう腐臭は、かのナチスドイツの宣伝相だったゲッベルスの、「手口」を彷彿とさせる。
<プロパガンダの秘訣とは、狙った人物を、本人がそれとはまったく気づかぬようにして、プロパガンダの理念にたっぷりと浸らせることである。いうまでもなくプロパガンダには目的がある。しかしこの目的は抜け目なく覆い隠されていなければならない。その目的を達成すべき相手が、それとまったく気づかないほどに。>
幸いというべきか、日本の宣伝マンたちは、ゲッベルスほど徹底していないので意図は丸見えである。私たち日本語圏に住まう者たちは、かれらのこしらえた物語の創出、すなわち「この国のかたち」を疑ってかかったほうがいい。だって、そんな美しい国なら、日本はこんなに素晴らしい!などと、自画自賛する必要なんてないじゃないか。

そんなの、ただのまやかしだ。 

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この、暗がりに浮かぶバラの花束を撮ったとき、ぼくはニュー・オーダーの『権力の美学』を想起した。

そのアルバムのジャケットにはアンリ・ファンタン・ラトゥールの静物画が使われている。

https://www.youtube.com/watch?v=zeDQycp262Y  "Power, Curruption & Lies” 

 

 

 

【翌朝】

http://m.huffpost.com/jp/entry/7730182?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

けっきょく世界遺産に登録されちまったか。またぞろ湯水のごとく私たちの税金を使って観光地化するんだ。ピッカピカの軍艦島。だれかも呟いていたけど、廃墟そのものは好きなんだがな。

考えただけでもウンザリするぜ。

 

あと、参考までに。

http://toshifujiwara.blogspot.jp/2015/07/blog-post.html?spref=tw&m=1 

http://lite-ra.com/i/2015/07/post-1256-entry.html

iPhoneより投稿)