鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

コンサバティブ

 ぼくはかなり様式を重んじ、形式に沿った表現を好み、厳格な書法に則ったものを尊ぶ傾向にある。そういった意味ではコンサバティブなタイプだと言えるだろう。 

 昨日は激しく落胆した一日だった。コンサバティブなマニアたちは冷笑という名の仮面を被っていた。趣味嗜好が共通だとして、それがなんだというのだ。心あたりがあるなら、ぼくを序列から外してほしい。正直なところ失望しているから、追わないでもらいたい。
 やっぱり幻想を抱いていたのだろうか? 趣味嗜好が近しい者どうしは価値観も共通すると錯覚していたのだろうか?
 昨日、その断層が露わになった。
 ぼくはおのれの保守性、枠外からはみだせない性質の限界についてはじゅうぶんに自覚しているつもりだ。しかし、趣味性に拘泥するあまり、自分の理解の外にある思想を排除しようとする、きみたちの心情は首肯できない。
 趣味性に埋没し、惑溺するのは愉しいことだ。なにも無理やり社会の動静に言及する必要はない。中途半端な論いはつまらない。適当な印象で分かったふうを装うのはみっともないからやめたほうがいい。思想に絡めとられまいと頑なに構え、自らの視野を狭めていることに気づかないでいるのも、偏った姿勢であるとは思わないか?
 いったいなにを怖れているのだ。自分のこしらえた牙城の一角が損なわれるとでも思っているのか。価値観がぐらつくことに脅えているのか。ぼくにはそのへんがまるで理解できない。
 変えなくていい、変わらなくてもいい。ずっとそのまま変わらずにいればいい。だが、新しいものを忌避し続けている限り、きみは大切な何かを損なっていくだろう。
 未知なるものへの好奇心が、きみたちのいまに到る趣味嗜好を形成してきたんじゃないのか?
 ぼくはコンサバティブだし、きみたちもまたそうだ。そしてこのことはずいぶん前から気づいていたことだ。予感はうっすらとあったが、それが今回あきらかになってしまった。きみたちの安全は約束されたものではないし、永久の不変が保証されているわけではない。だからこそさまざまな価値観に翻弄されたほうがいい。これからは多少の違いだったら認めあったほうがいい。
 偉そうなことをいったが、ぼくに説教を垂れる資格はないし、きみが好みを改める必要もない。ただ、ちょっとだけ考えてみてほしい。きみたちの純粋志向は、ともすれば動脈硬化に陥りがちだから。Watch Out!
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 あらゆる事象から等しく距離をとるなんて不可能なことさ。