鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

『翼のない鳥』 (二度目のファンレター)

 

 
 
 

f:id:kp4323w3255b5t267:20140527143756j:plain 『翼のない鳥』 表紙 1975年

 
 たくさんのものを捨ててきた。いままでに読んできた書物の大半は、たいてい売っ払ってしまった。部屋に残した本は、往年の文学全集ばかりである。
 けれども、どうしても手離せないものがある。十代のころ夢中になって読んだ、少女マンガの単行本だ。
 萩尾望都に出会い、大島弓子に衝撃を受け、三原順に考えさせられ、くらもちふさこに共感した。十代の少女マンガ遍歴は、森脇真末味で終息するが、めぐりあった数多の傑作のなかで、とりわけぼくの心をつかんだ作品は、樹村みのりの一連だった。
 
 樹村みのり。14才でデビュー。いわゆる「24年組」のひとりに数えられるが、かの女の立ち位置は、ほかの少女マンガ家とは一線を画していた。硬質で鋭角的な描線、作品を貫く(社会)問題意識の提示、日常から乖離しない独特の視線は、ほかのどの少女マンガ、いやすべてのマンガのどれとも違っていた。
 もっとも、ぼくがただちにそのことを了解したわけではなく、最初は、なんか地味な話ばかりだなあというのが、率直な印象だった。とくに初期の作品(『跳べないとび箱』、『にんじん』、『まもる君が死んだ』など)は、テーマにたいするアプローチが直裁で、なんだか説教じみた感じがし、あまり好きではなかった。いま読み返してみると、とんでもない才能の登場だったのだと想像し得るのだが、当時はまだ、そこまで読み解けなかった。
 しかし、『菜の花畑』シリーズの親しみやすさとやさしさに、じわじわと惹きこまれ、それにつれ他の作品も噛めばかむほど味わい深く、気がつけばぼくは、樹村みのりの描く世界に没頭していた。
 ちょうどぼくが高校生になったころの、『別冊少女コミック』には、珠玉作が煌いていたものだが、樹村みのりの創作も、まさにそのころがピークだった。ぼくはなんと、「こうふくな」時代に育ったのだろう。
 
 なんだかんだと説明するよりか、画を見てもらったほうが手っとりばやいだろう。手持ちのコミックスから写真に撮ってみた。
 
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『見えない秋』 筆の運びかた、構図、セリフ、すべてが躍動している。
 
 ありふれた日常の所作を、丹念に描くことにより、個人の抱えるさまざまな問題を的確に捉える。なにげなく放たれたことばを、ていねいに扱うことにより、そのことばの持つ意味を、読者は否応なしに考えさせられる。1974年の『贈り物』より始まった、樹村みのりの一連の問題提起は、学生運動には遅かった私たち世代の社会への意識をはげしく衝き動かした。ぼくは、青春特有の悩みである〈人はなぜ生きるのか〉という自問を、つねづね抱えて悶々としていたが、樹村みのりの作品は、そういった疑問に真摯に答えてくれる、信頼にあたいするものだった。
 
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『おとうと』 上京する姉・さちこに、弟・章平がこっそり宛てた手紙。
 
 青くさいといえば青くさく、古風といえば古風である。その当時であっても、樹村みのりの作風は、決してファッショナブルではなかった。しかし、さりげない描写のなかに、生命力が迸っていた。感情のひだを繊細に表すことも、感情の爆発を荒々しい筆致で描きだすこともできた。そして融通の利かない、取り替えのきかないストレートなセリフでもって、読者の意識を揺さぶるのだった。
 
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『わたしたちの始まり』 女性同士の「友情」は、樹村作品の核心である。
 
 樹村みのりの諸作品には、あきらかに学生運動の影響がうかがえる。社会へ向けるまなざしは、率直であるがあまり、性急でさえある。しかし、その意識の奔流、怒り・憤り・希求に身を投げだしたあとには、いままでに見えていた景色が、ほんの少し、違って見えたものだ。
 
 
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『星に住む人びと』 ポール・ニザンの有名な一節を、ぼくはこれで知った。
 
 その、いささか背伸びした主張に、一所懸命で不器用に「今」を生きている感じに、ぼくは共感したのである。登場人物はおしなべてきまじめで、流行や風俗とは無縁だった。花もレースもフリルもない、素っ気ない服を着て過ごす女たち。だけど魅力的だった。風の吹くのをものともしない、自然児の面影を残した男たちもまた、観念に陥らず、ひ弱ではなかった。
 

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や、単純に、絵柄がおれの理想のタイプなのさ。

 

 ぼくは勢いあまって、ファンレターを送ったことがある。もちろん返事はかえってこなかったけど。いま思いかえしても赤面するような青くさいことを、連綿と手紙にしたためた。若気の至り、ですね。

 

 

 さて、ぼくのいちばん好きな樹村みのりの作品をお教えしよう。
『翼のない鳥』。
 これは、樹村作品には珍しく、寓話性に満ちた、いわばファンタジーである。
 鳥のように空をとぶことを夢みたジョーイは、各地(アメリカをモデルにしたどこか)を転々と放浪する。さまざまなコミュニティのなかに身を投じ、経験を積むが、いつしか理想は現実に絡めとられる。自分の重さに気づいたジョーイは、以前のように「飛べ」ない。その(苦手なことばだが)自分探しの遍歴を、限りなく優しく穏やかな語り口で綴った、奇跡のような一編である。
 ぼくは一年に一回ほど、この100ページの中篇(単行本『雨』収録)を思いだし、そっとページを開く。そこは、ぼくにとって、もっとも大切な場所のひとつだ。
 
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『翼のない鳥』 内心の葛藤に苦悶するジョーイ。赦し、みとめるロバータ。
 
 
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『翼のない鳥』 ごらん。つばさが生えているのが、君にも視えるだろう? ぼくらはみな、翼のない鳥だ。
 
 
 
 樹村みのりはその後も精力的な執筆活動を続ける。テニスを描いた『40-0』なんか、ずいぶん好きだった。手もとにないからうろ覚えだけど、
「その振り方では、30回目まではよくても、31回目には筋を痛めてしまうよ」
 なんてセリフには、グッときたものだ。
 そうそう、『ジョニ・ミッチェルに会った夜の私的な夢』なんて、ステキなエッセイふうマンガもあった。そう、樹村さんはジョニ・ミッチェルの大ファンなのである(他にも米フォーク・ロック、ボサノヴァなどもお好きなようだ)。影響されて、ぼくはジョニを聴きだした。そのことだけでも樹村みのりに恩義を感じている。
 他にも、『土井たか子グラフティー』なんて凄玉もあったし、ジェンダーフェミニズムの問題に鋭く切りこんだ作品が、90年代以降は増えていく(ぼくはこれらの諸作を、以前住んでいた街の「男女共同参画センター」の書棚に見つけた)。さらに、2005年には、『冬の蕾-ベアテ・シロタと女性の権利 (憲法24条(男女平等)はこうしてできた)』というタイトルの力作も発表している。つまり、かの女のまなざしは、一貫して「社会」と「人間」に向けられているのだ。
 いよいよ混迷した現在、樹村みのりがどういう発信をしているのか、ぼくは興味が尽きない。あたらしい情報をお持ちの方は、ご教授くだされば幸いである。
 
 今回これを書いたのは、自分がいかにマンガに影響を受けてきたかを確認する作業だった。だが、例によって少し書きすぎてしまったようだ。思い出話はこのくらいでとどめておこう。それに、ぼくの大切な領域を、おおっぴらにしてしまうのは、二度目のファンレターを出すようで、ちょっぴり勇気を要する。さてどうしよう? この「テレ屋でヘンクツのロマンチスト」は、いま公開をためらっているけれども、…えいチクショー、出しちまえ!
 
 「そんなことは なんでもないことなんだよ」(『跳べないとび箱』より)
 
 
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  今回引用した4冊のコミックス(イワシ所有)