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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

公益資本主義に見る「しなやかな」国土強靭化

 

政治の話題はいい加減にやめようと言った舌の先も乾かぬうちに、このようなエントリを記すのはいささか気がひけるが、題に挙げたことについて、簡単ではあるが説明をしておこうと思い、これを投稿する。

 

 日刊SPAの記事が話題を呼んでいる。熊本県南部を流れる球磨川を堰きとめていた荒瀬ダムの撤去が、河川を甦らせたという内容の記事だ。


日本で唯一の例。ダムを撤去したら川も海も再生した | 日刊SPA!

 この記事に、ぼくは田中康夫(敬称略)の影響を感じた。かれは「その「物語」、の物語。」を本誌に連載しているが、長年のつきあいである雑誌のカラーを、ヤスオちゃん色に染めているように感じたのだ。たとえば、この記事なんかもそうだ。

「新電力」に続々と切り替える地方自治体の動き | 日刊SPA!

 おもしろいな、とぼくは思う。内側からじわじわと浸透して、外側に向かっていく。これが田中康夫という存在の、代入不可能な、かけがえのなさである。

 

 田中康夫は躊躇なく保守の牙城にのりこむ。というより、是々非々のかれにとって保守/革新の線引きはあまり意味をもたない。ニホンカモシカのように山谷を自由に横断し、誰とでも交流する(それは同時に、どこからも取りこまれないことを意味する)。かといって、トリックスターに甘んじるわけでもない。かれは握手を求める。相手が拒もうが戸惑おうが、おかまいなく。さあ、あなたはどっちだろう?

 今日、ご紹介したいのは、以下のPDFファイルである。

http://www.nippon-dream.com/wp-content/uploads/56b252dcd6798974c9eb9ce7789e6ae72.pdf

 これは、秘密文書でもなんでもない。下に記したページから簡単に飛べる。

田中康夫 Official Web site » 「自由民主党 国土強靭化総合調査会」での講演レポートを纏めた『国土強靭化 日本を強くしなやかに その3』が国土強靭化総合研究所より出版されました。

 

 内容にかんして、シロウトのぼくが逐一説明をくわえる愚は避けたい。しかし、これは支持する政党がどこであれ、または支持する政党がないかたであれ、一度は目を通して読んでみる価値がある講演録だ。

 そりゃあ生活の党の支持者であるぼくにしたら、冒頭で語られる(田中康夫の提案にたいする)鳩山・小沢のむげな対応ぶりのくだりを読んだら、あんまり愉快じゃないし、そのあとに出てくる安倍総理へ期待を寄せるような口ぶりも、なんだかなあと思わなくもない。が、しかしここは自由民主党の国土強靭化総合調査会。居並ぶ議員の前で持論を説くのに、相手のふところに飛びこむための、これは「くすぐり」だと了解している。

 なぜぼくが、こんなふうな注文を敢えて持ちだすかというと、最近あまりにも野党同士のいさかいが目に余る状況だからである。ぼく程度の卑小なアカウントにもその余波はおよび、地方における自民党の体質を語ると、自民党支持者ではないかと疑われる始末。まあ、そんなことはどうでもいいんだが、自民党内の調査会で発言したようなことなんて面白くもない、読む価値がねえやと端っから無視するようでは、この先こころ許ないし、次回の選挙選も野党に勝ち目がないなと思う。どうしてほかの言い分に目を瞑るのだろう? もっと柔軟になれないものかな。似非国士の世迷い言とは質が違うんだから、敬遠する前に知るべきではなかろうか?

 相手の出方を。

 日本の社会をより良くしよう、もっとみんなが暮らしやすく、働きやすい社会にしよう。でも、実現させるための具体的な方策は?その疑問に田中康夫は自らの経験を踏まえつつ、新たなビジョンを明確に提示してみせる。どうすれば「地元」は潤うか。限界集落が増加の一途をたどる昨今、どうやったら子どもからお年寄りまで満足に暮らしていけるか。その具体的な処方箋をわかりやすく説明している。

 よく、対案を示せと与党議員はいう。たいする野党支持派は、対案を示せこそ無意味なクリシェであると主張する。しかしそこには、一種の思考停止があるのではないか。さらにいえば対案を最も欲しているのは、他ならぬ与党の側ではないのか?

 私たち市民が、町民が、村民が、庶民が唱えられることばは、NO!以外にはないのか? 違うだろう。誰だって今よりも暮らしをより良くしたいという希いはあるはずだが。だったら、その「よりベター」へのアイディアを惜しみなく提供するのが「いい大人」の務めではないか?

 田中康夫は豊富なアイディアを、つまり「対案」を持っている。しかも自由民主党に対して、従来型の公共事業投資からの脱却と発想の転換を促し、自民党の推める政策とは真逆の、むしろ社民主義に近しいことを提案している。大企業偏重の社会構造はやがて疲弊する、そうなったときにどういう社会の在りかたを政府は提示できるのか? そこを大胆に問うている。心ある議員ならば心穏やかには聞いてられないだろう。だって命題を突きつけられているんだもん、国家存続のために国は、政府は、政治家は、官僚は一丸となって働かなきゃならないんですよ、と。

政治家である皆さんはパブリック・サーバント(公僕)である以上に、決断をするパブリック・リーダーであるということです。

 その、公のリーダーとしての自覚を、支配する側の論理だと完全に勘違いしている人が、ときの総理大臣安倍 晋三であり、かれの組んだ内閣の閣僚たちである。下に示した首相官邸の「まち・ひと・しごと創生本部」のページをちょっと覗いてみてごらん。空疎な文言が躍るばかりで、具体的な方策なんざ、これっぽっちも示されてやしないから。

まち・ひと・しごと創生本部 | 首相官邸ホームページ

 ね。石破さんよやる気あんのか、ないだろ? と言いたくもなるじゃないか。

 

 政治家は言葉が命。いかに生きたことばを発せるのかが、政治家の値打ち。ただスピーチのみならず、政治家の口にしたことばは、そのほとんどが文言として記録され、印刷され、後世に残る。それを昨今の政治家たちはどこまで意識しているのだろうかと、ふと疑わしくなる。

 作家・田中康夫は明らかに意識している。如何ように編集されようと内容が著しく改変されないように、ことばの結節が脱臼しないように気を配っている。だから一聴して脱線しているようでも、一本筋が通っている。もちろん手元にレジュメは用意しているだろうが、ところどころに挿入されるエピソードや例え話は、すぐれた演奏家のアドリブにも似た、快い逸脱感がある。たとえば、ダムの計画を4類型に分けて見直すくだりにおいて、

熊本県の荒瀬ダムは撤去していますが、これも立派な公共事業のありかたです。

 さらりと具体名を言ってのける。一番目に掲示したSPAの記事を、もう一度思いだしてみてほしい。

 田中康夫は「私は公共事業を否定していない」。そのうえで、こう結論づける。

すなわち「造るから創る」へ、「造るから治す」へ、「造るから護る」へ。これが新しい公共事業のあり方だと私は思っています。私益の資本主義ではなく公益資本主義に、富国強兵ではない富国裕民に。これがしなやかな国土強靭化だと私は思っています。

 しかし。国家の威信にばかり気をとられがちな自民党の議員らに、この真摯なメッセージは届いたのだろうか。田中康夫の「公益資本主義」の、自分たちに都合のいい部分だけを拝借し、「富国裕民」という肝心の部分を放擲し、形骸化したものが、(もちろん田中康夫以外にも多くの有識者からのヒアリングを重ねた結果であることは断るまでもないが)第二次安倍内閣が華々しく掲げた説得力のない「地方創生」の正体ではないのか。

 それはイナカに行けば否応にも目につく、空虚なハコモノにあまりにも似ている。

 f:id:kp4323w3255b5t267:20141218154809j:plain 雲仙普賢岳熊本港から望む

 さて、ここから先は私見を交える。

 クマモトという地方に住むぼくは、限界集落とまではいかないにしても、それと近いほど過疎化した町並を目にする。そして、かなりイナカのほうに行っても、必ず目につくのが、コンビニエンスストアとパチンコ店である。ぼくは多趣味な人間で、ひとり遊びに長けているから、あんがい気楽にやっていけると思うが、縁も娯楽もない地域で余生を過ごすと仮定したら、やっぱり厳しいだろうなと想像してしまう。

 パチンコに興味のないぼくは、パチンコ以外になにかないものかと、しばし思いを馳せる。パチンコは究むところ孤独なゲームであり、他者との交流は基本的に必要ない。そして、暇なときには日がな一日パチンコに興じているなんて、退屈すぎて自分には耐えられないだろうなあと考えてしまう。

 地方創生だと掛け声は結構だが、実際問題、地方になにが必要だろう。イナカに暮らしてもいいかなと思わせるなにかを探すのもまた、最終的には個人の責任に帰結することなのだろうか。行政のサービスには限界がある。スポーツをするための立派な施設を造ったとしても、その建物を利用する人がいなければ、それこそただの箱だ。そうならないようにするには、空虚な容れ物の内容を充実させるにはどうしたらいいか?

 文化的な成熟が今後の日本に求められているのは間違いない。地方に居て、イナカに住んでいても、国民には最低限の文化的な生活を営む権利がある。しかしそれを実現させるためには、国や自治体だけに頼らず、東京からの情報発信に左右されない、自前の豊かな文化圏を構築し、醸成していく必要がある。

 こうして文章にしたためるのはじつにカンタンだけど、実際になにをすればいいのかは、かいもく見当がつかない。さらに、面白そうなアイディアを思いついたとしても、それを実行に移すのには途方もないエネルギーが要ることも想像がつく。

 ぼくは怠惰な性質だから、できれば面倒くさいことはやりたくない。だけど、なにかを始めなきゃならないとは、最近ひしひしと感じている。

 今後の人生を愉快に生きてゆくために、自分はなにを始めればいいのかな? そいつを来年からの命題としよう。思いついたら、またつらつらと書き記してみよう。

 だってぼくは・私たちは、そう簡単には日本から脱出できない。だとしたら居心地よく、暮らしやすくなる工夫を、それぞれが持ちあって考えなくちゃならないじゃないか。突き放したもの言いだと感じる向きもあるだろうが、「あとは自分で考えなさい」って、そういうメッセージだと思うよ。

 お上からのあてがい扶持じゃなくってね。

 

 ぼくが田中康夫の思考(思想とはちょっと違う)を好むのは、大胆さもそうだけど、風通しのよさなんだ。かれは党派や左右の垣根をヤスヤスと飛び越えてしまうが、主張は決して飛躍したものではない。むしろ、地に足がついた感じがする。

 目の前の些事に感けて、偏った思考に陥ったときには、かれのことばを参考にしてみるといい。固まった視点がちょっぴり移動するかもしれない。

 握手しませんか。ぼくたちは意外と近いところにいる。

 そう頑なにならずに、したたかに、しなやかに――。

 

 

 

 

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