鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

『若いこだま』によせて (補遺)

 

  前掲『若いこだま』にかんして、付け加えるべきを書き記すことにする。

 
《ロックバンドにかんしておけるアンサンブルは、整合性を目的にしてはならない。》
 
 そのことを強く訴えておきたい。
 もっと率直にいうならば、
《積極的にはみだせ》
  これだ。
  全員が、一丸となって、なーんて高校野球じゃあるまいし、そういう姿勢で演奏に取り組んだところで、なにがロックだ、というハナシ。
  全員が、合わせよう合わせようとするがあまり、腕が縮こまり、アンサンブルがこぢんまりと小さくまとまってしまう。
 ロックバンドは、 合わせようとしちゃ、ダメだ。
 
f:id:kp4323w3255b5t267:20150309223110j:plain ブラー『パークライフ
 
 このことに遅まきながら気づいたのは、バンド活動をやめて、ひとり多重録音に勤しみはじめてからだった。
 ぼくはコンピューターによる自動演奏を好まないので、もっぱらマニュアル、つまり人力でしこしこと演奏していた。
 するとどうでしょう、ぼくという一人が何回も繰り返し演奏するので、ノリが均一化し、なんとも面白みのないアンサンブルになってしまう。ベースもピアノもギターも、みな一緒のタイミングになってしまうと、一体感は確かにあろうけれども、表現としてはノッペリとして、奥行きに欠けたものになるのだ。
 だからあえて、タイミングを外してやらねばならない。
 意図的に、ノリをギクシャクとさせたり、いい加減に放りやったりしなければならない。
 
 そうした「はみだし」を施すことによって、アンサンブルに生気が宿る。
 表現とは、一筋縄ではいかぬものである。
 
〈この「はみだし」を意識的にやっていたのが、イギリスの「blur」というバンドだった。それ以前にあったかもしれないが、意図的なズラシを芸にしてみせたバンドの嚆矢だといえるだろう。
 
 
 聴いて、頭がいいアンサンブルだなと思った。ヘタクソを、乱調を装っている感じ。その態度がひじょうにクールに思えた(余談だが、近年のblurは円熟した演奏を聴かせる。オトナの、アンサンブルを)。たぶん、それ以前の英米のバンドから、スケール感が失せていたから、その反動としての在り方だったのだろう。
 人力で演奏する意義というか、醍醐味というか。
  それとほぼ同時に、アメリカではグランジ/オルタナティブ旋風が吹き荒れたが、そのどれもが、お行儀のいい演奏なんてまっぴらだぜ、と主張しているように思えた〉
 
 比して思えば、ニッポンのバンドの大半は、窮屈なアプローチをとっていた。
 はみ出したアンサンブルは良くないという、迷信みたいなものに支配されていた。
 それはアマチュアのみならず、プロの世界でも同様だった。
 クリックに合わせなきゃいけない、100分の1秒の単位で。
 いま思えばナンセンスの極みだ。
 80年代の演奏がなぜ硬直化して聞こえるか、その原因はじつにそこにある。
 バンドの演奏が緊張しており、柔軟性・弾力性にかけるからである。
 それが克服されるのは、もっと後のことだ。
 このあいだラジオで、コレクターズの加藤さんが、モッズのあとにナンバーガールをかけてサンボマスターをかけた。
 それぞれのバンドに、腕前の差がさほどあるとは思えない。モッズの演奏は実際にライブで観たが、いまの水準からしても達者なものだった。しかし、その三者を時間軸に沿って並べたら、差は歴然としていた。加藤氏はそれを、ミキシングの違いだとした。それもあろう。しかし、それ以上にぼくが感じたのは、アンサンブルへのアティチュードの違いだった。
 後者になればなるほど、はみだしを恐れなくなっている。
 腕が、縮こまっていない感じを受ける。
 繰り返し述べるが、モッズの演奏が下手なのではない。
 ただ、一丸となった演奏が、結果として、スケール感を損なわせている。
 その一体感は、いったんナンバーガールの世代によって解体され、サンボマスターの世代によって再構築される(後者ふたつの世代差はほとんどなかろうが)。
 ロックという音楽におけるアンサンブルは、かようなプロセスを遂げて進化してきたわけだ。
 
 ぼくはいまでもロックが好きだ。
 好きな音楽ジャンルの最高位に位置する。
 これからも多くのすぐれたバンドが、世に現れることを期待してやまない。
 だから、若い世代にむけて、お説教好きなプロセスおじさんからの、これはアドヴァイスだ。煙たいかもしれないが、耳を傾けてほしい。
 
 はみだすのを恐るな。
 むしろ積極的に、はみだせ。
 無理して、合わせようとするな。
 合ってないのが当然だ、と思え。
 最初は気持ち悪いかもしれない。カタチが整わなくて耳障りかもしれない。
 いいのさ、それで。
 デコボコだっていいんだよ。
 たかがロック、さ。
 のびのびと、自由闊達に演奏しろ。
 なあに10年もやってりゃ、どんなにヘタクソなアンサンブルでも、熟成してまろやかになるから。
 それはそれで、コクと深みのある、シブいアンサンブルだが、最初のうちからそんな境地を狙う必要はない。
 聞き手が呆気にとられるような音を響かせろ。
 とにかく、はみだせ。
 ありとあらゆる意味で。
 世界を、黙らせるんだ!