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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

私がクマモトに居る理由

 私がクマモトにいる理由。

 
 それは両親の面倒をみるためです。
 父親は数年前に脳梗塞をわずらって以降、経口摂取が困難になった。三年前からはGastrostomyによって食事している ※。しわ寄せはさまざまなところにあらわれ、胆のうやら大腸やらの手術も二度施している。とうぜん体力は衰え、先日も足腰が立たなくなって検査入院したところ、尾てい骨に亀裂が発見、大事をとってただいまも入院中である。それでも意識はしっかりしており、いまだに役人風を吹かし、投薬や処置の間違いにたいしては厳しい指摘を怠らない、看護師泣かせの困った入院患者である。しかしまあ、年に一度は手術をし、口から何も食べられないというのに、意識はしっかりしていて喋る内容も理路整然としている。わが父とはいえ、おそるべき精神力の持ち主であると感心する。
 とはいえ最近は、さすがに弱気になっている。ときどき泣きごとを口にするようになった。今日も菩提寺と墓についての希望を切々と私に語っていた。私も昔は何かと反抗的だったが、最近になってようやく父の話を素直に聞けるようになった。
( ※ だから、政治家の失言のなかで個人的にもっとも許せないのが、石原伸晃の「胃ろう患者はエイリアンのようだ」という心ない発言である。)
 母は、認知症である。話の脈絡が要領を得ないし、すぐにものを忘れ、いろいろと間違える。私も相当に忘れっぽいし、間違いだらけの言動をするので、親子そろってボケボケな会話をくり返す日々である。何を食べたか、薬はちゃんと服用しているかと訊いても、さあどうだったかしらと、覚えていない。火の始末やら鍵の開け閉めなどに、危なっかしい部分が多々ある。こないだの入院は、食事の不摂生(食べたつもりになっている)からの栄養不足が原因の体調不良であったが、二週間もの入院はさすがに懲りたのか、最近はよく食べるようになって体力も回復した。
 几帳面な父とは対照的に、母は鷹揚で呑気なところがあり、その能天気さは私にも受け継がれている。読書が好きで、最近でも暇さえあれば本を読んでいる。こないだも私の子どもが数年前に読み終えた、有川浩の「県庁おもてなし課」を喜んで読んでいた。そのくらいの柔軟性をかの女は持っているし、足腰は幸いにしてまだ丈夫である。記憶回復のために私のできることは、なるべく多く語りかけること。それくらいしか私にはできる手だてがない。
 私は一人っ子である。私以外に両親の行く末を見守れる者はいない。両親は私の家族との同居を希ったが、私には私の事情があった。悩んだ末に私ひとりが帰郷することで妥結した。大学に進学したわが子をクマモトに連れて帰る選択肢はなかった。もちろんその他にもさまざまな事情があるけれども、それをぜんぶ詳らかにするつもりはない。私にもプライベートな部分はあるから、すべてを開陳はできない。
 80代の父と母は、交代で入院をくり返す。しかし養護施設に入ることだけはぜったいにゴメンだという。だから在宅治療とヘルパーさんの介護の協力をいただきながら、家のなかで生きようと「頑張って」いる。かように厄介な老人夫婦ではあるが、しかたない、それが一人息子の宿命だから、さいごまでつきあうつもりで、私はいまクマモトに居る。
 先行きはわからない。ただ、あまり悲観的にならないように心がけている。辛いつらいと口にするのは趣味じゃない。たとえ先が見えなくても、今日一日を健やかに暮らしてゆきたいと思っています。
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 濃い霧に覆われた朝の路