鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

U2.3(U2賛)


19 - U2 Walk On (Slane Castle Live) HD - YouTube

U2は、いつも向こう見ずだった。あえて火中の栗を拾いにいくところがあった。今回もそうだ。無料配信をして、人びとがどのような反応を示すのか、リサーチするまでもなく想像ついたはずだ。歓迎しないひとが大勢いるだろう、くらいは。だけどやりたかった。やってみようと思った。その無謀ともいえるチャレンジ精神が、U2の一貫したスタンスなのである。では音楽はどうだ、内容は保守的じゃないの。耳の超えた方々からの辛らつな意見も聞こえる。ああそうだとも。U2のサウンドメイクという部分に、もはや斬新さは望めない。どこを切っても同じ顔した金太郎飴。しかし斬新とはなんだろう。新しければいいのか。奇を衒えばいいのか。いままでにない響きが欲しいのか。なら他を当たればよかろう。もっと新しい、若い世代の音楽を。U2に当たるのは、お門違いだよ。思えばU2は、最初から旧かった。十代の最後の歳になけなしの千円をはたいて冴えない米盤を中古で手に入れた。そのファーストアルバム「ボーイ」を聴いたとき、ぼくがまっさきに抱いた印象は、「これはまたなんと伝統的なブリティッシュ・ロックだろう」だった。カテゴリーについてぼくは語っている。念のために断っておくと、U2はダブリン出身のアイリッシュだ。そのアイルランドの先輩、シン・リジーの影響がありありとうかがえた。もちろんエッジの奏でる、ディレイを駆使したカッティングスタイルは、当時の最先端だったし、後進に多大な影響をあたえたが、骨格はオーソドックスで、使うコードやたどる旋律に新鮮なところはまるでなかった。思いだす、初来日のライブで、となりの席に座っていた長髪ベルボトムの見知らぬあんちゃんが、U2はハードロックなんだよ、ニューウェーブじゃないんだと力説していたが、そのころ刈り上げた髪型でとんがっていたぼくも、その意見には妙に納得できた。さて、そのライブには満足したものの、意外と演奏がヘタだなとも思った。アダムとラリーのリズムセクションが、一本調子だと感じた。さらに、翌年にリリースされた「焔」には、とりとめのなさを感じて、ぼくはしばらくU2から遠のいた。あのアルバムが転機で、しかも傑作だと気づいたのは、数年後のことである。ブライアン・イーノとダニエル・ラノアは、幼馴染であるU2の「絆」を、いったん解体し、ふたたび構築しなおした。その過程のドキュメントだった。そうだU2は、いつだって旅の途中にいた。アルバムは旅先から送られてきた、手紙のようだった。「ラトル・アンド・ハム」などは、経過報告書のようだった。U2のルーツ探訪。ボノは、キース・リチャーズから、「U2には音楽的な根っこがない」と指摘される。それを受けてすぐさまメンフィスへ飛び、ブルースマナーを学ぶ。短絡的な行動原理である。だが、その経験は何者にも代え難い。その単純さを是とするか否とするかは、意見の分かれるところではあるが。ぼくはこのころからU2を、同時代を併走するバンドであると位置づけた。頻繁には聴かなくても動向は気になるという存在になった。「アクトン・ベイビー」からはじまる、ユーロビート導入の試みは、それでも結構つらかった。メフィストに擬え自らをマクフィストと称して顔を白塗りにしたボノに、おいおいムリするなよと忠告したくもなった。それは「後ろからライトを当てられて登場しやがる」と揶揄される立場になった自分らを戯画する作業でもあり、アンサンブルの硬直化を避ける手段であるとも承知していたが、ユーロスタイルの選択は解せなかった。けれどもU2の提示するビジョンに即効性はない。いつも後で判明する、ああそういうことだったのかと。数年後なんの気なしに「POP」を聴きなおし、そこでぼくは遅まきながら気づいた。かつて不器用なベースとドラムだったアダムとラリーが、弾力性のある強力なグルーヴを獲得していたことに。そういうことがらに、ぼくは励まされる。同世代のバンドと併走する愉しさと歓びを覚える。だから今回のAppleからによる新作「ソングス・オブ・イノセンス」の配信も、ああやってみたかったんだろうな、やらずにおれなかったんだろうなと思うのみである。音楽の真価は数年後に現れる。それをぼくは知っている。保守的であり伝統的であり形にはまったスタイルのどこかに、U2は新たな挑戦をそこかしこに散りばめている。それを解読する愉しみが、ぼくにはある。長いつきあいだ、こちらも焦らずに、ゆっくりとつきあいましょう、潜められた試みを探しながら。よろしければ、あなたも(U2)。

 f:id:kp4323w3255b5t267:20140918121509j:plain
「問題の」 "Songs of Innocence" 
  
冒頭に示したダブリンはスレイン城でのライブ(2001年9月1日。つまり10日前だ)。できるならぜんぶ通してご覧いただきたい。URLを貼らずとも「U2 go home」で検索すれば、1時間38分のフルヴァージョンがすぐに見つかるから。父親を亡くしたばかりで失意のボノを3人がしっかりとサポートしている。ボノの抑制した感情にかれらが突き動かされているのが、観ていてわかるだろう。終始ボノを側面から支えるエッジ、穏やかで思いやりのあるアダム、歯を食いしばりながら叩くラリー。浪花節だと笑わば笑え。おれは兄弟みたいなかれらが好きだ。(記・スコットランド独立住民投票の日)