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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

【お知らせ】5年前のmixi日記を公開しました。

 

 2010年~2011年に書いたmixi日記を「みんなの日記」として公開しました。

 f:id:kp4323w3255b5t267:20150525122134j:plain イワシの自撮り①。2010年12月1日、国分寺・風致保安林。

 

 アーカイブ作業ばっかりやっているように思われるだろうけど、過去に書いたもののなかにも発見があるし、気づかされる点も多い。とりわけ「マイミク」と呼ばれるmixiの知人たちからたまわった、さまざまなコメントないし意見は、その後のぼくの考えを形成するのに大きな影響を与えている。

 プライベートな情報が多く含まれているものはやむなく除外したが、その他はほとんど「みんなの日記」としてオープンにした。これでぼくの、2010年の11月から2011年12月までの思考の推移を俯瞰することができるだろう。

 ちなみに最後の7つのエントリーは、Twilogに収録されていない最初期のツイートをコピーしたものである(面倒くさいので編集はしていない)。これでインターネット内にぼくが発表した文章のほとんどは網羅されたことになる。

 このなかで、浅間山で目撃したU.F.Oの話 kp4323w3255b5t267.hatenablog.com や、漫画評論家Yさんのアパートに居候した思い出 kp4323w3255b5t267.hatenablog.com や、震災直後の南武線の輸送状況を描写したもの kp4323w3255b5t267.hatenablog.com や、エルトン・ジョンにかんしての愚考と松っつんとの会話 kp4323w3255b5t267.hatenablog.com や、地域社会と市民にかんする考察 kp4323w3255b5t267.hatenablog.com は、既にコピー&編集したのち当ブログに記事として載せた。が、それ以外にもいくつか読んでもらいたい記事があるので、ここに貼りつけておきます。

 

鉄塔 武蔵野夫人 | mixiみんなの日記

 小説の一部分を抜き書きしたのはこれが初めて。個人的には、この二つをセレクションしたことが興味深い。

国分寺探索−無人販売所 | mixiみんなの日記

 痕跡はないが、この記事、なぜか「日本大好き!」な方々に好まれたようである。

③ ロックンロールにゃ老いだけど、死ぬにはちょいと早すぎる。 | mixiみんなの日記

 これを掲載したとき、「ずいぶんあけすけですね」と云われた。でも、自分では正直な心境告白だと思っている。それに、貼った映像が好きなんだよ、何度観てもね。

④ 絹で表される世界 | mixiみんなの日記

 今回、mixiを引っ張りだしたのは、このエントリーを読み直してみたかったから。山田太一の引用と、マイミクさんのコメント「ウィーン・フィル・サウンド」を確かめたくて。

【追記】この記事は、最近ぼくが感じていることを簡潔に述べているので、表に掲載します。以下コピペ。

 勘の良いかたなら、すでにご察しのことと思いますが、じつはそれほどクラシック音楽に明るくない。ぼくは10代をロック漬けで過ごしたし、クラシックを旧態依然の音楽ジャンルだと決めつけて聴かずに過ごしていた。そのころの貧しい認識は、次に抜粋した文章とひじょうに似通っている。 

< しかし謙作は一向に曲の中に入りこめなかった。つまらない曲に思える。どこが楽しいのか分からない。ブラームスについてはなにも知らないが、名前は聞いている。大作曲家の筈である。その人の交響曲ならおそらく名曲というような評価があるのだろう。しかし目を閉じて曲の流れに身をまかせようとしても一向に快感がなかった。のんびりしていたかと思うと、大げさな合奏になる。妙に甘い音を出す。おそらく指揮者も演奏家もいい年をした男達の筈である。そういう男達が、こんな音を出すために寄ってたかって労力を使っていることが馬鹿馬鹿しく思えた。>山田太一岸辺のアルバム』より

 あらかじめ断っておくが、これは小説上の仕掛けである。ここで謙作が文句をつけたい対象は、『交響曲第二番』や楽団員にではなく、そのレコードを贈った妻の浮気相手と、ヘッドホンして、目を閉じてうっとりとレコードに聴きいっている妻に対して、である。さすが山田太一と唸ってしまう場面ではあるが、それはさておき―― 

 20代半ばまでクラシック音楽をひたすら回避していたが、フランク・ザッパトッド・ラングレンの楽曲に興味を抱くようになり、それまでのように、和音や音楽の構造などが感覚だけでは理解できなくなってきた。彼らのバックボーンにクラシック、それも近代~現代音楽の影響が顕著であることはうかがい知れた。そこんトコもっと知りたい、という知識欲が、ぼくをクラシック音楽の勉強へと向かわせたのである。 

 今後おいおい書くことになるだろうが、地元の音楽大学に通って得たものは、それほど多くない。ぼくはパーカッションを専攻したが、ドラムロールすらまともに敲けないほど酷い腕前だった。楽理・楽典も理解したとは言い難いし、楽譜の読み書きができるようになったのは、楽器メーカーに就職した後、実地で身につけたものだ。 

 それでも、音楽学校で学んだ多くの楽曲、また、その環境で見聞きしたさまざまな経験が、ぼくの音楽観および芸術観を大きく変えた事実は否定しようがない。地方とはいえ、クラシックが演奏される現場に身を置いたことで、クラシックに対する見方も完全に変わった。もっと踏みこんでいえば、好きにならずにはいられなかった。 

 もちろんクラシックの現場におけるさまざまな厄介ごと――すなわち噂話・羨望・嫉妬・社交儀礼・虚栄・欺瞞・嘲笑・おべっか・へつらい・馴れ合いetc……には、じゅうぶん辟易させられたが、それでもクラシックを聴き、クラシックを演奏する瞬間に「いいなぁ」と感じた経験こそが、ぼくの偏見を打ち砕いてくれたのだ。 

 偏見――それはクラシック音楽を「鼻持ちならない」と思っていたことに他ならない。 

 クラシックを取り巻く状況をひとことで表すとすれば、それは「絹」だ。絹に包まれた世界、素朴とはほど遠い、装飾と豪奢にまみれた世界。着飾った紳士淑女が、うわべだけ取り繕って、澄ました会話と愛想笑みを浮かべている……そんな彼らが身にまとうものはきまって「絹」。 

 だが待てよ。絹そのものに罪はあるのか? 絹の布地が高級なのは事実だけれど、元をたどれば蚕の吐いた糸じゃないか。絹を紡いで織った光沢のあるドレスが美しいことを、ぼくらが否定したがる理由とはなんだろう? 

 一生手に入れられなさそうだから? 身にまとえないから? 

 木綿や化繊ではどうしても表現できない、絹でしか表せない分野がたしかに存在する。それは音楽のみならず、絵画や文学といった他の領域にも存在するし、人の営みに欲望がある限り、それを表現するため、より滑らかで、より艶やかな素材を求め続けるだろう。そしてそれは、贅沢のひとことでかたづけられるものではないのだ。 

 クラシック音楽の敷居の高さは、ごく表層的なものだ。たとえばグスタフ・マーラー交響曲を一聴すれば、なるほど絢爛豪華このうえないが、さらに注意深く耳を傾ければ、マーラー特有の陰影のある響きが、次第に姿を現しはじめるだろう。おそらくそれは絹でつつまれていなければ、正視できないほど陰鬱な実像なのかもしれない。 

 絹を侮ってはならない。表層の下に隠された本質を見極めるためにも、絹におおわれた肉体が露わになるときを、どうか見過ごさないように。 

 

《コメント》

「絹」と云うと、どうしてもウィーン・フィル・サウンドの代名詞って事が頭に浮かんでしまうけど、確かにクラシック音楽全体をそう形容出来ますね。 

例えばストラヴィンスキーがバーバリズムだとか云われるけど、それは絹をまとったバーバリズム。だからこそ、アカデミックになれたのかも知れない。 

クラシック系音楽家達の、絹をまとう為の気が遠くなる程の努力。尊いです。

2011年01月07日 00:15

 

《コメントの返信》

いつも真剣に読んでくださり、ありがとうございます。 

ぼくは「春の祭典」を聴くたびに、思考実験をしてしまいます。 

自分があの時代にパリでの初演を観ていた聴衆のひとりであったとしたら、と。 

その野蛮さに怒りだした観客に付和雷同していたのではないか? 

少なくとも不協和音と変拍子の嵐に当惑し、音楽を正しく受け入れられなかったのではないか、と。 

ずいぶん前に、かの黛敏郎氏がテレビ公開番組で激高しているのを目にしました。 

野卑なリズム、米搗きバッタのようなダンス、あんなものが音楽と呼べるであろうか!」 

おそらくロックやポップスを指弾していたのだと思いますが、オペラのアリアが演奏されたあとに、とつぜん脈絡もなく喚きだしたので、異様に映りました。 

新しいものを拒絶し、かつて柔軟だった思考が老化とともに硬直する。そうはなりたくありません。 

ぼくが聴く範囲を限定しないようになったのは「春の祭典」にめぐりあってからです(「スキタイ組曲」も)。 

2011年01月08日 03:21

 

⑤ オンド・マルトノを「絶滅危惧種」にするな | mixiみんなの日記

 このころからツイッターと内容が連動しはじめた。そして、見知らぬ人たちからのスリリングな意見に、こころ傾いていくようになった。

⑥ 統制型二型・竹製 | mixiみんなの日記

 たぶんmixiに書いた日記のなかでは、コメントを含めていちばん好きなエントリー。

⑦ コード・チェンジ | mixiみんなの日記

 これは本文よりも、マイミクさんのコメントとそれへの返信がおもしろい。

⑧ 塀の上で | mixiみんなの日記

 当時の「状況」がよくつかめる。これも本文よりもコメント欄のやりとりが重要。

⑨ 猫のゆりかご | mixiみんなの日記

 これもだ。コメントと返信が内容の整理と意味の強化につながっている。それがmixiの強みだと承知しつつも、少しシンドく感じてきたのも事実だ。

⑩ In The Musicals (Dancer In The Dark) | mixiみんなの日記

 もちろんマイミクさんは、そのことを敏感に察知してくださっていた。しかし、このころの高揚感・研ぎ澄まされ感(錯覚かもしれないが)は、その後なかなか味わうことができない。

⑪ フィル・コリンズ讃 | mixiみんなの日記

 そして3.11。その日の朝にぼくは、こんな日記を投稿していた。

 

 震災以降、ぼくはmixiへの興味を失ってしまう。その後書いた日記には情熱が欠けており、文章に精彩がない。つまり本気でmixiと向き合っていた期間は、わずか五ヶ月弱なのである。

 しかし、この五ヶ月間を経たことで、ぼくはインターネットの荒波(笑)に漕ぎだす準備ができたと思っている。mixi日記での穏和なやりとりは、ある意味、学校のようだった。 

 f:id:kp4323w3255b5t267:20150525120451j:plain イワシの自撮り②。2010年11月26日、板橋区志村坂上 

 

 例によってユーチューブからたくさんの音楽映像を引っ張っては貼りつけている。

 今回ざっと聴きなおしてみて、いちばん「いいな」と感じたのは以下の歌だった。

⑫ シマロンの薔薇によせて | mixiみんなの日記

www.youtube.com

 とくにPOCOのヴァージョン。ラストを締めくくるのにふさわしいじゃないか。