鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

『サウダージ』 アンソロジー2012~2013.03

 

Twilogより選り抜いたものを時系列に並べた、アンソロジー第二弾を掲載します。

2012年から13年3月にかけて、次第に行き詰っていく様子が手に取るようにわかると思います。なお、断るまでもないと思うけど、ここに描かれたさまざまな出来事は、ぼくの心象風景であり、現実そのものではありません。そこ、誤読なきよう。

とにかく、よく歩きました。自ら「歩きの達人」と名乗れるくらいに。東京は縦横無尽に路線が走っていて、ぼくは電車賃を浮かすために、路線選びを工夫しました。たとえば、都営三田の沿線に現場があるとすれば、運賃の高い三田線を使わず、二十分ほど歩いて東武東上線を利用するというふうな(遺跡発掘に携わる労働者諸君は誰もが、多かれ少なかれ倹約し、小遣いを捻出する術を編みだすものなのです)。そうしたケチケチ作戦の賜物なんですよ、この時期に書かれたツイートの、贅肉をそぎ落としたような、切羽詰った文章は。

前回記事同様、移動の最中にめぐらした思考のみを抜粋しました。なお、当時はスマフォを所有していなかったうえ、所有の携帯電話から投稿することもありませんでした。すべてWebからの投稿であります。書くのは専ら、未明の刻でした。

 

 

足もとに近づく影に気がついて 振り返って月を眺めるふりをした

posted at 03:10:36

酒を呑むよりも、おいしいものを食べるほうが好き。先週からうなぎの「尾花」やら、蕎麦の「砂場」やらが、現場のすぐそばにあるので、とても困った。蒲焼きを焼く匂いや、蕎麦つゆを仕込む匂いが漂ってくると、お腹が空いてすいて、そうなるともう、仕事どころじゃなくなる。

posted at 05:07:05

虎ノ門の現場へ行くためにいろんな路線を試している。昨日は有楽町線の永田町で降りてみた。国会議事堂や首相官邸の厳めしいたたずまいを目のあたりにすると、ああここが国の中枢なんだと改めて実感するが、その中で行われていることを思うと、暗澹たる気持ちになってきて、肩をすぼめ、坂道を下りた。

posted at 02:35:37

霞ヶ関の、省庁の建物に、立派なスーツを着た方々が、次々に飲みこまれていく。おそらく国家公務員たちは、のんべんだらりと日々を過ごすぼく(ら)よりも、真剣に国家の未来を案じ、将来に向けての制度設計に苦闘しているに違いない。そうであるべきだし、大部分はそうであると信じたい。しかし……

posted at 02:46:21

経産省本部のテントの前の交差点で信号待ちをしていると、二組の若い男女が「今後のこと」について相談しているのに気づいた。千鳥格子のしゃれたコートを着た男が大仰なジェスチャー交えて、「とにかくいったん動きだしたらさ、どんどん前へ進まなくっちゃ」と仲間に訴えていた。対照的な光景だった。posted at 02:37:13

「いったん動きだしたら、どんどん前へ進まなきゃ」の主語が何なのかは聞きそびれた。各々が携わっているプロジェクトについてなのか、それとも週末の旅行計画についてなのかは知らない。ただ、強制退去を命ぜられているテントの前で朗らかそうに語らう彼らの振る舞いに、ぼくは違和感を抱いた。posted at 02:46:50

とにかく、立派な身なりの彼らが朗らかに語りあう話の内容が、「いったん動きだしたら、どんどん前へ進まなくきゃ」の主語が、「再稼働」でないことを切に願いつつ、ぼくは青になった横断歩道を渡るのだった。

posted at 02:51:54

 

自分の足音だけを頼みに、街灯もない、暗闇の坂道を歩いている。

後ろから誰かがばっさり、袈裟懸けに斬りつけてくれないかなぁ、

と剣呑なことを考える。

posted at 17:58:38

 <@   寒き夜 辻斬りを待つ 帰り道 って句が浮かびました ( ^ω^) QT >

昨夕の心境にピタッと合致。だれかの句? それとも貴方の創作? いずれにせよ気に入りました。ありがとう。

posted at 03:21:22

そういうときは、なるべくのんきなことを考えることにしている。ストーブの前で、みんなと駄弁っているとき、なんの文脈だか知らんが、「それってバッティングセンターのピッチングマシンみたいなもんじゃん」と口走って、部屋にいた連中が、ぷ、と吹きだしたのを、思い出しながら、ほくそ笑んでいる。

posted at 18:03:06

 

いま通っている新宿区の仕事場の近所に、戸山公園というすてきな場所があって、団地に囲まれた不思議な空間なんだけど、今朝はちょっと遠回りして、その公園内にある、箱根山に登ってみた。人工の、わずか10mほどの高さの築山であるが、標高は山手線内で(23区内だったかしら)一番高い、らしい。posted at 18:19:06

徳川家(戸山邸)の庭園にあったという「箱根山」という築山は、地元にある「荒幡富士」と見かけも容積も瓜二つである。区教委作成の看板の説明による限り、富士信仰とはあまり関係なさそうだが、早稲田のあたりでは富士講が結構多いとも聞いた。このような築山は、江戸時代の流行だったようだ。

posted at 18:26:52

いまようやく山道にさしかかったところ。山の麓から、はるか遠くの高い頂を望む。ぼくのいまの暮らしは、そんな感じかな。だから……

posted at 04:45:22

今朝も就業前に戸山公園を散策しよう。箱根山の麓に、こぢんまりとした教会がある。赤い尖塔と白い壁のコントラスト、石組みで拵えた半地下室の弓状の曲線が美しい建物だ。ぼくはキリスト者ではないけれど、ああいう控えめなたたずまいの教会を目にすると、少しばかり神妙な気持ちになるから不思議だ。

posted at 05:25:25

戸山公園の、アパートを囲む金網フェンスに寄りかかって、ふと口ずさんでいた歌は、Half of what I say is meaningless...…ジュリア 大洋の子 貝殻の眼 風の微笑み 朝の月 眠る砂 沈黙の雲……そらでうたえる数少ない歌。きっと春風が運んできたんだろう。

posted at 03:03:59

 

あなたの不在は、確かめるまでもなく、すぐに察せられた。

posted at 05:18:31

相手の側に立場を変えてみると、その後の展開が掴めることもある。

posted at 03:33:40

相手の気持ちになって考えてみると、違う結論にたどり着く場合がある。

posted at 03:40:54

尊重すべき相手の意見が、どうしても受け入れられない場合だってある。

posted at 04:02:47

かように逡巡する我が思考は、まどろみの未明へと、流れこみ溶けてゆく。

posted at 04:10:25

星辰の瞬き。その永劫の感覚にしばし我を忘れる。宇宙の茫漠たる広がりに比べたら私個人の存在なぞなんとちっぽけなものかと。口をポカンと開けて夜空を仰ぎみている間抜け面の中年男がいたらそれがぼくだ。しかも彼の身体の内部には、もうひとつの宇宙、ミクロコスモスさえもが存在しているのである。

posted at 05:46:30

たぶんぼくは永遠に、だれかを片思いし続けているんだ。

posted at 05:50:18

 

糸のように細く優しげな雨が、さっきから静かに降っている。そんな雨の朝にお似合いの歌を、あれこれ思いめぐらしてみたのだけれど、適当な曲が思い浮かばない。そんなときは探すのをあきらめて、微かに聞こえる雨音に耳を澄まそうか。

posted at 06:21:05

三月の雨。アントニオ・カルロス・ジョビンの傑作。エリス・レジーナとの共作アルバムが有名だが、「ボサノヴァの法王」ことジョアン・ジルベルトも同タイトルのアルバムを作っている。同じようなコードが連綿と繰り返される曲だけど、時おりハッと閃いたような半音ずつ下降する和声進行が挿入される。posted at 18:33:58

三月の雨。コードの微妙な移ろい。それは傘をさして前を歩いている女のこが、とつぜん後ろをふりかえったときのように、一瞬にして目の前の風景ががらりと変わるのである。メロディーは変わらないまま、和音の響きだけが鮮やかに変わるのだ。歩いている状態や、両者の距離は依然として縮まらないのに。

posted at 18:44:57

くねくねと、ねじ曲がった公園のプロムナードを、赤い傘が、揺れながら近づいている。のぼりおりのそのたびに、見え隠れしている。

posted at 18:28:59

ぼくはあわてて、その場から立ち去った。見破られてしまう、悪寒にうちふるえ。

posted at 18:31:32

 

仕事帰りは同僚と一緒に大久保通りを歩いた。途中で細い横丁を折れ、職安通りへと抜けてみた。韓国料理店や屋台から漂ってくるコリアンフレーバーあふれる道筋。その人通りの多さと活気に「凄いな、予想以上だよ~」と驚く彼。でしょうそうでしょうと、まるで我がことのように自慢げに頷く軽薄なおれ。

posted at 18:29:21

匂いはとっても重要だよ。

posted at 18:29:49

考えごとをするには歩いたほうがいい。停まっていた考えを促してくれる。

posted at 17:58:17

見ろ、荘厳な夕日を。ブレイクの銅版画みたいな色だ。

posted at 17:59:20

 

渋谷駅は、どうも苦手だ。山手線の、外回りのホームに立つたびに、そう感じてしまう。ホームが弧を描いており、停車中の電車は、かなり傾いている。その不安定な姿勢の車両へ、人がどっと傾れこむ。ぼくはその流れに、うまく身を委ねられない。いつも列からはじかれ、ドアの前で、おたおたしてしまう。posted at 03:44:51

乗りそびれ、ひとつ電車をやり過ごし、上り下りの線路を隔てるどでかい看板をぼんやりと眺めているうちに、ふと脳裏を過った音は、ローランド・カークの『リップ・リグ&パニック(65年)』の「ブラック・ダイヤモンド」のジャッキ・バイアードが弾く、ぎくしゃくしたピアノソロの左手の経過音だった。

posted at 03:56:22

 

ポケットをまさぐっても、書くことの思いつかないときがある。

posted at 18:23:09

いままでに読んだ、ポピュラー音楽に関する随筆のなかで、いちばん好きなものは、文化人類学者長島信弘氏による、「アンチ・ダンディズム~ブライアン・フェリー私論」(レコード・コレクターズ 増刊号「ブリティッシュ・ロック Vol.2」に収録)である。文章と、対象となる音楽の、幸福な一致。

posted at 05:20:02

あらかじめ奪われた愛、もはや戻ってこない愛、決してその手には入らない愛。そんな愛の不在を、かれは歌い続ける。宿命の女、運命のひとひねり、遅れないでいらっしゃい、そういったもろもろのことどもを。

posted at 05:30:54

だれかがひっそりといなくなっていた。

posted at 05:47:57

 

「いい匂いがしますね」と涼しげな目をした若者がぼくに話しかけた。「どんな匂いが?」と訊ねると、「花の匂いですよ、ほら風に乗って向こうのほうから、かすかに」と答えた。ぼくは、かれの向いた方角へ視線を移し、ああいい匂いだね、とつぶやいた。ほんとうは匂いなど感じとれやしなかったくせに。posted at 18:18:41

キンモクセイですかね、この匂いは」と若者は尋ねた。「季節が違うだろ」とぼくは苦笑した。「あれは秋だよ。いまごろだったらジンチョウゲじゃないの?」と。花の匂いを嗅ぎとれないまま、生半可な知識を披瀝するだけの自分に、老いの気配を感じた。posted at 05:43:34

おれは感覚器官の衰えたオヤジだと、依怙地になって自己規定したときに、老いは一気に押し寄せてくる。たとい感覚は鈍っても、感受性まで曇らせてはいけない。たえず磨いておこう、季節の移ろいを、世の儚さを、こころの裡に、正しく映しだせるように。

posted at 05:56:02

駅を降り、目的地に着くまで、クリフォード・ブラウンマックス・ローチを聴く。Joy Spring。春の訪れにふさわしい曲。淀みないトランペットの柔らかい音色。ドラムヘッドを撫でるブラシのしなやかさ。トニックとドミナントに調律されたタムの音色。やかましくない、歌うようなドラムソロ。

posted at 04:17:01

道ばたの、ゴミ収集を控えている本の束に、森本草介の、講談社から出た画集があった。スーパーリアリズムに描かれた美しい女性が表紙。持って帰ろうかと、よほど迷ったが、ページが湿気でくっついており、染みで汚れていたので(人目もあるし、重いし)、諦めることにした。美品だと二万は超えるはず。posted at 04:31:44

せめて表紙でも、と、捨てられていた森本草介画集の表紙を、携帯の写真に収めておいた。撮影の一部始終を、巣作りのためかハンガーを咥えたカラスが、もの珍しそうに、じっと視ていた。

posted at 04:37:47

仕事中いきなり、【Limelighters】という文字が脳裏に浮かんだ。50年代のコーラスグループみたいな、古めかしいが、しゃれた名前だと思った。帰って調べてみたら、同名のグループは存在し、しかもそれは、案の定ドゥ・ワップだった。いずれなにかのおりに、この名前を使うことにしよう。

posted at 04:50:55

三月末日。空は不気味な色の雲。一雨降りそうな朝。

posted at 06:29:45

骨の髄まで、ずぶぬれになった。胸の奥まで、びしょぬれになった。

posted at 18:35:33

 

DMを受けとった、何時間かのち、ぼくが眠っている間に、きみはほんとうにいなくなった。<そのユーザーは存在しません>となると、@つきのリプライはもとより、DMまで消えてしまうのだ。文面ぜんぶを正確には覚えていないけれど、目を通しておいてよかった。うっかり見逃してしまうところだった。posted at 05:46:30

今度こそ痕跡を残さず、みごとに去っていった。昨日までタイムラインに息づいていた気配も、今朝はすっかり消えている。この喪失の感覚を、どう言い表そう?そ知らぬ顔して、処理してしまえばいいのか。だけどもぼくは、とてもそんな気になれない。あなたの不在という事実に、この胸は鈍く疼いている。

posted at 06:02:52

 

東の空に、しらじらと浮かんだ今宵の月は、どこか余所余所しいぞ。

posted at 18:21:42

だからか今日のぼくは、どことなく冷淡だった。

posted at 18:29:07

またあとで。気が向いたら音楽の話でも。

posted at 18:34:43

陽気のよい今日の午後は、ストラヴィンスキーの「春の祭典」第一部、「大地の礼賛」の序奏の、ファゴットによる例の旋律が、ずっとループし続け、頭から離れなかった。

posted at 18:37:58

春の宵。この時期に起こる微妙な身体の変化。背骨の芯がむず痒い。posted at 04:02:07

おかしいな。これは自分だけが感じる肉体的な変化なのだろうか? 背骨のなかをなにかがゆっくりと上り下りしているような。くすぐったく、微かに痺れるような、妙な感じ。しかし病気ではないように思う。十代前半、第二次成長期のころに経験した、「あの感じ」がよみがえったみたいな、ヘンな気持ち。posted at 04:18:53

第二次思春期。じぶんで書いてみると、なんとも気色悪い。でも適切な言い表し。この春の、もの憂げで、けだるい感じ。自分のなかからも、身の回りからも、有機的な物質・物体が一斉に蠢動しはじめる予兆をはらんだ、不穏で妖しげな気配。なにか音楽に置き換えるとなると、それはやはり「春の祭典」だ。posted at 04:36:10

ストラヴィンスキー春の祭典」の長閑さと、破壊的な音響の鬩ぎあいは、わたしの日常の、見せかけだけの平穏と、内在する衝動とを、象徴しているように思える。だから意識的に、冒頭部のファゴットばかりをループさせてはいたが、潜在意識下では、次の苛烈な展開が、すでに用意され、鳴り響いている。

posted at 04:59:19

 

小説の話なんかを交わしているうちはいいが、いざ書いた作品を読んでもらうと、驚くほど距離をとられることがある。よっぽど作風が気に食わなかったのか、作品に滲み出るぼくの性質を厭うのか、それともおっかないのか、批判するのを恐れてか、理由は分からないが、とにかくよそよそしい態度に変わる。

posted at 18:32:34

新宿区戸山の、公園近くの交差点で、午前の早い時間に、古びた5弦バンジョーや、ナイロン弦ギターを抱えた男が、咥えたばこで、猫背気味になって、やぶにらみの視線をあらぬかたに向けながら、何かを唸っているのを、よく見かける。歌う内容は、わからないけれど、おれもあんなふうになれるかな、と。

posted at 18:39:30

思いつつ足早に通り過ぎるのだ。うたう彼の目の前を。

posted at 18:41:03

 

東府中の、旧甲州街道沿いに、ものすごく古びた4階建てのビルがあり、あまり達筆でない字で「大○電気」という看板が立っている。大きなクスノキの木が、廃れたビルの前に立ちふさがるように枝葉を茂らせている。歩道から建物の様子を伺うと、ひっそりしており、人の働く気配はほとんど感じられない。posted at 18:29:34

この府中市は旧甲州街道沿いの、「○嶽電気」について、検索をかけてみたところ、やっぱり気になった人がいるみたいだ。あの妖しい雰囲気の建物のことに触れたブログが最初にヒットした。そうなんだ、そこに書かれてあるように、廃校みたいなたたずまいなんだよな。だけど、不思議と怖くはない。posted at 18:34:18

薄緑色の壁なども、薄汚れてはいるけど、汚らしくはない。むしろ雨どいやパイプの縦横に走ったさまが、なんとも芸術的にさえ思えてくる。いまのビルディングが失ってしまった何かを、この「大○電気」の建物は、保持しているようだ。近くにお立ち寄りの際は、ぜひご自身の目でお確かめください。

posted at 18:41:01

<@   そこ、知っているかも!看板がおどろおどろしくて、生真面目で、ふざけてて(笑)! 確か向かいに「日本共産党」の支部がありませんでしたか?>

はい。まさに「そこ」です。その通り、手書きの看板の文字が微妙にヘタで(笑)。水木しげるのマンガみたいなんです。

posted at 04:56:20

だから妖しげな建物だのに、どことなくユーモラスな趣があり、おっかなくない。街道の向かいには、ご指摘の、共産党の支部もありました。ただし、こちらは真新しくきれいですが。軒先に薪の束を重ねた材木屋などもあって、そこらへん一帯はなんとも不思議な空間です。

posted at 05:06:41

 

寄る辺なさ。どこにも帰属できない状態。ディアスポラ

posted at 05:16:18

散散な一日 汚辱に塗れつつ 燦燦と照りつける 太陽に呪詛を唱える

ここを煉獄と思うな 天国と思うんだ そう言いきかせながら 汗みどろになってる

ああ最高の一日 いまを生きる奇跡の時 はは 働きづめの毎日 ただ祝福を待つばかり

posted at 18:56:07

きまぐれに現れといて あたしの勝手とうそぶいて またすぐに居なくなるんだろ? つみなひとだよ あなたは

posted at 15:58:46

 

ご多分に漏れず、金環日食を見上げてしまった。ぼくも人並みに気にかかったというわけだ。早めに出、電車の時間を調整して、ちょうどの時間に降り立つと、駅前広場には空を見上げる老若男女の人・人・人。でも、雲がかかっておらず、完璧な形をした金環日食を、ぶじ拝むことができたのだった。posted at 08:28:36

金環日食のころ、不思議だったのが、いつもとは違う、街の様子だった。大勢の人が、空を仰ぎ見ているさまも、なかなかシュールな趣だったが、それよりも太陽光線の変化だろうか、街じゅうが不思議な色を帯びているように思えた。もっとも太陽をチラ見しすぎで、幻惑されただけだったのかもしれないが。posted at 08:32:33

ぼくは凡庸な一市民だから、珍しい天体現象がおきると、やはり気になるし、人並みに見たくなったのです。

posted at 18:35:01

 

昨日の夕刻、電車に乗っていたら、リクルートスーツの一群が大挙して乗り込んで来た。どうやら研修を終えた直後のようで、その開放感からか、いや喧しいのなんの。隣に座っていたウィントン・マルサリス似の青年が「うるさいですネ」とポツリと洩らした。ぼくはええ、と頷き、スミマセンと恥じ入った。posted at 08:10:22

日本人は、どうして群れると、ああも傍若無人になっちまうんだろう?

posted at 08:11:59

 

きみの耳のかたちは まるで弥勒のようだ

posted at 15:20:57

弥勒がぼくの隣に降りてきた 贋物じゃないこいつは本物だ 完璧な耳の形と 丸みを帯びた頭蓋骨 僥倖に念仏を唱えたくなったくらい だけど残念だな この路線を使うのは今日で最後 ぼくは明日から違う路線で 違う町へ赴く

posted at 08:27:09

移動が一日延期になったので 今朝も御姿を拝めた 髪を下ろしているので 耳は隠れていたが サーモンピンク地にドットをあしらったワンピース 黒い薄手の七分丈カーディガン ヒールの低いパンプスと 正面に座した弥勒の 完璧なコーディネイトに 思わずぼくは ため息ついてしまった

posted at 08:18:37

 

今日、小田急は祖師谷大蔵の駅を使って気づいた。ウルトラ関係の曲をジングルに使うのは結構なことだが、「ウルトラセブン」の旋律、一箇所だけ「?」と思った。「♪ 進め 銀河の果てまでも ウルトラ アイで スパーク!」の、「アイ」の所の音程は、ナチュラルじゃなくて、フラットじゃないかい?

posted at 17:39:01

 

ジャムになりそびれた クワの実の散らばる 紫に染まりし舗道

posted at 07:56:35

わかんないのかなぁ?押しつぶされそうなんだよ。

posted at 09:31:44

残されたものは 遺されたものから 在らざるものの思考を 類推する他ない

posted at 05:32:34

 

朝の券売機の前で、女性のお年寄りがうずくまっていた。息を切らし、苦しそうである。知らんふりしておこうかと思ったが、どうしても気になるので、声をかけてみた。「おばあさん、どうしました?具合が悪いんですか?」posted at 18:10:42

しばらく無反応だったが、もう一度「だいじょうぶ?」と問うと、おばあさんは、いきなり話しかけてきた。「前に通っていた病院を追い出されてねえ、今日から違う病院に通わなくちゃならないの。T病院というんだけどねえ」と。そこでぼくはおばあさんの顔をまじまじと見た。目が不自由そうだった。posted at 18:13:48

「そのT病院って、なんという駅で降りるの?」と訊いた。「えー、西○○○」と駅名を告げた。ぼくは「それならこの駅から160円です。お金入れたら、ボタン押しますよ」と提案した。おばあさんは「ありがとう」といって財布を開けようとした。が、息が急に荒くなり、胸を押さえ、苦しみはじめた。posted at 18:18:05

ぜいぜいいいながら、ガマ口の中を覗きこみ、「ああ、まだニトロが残ってた」とつぶやく。ぼくは「これはいかん」と思い、「おばあさん、ちょっと待ってて。いま駅員さん呼んでくる」と言い残し、事務室へ向い、若い駅員に事情を説明した。彼とともに駆けつけると、おばあさんはまだ苦しそうだった。posted at 18:21:40

「おばあちゃん大丈夫?」と駅員が問いかける様子を見届けてのち、ぼくはその場から、そっと離れた。「気をつけてね」と心の中で唱えつつ、後ろ髪を引っ張られるような思いで、そこから去った。しかたないじゃないか、ずっと係わっていたら、仕事に遅刻しちゃうもんな、などと自己正当化しながら…… posted at 18:25:43

しかし、電車に乗ったのちも、老女のことが気がかりで、気が晴れず、重たいままだった。あの状態で、しかも目が不自由だろうに、無事に病院まで行けるだろうか?こんなことなら途中駅のT病院まで送り届けてやればよかったじゃないか、と後悔の念に苛まれた。しかし後の祭りだ。無事を祈るしかない。posted at 18:28:55

そして、中途半端な親切心を発揮するからいけないんだ、いったん親切にしようと決めたなら、無事を確認するまで全うすべきだった。駅員に任せっぱなしで、途中で見切りをつける優しさなんて、自己満足だし、欺瞞に満ちていると感じた。posted at 18:32:21

そして、こうも思った。《そういった中途半端な思いやりを、他人に発揮するくらいなら、どうしてオマエは身近にいる大切な家族のために、あるいは田舎に住む年老いた親のために、優しさを与えてやれないのだ?愛情を注ぐべきは、そちらのほうじゃないのか?》とも。posted at 18:35:19

偽善者だなオレは、と思う。こうやってツイッターに書き込んで、罪を贖ったつもりでいることが偽善的なのだ。posted at 18:36:26

ただ、今は朝に出会ったおばあさんの無事を切に願うのみである。

posted at 18:37:29

 

やめようかと真剣に考えたが、再開することにしました。

posted at 05:20:15

とはいえ、なにを書いたらいいのやら、五里霧中の状態。

posted at 05:11:14

簡単なことさ どうってことないよ 難しく考えないで たいしたことじゃないんだから

posted at 18:54:38

それでも、僅かだが内面に残っている「善」なるものを育んでいくより、他に方法はない。

posted at 07:26:13

 

東F中駅前にある中国料理店、「スンガリー飯店」。くるっと端っこの回った字体が印象的な看板の文字といい、黄色いストライプのテントの色あせ具合といい、いい塩梅に年季が入っていて、昭和っぽい郷愁すら覚える。怪しげな雰囲気の漂うビルだけど、ワンコインの定食もあるし、近いうち入ってみるか。posted at 18:20:39

で、「スンガリー飯店」のスンガリーってなんだろうと話題になったので、調べてみると、アムール川の支流で、ハルピン近くを流れる「松花江」のことを指し、満州国時代の日本人は、この川を「スンガリ川」と読んでいたらしい。posted at 18:28:01

ところで、East府chu 「スンガリー飯店」は、加藤登紀子さんの経営するロシア料理店、「スンガリー」と、関係あるんだろうか?なんとなく、あるような気がするのだが……。

posted at 18:31:19

 

霧雨のそぼ降る七月の朝。道を行き交う人の数も少ない土曜日。今日は七夕。

posted at 07:22:46

嗚呼しかし! 昨日間違えて洗濯槽にショルダーバックを落とし、携帯電話とMP3プレーヤーがお釈迦になってしまった。痛い、これはイタい。posted at 07:00:53

携帯はともかく、iリバー製のMP3プレーヤーは、十年間使っていて愛着があるだけにすごく悲しかった。頑丈で、何回落としても壊れなかったが、さすがに水没には敵わなかった。音も他のメーカーのものよりよかったのに……トホホ。これで通勤途中に音楽を楽しむことも叶わなくなった。posted at 07:05:00

だけど、音楽は耳の奥に鳴っている。意識の底に眠っている膨大な過去ファイルを掘り起こせばいいだけの話。そうすれば移動中ずっと音楽に浸っていられるさ。イヤホンしてなくっても、ぼくは音楽とともにあるんだ。

posted at 07:10:31

 

帰りしな、新聞販売店の軒先に、ツバメの巣を見つけた。菱形をした黄色い嘴が五つ、横一列に並んでいる。すると親ツバメが視界を遮るように、目の前を素早く横切っていった。子どもたちに餌をくれるやいなや、また食料を調達しに飛び去ってゆくのだった。posted at 18:51:23

ツバメの親子を見ただけで、今日は幸せだったな、と思える。

posted at 18:52:23

 

日中より頭の痛みが治まらない。目が霞む。耳鳴りがするというか、耳の内側が詰まった感じがする。少し歩くと、汗が噴き出して止まらない。水分をいくらでも飲めてしまう。ううう、やっぱりこれらの症状は……

posted at 19:04:50

今日の夕空は妙に明るくて、薄雲がかかっているのに真っ青に見えたり、ヤコブの階段が天上に伸びていたりして、妙にサイケデリックだった。……あーやっぱりオレ、熱にヤラれて頭がどうにかなってるみたいだ。

posted at 19:08:52

昨日は日中、ほとんどレッドゾーンに突入していたが、今日はイエローゾーンってところかな。直射日光をさらされ続けていると、やっぱり心拍数が徐々に増してくる。そうなったらいったん作業をやめて、水分補給をするしかない。めまいや耳鳴りは、幸いにも免れた。だいじょうぶ、昨日ほどバテていない。

posted at 19:02:15

駅のホームの自動販売機の中のバヤリーズの缶に描かれたオレンジの(一本の線で描かれた目でニッコリ笑った日本的なキャラクターの)画をじっと見つめているうちに「あーおれはあとどのくらい生きてられるんだろう」なんて突拍子もない考えが突如として浮かんできた。これはやっぱり暑さのせいかしら?

posted at 18:33:10

帰りの電車に 弥勒が降臨した もうお目にかかれぬと思っていたのに まさかの僥倖だ 髪を夏色に明るく染めていたが 見紛うはずがない あの静やかな佇まい 忘れるはずもない あの特徴ある耳のかたち 忘れようもない

posted at 18:31:14

 

子どものころ遊んだ、葦の生い茂る湿原は、半年もしないうちに宅地造成に均され、さらにその半年後、マッチ箱を並べたかのような公団アパートが、陽炎の立ちのぼる向こうに出現したのだった。posted at 04:30:22

いま、廃校と化した空き地を掘り起こしながら、昭和四十年代の、そのころを思いだす。雑草は蔓延り、木々は思うさま枝葉を伸ばし、陽光と雨のめぐみに、繁殖を繰りかえす。調査区設定のために、草を鎌でなぎ払うと、青臭い茎のにおいが、あたりにたちこめる。そのにおいが、記憶を呼び覚ますのだろう。posted at 04:37:21

翻って現在。高度成長の波に乗って建て並べられた公団アパートも、人口減少と伴うように老朽化が進み、やがては取り壊され、ふたたび更地になっていく。<物は壊れる、人は死ぬ、そういうわけだよママン>と、錆びついた鉄柵の傍を通り抜けながら、余所者のぼくは、ムーンライダーズを口ずさんでいる。

posted at 04:55:14

 

外に出て、駅へ向かうと、見慣れていたはずの街が、現実感を失って、どことなく余所ごとみたいな、異国のお祭りみたいに思えてきた。で、これは疎外感とは少し違うけれども、ぼくはその景色の向こうに立ちのぼるもうひとつの風景、80年代の精神のようなものを漂わせている、幻の街をそこに視ていた。

posted at 06:55:43

どこからともなく 夏祭りの音が 風に乗って 聞こえてきた

posted at 17:32:09

ハイビスカスの揺れている丘の上の小さな家で

マリアッチふうのオーソレミヨを流しながら静かに眠っていたい

posted at 20:59:08

花の名前を違えたけれど この誤解 解かぬがよかろう

posted at 03:12:33

森で唐突に出くわすと 意表を衝かれ どぎまぎする。

posted at 08:19:06

満月の夜にひそりと漕ぎだして 湖のまんなかに小舟を浮かべよう

posted at 02:27:30

天国と地獄の あの花はカンナだったよ

posted at 03:03:09

 

電車のドアの脇に凭れて、文庫本サイズの『トーマの心臓』を読んでいるひとがいたんで、いやぁオレも萩尾望都だい好きなんですよと、思わず肩を叩きたくなった(もちろん、心の中でつぶやいただけです)。開いているページをチラッと覗いてみると、ユーリとエーリクがフェンシングをするシーンだった。

posted at 17:25:59

 

急に誰かのことが気になって仕方なくて、とりあえず駆けつけてみた、って経験はないだろうか?posted at 17:14:46

あわてて駆けつけたあとで、何事もないことに安堵しつつ、ことさらに平静さを装い、あー別になんとなくただ近くに来たもんだから立ち寄っただけ、などとしらばっくれたりして。

posted at 17:18:31

 

路地裏の曲がり角で 蝉を咥えた黒猫に遭遇した まだ生きているアブラゼミは 盛んに翅をばたつかせている 黒猫は黄色い瞳でこちらをジッと窺っていたが おれには奴がどことなく自慢げで 不敵な笑みを浮かべているように思えた

posted at 07:03:55

路地裏の曲がり角に親子の黒猫。親猫はこないだセミを咥えていたヤツだ。今日は仔猫が息絶えたアゲハチョウを玩んでいる。そのさまを母猫はジッと見守っている。

posted at 18:30:47

塀の上で寛いでいたキジと黒の二匹の猫の背後からそっと忍び寄って ひと撫でしてやったら 彼奴等しまった!とじつに悔しそうな顔をしておった。いやあ愉快ゝゝ。

posted at 18:15:46

 

あっちこっち跳ねまわって。ほうぼうで笑いをかって。でもいいんだ、恥ずかしかないさ。

posted at 07:12:39

もう少し時間が欲しい。ぼくは三十分もあれば、なにかしら書けるから。

posted at 17:42:08

本屋でかかっている音楽に耳を奪われた。ピアノ弾きがたりの静かな歌である。か細い歌声、テンポ・ルバートの感じ……知っている曲の筈だのに誰だか思いだせない。しばらく聴きいって、後半のドラムがリズムを繋ぎとめる箇所にきて、ようやく判った。レディオヘッドの「ピラミッド・ソング」だと。

posted at 17:16:10

帰り道、秋の夕映えを見あげながら、思わず鼻歌を歌っているぼくだが、最近とみに口ずさむのが、「スコットランドのつりがね草」だの、「ロンドンデリーの歌」だの、「金婚式」だの、「金髪のジェニー」だの、校内放送なんかでかかっているような、いわゆるセミクラシックの系統なのである。なんでだ?posted at 18:20:59

郷愁を感じるメロディーという共通点が、いま挙げた歌どもにはあるけれど、欧米の民謡をベースにした旋律に、しみじみとしてしまうのは、これも戦後教育の、刷り込みの成果なんだろうか?posted at 18:23:39

伴奏ナシでも、旋律だけで成立してしまう強みがあるんだよね。鼻歌を歌っているだけで、充足を感じる「うた」っていうのは。複雑な思いがするけど、そいつは認めなくちゃならない。posted at 18:26:23

フォスターは、好きだな。「金髪のジェニー」のメロディーは飽きない。「夢路より」もいいな。CMなんかでさんざん安っぽく使われちゃったけど。ぼくはあのうた、フォスターが酔っ払って作曲したんじゃないかと想像しているんだ。なぜって泥酔して帰ってきたとき、ぼくはいつも、あれを口ずさんでる。

posted at 18:30:42

金木犀の匂いが漂ってきた 懐かしいひとの香りを思いだした

posted at 18:35:48

小雨に濡れる曼珠沙華 彼岸の花を此岸より眺むる

posted at 18:44:15

 

最近になって、椎名麟三のことが気になりだし、全集を読んでいるのだが、仕事先の現場の隣に、教会があるのは、まったくの偶然。とはいえ、曇天に煌めく尖塔の十字架を仰ぎみるたび、趣が増すというのもなんだが、書かれた主題のイメージが増幅される。

posted at 04:56:05

街路樹よりも早く 街が茶色く色づいている 栗色のざっくりしたセーターが 足早に目の前を通り過ぎてゆく

posted at 17:38:40

読書の秋。電車の中でも本を読んでいる人が多いと感じる。左隣の紳士は中薗英助の「密猟区」を、右隣の淑女は歌野晶午の「葉桜の季節に君を想うということ」を読んでいる。偶然にも二冊とも、前に読んだことがあるので、字面でわかった。ぼくはといえば、安野光雅の旧い本、「空想工房」を読んでいる。

posted at 18:18:57

最近通勤中読んだ本の中でダントツだったのが、ウェブスター作の「あしながおじさん」(福音館書店版)である。この年齢になるまで読んだことがなかったのだが、あまりの面白さに一気に読了してしまった。中年男が「あしながおじさん」を読むの図は、いささか気持ち悪いだろうが、ま、いいじゃないの。

posted at 18:23:23

帰りの電車はひどく混んでいた。コンコースの雑踏も人出に溢れていた。金曜日の夕方は活気に満ちている。その喧騒を潜りぬけて、ぼくは帰途に就く。

posted at 18:13:02

 

昨日はS並区はサンライズの近辺で働いていたが、「不要になった家電を回収」するトラックが巡回していて、アナウンスのBGMにテディ・ペンターグラスの『Do Me』の例のリフ(ヒゲダンスのアレ)を大音量で流していたんだけど、8小節間のループの上に16ビートのカッティングが被さっていて、posted at 05:21:20

そのリズムがルーズなギターのカッティングは、あきらかにシロウトがオーバーダビングしたものだったが、チューニングも甘めなそのフェイズがかった音色は、トラックが遠ざかるにつれ、いい具合にサウンドスケープに溶けこみ、まるでカーニバルでのスティールパンのような音に聞こえたのだった。posted at 05:28:32

これもまた位相の転移の一変種。ドップラー効果倍音の増幅と減衰。白昼の住宅街に遠ざかっていく祝祭の幻視。

posted at 05:36:51

 

オレンジ色の三日月が 西の空に鋭く冴える あまりにも細いので どうしても二重に見える さらに中空を見あげれば三角 たぶんそうだと思う冬の大三角

posted at 06:56:53

修辞も比喩も暗喩も仄めかしも何もないフラットな言語社会 人と人との関係性にのみ注視し ソリッドに情景描写を極力排除する 受け取る側のニーズに応えるのに腐心し 感情の揺れ動きのみを正確にトレースする その対価に与えられるのは「共感」の二文字 ぼくらを取り囲むのは情緒なき言の葉の羅列

posted at 07:07:52

 

逢魔が刻、上品そうな老夫婦が散歩していた。バーバリーツイード地のジャケットを着たご主人が、車椅子を押している。座っている奥さまに、ご主人は熱っぽく語りかけている。その話の内容が興味深かったので、ぼくは思わず、耳をそばだてていた。以下その内容を記す。どうか誤読なきよう願いたい。posted at 06:44:34

老紳士「お前ね。ここ二十年間の日本経済はがたがたで、どうしようもないとされてきたんだが、それは違うんだよ。ぼくは新聞の経済面にずっと目をこらしてきたから判る。日本はいま、低迷期を脱した。これからは飛躍の時だよ。ねえお前、日本はまだ捨てたもんじゃなかったんだよ」posted at 06:48:49

老紳士「日本はね、これから良くなるよ。いままではアメリカの言いなりだったけれども、最近のアメリカにはかつての勢いがないんだよ。しかしね、日本は違う。これから金融緩和なんかの政策が効けば、もっと良くなるだろう。これからは日本がアメリカに代わって、世界の経済を牽引してゆくんだ」posted at 06:52:24

 老紳士「ぼくはね、ずっと新聞の経済面をじっくりと読んできたんで、それが分かるんだよ。ねえお前、日本は凄いよ。日本は世界のリーダーになるんだよ。いままで辛かった時期も、もうじき脱出できる。そして日本国民みんなが、幸せに暮らせるんだ。ぼくは最近ね、そのことを確信しているんだ……」posted at 06:56:18

老紳士の熱っぽい口調に、車椅子の夫人は、「ええ、そうですか」、「ほんとうに……」、「そうだとよろしいですわねぇ」と、頷くばかりだった。ぼくは彼らとしばらく並走して歩いていたのだが、だんだんご主人の主張を聴いているのが辛くなってきて、足早にその場を逃れるのだった。posted at 06:59:04

老紳士の語る日本は、ぼくの視ている、あるいは視えている日本とはまったく違う。はたして彼は、ほんとうに自分の喋っていることを、真実だと考えているのだろうか。あるいは理想を述べているのか。それとも、気休めに過ぎないのか。先の不安な奥さんを、安心させたいがための「優しさ」なのか?posted at 07:03:02

わからない。わからないが、ぼくは老紳士のことばを聞いていて、むしょうに哀しくなった。そして、その哀しみの源をたどっていくと、国家と自分との関係という問題に否応なしにつきあたる。ぼくは彼のように、日本という国家の安泰が自らの幸福に直結するという志向というか思想が、欠如している。posted at 07:08:43

日本が良い国であることが望ましい。もちろんそう思う。しかし自分の属している国だけが栄えていれば、それで済むはずもないし、それで幸せだとは、とても思えない。……あーまたしても、抱えきれぬ問題を抱えたまま、結論を書かないまま、持ち越してしまう破目になった。申しわけありません。

posted at 07:15:34

しごく簡単な総括:畢竟ぼくは、国家を自己と同一化できない。つまり、アイデンティファイできないことを改めて自覚したということ。(念のため言い添えておくと、老紳士のことは嫌いじゃない。むしろ好もしく映った。かれのような思いやりのある老人になりたいと思うほどに。)

posted at 18:27:43

 

緩やかに 弧を描き 螺旋状に 旋回しながら 舞い降りる 扇の葉 ときおりに 錐もみ状に 急降下 あれはおれ

posted at 05:11:55

今週の空はあまりにも高く 気が遠くなりそうなほど青い 突き抜けてしまいそうな空の青を これほど見あげたこともない

posted at 17:57:20

何年間も、外で働いていると、しぜんと気候の変化に、敏感になる。たとえば雨が降るとき、ぼくはその予兆を感じとる。肌にまとわりつく風が、しっとりとし、ひんやりとする。そんなふうに、感覚は経験によって、鋭敏に研ぎ澄まされるものだ。鈍らせないようにしよう、次に吹く風を、確りと捉えるんだ。

posted at 19:05:33

 

仕事の帰りに、茨木のり子さんの家を訪ねた。ぼくが文芸を好きそうだからと、N市の調査員の方が、道を案内してくれたのだ。A街道から歩いて二、三分、S遺跡公園そばの細い坂道を下りてゆくと、うっかり見落としてしまいそうなほどこぢんまりした一軒家が、夕映に照らされ、ひっそりと佇んでいた。posted at 04:08:11

白い外壁の、ピロティ形式の家屋は、雨戸を閉ざされており、人の住む気配はなかったが、駐車場も庭も、きれいに掃き清められていた。玄関灯や扉の意匠が、控えめながらもしゃれており、路地からうかがうだけでも、家の中が想像できた。『茨木のり子の家』という本に、部屋の様子が載っているそうだ。posted at 04:24:00

茨木のり子の家』の庭には、八朔と思われる柑橘が、たわわに実っていた。ふと、(この町の)文化財として、この家が保存されればいいのにな、と思った。この家は、詩人の常設展示館として、ちょうどよいサイズである。もちろん(権利・予算・地域の理解など)簡単なことではないとは承知のうえだが。posted at 04:55:39

わたしが一番きれいだったとき だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなくて  きれいな眼差しだけを残し皆発っていった(茨木のり子 「わたしが一番きれいだったとき」より、第三節を抜粋)

この詩は、いまでも国語の教科書に載っているんだろうか?

posted at 05:12:30

 

長谷川四郎を、読みかえしたくなってきた。あの研ぎすまされた、文体を、寒空の下で。

posted at 04:16:18

岩田宏は、思潮社から詩集も出ているれっきとした詩人だが、個人的には詩よりも小説の方をおもしろく感じる。彼の小説はどれも長編だが、重くなく、透徹した文体と相俟って、どこか他人事のように飄々としている。そこが同じく北海道出身でロシア語翻訳家でもある、長谷川四郎の小説に通じるものがある。posted at 15:00:03

岩田宏の小説を一時期まとめて読んだことがある。のっぴきならない状況や事情がそこに描かれているのにもかかわらず、読み応えは驚くほど淡泊なのである。草思社より分厚い本が何冊か出ているが、『なりななむ』や『息切れのゆくたて』がぼくの気に入った。posted at 15:05:47

年末の買い物に出かけなくては。

posted at 15:07:01

 

星のひとつも見えず 月も現れぬ コールタールで塗りつぶしたように 奥行きのない無明の空

posted at 05:12:28

わたしたちは穏和な羊の群れ 首に鑑札をぶらさげた 牧童は見あたらず 囲う柵も存在しない 一見自由に動き回れるように 錯覚しがちだけれど 行動範囲も言動も すべて見張られている 蓄積されたデータと 照らし合わせば済むから 放し飼いにされている 不穏当な発言を控える わたしは一頭の羊

posted at 04:25:32

たぶんぼくはロックを文学的に捉えている だからコードの檻から逃れられないのだ

posted at 04:43:25

夕刻の街を歩いていたら、或る店先から懐かしい音楽が聞こえてきた。しばらく立ちどまって耳を澄ましていたが、誰の曲だったか、思いだせなかった。ふたたび歩きだし、しばらく経ってから、漸く思いだす。ロン・セクスミスのファーストだと。発表されたころよりも今のほうが、曲の良さがわかる気がする。

posted at 04:16:00

真新しい電気機関車が 工場の引き込み線から ゆっくりと近づいてきた 汚れのない地銀と 赤い車体の色が まだ残雪の残る構内の線路に 眩しく映えた モーターの振動と 低い唸りが ホームのこちらまで 伝わってきた

posted at 18:30:54

 

先だって、まだ雪の残る畑に、餌を啄む一羽の、白い中型の鳥をみた。頭頂は赤く、丸みを帯びた体形をしており、胸には黒い三角形の斑紋が散らばっている。啄木鳥の仲間、ひょっとしてアオゲラじゃないかしら。そう思ったが、調べることもなかった。名前を確かめて、わかったつもりになりたくなかった。posted at 05:05:03

名前を知って、納得し、それで済ましたくなかった。ただ、気に留まったことを、ぼくは覚えておきたかった。啄木鳥は幹を叩いている印象が強くあるけれど、そうではない状態が、じっさい多いんじゃないか。丸くこぢんまりした鳥の姿をみて、あれこれ思いめぐらすほうが、重要なことのように思えたのだ。posted at 05:19:14

思考停止ではない。むしろ活発に働いている。認識とは、情報の蓄積ではない筈だと。

posted at 05:23:42

雪をはらんだ雲が 西から押し寄せてくる 頬を刺す風が 坂道を突きあげてくる 木々ざわめき 枝が撓い 梢を揺らし 焦げた葉を降らす 送電線が震え 鉄条が唸り ビラ吹きすさび 旗はためく 道に佇み 不穏な雲のかたちを 見つめる男の傍を 怪訝そうな顔した通りすがりが 足早に駈けてゆく

posted at 03:24:37

路地に面して、防犯用のライトを向けている家がある。お勝手の扉の上に設えられたセンサーがカツッと小さな音をたててスイッチが点り、辺りをパッと照らしだす仕組みだ。毎夕ぼくは萎縮してしまう。ただの通りすがりです、と心中となえながら足早に通り過ぎる。こういうことには、どうしても慣れない。

posted at 18:16:37

 

快晴。清掃工場の煙突からたなびく煙の向こうに、箱根の峰峰や白い富士の頂がはっきりと見渡せる。posted at 07:49:29

しかし、そのはるか上空に、長い尾の対潜哨戒機が、低くくぐもったタービン音を、地上にまで轟かせている。

posted at 07:51:12

丸々と肥った月が、ちぎれた雲々を、明るく照らしだしていた。

posted at 03:26:01

一度解いた紐を結わえなおすには、あまりにもバラバラで、纏まらないのである。

posted at 18:34:24

  

ぼくは自称「歩きの達人」で、多少の距離など苦もなくすたすた歩いてのけるのだけど、いわゆる「ファスト風土化」した四車線の道路の歩道なんかを歩いていると、寄る辺なく、途方にくれたような、心もとない気持ちに襲われる。自家用車から降りて、そのまま店舗に入れば、なんてことないんだろうけど。

posted at 07:28:11

福音がもたらされたっていうのに状況は依然として厳しい。

posted at 05:11:43

つべこべ泣きごとぬかさず、なんとか現状を打破するより他ない。

posted at 05:14:09

さいきんは鳥ばっかりみている。なまえもずいぶん覚えた。かわいらしい鳥もふてぶてしい鳥も、みなそれぞれに趣があっていい。今朝は川べりの水鳥たちの飛翔をみた。一羽のコサギが先頭きって水面すれすれに白い姿を滑らせば、マガモが四羽、それに付随するように翼を羽ばたかせて飛びたっていくのを。

posted at 18:31:59

年貢の納め時っていわれても納める年貢がこちとらねぇんだ。

posted at 05:20:25

昨日は野老から聖蹟桜ヶ丘まで自転車で通勤してみた。ママチャリなのであまりスピードは出ない。往復とも1時間40分くらいかかったが、帰りは緩いながらも上り続きで帰り着くころにはへとへとになった。運動量よりも交通の緊張が疲れを倍加させる。のんびりとペダルを漕ぐふうにはいかない。懲りた。posted at 04:12:13

だって、自転車の運転中って気が抜けないんだもの。意識を逸らせないよう集中してなきゃならんし、うっかり余所見や考えごともできないし。やっぱりおれは呑気に歩くのが性に合ってる(あ、でも甲州街道を横切るとき、新宿方面にまんまるな月がぽっかりと浮かんでるのを見たけど、いい感じだったな)。

posted at 04:24:59

月日の流れは歳をとるごとに早く感じられるね。マンの「魔の山」が示すごとく。らせん状に。

posted at 04:14:45

さいきん鳥の名前をずいぶん覚えた。あの橙色に白い斑点はジョウビタキのオスだな、とわかるくらいには。

posted at 04:39:16

フツーでいいよといってはみたが、フツーがいちばんむずかしい。

posted at 18:07:26

同僚と川原に下りて、昼ごはんをたべた。うわさ話にばかりかまけて、春の風情を味わなかった。

posted at 18:26:06

帰りしな、人の親切に触れた。不覚にも、涙が出そうになった。

posted at 18:27:25

どれもがなつかしい。ノスタルジーの海に溺れそうだ。

posted at 04:48:34

あのころのぼくは、屈託のない、素直ないい子だった。

posted at 05:00:55

いいわけを、ぐっとこらえて、噛みしめる。

posted at 07:12:46

透明になりたい。遠浅の海のように。

posted at 18:39:54


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このあと、書くことがなくなってしまったぼくは、ツイッターを中断した。再開するのは三ヵ月後、そのあいだ、どうしていたかというと、このザマだった。

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

今回のタイトル『サウダージ』は、ポルトガル語の「郷愁・憧憬・思慕・せつなさ」を指す、サンバやボサノヴァによく使われる語句でありニュアンス。読んでいただいたらわかるだろうけど、この男はしょちゅう感傷的に「寄る辺なく」とつぶやいてますね。格好つけていえば、Man Of Constant Sorrow.ってやつだ。

あ、文の一部や文字は整えております。順番も多少入れ替えた。