阿蘇へ行った。いつも使う国道57 号線ではなく、県道339号線(北外輪山大津線)を走ってみた。大観峰の九十九折から阿蘇谷に下りていった。
昨日クマモトに戻ってから、ぼくはすぐさまブログをしたためた。阿蘇にかんする思い出話などを織りまぜながら、楽しんで書いていた。9割9分できあがり、レイアウトを整えていたところ、突如、画面から文字が消えてしまった。あわてて復元ボタンをクリックしたが、2時間かけて書いた文章は、水の泡となった。
こんなことなら、どこか違う場所にコピペ(流行語)①しておけばよかった、と後悔することしきり。が、今しがた書いた文章を思いだしながら、もう一度書き直す気力は残っていなかった。いい感じで書けていたのだ、「どうだお前ら、うらやましいだろ」なんて、誰かさん②の決めゼリフを借用するほど、茶目っ気たっぷりの文章だった。しかし、くだけた文体は再現しようとすると、どうしても硬くなるものだ。空中に霧散するのは音楽ばかりではない。文章もまた、記録を定着させなければ、記憶のかなたに消え失せてしまうのである。
ただ、不思議なことに、貼った写真はもとのまま残っていた。せっかくだから、阿蘇五岳くらいは、みなさんにご紹介しようと思います。
⑴ 根子岳 (ねこだけ)(標高1433m)。雲に隠れてわからないだろうが、ギザギザの山頂が印象的な、険しい山である。
小学4年生のとき、この山のふもとで帽子をなくしたことがある。ジャイアンツ(巨人軍。親会社名は割愛)のキャップで、つばの裏にひらがなで名前を書いていた。ところが数年後、高校にあがったころに、キャンプから帰ってきたクラスメイトが、その帽子を拾ってきたのだ。
「イワシ、草むらにオマエの帽子が落ちとったぞ」
⑶ 中岳(標高1506m)。お釈迦さまのへその部分にあたる活火山。雲の色とは微妙に違う煙の色がお分かりだろうか? あの窪んだあたりに火口がある。歩いてでも火口の淵まで行けるが、通常はロープウェー(ウェイ、ではない)を使う。活動が盛んになると運休し、火口付近への立ち入りも規制される。
⑷ 杵島岳(きしまだけ)(標高1326m)。柔らかな稜線。穏やかな山容。山の向こう側には観光名所として名高い草千里が広がる。この山はたしか、五岳の他の山より、成り立ちが旧かったんじゃないかしら。
間違えられやすいが、左手前の山は往生岳(1238m)。右手奥の山が杵島岳だ。
(番外編)米塚(標高954m)。杵島岳の孫火山。ふもとからてっぺんまで100m足らずの小さな山だが、見た目のかわいらしさに騙されてはならない。登るとけっこう急斜面だから、侮ることなかれ。
ってな話を近年したら、スマフォで「こめづか」と検索したドールN(過去ブログ「寄る辺ない感じ」にちらっと登場)が、こう指摘した。
「あれっ? でも米塚は立ち入り禁止って阿蘇市のページに書いてありますよ」
(ギクッ、登っちゃいけなかったんだ……)
⑸ 烏帽子岳(えぼしだけ) (標高1337m)。孤高を保つこの山が、五岳のなかでいちばん好きだ。小学6年の冬、父に伴い、雪に腰まで埋れながら山頂までたどり着いたときの経験が忘れられない。そのときにみた阿蘇の全貌が、いまでもありありと目に浮かぶ。
手前の建物は京大の火山研究所。正式な名前はやたらと長かった(自分で調べてみてね。不親切さはYセンセ③並みのイワシ)。
路傍に群生するコオニユリ
ぼくは阿蘇のふところに抱かれて育った。子どものころは毎年、夏休みになると阿蘇の家(父の実家)に預けられていた。だから、阿蘇への愛着は人一倍だ。ここへ来るたびに、ぼくは気持ちが落ち着く。まるで故郷に帰ってきたような錯覚におちいるのだ。
ところで。阿蘇に似合う音楽っていったいなんだろう?
人それぞれだと思うが、ぼくはオールマン・ブラザーズ・バンドの「ブラザーズ・アンド・シスターズ」が、いちばん似つかわしいと感じる。もちろんそれは年上のいとこから(秋吉久美子の「赤ちょうちん」のボスターなんかと並んで)教わったときの印象が大なのではあるけれど。
外輪山の緩やかなワインディングロードをクルマで走らせていると、この雄大なインストルメンタルが、意識の奥のほうで、いつも鳴っているんだ。
The Allman Brothers Band - Jessica
ちなみに、上に掲げた阿蘇五岳をパノラマ状に並べてみると、こんな風になる 。
……仰向けになったお釈迦さまに見えるかな? (烏帽子岳、スマン)
【註】
①当時、安倍晋三総理大臣が、広島・長崎の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典において、ほとんど同じ文面の原稿を用意していたことから、コピペ(コピー&ペースト)も甚だしいと批判されていた。
③屋代聡という名前のアカウント(当時)を指していると思われる。