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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

ダ・ドゥ・ロン・ロン(デニー&ジーン)

 

   ジーンときたら、音楽が好きなのはいいとして、ミュージカルスターを夢みているのもまあいいとして、ガキみたいな歌ばかり歌っている。それがデニーには不満のタネだ。つい最近も、こんな歌を口ずさんでいた。

 
♪ DA DOO RON RON DA DOO RON RON
     DA DOO RON RON DA DOO RON RON
 
 
   いったい何なんだよダ・ドゥ・ロン・ロンって! デニーは思わず怒鳴った。だいたい気に入らないな、最近のトップテン・ヒットは。誰の歌だよ、そんなくだらない歌は。
「クリスタルズの『ダ・ドゥ・ロン・ロン』。なあにデニー、あんた知らないの?」
   遅れてるぅとケラケラ笑う。デニーはムカムカして、ついに口走ってしまった。
「ハン、どうせそいつも黒人グループだろ!」
「そうだよ、可愛いよ。こないだテレビに出てたの観たけど、すんごくパワフルで」
「おれ、大嫌いなんだそういうの。ちょいと昔にも流行っただろ? トゥッティ・フルッティとかむやみに喚くやつ。意味ナシ。あれも、黒人だった」
「リトル・リチャード。かっこよかったね」
「ジーン、どうして幼稚な歌ばかりうたうんだ?」
「さあ、どうしてなんだろう?」ジーンは首を傾げた。「うたっていると、とにかく気分いいのよね。気が晴れるっていうかな。黒人とかそういうの、ぜんぜん気にならないわ」
「おれたち白人の子どもは、そういうのをうたうべきじゃないんだ」
   デニーはふてくされながら、ブックバンドで結わえた教科書をブンブン振りまわした。
オノマトペだらけの歌詞はガキっぽいよ。アタマ悪いって証明してるようなもんじゃないか。おれは口が裂けたって、そんなのうたわないね」
デニー?」
   ジーンはデニーの横顔をのぞきこむ。ブロンドの髪が風にそよぐ。青灰色の瞳の色、頬に散らばったそばかす。どこからどう見たってジーンは白人娘。だのに自覚がなさすぎる。デニーは常々そう感じていた。
「歌はうたよ。黒人がうたおうと、誰がうたおうと、いい歌はいい歌よ。
   それにホラ、デニーも先だって、ベラフォンテを口ずさんでいたじゃない?」
ハリー・ベラフォンテは理知的だ。社会にも貢献してる」
「社会的貢献なくして、うたってはいけないの?」
「あたりまえだろ」デニーはまくし立てた。「ちゃんと社会に認められるような振る舞いをしなければダメだ。とくに黒人は、われわれ白人社会に認知されるよう、常日ごろ努力すべきなんだ。そんな幼児語を喚いているようでは、いつまでたっても黒人の社会的地位は向上しないのだ」
デニーは」ジーンの瞳に憂鬱なブルーの翳りが覆った。「黒人のことを、嫌いなの?」
「どちらかといえば」デニーは腕を振り上げた。「好きじゃないね。そりゃ南部はやりすぎだ。だけど怠け者が大半だろ。向上心のない人種だと思うよ」
「向上する機会を与えられていないのよ、かれらには」ジーンは深刻な表情を浮かべる。「たとえば、『ロコモーション』のリトル・エヴァだって。作曲家夫妻のベビーシッターをしてるって聞いたわ。わたしたちとそう年齢変わらないのに、仕事してるって……偉いわ」
   フィル・スペクター、とデニーはつぶやいた。新聞に載っていた、サングラスをかけた小男の写真をふと思いだして。リトル・エヴァの『ロコモーション』を作ったのも白人ならば、クリスタルズの『ダ・ドゥ・ロン・ロン』を作ったのも白人なのだ。彼女らは、ただ歌わせられたのにすぎない。
   そこでデニーは、皮肉たっぷりにジーンを追いつめた。
「ああいう山師に、教養がないと騙されちゃうのさ。騙す方も感心しないが、引っかかる方がもっと愚かだ。みてろ、半年もしないうちに、くだんのプロデューサーさまは他の黒人グループに乗り換えるはずだから」デニーはわざとみたいに、歯にへばりついたガムを道端に吐き捨てた。「クリスタルズだって早々にお払い箱さ」
   ジーンの目から、みるみるうちに大粒の涙が溢れだした。涙は頬を伝って、ギンガムチェック地のシャツに染みをつくった。
デニー、酷いわ」
   うちむいて嗚咽をこらえていたジーンだったが、キッと面をあげて、デニーを睨みつけた。
「いじわる。だい嫌い!」
  デニーは覚えている、ジーンの歯に並んだ、銀色の矯正マウスピースを。
 
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「……デニーデニー?」
   誰かが、何度も呼んでいる。デニーは朦朧としたあたまを振りはらい、呼ぶ声の方向を仰ぎ見る。
「……軍曹、ロバート軍曹?」
「どうした。気を確かにもて。ここらへんにはベトコンがうじゃうじゃ潜んでいるんだぞ」
「すみません。わかっています」デニーはロバート軍曹にむかって、片手を挙げて応じた。「ありがとう。だいじょうぶ。ちょっと昔のことを思いだしてました」
「戦場では一瞬の油断が命取りになる」ロバート・メイフィールドはデニス・マクリーンに忠告した。「気を引き締めろ。敵はいつ何時、どこから襲撃してくるかわからないのだからな」
   オーケー軍曹どの。デニーは頷いて軍曹の目を覗いた。瞳の周囲が真っ白だった。
「ボビーでいい」と軍曹は口の端をゆがめて笑った。それからボビーは胸ポケットからガムを取り出してデニーに差しだした。
「ゆっくり噛め。クール・ダウンだ」
   デニーはボビーのくれたガムを噛みしめる。と、薄荷の強いフレーバーがツーンと鼻を貫いた。
「これはまた、強烈な……」
「こいつが一等シャキッとするんだ」
   ふたりは声をかみ殺しながら、しかし大いに笑った。
「なにを思いだしてた」ボビーは親しみのこもった口調でデニーに尋ねた。「女か?」
「女です」それでもデニーは敬語を使ってしまう。「もっとも、恋仲の、じゃなくて。もっと以前にガキだったころの、つまりその、初めてつきあったガールフレンドのことを、です」
「なんて名前の?」
「ジーン」
「ジーン」ボビーは穏やかな笑みを浮かべた。「いい名前だ。可愛い娘だったか?」
「ええ。上出来でした。そして自分よりちょっぴり大人だった。いま思えば、世の中の不条理に早くから気づいていました」そののち、公民権運動に参加したとは言わなかった。
「なるほど」話しながらも、ボビーは茂みの中を凝視する。一時も油断していない。「それでいまは?」
「ジーンは、カレッジからコーネル大学に進んだと聞いています」
「なんだ、ふられたのか」
「イェー」デニーはわざとだらしない発音をした。「あっさりと」
You've Lost That Lovin' Feelin' 」
   するとボビーは、豊かなバリトンで、ライチャス・ブラザースの一節をうたいだした。
 
 
   コーラス箇所の、ウォーウォーウォーと下降する旋律のところで、デニーは3度のハーモニーをつけた。ボビーは「こっちに来る前、やたらと流行っていたからな」と照れくさそうだった。
「ええ、ヒットしましたね。フィル・スペクター、ウォール・オブ・サウンドの最高傑作」
「最近の若い奴らの音楽には、まったくついていけない」ボビーは真顔で言った。「ドアーズだのジャニス・ジョプリンだの。音楽に聞こえないよ。このあいだ、キャンプにイギリス人ジャーナリストが取材に来てただろ。そいつに聞かされたあれなんか……誰だったか」
「それだ。おれにはグニャグニャしていてさっぱりわからん。とても同じブラックとは思えん」
ボビーは天を仰いでみせた。「ビーチ・ボーイズのほうがまだ耳になじむよ、デニー
   それからボビーは黙りこくった。皮肉なものだな、とデニーは思う。いま、かれのハートへダイレクトに届くのは、ヘンドリックスの混沌だった。それからデニーは、しばし考え、こんな質問を投げかけてみた。
「では、ボビーはどんな歌がお好きですか? サム・クックオーティス・レディング? それとも、ジェームス・ブラウン?」
「おれたちがR&Bばかり聴いてると思うのか?」ボビーは怒ったような口調になった。
「偏見だ。黒人だからってそうとは限らんだろう」
「失礼しました」
「俺はエルヴィスだって聞くし、ジョニー・キャッシュだって好きなんだぜ」それからボビーはククッと笑った。「ビートルズだってな」
   ベトナム奥地のジャングルで、一緒に行動しているうちに、デニーはボビーのことが心底好きになっていた。かれは勇敢で、正義感に満ち溢れた、誇り高い男だ。しかも寛容である。
《たとえ黒人であろうとも》
   いや、ボビーが黒人であるからこそ、デニーは自分の認識を書き換えざるを得なかった。
 
「これはまだ言うべき時期ではないが」
   ボビーは慎重に言葉を選んだ。
「このミッションが終われば、オキナワだ。デニー、もうすぐ帰れるぞ」
「ほんとうですか?」
「ああ」目を丸めて驚き、喜びに沸き立つデニーを諌めるように、ボビーはデニーの肩を掴んで、頷いた。「ほんとうだとも」
   もうすぐおれは解放されるのだ、この地獄のようなベトコン掃討作戦から! 思うとデニーは、どうしてもこみあげる笑いを抑えることができなかった。 すると、
「デニス・マクリーン!」
   低い声でボビーは唸った。
「浮かれるな。まだ任務は終わっていない。そんな調子では生還できんぞ!」
「申しわけありません」
「見ろ」とボビーは注意を促しつつ、デニーに双眼鏡を手渡した。
「あのブッシュ(茂み)に何人いる?」
「3人、です」デニーの声は震えていた。
「5人だ」ボビーは冷静を努めた。
「まだ潜んでいるかもしれないが」ボビーは裸眼でブッシュを凝視した。「行くぞ。中央突破だ」
   デニーは自分のMー16をたぐり寄せた。銃を掴む手のひらに、ジワリと汗が滲んだ。
「ベトコン・ゲリラを皆殺しだ」
「イエス、軍曹」
「ひとり残らず殲滅だ。さもなくば、われわれが死ぬ。わかるな?」
「イエス、軍曹」
「生きてアメリカへ帰るぞ、デニス・マクリーン!」
   イエスを連呼しながらも、デニーは恐怖におののいていた。震えが止まらない。歯の根が合わずに、ガチガチと音を立てている。そんなデニーの様子を察知したボビーは、落ち着け兄弟と自分の側に引き寄せた。
「ここから直線で1マイル」
   ボビーはデニーの耳に口を押し当て、噛んで含めるようにゆっくりとことばを発した。
「いいか、たった1マイルだ。学校へ通うくらいの距離だ」
「1マイル……」
「そうだ。たった1マイル進めば、本隊と合流できるんだ」
「わかっております。が、しかし……」
   足がすくんで動けませんとは言えなかった。するとボビーは、唐突にこんなことを言いだした。
「うたえ、デニス・マクリーン」
「は?」
「うたうんだよデニー、いちばん好きな歌を」
「うたうのですか?」
「そうだ。いちばんこころに残っている歌をうたえ。なんだっていい。それで恐怖に打ち克つんだ。おれも一緒にうたうよ、デニー
「……」
   デニーは頭の中が真っ白になった。いちばん好きな歌? いったいそれはなんだ? ジミ・ヘンドリックス? 違う。ハリー・ベラフォンテ? まさか。ではなにがーー
 
♪ DA DOO RON RON DA DOO RON RON
 
 はにかみがちにボビーが、『ダ・ドゥ・ロン・ロン』を口ずさみはじめた。
 倣ってデニーも「ダ・ドゥ・ロン・ロン・ダ・ドゥ・ロン・ロン」と唱和した。
「窮地に追いこまれるたび」ボビーは銃を身構えた。「不思議なことに、なぜだかこいつが口をついて出てくる」
「はい!」デニーは深く頷き、落ち着きはらって答えた。「行きましょう」
「アタック!」
  ボビーは静かに叫ぶと、一歩を踏み出し、ブッシュに向かってMー16を掃射していく。デニーもそれに従う。
 ふたりダ・ドゥ・ロン・ロンと口ずさみながら。
 
 
 
 
 
【表記について】
このエントリは、2005年に書いた短編小説を底本としました。私自身の今日的な感覚からすれば、黒人と表記した部分に抵抗がありますが、物語内で交わされることばのニュアンスと全体のトーンを統一するため、あえて当時そのままの表記を選びました。