鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

 mixi日記より発掘 ぼくは「鉄」ぢゃないよ。

 
 線路際で働くと、どうしてもそっちに目がいきがちだ。
 南武線ではひっきりなしに貨物列車が行き来しているから。
 ふと気づくと、視界の端から端へと、カーブを減速しながら横切っていくものだから。
 予想した以上の巨大さ、唐突さは、小津安二郎の映画を思い起こさせる。
〈これはまるで小津アングルだな……〉
 と納得していると、頑なな批評精神が、違うと異議を唱える。
〈なに言ってんだ。あれは映画で、フィクションだろ? 現状認識があべこべじゃないか〉
 わかってる。現実を虚構になぞらえることの愚は。だけどね、なんだか非現実的なんだよ。
 目の前にいま起こっていることのほうが、フィクションのように思えてならないんだ。地に足がつかなくって、妙にふわふわしている。
 つねに意識してないと、じぶんのからだが、風にさらわれて、どこかに飛んでいきそうなんだ。
 
〈それも比喩かい? 〉と批評精神が揶揄する。
〈なあ、現実をみろよ。目の前を走る貨物列車のことだっていいさ。
 JRの乗車率は前年度に比べて30%も落ち込んでいるが、貨物はべつだ。S井も言ってただろう、「JR貨物フル活動ですよ(大儲けじゃないですか)」って。
 夥しい数の石油タンク車を見ろよ。川崎から現地へ、石油を輸送する手段ともなれば、鉄路がフル稼働するのも頷ける話じゃないか。〉
 ぼくは批評精神の耳打ちを話半分で聞いていた。
 現実味に乏しい感情に囚われ、そこから離れられない。
 そして想像の裡で、よく少年期に試みた、ひとり遊びをはじめる。
 
 電気機関車。実存そのものの存在。
 モーターの唸りをあげ、レールを軋ませながら走る、逞しい鋼鉄のかたまり。
 EF-210「桃太郎」、重連構造のEH-200「ブルーサンダー」、南武線のエースは、この二機種の電気機関車だ。どちらもまだ新しく溌剌としている。何十連もの貨物を牽引してゆく姿を、あこがれのまなざしで見あげている。10歳くらいのガキだったら、思わず「カッコいい」とつぶやくところだ。
武蔵野線では“トワイライト・エキスプレス”のロゴが横っ腹に描かれているEF-510を見ることもある。旅客用を使わざるを得ぬほど、機関車が足りてないのかと想像する。)
 だけどぼくはロートルにより惹かれる。剥げかかった塗装の、昭和を感じさせる風貌の中継ぎ陣。中年の自分に重ねているのかもしれない。
 箱形で控えめ、実直そうなEF65。往年の貴婦人を想わせる流線型のEF66。かれらの寡黙なたたずまいに、よりこころを寄せてしまう。ディーゼル機関車のDE-10もたまに見かけるが、自分の領域で、できる範囲をまっとうしている、そんな印象。
〈へえ。とうとう擬人化するのか、まるで“機関車トーマス”だな〉
 放っとけ。思うさまからかうがいい。
 子どもじみた、頭のなかの機関車ごっこを。
 だって、そうでもしないと、想像力が肉体から乖離していきそうで。
 空想を現実につなぎ止めておくための、擬人化は、その方策なんだ。
 ぼくは「鉄」ぢゃないよ。ただ、そう思われても一向にかまわない。従来の流派とは、やや趣が異なるだろうがね。
 f:id:kp4323w3255b5t267:20161113111927j:image
 2011 04/24に書かれた記事です。