当ブログ『鰯の独白』にコメント欄を設けないわけは当初からの方針で、一方通行のメディアを持ちたかったからです。エラそうにと自分でも思いますが、双方向のツールとしては既にTwitterを利用している。ご意見無用、とまでは言わないので、感想は @cohen_kanrinin (当時のアカウント名)にお寄せください。よろしくお願いします。
四、五年前にしばらくmixi日記をしていたときは、コメント欄に返信を書くのが楽しみだった。知った人がほとんどだったからという理由もある。それでも、返事には時間を費やすし、ともすれば本文をしたためるよりも労力を使った。そしてコメントに返事するのが次第に億劫になった。簡便なTwitterに逃れたのは、消耗を避ける意味あいもある。
それと、良質なブログが無責任なコメントへの対応で荒んでいく例をいくつか見ていた。ブログを始めるからには細々ながらも長く続けたかった。それでなくてもぼくは打たれ弱いのだ。たんなる罵詈雑言なら馬耳東風と聞き流せるほどには面の皮も厚くなったが、なまじ的を射た批評が来ると、かなり堪えるし、凹む。途中で挫けないための方策として、コメント無効を選んだという次第。
手前勝手だなあと自分でも感じるけど、どうかご理解ください。
「オロカメン」を。
子どものころ、ジョージ秋山のマンガは苦手だった。読んでいて居たたまれなくなる。だけどこの齢になってみると、不思議と心に残ってるんだな(あと、楳図かずおなんかも)。ジョージ秋山を見直したきっかけは、小沢一郎が好きなマンガに「浮浪雲」を挙げていたからで、へえ意外だなって感心したからなんだ。
脱線したけど、こないだ(ネット外で)リアルに小沢信者と称されて、なぜかこそばゆくも嬉しくなった、鰯の独白でした。
下コマが主人公のデロリンマンね。
あ、断っておくけど、おれは野暮だよ。「洗練された」、は勘弁な。
ま、いいけどサ(ト、橋本治ふう〆)。
【追記】
ぼくのマンガの師匠(故人)が、ジョージ秋山とマンガについて、興味深い話をしたことがある。
「うーん、どれも違いますね。少なくともかわいい絵柄にはみえない」
「ふつうそう思うよね。でもね、ジョージ秋山のマンガの世界の中では、恋子も、野理子も、可愛くって蠱惑的な、最高の美女なんだよ。というか、そう読まなきゃならないんだよ。マンガの絵は紙に描かれた記号にすぎない。けれども、その記号に命を吹きこむのは、読者の主観だよ。ジョージ秋山のマンガは能動的に読めば読むほど、おもしろみが増してくる。そしていつの間にか、かめさんが可愛らしく思えてくるんだ」
訃報に触れ、そんな思い出がにわかによみがえったので、忘れないうちに記しておく。