PIMBALL WIZARD ( The Who - Feat - Elton John - from - TOMMY The movie 1975 ) HD
偶然だろうか、ツイログ(twilog)で過去のツイートに検索をかけたら、むかし嗜んだmixiへの扉が開いた。ふたたび入れる保証はないから、この際だ、はてなブログにコピーしておく。
2011年11月9日「君の歌は僕の歌」Ⅰ
仕事場に松っつん(またの名をhonkycat1972)がいるせいか、最近ではエルトン・ジョンをよく聴く。
いや、むかしから好きだったけど、有名曲以外は軽く聞き流していたように思う。だが、この年齢になって、ほんとうに彼の音楽におもしろみを見出すようになった。
だからぼくは、松っつんに「新たな発見」をいろいろと報告する。こんなことがあったよと息せききって出来事を告げる子どものように。鷹揚な松っつんは、まるで親のように、いつだって疎ましがらずに、ぼくの感想に耳を傾け、頷いてくれるのだ。
だけども発掘作業をしながらの会話には、不十分なこともある。ここで補足という意味も含めて、どんなことをぼくが言っていたのか思いだしながら、アトランダムに記しておく。
- エルトン・ジョンは「早書き」の代表選手なんだけど、それだけに、そのとき聴いた音楽の影響がもろに出てしまう傾向がある。例えば“Rotten Peaches”は、ジェイムス・テイラーの“Country Road”と、Aメロのコード進行および主旋律のフレーズがほぼ一緒である。
- http://www.youtube.com/watch?v=DKeFEO52ilM
http://www.youtube.com/watch?v=Lrtm49sL_Hw - あるいは“I Think I'm Gonna Kill Myself”。これなんか、レオン・ラッセルの“Tight Rope”を丸ごとトレースした感がある。
- http://www.youtube.com/watch?v=82wU5NfRfr4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=wmoByboj88Y - 2曲とも怒濤のように量産していたころの作品である。いわば「若書き」の時代。しかしべつにこれをぼくはパクリだとは思わない。
- 有名曲、“Rocket Man”はどうだろう? 同じ「宇宙もの」の着想の源として、デヴィッド・ボウイーの、“Space Oddity”(1969)が念頭にあったのかしらん。
- http://www.youtube.com/watch?v=btvqt083DKI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=lirIoXBHnpo&feature=related - 『スペイス・オディティ』のプロデュースはガス・ダッジョン。ストリングス・アレンジメントはポール・バックマスター。エルトンの初期のスタッフと同一だ。なんらかのサジェスチョンがあったのかも知れぬ。
- だけど、書かずにはおれない切迫した気持ち、創作への純粋な悦びは、すべてを凌駕してしまう。なにに影響されたか、なんて気にならなくなるほど、エルトンの表現はオリジナリティーに満ちあふれている。ピアノを弾いて歌うという、肉体を経由して創られたという一点による、揺るぎなき自信に満ちあふれている。ぼくが歌えばそれは僕のものさ、といわんばかりの傲岸さ。それが若さの特権だ。その奔流を、遮らなかったことが、エルトン・ジョンを支える人たちの共通理解だったことは疑いようもない。でなかったら、ふつう年間4枚もアルバムをリリースしないもんね。
- エルトン・ジョンのエコー(影響)は、さまざまなところに現れる。たとえばトッド・ラングレン率いるUTOPIAの“hirosima”。三連目のメロディと和音の響きに耳を傾けていただきたい。『マッドマン』収録の“Indian sunset”に酷似している。
http://www.youtube.com/watch?v=_qd08FyXY3E
http://www.youtube.com/watch?v=idHTOeN4pEo - これなんか、図らずしも、の好例である。パクってるなんて意識は、本人にはないはずだ(と信じたい)。
- 『マッドマン・アクロス・ザ・ウォーター』というアルバムは、全曲すばらしい出来の名作だ(やや難解だけどもね)。脇を固める布陣も凄い。リック・ウェイクマン、ハービー・フラワーズ(ふたりとも前述『スペイス・オディティ』に参加)。とりわけぼくが注目したのは、英トラッド・フォークの極北、ペンタングルのドラマー、テリー・コックスだ。話が脇道に逸れるが、まあこれを観てください、渋いから。
http://www.youtube.com/watch?v=d9gCN9-Jnfg - 次の『ホンキー・シャトー』で目を引くのは、唯一の写真入りのゲスト、ジャン・リュック・ポンティ。仏のヴァイオリニストで、フランク・ザッパ、ジョン・マクラフリンなどとの共演でも有名だ。テクニシャンだが、ややワンパターンなフレーズを弾く人で、そこが評価の分かれるところだけれど、ぼくは好き。
http://www.youtube.com/watch?v=r2XbRK6a2ew&feature=related
いかんいかん、本題からどんどん逸れていくぞ。この続きはまた次回。
【コメント】
松っつん
帰宅してミクシィへ来たら、こんなビッグサプライズが待ってたとは!ありがとうございます、一連の話を(補足した上で)ブログに残してもらえるなんて。
引用してもらった音源ひとつひとつ丹念に聴いてるので、 感想はまた(答える態勢が整い次第)述べたいと思います。2011年11月09日 22:26
イワシ タケ イスケ
備忘録のつもりで書いたのです。これは自分のための作業でもあります。
松っつんと音楽談義してると、あなたの語るエルトン・ジョンの肖像がくっきりと浮かびあがってきて、聴かずには居れなくなるのです。
とくに、バーニー・トービンの書く歌詞についての省察は、おおいに啓発されました。2011年11月12日 05:22
2011年12月4日 「君の歌は僕の歌」Ⅱ
今回、twitterで書いたのをそのままコピーしている。手抜きで申しわけありません。
- Mさんのツイートで、ケン・ラッセル(映画監督)の逝去を知ったのが数日前。その翌日、OさんとYさんが、『ピンボールの魔術師』についてを語りあっていた。ならばエルトン・ジョンのバージョンに関して、ぼくもつぶやこう。
- エルトン・ジョンの歌う『ピンボールの魔術師』は、ザ・フーのオリジナルと並ぶほどよく知られており、彼のステージでは今なおハイライトを飾っているくらいだが、wikipediaによると、なんと当初は、映画『Tommy』の、「ピンボールの魔術師役」での出演を、頑なに拒んでいたという。
- ザ・フーのオリジナルは、こちら↓
http://www.youtube.com/watch?v=UFrDpx7zLtA&feature=player_embedded - 映画『Tommy』に関するもうひとつのエピソード。当初はロッド・スチュワートに出演依頼が来ていたのに、エルトン自らが「メリットがないので断ったほうがいいよ」とアドバイスしたというもの。その後エルトン自身がオファーを受けたというのだが、前のエピソードと矛盾してやしないか?
- たしかに、ロッドの歌う『ピンボールの魔術師』(ミュージカル版)は、出来がよくない。テンポが遅く、かったるい。しかし、「玉突きリチャード」やら「マギーメイ」の歌詞(「親父さんのキュー」のくだり)などを思うにつけ、ロッドのほうがエルトンよりも原作のイメージに近かったのではないか。
- ロッド・スチュワートのは、これ↓
http://www.youtube.com/watch?v=JrS73bQJCA4 - よく誤解されているが、『ピンボールの魔術師』を歌っているのはハスラー、すなわちトミーの腕前に驚嘆し羨望する、ピンボール自慢の兄ちゃんだ。ピンボールの魔術師とは、主役であるトミーを指す。三重苦のハンデにもかかわらず驚異的なスコアを叩きだすアイツはナニモノだ、と歌われるのである。
- そこでぼくはこう推測した。ひょっとしてエルトン・ジョンは、狂言回しともいえる<『ピンボールの魔術師』を歌うハスラーの役柄>には不満だったのだ、むしろ彼は主人公トミーを演じたかったのではないか、と。
- エルトン・ジョンフリークの松っつん (honkycat1972) さんから聞いた話だが、エルトンの生い立ちは不幸(継父から育てられた。 注:下記コメントを参照のこと)で、相棒で作詞家のバーニー・トーピンすら同情するほどのものだったとか。だとすると、Tommyのテキストに人一倍反応し、感情移入してしまうのではないかと。
- しかし大物プロデューサーに説得されたエルトン・ジョンは、映画への出演を果たす。そして彼の出演したシーンは、『Tommy』を象徴するシーンとして、観たものの目に焼きついている。巨大なブーツ、ラメ貼りのスーツ、その破天荒なイメージは、結果として彼をさらなるスターの座にのしあげる。
- これがその勇姿だ。
← 新田たつおが『怪人アッカーマン』でパロっていた。
- 一瞬だが、エルトン・ジョンの存在感は、トミー役のロジャー・ダルトリーを完全に食っている。出演したメリットはあったのだ。
- その後、『Tommy』はさまざまな形で上演されるけれども、このエルトン・ジョンの『ピンボールの魔術師』と、ティナー・ターナーの『アシッド・クイーン』は、キャラクターが定着してしまい、踏襲せざるを得なくなった。94年にNYでぼくが観たブロードウェーのミュージカルでもそうだった。
- 音楽的な側面にも言及しておこう。ピート・タウンゼンドの高速カッティングをピアノでどう処理するか、エルトン・ジョンも悩んだに違いない。その解答がイントロの華麗なアルペジオだけど、この強靱な指さばきには舌を巻く。これだけ粒立ちよく一音一音を響かせるには、かなりの修練が必要なのだ。
- エルトン・ジョンの、親しみやすさの裏側に隠されたフリーキーな側面は、今後もっと検証されるべき課題だろう。ともあれ、エルトンが王立音楽院出の毛並みの良いシンガーソングライターから脱皮する里程標ともなった、映画『Tommy』を撮ったケン・ラッセル監督に、あらためて敬意を表したい。
- 『Tommy』について補足。
前述のブロードウェーミュージカルには、フーのオリジナルにはない「新曲」が挿入されていた。
http://www.youtube.com/watch?v=NKap8hDJn1g
名曲だ。多くの人に知ってもらいたい。
- さらに蛇足。
ロジャー・ダルトリーといえば、小池一夫&池上遼一の『I・ 飢男』で、滔々と映画論をぶっていたのが印象的だった。しかし70年代半ばに、ザ・フーをマンガに登場させた小池一夫は偉いッ! あのころフーは日本でぜんぜん人気なかったンだから。
「I・飢男」よりザ・フーの諸君。左より、ジョン、キース、ピート、ロジャー。
ロジャーとキースが似てるね。
【コメント】
松っつん
僕には単なる興味深いでは終わらない(ロッドとエルトンの出演をめぐる新情報もあり)連続ツイートの転載、嬉しいかぎりです。
(いくら生粋のエルトン・フリークと言っても)真に熱狂してた時期は数年前までの事なので、今日一日は自分の記憶を正確にたどってました。
まずイワシさんに謝らなくてはならない、重要な訂正事項がひとつあります↓
エルトンが怖れてたのは実父(スタンリー・ドワイト氏。エルトンが13~14才ごろ離婚。92年に死去。)で、継父(フレッド・フェアブラザー氏。昨年死去されてます。)とは良好な関係を築いていたと判りました。
つまり実父は英国王立空軍軍楽隊のリード・トランペット奏者だけど、軍隊式の厳格さを家庭にも持ち込みエルトンはいつも怯えていた。
(ただ、皮肉にも父の音楽的才能はしっかりと受け継ぐ)一方、継父を愛称「ダーフ」と呼び、元画家のフェアブラザー氏はエルトンが音楽・特にポップやロックの世界に進むことを後押して、(後にプロになるきっかけとなる) ホテルのバーで演奏するバイトの段取りまでつけてくれた人物だったそうです。
この件はエルトンとエルトンの母親が一緒にインタビューで語ってた (1991年発売・ドキュメンタリー作品『Two Rooms グレイテスト・ソング・ブック』)で知り、何度も観たはずなのに完全に僕の記憶違いでした。
イワシさんがこうして日記・ツイートした後に、ご迷惑かけてすみません。
ロッド・スチュワート版は初めて聴きました。
確かに、これだと映画はエルトンが適役だったのかな?と単純な比較は難しいですがそう思いますね。(歌詞を読むと)トミーが『ピンボールの魔術師』なのは明らかですし、確かミュージカル版も観客席の誰かがこの歌を唄う設定らしいので、ライバル役でありつつ敵を称える状況自体は難しかったと察します。
このシーンはエルトンが一瞬凌駕してると、僕も初見で感じ取りました。 ファンでない当時の友人もそれは認めてましたし。(友人はザ・フー好き)
ギラギラ衣装をまとい、背の低さはブーツでカバーみたいなことは、当時のエルトンなら当たり前のスタイルだったわけですが 、それを殊更に強調したメガネ、衣装、ジャイアント・ブーツで情けなく倒れ 、ブーイングで退場なんて演出を許した背景には、 エルトンがセルフパロディ能力が相当高い人なんじゃないかと、僕は勝手に推論づけてきました。
1977年に出演したマペットショーで「クロコダイル・ロック」を歌ったのちに、マペットのワニ達に水中へ落とされる、ちょっと情けないシーンがあるんです。 (http://www.youtube.com/watch?v=iL3mYAsEp9g)
そしてミス・ピギーとの「恋のデュエット」ではあからさまに靴の高さを強調してて、
(http://muppet.wikia.com/wiki/Episode_214:_Elton_John→ピンクの衣装写真)
(折角なので動画も→http://www.youtube.com/watch?v=-OX2WErOvD4)これらを踏まえても「エルトンが、よりエルトン・ジョンを誇張するとウケる」視点が、ある時期から備わったんだなと(それは「Made In England」などもしかりで)僕は見ています。
気づけば物凄い長文になってて申し訳ないです。
最後にエルトン版がしっくりくる理由に、ピンボール台のフリッパー(両サイドのボタン)を叩く感覚はギターよりも明白にキーボード的だからかも? と、たまたま『Tommy』を観た当時、偶然ピンボールにかなりハマってたもので実感してました。
2011年12月05日 00:51
イワシ タケ イスケ
松っつん、流石です(サスガデス。ぢゃないよ。ホントに誉めてる)。ファンの鏡だね。
>エルトンがセルフパロディ能力が相当高い人なんじゃないかと~
>「エルトンが、よりエルトン・ジョンを誇張するとウケる」視点が、ある時期から備わったんだなと見ています。の考察には、完全に脱帽、です。
註:“Made In England”では「♪ぼくはイギリス産のホモだけど~」と、さらりと歌っている。>実父=恐怖の対象、継父=関係良好
これに関しては訂正ツイートを打っておきます。2011年12月05日 04:57
ーー楽しかったよなあ、松っつん。
松っつんとは、府中刑務所の高い塀の傍や、志木市のうねうねした狭い路地を歩きながら、よく話したものだ。
音楽以外にも、かれはスポーツ全般に詳しいし、料理の腕前は一流だし(だろ? 食べた記憶はないけど)、英文科卒の教養も身につけていたし、小説からサブカルチャーまで、その博識と分析力には、正直舌を巻いていた。
ホント、いろんなことを語りあったものだ。ここでは詳らかにできないけれども、プライベートな事柄も、ずいぶん。
遺跡発掘の現場では、その誠実な人柄と慎重かつ丁寧な仕事の進め方が認められ、代理人を任されていた。同じ時期に入ったもの同士として、嬉しくもあり、羨ましくもあったな。
いまはサイタマのツルガシマで、農業に取り組みはじめている松っつん、だいじょうぶ、きみならきっとうまくいくさ。なんの根拠もないけど、ぼくはそう言いきれる。
一昨年の12月28日、仕事納めの日、ホンマさんと松っつんとぼくの三人で、神楽坂から高田馬場まで歩いた、あれはかけがえのない、大切な思い出だ。
- honkycat1972 / kenhonma の二人と、神楽坂近くの現場から早稲田を経て高田馬場まで歩いて帰った。東京は、歩けば歩くほど、表情豊かに見えてくる。とくに今日見た光景は、とても美しく、魅力的に感じた。いつまでも忘れられそうにない。まっつんわざわざの遠回りありがとう。
- あの辺りはきみのホームタウンだから感慨もひとしおだね。昨年末、ホンマさんと三人で歩いたときも、今日みたいな冷たい雨だったっけ。RT → honkycat1972 ムトウ、そしてその隣にあった未来堂書店も去年9月閉店と、早稲田・高田馬場界隈も個性のない街になりつつあって寂しいですね。
- 覚えていますか、 honkycat1972 。年末にホンマっちと3人で、雨のなかを神楽坂から早稲田を経て高田馬場まで歩いたことを。余所者の目にも、ああ美しいなと映った。あれが、ぼくの好きな東京だよ。
- 静謐と醜悪、伝統と猥雑の共存する光景が、ぼくにはやけに、魅力的に映った。
松っつんよ、これは断じてノスタルジーではないぜ。そのときぼくの胸に去来していたのは、過日の追想ではなく、いままさにこの時代に生きているって、実感だったんだ。
最後に。クマモトからサイタマへ、ありきたりなエールを送る。
がんばれ 松っつん!