おれ、最近ちょっと依怙地になってるかんな。
自己言及という病に冒されている。
前々から言っている、相対化の罠。
相対化することで利口になったような気がするのだろうけど、それは錯覚。
あらゆる対象を等価とし、等しく距離を測り、自分を問題の埒外に置くことを正しいスタンスだと思っている人たち。
悪いけど、そいつは勘違いだぜ。
拙い詩を書くものと、その拙さを嘲笑うものとの、どちらに肩入れするか。
おれは迷わず、拙い詩を書くものの側につく。
ところが、拙さを嘲笑うものに与するのが、多勢を占めている現状。
楽チンだよね、ことばと格闘しないで済むんだもの。
足りないところを批判するのは結構。
それは「自分にとってはもの足りない」ことの表明であるから。
だけど、たいていはそこでストップするでしょ? つまらんなと斬って捨て、それで「次ッ」だもん。そりゃラクだわ。
自分自身がそうなりつつある、そいつは嫌だ。
「ニヒリストにはなりたくない」。あれは引用じゃなく、かなり切羽つまった心境告白だった。
だけどその一日あとに、オリジナルはこれだった! と気づくんだ。無自覚に使っていたってことに。
出典はこれ。↓
で、この2ページあとに「メンソール、椿の花を落とさないで」がくる。前のエントリに書いた短編小説には意識的に引用しましたがね(わかるやつには、わかるように)。
これ、「サブカル」の典型的症例?
笑えよ。
言っとくが、おれいちいち書いてる。コピペじゃない。むかしの原稿を読みながら書き写してんの。そうしたムダな作業を経由しないと、いま現在と繋がらん。
だっておれ、自己言及に囚われているから。
ああムキになってるよ、誰がやめるもんかって。「見えない敵」と、たたかってんのさ。
たぶん、このエントリは前のよりもアクセス数を稼ぐんだろうな。そういう予感がする。だからTwitterには告知しない。するもんか。
でも、
あなたがたがうんざりするまで、いや、うんざりしようとも書き続けてるよ。
拙い詩を。
不味い出来のお話を。
ヘタクソならくがきを。
ここでひとり、しこしことね。
つきあえる方だけ読みにきてください。
ただいま午前3時。こんな夜の夜中にもかかわらず、街宣車が演歌を流しながら表通りを流している。
狂ってる、
こんなクソッタレな時代に、
書くことこそが、おれの抵抗手段。
(編集ナシ、書きっ放し、約15分)