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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

小休止 / センチメンタルジャーニー

 
 
 
 
 ぽっかりと時間が空いたので、あてどなくクルマを転がしてみた。サンデードライバーならぬ、マンデードライバーYeah。ハンドルを切った先が、御船のほうだった。どれ、因縁浅からぬあの町へいってみようか。
 
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 御船の町の、丘の上には、ぼくの通った母校がある。菜の花畑の向こうの、緑色の屋根の建物がそれだ。いまは4年制大学だけれども、当時は短大だった。ぼくはここで、打楽器を専攻し、作曲法を学んだ。ぼくの最終学歴は、この小さな音楽学校になる。
 緑色の屋根の手前の建物は、いまはどうか知らないが、学生寮だった。県外からの学生は、そこに住まっていた。ぼくがひそかに憧れた女のこも。桐谷美玲みたいな形のよい口もとの娘だった。
(彼女とことばを交わしたのは、数えるほどしかない。最初に声をかけたのは、町の停留所でバスを降り、学校まで坂を登ってゆく間の、わずか10分だった。)
 校舎のまわりをウロウロしていたら、正門の守衛さんが不審げなまなざしを向けていた。ぼくはここの卒業生なんですと説明すればよかったんだろうが、なぜだか気が引けた。学長にも、お世話になった先生方にも、とんとご無沙汰である。ぼくには門をくぐる資格がないように思えた。遅れてきた青春の門は、とうに閉ざされていた。
 学生の気配のない春の母校を尻目に、ぼくは丘を降りていった。
 
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 ああ、それにしても、なんという菜の花の色だろう。春がそこかしこにあふれだし、息が詰まりそうだ。
 
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 ぼくは熊本市の生まれだが、2歳までは御船に住んでいた。幼少の写真が何葉か残っている。セピアに色あせたそのなかに、簡易裁判所の門柱の前で撮った写真があった。裁判所はどこかに移転し、いまは公民館になっているが、建物の風情はむかしのままだ。
 この建物の裏手に、ぼくの父母が借りていた家があった。風呂はなく、いつも大家さんのお宅にいってお湯を貰っていたのを、うっすらと覚えている。大家さんの一族はみな教養が高く、毒物の研究で有名なT教授もそうである。
 そういえば、ぼくの最初の記憶は、金盥で湯浴みをしていたことだ。ふたりの女性(そのうちのひとりは母だろう)が、乳児のぼくの身を清めていた。まるで三島由紀夫の小説のようだが、うそ偽りではない。
 目もくらまんばかりの眩い光。ぼくの目には、すべての物の輪郭が曖昧に映った。
 
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 御船川の向こうにそびえるのは飯田山。金峰山と背比べして、雨どいの水がどちらに傾くか競争した挙句、水びたしになって、「もう言いださん」と言ったとか言わないとか。山岳信仰となると話は難しくなるけれど、山にかんする愉快な民話、ぼくは嫌いではない。庶民の山にたいする素朴な感情が、フォークロアとなって語り継がれるあたりが。
 御船川には、石橋が架かっていた。ぼくが短大に通っていたころ、大雨による鉄砲水に流されてしまったけれども。二重アーチの、けっこう立派な石橋だった。橋のたもとで、ご近所のお姉さんと写った写真もある。たぶんぼくの面倒を見てもらっていたのだろう。そういえばぼくは、御船川で泳いだこともあるらしい。お亡くなりになった演歌歌手のYさんが、まだ学生のころ、ぼくを川に連れていって遊ばせてくれていたという。
 そんなふうに、ぼくは御船という「地域社会」に育まれていったのだな。
 
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 しかし、ほんとうに美しい町だ。
 木瓜の花の咲く川べりを散策しながら、ぼくは何度もため息をついた。
 写真には撮らなかったけど、見覚えのあるお地蔵さんにも再会した。ポケットを探ると10円玉が入っていたので、お供えの代わりに置いて、お参りした。
 
 
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 この建物も覚えている。むかし町役場だったんじゃないかしら(あるいは商工会議所だったかも)。いまは職業訓練所として使われているようだ。
 むかし見た建物や施設が、いまも残っているわけではない。大部分は取り壊され、風景はすっかり様変わりしてしまった。以前は田畑だった町の外れに、大きな道路が敷かれ、町の中心もそちらへ移動してしまった。いまでは大型スーパーマーケットやホームセンターが道路沿いに立ち並んでいる。日本の、地方の郡市の、どこにでもある風景。
 ぼくの大好きだったバスターミナルも、とうになくなっていた。学校の送迎バスに乗り損なって、ひとりトボトボと坂道を降りていって、ひなびた待合室で、なかなか来ない熊本行きのバスを待って、退屈をもてあましていた、あのころ。
 
 その、ありあまる時間こそが人生の黄金だったと思うのは、ぼくの感傷だろうか?