鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

斬ル (プレハブの新芽・其の六)

 先日、熊本大学のほど近い場所にある、桜山神社に寄ってみた。境内に「神風連資料館」があるから、そこをのぞいてみようと思って。予想はしていたものの、思った以上にイデオロギッシュな館だった。国体護持の思想が横溢した展示の数々。案内してくれた初老の男性は、ぼくにこう訊ねた。

「日本は建国して何年?」

「二千六百……プラス何年でしょうか?」

「そう、わが国は紀元二千六百七十四年の歴史を誇ります。こんな由緒ある国は、世界中のどこにもありませんぞ」

 それだけでぼくはドッと疲れた。

 神風連にかんして、付け焼刃の知識を振りかざすのは、大怪我をしかねないから、よしておく。

敬神党が決起した理由をかいつまんで説明するのは難しい。まず明治新政府の推し進めた洋学の勃興が背景にあることを押さえなければならない。だとすれば最低でも、花岡山やジェーンズ邸に足を運ぶべきだし、横井小楠邸にも訪問する必要があるだろう。つまり、今のぼくの手におえないのだ。)

 ただ、展示ケースに収められた刀剣を見ているうちに、ぼくはあるひとりの青年を思いだしていた。

 王子のことを。

f:id:kp4323w3255b5t267:20141210171047j:plain 桜山神社境内の紅葉

 

 王子は美しい顔立ちをした青年だった。北陸の出身、専門学校で写真を学んだが、埋蔵文化財発掘の仕事で糊口をしのいでいた。口数はきわめて少なく、休憩中はいつも読書していた。哲学書や社会科学についての書籍が多かったが、いつだったか、幸田露伴の「努力論」を読んでいたので、すごいの読んでるねと声をかけたところ、さすがに手ごわいですねと苦笑していた。

 女性には抜群の人気だった。貴公子然とした面立ちと、もの静かで穏やかなたたずまいから「王子」というあだ名を授けられていた。しかも、男性からも好かれていた。仕事が手堅く丁寧で、頼りになる存在として一目置かれていた。

 王子は二眼レフのカメラを扱えたから記録撮影の担当になることが多かった。高い脚立の上にとどまったまま、影が映りこまないよう曇りになるまでじっくり待つのがかれの流儀で、どんなに時間が押していても慌てないし、焦らなかった。夕方になって大全景を撮る間際に、光の量が足りないから撮影は明日にしましょう、と宣言したこともあった。せっかくきれいに清掃したのにと、ふつうなら文句がでてくるところだが、王子がそういうんならまあしかたがないよねと、みんな納得するのだった。

 現場ではずいぶん助けられた。もの覚えの悪いぼくが光波測定器の扱いに四苦八苦して、機械レベルと眼高レベルの差を計算し損なっても、かれはけっして苛立たず、何度でも一から説明してくれた。

 そんな王子だが、かれには整体師になるという夢があった。その夢を実現するためにかれは勉強にいそしんでいた。休憩中に腰が痛いと訴えるものがあれば、王子は速やかにその者を寝かしつけ、からだを捻ったり圧を加えたりして、体幹を正常な位置に戻してやるのだった。施しを受けたものは、痛みがなくなった、うそみたいにからだが軽くなったと王子に感謝するのだった。

 その整体師になるための勉強の一環かもしれないが、居合の道場に通っていた。ときどき木刀を布のさやに収めて、足早に駅へと向かう王子をよく見かけた。居合のどこに惹かれたのかと訊ねたところ、精神統一ですと簡潔明瞭な答えが返ってきた。

 王子はだから「武士」だとも呼ばれた。袴を穿いて素振りをする姿が容易に想像つくくらい、かれは武道が似合っていた。求道者の姿勢を誰もが認めていた。が、そのストイックさはときに些細なやっかみを招く。なんかおれたちとは別次元、みたいな眼ざしも少なからずあった。

  いつだったか、若い連中が猥談をしていた。かれらの話の輪に王子が加わることはなかったが、すぐ傍にいて例のごとく本を読んでいた。すると、猥談に興じていたうちの一人が、王子に向かって急にこんなことを言いだした。

「ユーさん(王子のことだ)。こんな話ばっかするおれたちを、ユーさん軽蔑してるでしょ?」

「軽蔑? してませんよ」

「単刀直入に訊きますけど、ユーさん性欲あるんですか」

「ありますよ、ひとなみに」

 王子は表情をかえずに即答した。傍からみていて見事な切り返しだと感心した。それはことばの力というよりも、相手の力を受けて流す、合気道のようだった。

 じつを言うとぼくは、王子と口をきいたことがあまりない。ヘタなことを喋ったら自己嫌悪に陥りそうな気がしたからだ。が、いつも強烈に意識していた。敏感なかれのことだ、それは感じていたと思う。

 ただ何度か、ぼくが隙だらけで油断していると、かれが音もなくいつの間にか背後に立っている、そういう経験があった。

 

 昼休みの時間、いつものように談笑していた。座の中心はブキさんで、このひとはぼくより年長だが、俳優として長いキャリアがある。テレビや映画にもたくさん出演しているし、舞台を踏んだ数も半端じゃない。話題はいきおい時代劇の話になった。

「しかしあれだな、テレビの時代劇を観ていても、いまの若い役者は、殺陣もふるまいもなっちゃいねえな。及第点をつけるンならヒガシ(東山紀之)くらいか。あとは全滅だ」

「ブキさんは、キョーワ(職場)の中だったら誰を主演に据えます?」

 誰かが訊いた。するとブキさんは、「イワシさんだな」と即答した。

「イワシさんなら若侍の役がつとまりそうだ。若かないけどさ。第一、月代が似合いそうじゃないか。ええ、そうは思わないかい? ユーさんよ」

 とつぜん話を振られた王子は、読んでいた本を閉じて真顔で答えた。

「ええ、似合うと思いますよ」

 な、王子だってそう思うんだよと、ブキさんは上機嫌だったが、ぼくは複雑な心境だった。

 その日の午後は現場の移動で、荷物一式を積みこんだぼくはブキさんの運転する軽トラの助手席に座った。

「さっきはどうして、あんなことをいったんですか?」

 ぼくが質すと、ブキさんは咥え煙草を噛みしめながら、なにが?と問い返した。

「侍の話ですよ。侍に相応しいのは、やっぱりユーさんでしょう。おれじゃない」

「ああ、あのことか。あれはあえて王子に振ったんだ」

 ブキさんは軽トラを路肩に止めて、缶コーヒーをぼくに手渡した。

「時代劇の武士の役なら、タッパのあるイワシさんが似合うだろうって話さ。それに『お侍』ってえのは、鷹揚さが要るんだよ。あんたくらいノホホンと呑気な構えをしているほうが、役者としてはおあつらえ向きなんだな」

「そうかな? 王子のほうが顔もきれいだし、ルパン三世石川五ヱ門みたいな剣豪のイメージに近いと思うけど」

「イメージじゃダメなんだよ。それに王子はいま現在武者修行している身だろ。だったらなおさら、時代劇の役者みたいだ、なんて言われたかないんじゃないの?」

「……」

「それにね、王子はいまでこそ人あたりが柔らかくなったが、十年くらい前はそうじゃなかった。なんというか、ちょっと取りつく島がないほど他人に向かって敵意をむき出しにする、剣呑さがあったよ。

 その残像があるから、お侍みたいだなんて言えやしないよ。そうだな、若いころの王子をあえてキャスティングするなら、岡田以蔵の役柄だろうか」

「おか、だいぞう……?」

「人斬り以蔵だよ。なんだ知らない? 『龍馬伝』観てないの?」

 すみません観てないですとぼくが頭をさげると、ブキさんはなんだつまらねえなあとつぶやいて軽トラを発進させた。そして、ぼそりとつけ足した。

「あの以蔵は好人物に描かれているが……おれがイメージしたのは、むかしの大河、『勝海舟』のショーケン萩原健一)よ」

 

 若いころ王子はもっと鋭く尖っていたという証言は、他のベテランからも耳にしていた。もっともそれは、かれに限った話ではなく、新人のころはみんな得てしてそうなんだけどね、というエクスキューズつきで。

「だってホラ、遺跡発掘に来る若いのって、たいてい人づきあいが苦手な子ばっかりだからさ」

 それほど硬かった王子の殻が、少しずつ柔らかくなっていったのは、やはり整体師になるという目標が定まってきてからだという。そのへんの事情をなぜ直接かれに訊かなかったのかと、いまになって悔やんでいるが、ともあれ、ぼくが王子とことばを交わしたことは、数えるほどしかない。ただ、そのうちの一回は鮮明に覚えている。

 

 その日は市の調査員が現場に来るまで作業が中断ということになり、ぼくと王子は狭いプレハブの中で待機していた。季節は真冬、ストーブで暖をとりながら、ぼくらは所在ない時間をもてあましていた。

 王子はいつものように黙って読書していた。しかし、その日はマンガの単行本を読んでいた。「進撃の巨人」。ぼくは、「へえ、マンガ読むんだ」と話しかけてみた。

「読みますよ」

「面白いですか」

「ええ。面白いです」

 そこから先のことばが見つからない。ぼくは二の句を告げられず、王子は読み止しに目を落とした。そのまま無理に喋らなくてもよかった。が、ぼくはなんとなく気が治まらなかった。

「……こないだ、テレビ観てたら、剣道の日本選手権をやっててね」

「ああ。ご覧になったんですか」王子は面を上げ、本を閉じた。それはかれの日ごろからのふるまいだった。相手に失礼がないよう心がけているようだった。

「観た。なかなか面白かった。あんまり素早くって、どう一本とったか、スロー再生で確かめなきゃわかんないね」

「ぼくも、わかりませんよ」

「ユーさん、剣道の経験は?」

「ありません。専ら居合のみです。それも最近ですが」

 少しずつ緊張が解れてきた気がする。と、今度は王子のほうから「そういえば」と話題を振ってきた。

「選手権に出ている選手って、ほぼ100パーセント、警察官ですね。これは聞いた話ですけど、かれらは警察官に指導するほかは、一日中、剣道の稽古に明け暮れているとか」

「へえ、巡らやら取締りやらはしないの?」

「ええ。しないそうですよ。ぼくたちの払っている税金をなんだと思っているんでしょうね」

「けしからん話だよね」

 それから二人して笑った。よかった、少しは打ち解けてくれたみたいだ。そこでぼくは、もう一歩踏みこんで訊いてみることにした。

「あのさ、ユーさんは、真剣を持ったこと、ある?」

 王子は顔を見上げて、ありますよと返事した。しかしどうしてそんなことを、という戸惑いの色が表情に表れた。

「や、今年の夏にね。某所で日本刀を持たせてもらったんだよ。鞘が塗ってなくて、柄や鍔に飾りのついてないやつを」

「ああ、拵えのない……それは、どこで?」

「古物商のひとが、こんなものも扱ってますよって、見せてくれたんだ。一緒に連れだった人の知り合いなんだけどね。

 で、持たせてもらったんだけど、重いのなんのって。酒が少しはいっていたせいもあるけれど、おれ、急におっかなくなってね」

「ええ」わかりますと王子は頷いた。

「自分の足にでも落ちたら終いだな、と。いや、それよりも、こいつはほんとうに人を斬れるぞ。そう思ったら、急に怖気づいて。全身ががくがく震えだしたんだ」

「それは、正常な神経だと思います」

「一緒にいた人は、凄いねえと言いながら、額の傍まで刀身を近づけて切先を見つめていたっけ。その人の職業は弦楽器奏者なんだけど、『これは楽器の弓と同じですね、反り方が』なんてつぶやいていた。度胸あるなと思ったな」

「そうですね」

「ユーさんはどう? 真剣を持ってみたとき、どう感じた?」

「やはり、緊張しますよね」

「重さに?」

「重さに。それと……うまくいえませんが、妖しさのようなものに」

「それでなにかを斬ってみた? ほら、巻藁みたいなみたいなものを」

「自分はまだ、そこまで至ってませんので。持って、構えただけです」

「でも、居合の巻藁は、試し斬りの練習道具、なんだよね?」

 ぼくは生半可な知識を並べたてた。すると王子は、そうなんですが……と俯いた。

「そういう練習は、見たことがないです。師はそういった、デモンストレーションを嫌うからかもしれませんが……」

「では、構えてみただけ、なんだね?」

「そうです」

 ぼくは、どうしたものだろうとしばし考えた。ここで質問をやめてもかまわない。しかし、ぼくはまるで「この掌の石を拳で叩き割ってみてください」と大山倍達に迫った、梶原一騎高森朝雄・本名は朝樹)のような切羽詰まった心理状態に陥っていた。

「そのとき、ユーさんのあたまの中に浮かんだ想念を、教えてくれないか?」

「と、言いますと?」

「つまり率直に言うとだ、これは人を斬る道具だと認識したか? 斬ったときの感触を想像しなかったか、を」

「……わかりません。そのときになにを思っていたのかは、覚えていません。

 ただ、無念無想といいますね。居合では、雑念をできるだけ取り払おうと心がけています。意識的に、邪な考えを排除しているんです」

「では、露ほども、想像力を使わなかった? たとえば、ユーさんが読んでいるマンガにしても、読者は人の生き死や痛みを想像しながら読むわけでしょう? そういうことを、真剣を構えたときに考えなかった?いま持っている刀剣は人を殺める装置であると。この太刀を振り下ろせば、腕など簡単に…… 」

「……なにを、おっしゃりたいんですか」

 圧し殺したような王子のことばには困惑と、怒りと、せいいっぱいの抵抗がない交ぜになっていた。しまった言い過ぎた、とぼくが悟ったときには、もう遅かった。かれはその後ずっと押し黙り、ひと言も発さなくなってしまった。

 プレハブ小屋にしらじらとした沈黙が流れた。王子はマンガ本を閉じ、まっすぐな姿勢で椅子に腰掛け、瞑想していた。居たたまれなくなったぼくは、小屋の外に出て伸びをした。冷たい木枯らしが吹きすさび、心許ない時間が刻々と過ぎた。と、そのとき代理人が鉄柵をこじ開け、今日の作業が中止になったことを伝えにきた。ぼくと王子は結局、徒に時間をつぶしただけだった。が、さっきまでの重苦しさから逃れるに、中止の報告はむしろありがたかった。

 王子とぼくは無言で作業着を脱ぎ、普段着に着替えだした。ぐしゃぐしゃに投げ散らかしたぼくの作業着と、王子が几帳面に折りたたんだそれが、なんとも対照的にスチール棚に並んだ。明日になればまた、この現場でかれと働く。ぼくは急に気が重くなった。もちろんぼくたち二人だけじゃなく、ほかの作業員も何人か来る予定だけど。

 軽く会釈をして、ぼくはプレハブから出ようとした。と、その背中に王子が、ああそういえばと声をかけた。ぼくは何事と振りかえり、かれの顔を見た。するとその表情は意外なほど柔らかく、晴れやか気な笑みさえ浮かべていた。

「こないだ、ブキさんがおっしゃいましたよね。お侍の役が似合うのは、イワシさんだって」

「ああ、だからおれはブキさんにいったんだ。ユーさんのほうが適役だって」

「ぼくは今日、それを痛感しましたよ。イワシさんは、たしかに侍だと」

「冗談はよしてくれ。そんな柄じゃないよ、おれは」

「いえ」王子は静かにかぶりを振った。

「さっきの踏みこみに、ぼくは気圧されました。自分はまだまだだなと思いました。そして、ぼくも躊躇わずに、相手の懐に踏みこむ勇を得たい、そう感じました」

「……それは、買いかぶりだな」

 ぼくは愛想笑みを浮かべた。実際、その表情を作るのが精いっぱいだった。

「まあ、精進してください。じゃあ、また明日」

 ぼくは王子を尻目に先を急いだ。それ以上とどまる勇気はなかった。偽侍は一刻も早く、そこから逃れたかった。

 

 王子、いやユーさん。あなたは気がついていたか?

 あのとき気圧されていたのは、ぼくの方だったってことに。

 ぼくはあなたの真剣な態度に、ほとんど負けていた。それを認めたくないために、過剰なまでに質問したんだ。それは勇気なんかじゃない、蛮勇だった。

 ぼくは帰りしな、喉元に切先を突きつけられたような心持ちがした。斬られるかもしれない、その予感に慄いたのだ。

 忘れてしまっているかもしれない。けれどもこれだけは覚えておいて。

 あなたは正真正銘の侍だ。どうかそのまま、礼節の心がけを保ってほしい。

 たとえ真剣を手にしたとしても、人を殺める装置であるという邪な考え方を、どうか排除し続けていてほしい。

 あなたなら無我の境地に達することができると、ぼくは信じている。

 

 

 

 

 

 

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※ いちおうお断りしておきますが、このシリーズはフィクションです。