鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

みちくさ

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  ブログなんて、基本的には誰に遠慮するでもなく好き勝手を書けばよいはずだ。ところが、書こうとするとかならず、読み手がどう思うだろうかと意識してしまう。このブログのように、こっそりと投稿しているならまだしも、Twitterのように不特定多数が読んでいるとなると、けっこう用心しながら、ことばを選びつつ書いている。投稿後も、まずいなと思ったら即座に削除する。最近では自主規制の度合いがだんだん厳しくなっている。

 先日、フィギュアスケート高橋大輔選手にむりやりキスを迫った橋本聖子議員の記事が話題になった。件の写真を見てぼくがまっさきに感じたことは、〈ああこれに比べたら、細野豪志議員と山本(中西)モナの路上キス写真は、ずいぶん恰好が良かったよなあ〉というものだった。しかしこの素朴な感想を無邪気に投稿したらどう思われるだろう。軽率であさはかなヤツだと思われやしないだろうか?『ふうん、橋本聖子よりもモナのほうが美人だもんね、日ごろきれいごと言ってるけど、結局イワシさんも女性を見た目で判断するんだね』と思われやしないだろうか?と、ひとしきり煩悶したあげく投稿を見送ってしまうのである(ここに書いちゃったけどさ)。

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ブラッサイみたいじゃないか(褒めすぎ)

 いまも、〈こういう莫迦なことを書いていていいんだろうか〉と自問自答しながらキーをたたいている。前々回のピンク・フロイドのエントリには訪問者がたくさんいらっしゃったが、そういう人たちの期待にそえてないのでは?と、なんだか申しわけない気持ちでいっぱいだ。それに、クラシックロック紹介ブログに特化したら、きっとより多くの人に好まれるだろうなあという邪心も芽ばえる。

 というのも、ぼくは気になったアーティストや音楽家についてググった(googleで検索をかけた)とき、かならずアマチュアの書いたブログを2,3訪問してみるのだけれども、先日ポール・サイモンの「ダンカン」の歌詞についてを調べたくなって、とあるブログに秀逸な和訳が載っていたから、ああいいなあこの人の翻訳は、ほかの記事はどんなんだろうと思って見てみたところ、なんと中・韓にたいしてかなりキツい、まあ言いたかないけどネトウヨに限りなく近い論調を展開していたので、ガッカリした記憶があった(これと同じパターンで、プログレッシブロックについて愛情ある文章を綴ったブログにも「保守=愛国でなにが悪いの?」という強硬な姿勢を示したものがあった)。そういうのに出くわすと、イヤでしょ?

 しかし反対の立場からこの「鰯の独白」を眺めたら、またずいぶん偏ったブログに見えるだろう。あちらさんからしてみれば鼻持ちならないだろうな、と容易に想像がつく。けれどもぼくは、この(かれらから見たら左寄りの)スタンスを変えようとは思わない。そして、ぼくがそうしたように、ピンク・フロイドで検索をかけた方はピンク・フロイドの部分だけを読めばいいのだ。ほら、なんてったって「イワシの毒・吐く」だからね(このダブルミーニング、人から指摘されるまで気づかなかった)。

 それにしても、Twitterでは気を使う※。つながりは一瞬にして切断される。ついこないだも、ぼくはしくじった。「オノ・ヨーコの悪口をいうやつは速攻でリムーブ(フォロー解除の意味)するから」とツイートした途端、フォロワーがひとり減った。あわててタイムラインをさかのぼってみると、「おれは嫌いだけどな」というエアリプ(宛先を定めないメンションのこと)があった。「ていうか、そんなふうに人の意見を封じこめるのって、よくないと思うが」とも。かれとは、音楽の趣味がよく合った。@つきで、なんどもやりとりしたものだ。しかし、(オノ・ヨーコにかんする一件で)それっきり。かれはぼくのフォローを外し、ぼくもまた、なんだよこの程度でカリカリしやがってと腹立ちまぎれにリムーブしてしまった。あっけない幕切れ。ふたたび邂逅することもない。

僕らは軽く手をあげるだけで
死ぬまで別れられるのである

清水哲男ミッキー・マウス」詩集:『スピーチ・バルーン』より抜粋)

 ブログはTwitterのように相互関係を結ばない場所だ。好き放題、言いっ放し。お気に召さぬなら来なくて結構。……と割りきってはいるものの、訪問者数が少なくなると、途端に弱気になる。もっと万人向きの内容にしたほうがいいんじゃないかと迷いが生じる。その心理、どう克服したらいいのだろう。

いつまで寄り道しつづけるの?とかの女は訊ねた。

べつに寄り道なんかしてないさ、とぼくは答えた。

みちくさ食ってんじゃないわよとぼくに言うんだ。

みちくさのように見える?とぼくは首をかしげた。

インターネットでの発言やツイッターでの発信は、

そのときおもしろくたって、あとには残らないよ。

ブログなんかに長々と自分の意見を開陳したって、

世のなかの益になることなんて、ほとんどないし、

そうやって小出しに自分をすり減らし続けてると、

ほんとうにしたいことやらなきゃいけないことが、

消耗して無くなっちゃうかもしれないじゃないの。

いつまでみちくさ食ってるの?とかの女に訊かれ、

一生つづけるかもよと答えたら二の腕を抓られた。

 みちくさを食っているように思われても仕方ないが、みちくさしているうちになにかを発見するかもしれない。プロフィールにしたためたように、このブログは「基本的には思い出話」で、誰かのためになるとか、教養の足しになるとか、そういう効果はまるっきり期待できないシロモノだ。でも、ランダムに放りこんだエントリの数々を、一本の糸みたいなもので結んでみれば、そこに一人の中年男のたどってきた道筋が見えるだろう。もちろんそんなものは世間的にはまったく無価値なものだけど、たんなるクラシックロック好きの音楽図鑑よりは幾分かはマシなものだという自負もある。それに寄り道だと思っていた狭い道が、いつしか太く大きな道に変わりうるかもしれない。なんだかんだいって、この独りよがりなブログにも、のべ4000人もの人々が訪問している。

おい三面怪人、たったそれっぽっちの数か? と嘲笑うない。

たしかにおれは「壁に向かって怒っている」が、この程度

で「進退窮まったり」やしないぜ。まだまだ先は長いんだ。

 

 この、典型的な箸休めエントリにおつきあいくださってありがとう。

 お詫びといっちゃなんだが、ポール・サイモンでも聴いてみようか。

 

Paul Simon - Hearts and Bones + lyrics - YouTube

 ……はて、「だれかが ぼくの 悪口いってるだろう?」という歌詞は、ポール・サイモンのなんて題名の歌だったかな?(ご存知の方はTwitterアカウントまでご一報を)