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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

岩崎宏美 『未来』

 

 毎度の訪問、ありがとうございます。これはぼくからのささやかなお年玉。

(左側のオケの配置からして「紅白歌合戦」か? アップありがとうございます!)

 

 元旦、Twitterで自分のほんとうに好きな音楽をYoutubeから貼りつけて悦に入っていたところ(イワシ タケ イスケ(@cohen_kanrinin)/2015年01月01日 - Twilog を参照)、どこからともなくこんな「ささやき」が流れてきた。「ふーん外国の、しかも西洋圏ばっかりな」。そこでテレサ・テンを掲げた。するとさらなる「つぶやき」が宙を舞っていた。「結局、日本人ひとりも居ねえじゃん」。ぼくは「どうしたもんかな」と独りごち、誰を挙げたら前掲した世界的な女性歌手たちに匹敵するだろうかとしばし考えた。美空ひばり山口百恵越路吹雪中森明菜か。いいや、悪いがどれも好みではない。それ以降の歌手にも興味はないし、さて困ったぞと悩んだ挙句、どうせならいちばん自分の好きな女性歌手を選べばいいのだと思いなおし、岩崎宏美の『未来』を貼りつけたのである(上の映像と同じ)。

『未来』は遜色なかった、前に掲げた7人に、「歌唱力」という一点では互角だった。

  そしてこうツイートしたのだ、

日本人はいないのか、だって? いや、コレくらいの凄玉が出てきたら、おれもTVに食らいつくよ。

  と。

 

 岩崎宏美がとんでもない歌手であることは論を待たぬが、私的にはデビューから2,3年にかけてのあいだに最も鋭い切れ味を感じる。出世作『ロマンス』も、もちろん素晴らしいが、ぼくが『未来』と同じくらい好きなのが、この歌。

(削除されました)
 岩崎宏美 想い出の樹の下で - YouTube

(「スター誕生」での収録。音質・画質・演奏・歌唱、いずれも素晴らしい!)

 どちらも「夜のヒットスタジオ」からの映像だけど阿久悠の象徴的かつ理詰めな歌詞を岩崎宏美がのびのびと歌っているのがよくわかる。バンドがドライヴしていて、岩崎の発声とばっちりシンクロしているのだ。司会の井上順は一貫して道化を演じているが、じつは(スタジオに居る誰よりも)岩崎を認めているのが伺える。もう一度、上の『未来』の最後の静止画を観てほしい。ホンキで賞賛しているのがわかるから。

『未来』の映像はYoutubeにいくつもあって、どれもが甲乙つけがたいのだけれど、ホントは「夜ヒット」に、もっとアッパーなブツがある。1番2番のさび末尾、「白い部屋――」の「やー」や、「青い道――」の「ちー」が、むちゃくちゃローリングして「ィイッ」と打っちゃってるヤツが。映像があればご覧いただきたいが、残念ながら探せなかった。(そのとき、乗りにノッた井上順は、後ろでステップを踏んでいる。みうらじゅんの「アイデン&ティティ」では「ザッツ・芸能界」みたいな描かれ方をされていたが、かれはほんとうに音楽好きだったのだと、ぼくは感じる。)

 そう、いつ削除されるのかわからないのが、Youtubeの宿命である。岩崎宏美のソフト関連はビクターが所有しているはずだ。あそこは徹底しているから、いつまでもアップされている保証はない。何種類かある『未来』をぜんぶ、ここに貼りつけておこう( → 予想通り、後日みごとに、ぜーんぶ削除されておりました)。

 

(削除されました)
 岩崎宏美 未来 2 - YouTube

 これは「歌の祭典」という番組より。テンポがいくぶん速いのは実況中継にありがちなパターン(ディレクターからの指示により指揮者がテンポを微調整するんだそうだ)。だけどさすがは岩崎、寸分の狂いもなく余裕で歌いきる。

 

(削除されました)
 岩崎宏美 未来 3 - YouTube

 N H Kホールだ。となると『紅白歌合戦』か。これもテンポの速い演奏だが、豊岡豊(指揮)とスイング・フェイスによるコンガとベースギターが、原曲にないアフロ/キューバン風味を醸しだしているのがおもしろい。岩崎もリズムの波をうまく捉えてサーフしている。

 (削除されました)


岩崎宏美 未来 4 - YouTube

 これは、なにか歌番組の収録だね。歌唱はやや控えめで、セットに合わせた清楚なイメージ。裏で鳴ってるピアノが、かなり自由に遊んでいるよ。

 

(削除されました)
岩崎宏美 未来 [線香花火] - YouTube

 これも「夜ヒット」からだけど、やはり凄いパフォーマンスだな。〈5〉と甲乙つけがたい。ダン池田(指揮)とニューブリードがバックにつくと、岩崎の歌がさらにひきたつ。

(ありました。やはりニューブリードの演奏は重心が低い。)

 

(削除されました)
 岩崎宏美 未来 - YouTube

 これは「日本テレビ歌謡祭」から。残念ながら一番だけで終わってしまう。でも、どんなテイクでも岩崎の歌唱は安定しているので、落ちついて聴いていられる。

 (ありました。テンポ感がよいテイク。)

 

岩崎宏美01 - YouTube

 少し年齢を重ねたころの岩崎宏美(80年代半ばか)。張りあげるばかりじゃなく、「引き」の技も覚えた。メドレーで歌われる『未来』は1分30秒から3分のあいだ。


 岩崎宏美 未来 (歌の祭典) - YouTube

〈2〉と同じ。ドラムの過剰なフィルイン、ライドシンバルの刻みが冴えている。

(これは何の番組だろうか? 歌は安定の巧さ。ギターのチャカポコがやんちゃ。)

 

 で、できればオリジナルを聴いていただきたい。テレビ収録のものより、抑え目の歌唱だけれど、長くつきあうには、オリジナルテイクに限る。

f:id:kp4323w3255b5t267:20131218230900j:plain シングル盤のジャケット。1976年5月に発売。

 しかし、裏拍でテケテケテと空ピックを刻ませるリズムギターは、誰が弾いているんだろうね。かなり以前にぼくは、こういうツイートをポストしている。

 あるいは松原正樹かもしれない。いずれにせよ、この緻密なピッキングは上に掲げたビッグバンドのギタリストには再現できていない。

 

 さて、ぼくはなぜ岩崎宏美に、しかも『未来』に、こんなにも惹かれるんだろう?

 楽曲が素晴らしいから? もちろんそれもある。筒美京平の書いた歌謡曲は、たんなる流行歌にとどまらず、いまなお燦然と輝きを放っている。かれに限らず、70年代は歌謡曲に優れた作曲家が多く輩出した。都倉俊一やすぎやまこういち(しかし民族派自認のすぎやまはともかく、筒美や都倉が 安倍 晋三を支持しているとは、時代の流れだとはいえ残念なことである)森田公一馬飼野康二や etc,etc……。

 かれらの作った楽曲、とりわけ編曲には、いまの耳で聴くと一種の過剰さがある。なにもそこまで、と思うくらいの「やみくもなあおり(by近田春夫」が認められる。たとえば『未来』では、さびの終わりからひら歌に戻るブリッジの部分で、ベンチャーズの「急がば回れ」が借用されているけれども、これは桜田淳子の『十七の夏』(作曲:森田公一)でも同じ手法が採られている。このハイブリット――言い換えればごった煮的な要素を、ぼくはとてもおもしろく感じる。16分音符で駆けあがるストリングスや、やたらバウンドするベースとドラムや、隙あらば斬りこんでくるブラスセクションや、クラビネットシンセサイザーの洗練からほど遠い歪な導入や。その、日本式に独自の発展を遂げたビッグバンドの「豊饒」に、ぼくはため息をつく。そして、こう思うのだ、

《あー、このスタイルが、このまま進化していったら、さぞやおもしろかっただろうに》

 と。しかしその夢想は、80年代に入るとともに、無残に砕け散る。コンピューターに制御されたリズムがレコーディングの主流となり、MC500やリンドラムの「1拍を128に」分割やデジタルディレイの「1000分の1秒」分割に即応できない「リズムに詰めの甘い」ミュージシャンは淘汰された。ポストモダンの時代に似つかわしいソリッドかつ四角四面なアレンジが、どの楽曲でも採りいれられた。その過程をぼくは横目で見ている。そして時代の流れとはそんなものだと首を捻りながらも納得していた。いまあるJ-POP(死語か?)は、その流れの延長線上にある。洋楽の影響からあと一歩で抜けだせるであろうかという寸前に、ツイストがチャーが原田真二YMOが、そしてサザン・オールスターズ※ がテレビに現れ、英米流のコンパクトなバンドスタイルで、流行歌のビッグバンドによる「伴奏」を一蹴したのだった。それはそれでよいが、その大きな流れのなかで失われてしまったものも多かったのではないか。シーンは瞬く間に杓子定規なデジタルビートに席巻され、やがてテレビ番組の収録の多くは、カラオケに取って代わられる。せめて共存できなかったものか、一方の極に振れずに。そしてぼくの世代は、テクノロジーの流行を支持した。その結果としての現在がある。流行歌を空疎化するきっかけを作ってしまったのは自分たちの世代ではなかったかと、見てみぬ振りをして洋楽ばかり聴いていたぼくは、いまになって自責の念を感じざるを得ない。(※ 最もそのことに自覚的だったのは、じつは桑田佳祐だったのではないかと振りかえってみて思う。「いとしのエリー」のあとからしばしの迷走を経て「チャコの海岸物語」に至るまでの道程が。ただし、ぼくはサザンのよき理解者ではないので、指摘するにとどめたい。)

 脱線しすぎたようだ。『未来』に話を戻す。

 岩崎宏美の突出した歌唱力は、数々の映像をご覧いただいてじゅうぶん納得していただいたと思うが、幸か不幸かその時代に、誰も次の手を打てなかったのが惜しまれる。あの快速リズムの核心を易々と捕まえ、その上を軽々と自由にはしゃぎまわれる稀代のヴォーカリストを誰も次のステップへと導くことができなかった。それは時代の状況もあるし、周りのスタッフの限界でもある。しかし、いちばん分かってなかったのは、じつは岩崎宏美本人ではなかったのかと、ぼくは推測する。

 あまりにも無自覚なのだ。自分がいま、いかに凄いことをやってのけているのかを自覚していない。もちろん自分の声をコントロールする能力と自信のほどはうかがえる。自分の歌声にたいする絶対的な確信はある。が、それにしても自意識の奔流がいささかも発見できない。それは同時代の頂点である山口百恵と比較すれば一目瞭然である。山口は自己認識の塊であった。まるでブルースマンのごとく。しかし岩崎はそうでなかった。本人が後になって気づいたであろう歌声の圧倒的な推進力は、残念ながら取り戻せる種類のものではなかった。

 しかし、とぼくは思う。一瞬でもその頂に立つことができたのなら、それはそれでいいじゃないかと。『未来』を歌うときの岩崎宏美は、まさに無敵だった。それは無意識過剰であったがゆえに獲得し得た高みなのかもしれない。自分がいま凄いことを成し遂げているという自覚があったなら、あんなふうに奔放に、バンドの生み出す音響のはるか上空を飛びまわることなんて、絶対にできなかったはずだから。

 ぼくはたぶん奇跡をみていた。そのころは高校生だ、何度もテレビで観ていたはずだし、それなりになにかを感じとっていたはず。だけどキャッチできなかった。「あゝこの娘、巧いなー」で終わっていた。そのことが悔しい。ずいぶん後になって気づいたが、もはや遅すぎた。ぼくは同時代のうちに公然と支持するべきだった。日本の・歌謡界には・岩崎宏美という・稀代の歌姫がいるのだと。声高に訴えるまでもなく、正しく認識するべきだった。

 いま図らずも、「歌姫」と使ってしまった。ぼくの大嫌いなことばである。だけど考えてごらん、誰が「姫」に値するかを。その冠にふさわしい女性歌手は誰かを。

 岩崎宏美である。

 かの女こそが正真正銘の歌姫だった。ぼくは譲らない。

 だってかの女は無意識のうちに、はるかな『未来』を透徹していたのだもの。

 

 

【関連エントリ】

未来志向 - 鰯の独白