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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

When I’m Sixty Over(プレハブの新芽・その5)

 

 遺跡発掘の現場には三人の猛者がいた。サイトー・マサとMっくんとトールちゃん(仮名)。三人ともとんでもないスピードで円匙(エンピ)を操る「掘り師」であった。

 サイトー・マサはぶっ壊れていた。「疲れるとかあり得なくないっスか?」と、嬉しそうに掘りまくる。掘っているときはなにも考えてないという。ケイト・モスのトップレス写真のTシャツを着て平気で電車に乗りこむ、マイナーな邦画と西村賢太私小説新井英樹のマンガが好きな、シナリオライター志望の男だった。

 Mっくんはクールガイだった。甘いマスクと寡黙さが女性の人気の的だった。そんな優男が掘るとなると速いはやい。その秘訣を問うてみると、かれはこう答えた。「なるべく手を抜くこと、ですかね」と。うたも上手かった。自作のレパートリーをたくさん携え、都内のライブハウスで精力的に活動していた。

 そしてトールちゃん。ハ・ハ・ハと間歇的な笑い声を発しながら誰よりも速く掘りきってしまう。その無窮の動作に、なにかヤバいモンを打ってんじゃないォのとからかわれる始末だった。もちろんナチュラルハイである。かれの肉体は鍛えあげられており、日々のトレーニングとランニングは欠かさなかった。

 今回ぼくは、このトールちゃんについて話そうと思う。かれと仲良かったわけではないが、忘れがたい人物だった。かれと交わした会話はいまもなお記憶に残っている。

 

 トールちゃんは、親切だった。ぼくが仕事に就いた当初、腰を痛めない鋤簾(じょれん)の捌きかたを懇切丁寧に教えてくれた。その理路整然とした説明ぶりに、かれはそうとう賢いぞと了解した。

 トールちゃんは、休憩時間になるといつも読書していた。どんな本を読んでいるのか興味津々だったが、カバーをしているのでわからなかった。ただ、ぼくが同期のカメラマン志望の青年に、「虹の色は無限だけれども、日本語だと七色に分けられる。それを三色にしか分けない言語もある。その地域のことばが色を表す数によって、虹の色の区切りかたも違ってくる」ことを得意げに語っていると、「それはソシュールの、『各民族語は相互に異なる固有の世界像を持つ』に基づいた考え方ですね?」と即座に指摘してきて、こいつは油断ならねえやと冷汗をかいた。

 トールちゃんは、有名私大の哲学科を卒業していると後になって人づてに聞いた。

 トールちゃんは、冒頭で述べたとおり掘るスピードが断然速かったが、掘った土を自分で始末しなかった。掘りにかかると「誰か……?」と言いながら周囲を見渡す。ネコ(一輪車)を使うのは「新人さん」の仕事だと割りきっていた。かれが掘る傍に寄るのをみんなは敬遠したが、ぼくは「あなた様の奴婢でございます、こき使ってください」と冗談を言いながら、かれの放った土を残土山に捨てに行っていた。

 トールちゃんは、とにかく変わった人だった。「普通ではない」と自認していた。「ただどうでしょう、普通とはなんでしょう?」ときり返してくるので、やや面倒くさいやつだと思われていた。

 トールちゃんは、喋りだすと止まらなかった。雨の日に遺物(縄文土器や江戸時代の陶磁器)を洗浄する作業のとき、本来お話好きのかれは、興に乗ると延々と自説を展開するのだった。かれの知識は広範囲におよんだが、やや強引に結論づけるきらいがあった。それはとくに歴史認識や政治問題に顕著で、その断言に気を悪くする者も少なからずいた。ぼくもなにかしらのおりに、腹を立てたことがある(なにに頭にきたのかは、もう忘れてしまったが ※)。ただ、かれは話す相手がいらだったり怒ったりすると、「どうして議論をしていてムキになるのだろう? 自分と違う意見が聞き入れられないのだろう?」と首を傾げていた。そして「日本社会におけるディベート習慣の欠如」を嘆いていた。そう、かれは世間話に興じているつもりは毛頭なく、議論をたたかわせているつもりでいたのだ。

 トールちゃんは、日本の「世間」を嫌悪し、それを公言してはばからなかった。「この、職場で、いったい何人が選挙日に投票すると思いますか? 自分の見たところ(かれは自分を『じぶん』と称した)、二割にも満たないんじゃないかな。そのくせ政治への不満は一人前に口にする。まずは投票しに行けと、言いたくなりますね。けっきょく、社会を構成する一員だって意識が欠如しているのですよ。そして、あいまいな『世間』のなかに安住している」

「Sさん(トールちゃんのこと)は、日本の『世間』を忌み嫌っているようだけど、その考え方は、どこから来ているのですか? 参考になる本とか、ありますか?」

阿部謹也を、お読みになってはいかがでしょう。この人の『世間とは何か』が、よろしいかと」

 そんなふうに参考図書を示してくれるので、ぼくにとってはとてもありがたい存在ではあった。

 トールちゃんは、難い本を読む一方で、アニメーション関連の知識も豊富だった。前にも書いたが、菅野よう子坂本真綾のCDを気前よく貸してくれたし、また、女性の話題になると「自分は、二次元にしか、興味ありませんから」という決まり文句を使うのが常だった。ほんとうに女性に興味がなかったのかどうかはわからないが、そのわりには女の人たちとはフランクに接していた。女性陣に、トールちゃんをどう思うと尋ねたところ、「だってトールちゃんは、並のオタクじゃないもの」という答えが返ってきた。そんなトールちゃんは、「どうしてみんな、宮崎駿ガンダムの話題しか口にしないのかなあ。いま現在にもおもしろい作品が、たくさんあるのに」とよく嘆いていた。

 トールちゃんは、最初に述べたとおり、身体を鍛えていた。昼休みになると職場の周りを走っていた。遠目に見たことがあるが、半端じゃない、真剣な走りっぷりだった。ランニングから戻ってくると、上気した顔をしてミネラルウォーターを飲んでいた。ちなみに昼食は摂らなかった。「自分は、一日二食だと、決めていますので」と断っていた。

 トールちゃんは、毎日新聞を毎日読んでいた。

(※ あー思いだした。トールちゃんは、「西武沿線は、中央線沿線に較べて、駅前に本屋が少ない。これは、堤一族の愚民化ともいえる都市計画によるものですが、本屋のある無しは民度の高低と関係します。ええ、だから知識人は、西武沿線に住もうとはしません」とぬかしたのである。これに西武沿線の住民だったオレはカチンときたね。「本屋が少ないのは事実にせよ、民度が低いとはなんて言いぐさだ」って。 )

 

 トールちゃんとの会話の、いちいちを覚えているわけじゃないが、印象的な会話が一度ならず二、三度はあった。以下は2012年の1月7日に、かれと交わしたやりとりの記録である(例によって、Twitterからの引用/再構成)。

 先の土曜日、職場の論客と語りあった。ぼくは遺物の洗浄、彼は接合という軽作業、フロアには二人きりだったので、たっぷり話しあえた。

 語りあったとはいえ、実際は彼の発言が殆どで、ぼくはそれにただ、ふんふんと頷くばかりであった。ディベートの重要性と、しかしそれがなぜ日本社会に根づかないのかを説く彼に、疑問や反論、あるいは有効なことばを提供できないぼくは、きわめて日本的な相づちを間に挟みこむのが精一杯だった。

 話題は多岐にわたった。歴史、文化、制度、政治、現代社会の抱える問題もろもろ。税制、福祉、TPP、沖縄、福島……しかし話が「徴兵制」に及んだとき、ぼくは噤んでいた口をちょっぴり開いてみた。黙って聴いては居れなくなったので。

「かりに日本で徴兵制が復活したとしたら、イワシさんはどうなさいますか? 自分は義務として応じるだろうけど」と彼は問うたのだった。にわかに返答できなかったが、「まあ良心的兵役拒否ってとこですかね、ぼくは」と答えた。「もっとも日本がそんな国にならないのを願ってますけれども」と言い添えて。

「だけども『良心的兵役拒否』を唱えるからにはそれなりの根拠、信念が求められるでしょう? 義務を忌避するための正当な理由を示せない限り、国の発した命令には背けないと思うけど。たんに人殺しは嫌だ、武器を扱いたくないでは、兵役拒否の理由になりませんからね」と彼は言うのである。で、

 ぼくは苦しまぎれに答えた。「いや、どうしても治安維持活動に赴けと国に命ぜられるのなら、そんなら丸腰で行かせてもらいますよ。殺傷能力のある道具は手にしません。その主張ではダメですかね、忌避の理由として、あやふや?」 

 彼は苦笑した。「それは困るなぁ、命令系統から逸脱されるのは」

「でも、抜き差しならない事態になって、国家の命令が不可避である場合、兵役を断固として拒否できるかどうか、自分でも自信がないです。分からないな、そのときになってみなければ」と、ぼくは結論を先送りして話題を他に逸らした。その場で明快な回答を提示できなかった、ぼくの負けである。

 ぼくは本音を晒した。できるだけ誠実に。しかし突きつけられた命題に、毅然とした態度で答えられなかった。理由なんてないさ、徴兵制だなんてまっぴらだ、そんなのファ○クオフ! と中指を突き立てたいというのが、ぼくの真意だった。ただ、それでは相手を説得できない。彼に太刀打ちできない。

 彼の問題提起はあくまでも仮想であり、徴兵を是としているわけではない。むしろその逆。ただ、最悪の事態を想定し、自分ならどうするかという理論構築をなすべきだというのが、彼の言わんとするところであっただろう。いずれにせよ土曜日の昼下がりより、ぼくはこの命題を抱え込んでいる。

 思考はあくまでも柔らくなくてはならないし、生きていくためには状況に応じて的確な判断をしていかねばなるまい。ただ、基本的な信条、あるいは態度といったものは、自分のなかでつねに検証し、揺るぎないように構築していく必要がある。

 トールちゃんは、アンチテーゼから議論を発展させていく傾向があった。ときとしてそれは反撥をまねく。発掘の現場で調査員や考古学者と対立したことも一度や二度ではない。かれとしてはただ、「こういう文献もありましたが、先生はどうお考えですか」と質したにすぎないのだが、向こうからしてみれば、作業員風情が何を生意気な、と感じたであろう。かれの「知識は何人にでも平等に啓かれている」という思想は、なかなか理解されがたかったようである。

 トールちゃんは、公平さを重要視し、他者にもそれを求めた。作業への不満や安直な同調を許さなかった。たとえば誰かが「早く上がりたいね」という。それに「もっともだね」と頷く。するとトールちゃんは「おや、では、今日中にできる範囲まで片づけときたいという者の意見は、無視されるのですかね」とおおっぴらに口にする。空気を読むのを、あえて無視する。同調圧力にめげない強さがあった。言動の一致というか、そこは傍から見ていても感心するところだった。

 トールちゃんは、ある日ぼくにこういった。これまたTwitterの再掲載を。2012年11月8日のことである。 

 本の話をもうひとつ。今日の吉祥寺はE勢屋公園口店改装中の発掘現場で、久しぶりにSさんと出会った。しばらくぶりだったので、軽い話題でジャブを放ちつつ、間合いを取っていたのだが、訊ねたいことがあったので、思いきって訊いてみることにした。

 ぼくは、「原武史さんの著書『滝山コミューン 一九七四』を読みました、Sさんご存じですか? (Sさん頷く)で、あの本に書かれていたことは、三多摩地区の団地がある地域で、現実にあったことなのでしょうか?」と訊ねた。Sさんは、「事実です。自分も著者と同じような経験をしましたし」と答えた。

 Sさんの感想と、その後の有意義な会話はここに書かない。が、「しかし偶然ですねぇ。なぜ原武史氏の話題が出たのか。じつは今日、著者の最新刊を持ってきて、読んでいたところなんですよ」といって、Sさんは『団地の空間政治学 』(NHKブックス)をバッグからおもむろに取り出したのだった。

  トールちゃんとの、有意義な会話とは、さてなんだっただろう。ぼくは懸命に思いだしてみた。そうだかれは、「善と正義」について語っていた。そのころになるとぼくも、かれの考え方がある程度は読めるようになっていた。

「日本は『善』が、つねに優先される社会です。しかしそれは、得てして個人の利益に還元されがちである。よりあけすけに言うと、自分の都合でものごとを解釈してしまう」

「『善と正義』は、ロールズの説く、『善に対する正義の優越』ですね?」

「ええ。しかし日本の社会は、それぞれの人間が、それぞれの善意に基づいて行動する。そこには公平さも、ましてや道徳心もありません。かれらかの女らが『不公平』だとさけぶ際、そこにはつねに『ぼくやわたしにとって』という冠がついて回る。そんな日本に、弱者を助けるとかお互いを思いやるとかいった、相互扶助の意識があるとは、とうてい思えません」

「だけど、それだったら、Sさんが放ったらかす残土を、新人さんに捨てに行かせるのも、公平ではないということには、ならない?」

「ハ・ハ……」とトールちゃんは、いつもの乾いた調子で笑った。「それは、役割分担です。もっとも速く掘れる者が掘り、もっとも作業効率の悪い者が、残土を捨てにゆく。『善と正義』とは、まったく別問題ですよ」

「そうかなあ。それはSさんの、ただの身勝手な言い分だと思うけど?」

「仕事に慣れたイワシさんに、ネコで土を運べとは自分も申しませんよ。職制に階級が発生するのは仕方がないことです。今のあなたには、光波で測量するなどの、他の重要な任務があるのだから」

「うー、だけどなんか、釈然としないなぁ」

 休憩時間が終わった。トールちゃんはうーんと伸びをして、「さて、では自分は、ユンボで残土山を均してきましょうか」と言った。

ユンボ? Sさんは重機を扱えるんですか?」

「いいえ、自分は、誰にも習っていませんよ。ただ、この現場で、必要にかられただけで。座席に座って、レバーを動かしてみたら、なんだ『コイツ……動くぞ』ってなもんで。動作は、見よう見まねです」

 と、ガンダムの名セリフを引用しながら、ふたたびハ・ハ・ハと高らかに笑った。

 そういう憎めない、かわいい一面がトールちゃんにはあった。

 

 トールちゃんが、めずらしくかれのほうから話題を振ってきたのを、よく覚えている。「イワシさん、この著者をご存知ですか? 古市憲寿」といって、「読んでみたらいいですよ」と勧められたのである。これもTwitterからの引用。ただし最近の回想である。正確な日時は覚えていない。

 前の職場で、トールちゃんに勧められたのだ。『絶望の国の幸福な若者たち』を読んでみるといいと。読書家で自信家のかれが、めずらしく「うろたえた」といった。「これを読むと、自分みたいな人間は、『あーもう国家には用なしなのだなー』と思えてしまいますね」と洩らしていたのが印象的だった。

 何故? とおれが問うと、トールちゃんは「こうもあっけらかんと現状を肯定されたら、すべての言説・批判は無効化されますよ。それゆえかれは重宝がられる、政府の、ガス抜きとして登用される」と答えた。そのときはなんと大げさなと訝しがったが、かれの予告は当たっていたなと今日になって思い知る。

  件の本は、ナカシ( Nの結婚(プレハブの新芽 その3) - 鰯の独白 )に買ってもらったのを借りて読んだのだが、正直いって、その本のどこにトールちゃんを震撼させるような記述があるのか、そのときにはわからなかった。ただ、本に因んでかどうかは知らないが、かれはこんなことをぼくにうちあけた。

「自分は、老後を、永く生きたくありません。60歳を迎えたら、国家からか誰何からか、役立たずの人間だとして、文字通り、抹殺されたいですね」

「どうして? 永く生きたくはないですか? ぼくはできれば、長生きしたいけど」

「60年間も生きたら、もうじゅうぶんでしょう」

「しかし、60歳を過ぎても、いろんな経験ができると思いますよ」

「イワシさんは、経験主義なんだなあ、よくも悪くも」

 かれは静かに立ち上がって、曇った窓の向こうに見える、武蔵野の杜をぼんやりと眺めた。

「ただ、痛いのはごめんだな。拳銃かなんかで、後頭部を一発で仕留めてほしい。ま、それが自分の、唯一の希望ですか」

f:id:kp4323w3255b5t267:20140922115838j:plain収穫した栗を選別しながら一個一個磨く作業は遺物洗いによく似ている
 

 トールちゃん。

 インターネットには、たくさんのトールちゃんがいる。相当な教養を持ち、サブカル趣味に通暁した、トールちゃんの分身みたいなヤツらが。だけどもあなたの見識にはとうてい及ばない。みんなそれぞれの「善」に拠って、揶揄と皮肉と冷笑まみれの好き勝手を喋り散らしているだけだもの。

 遺跡発掘の現場を離れてから1年半、ぼくはたまにあなたのことを思いだす。それはトールちゃん、あなたがぼくにとってのリアルな、かけがえのない存在であることの証左にはならないだろうか?

 あの日もらしたつぶやきを、ぼくは認めたくない。できるなら撤回してほしいな。話し相手には不足だろうけど、トールちゃん、60歳を過ぎたら会ってくれるかい?