鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

マヨネーズ

総体としてのマヨネーズが私を苦しめるのだ。

マヨネーズという概念、と言い換えてもよい。

 スマッシング・パンプキンズに「Mayonaise」という沁みる曲があって、ぼくは大好きなのだけど、こと食べ物のこととなると、どうしても寛容になれない。

 ここで声を大にしていいたい、

 ぼくは、マヨネーズが、だい嫌いだ!

 正確には、大嫌いではなくて、単に「食べられない」のであるが。

 食卓にマヨネーズのチューブがあるだけで、食欲が減退する。あのすっぱい匂いを嗅いでしまったら、さらに食べる気が失せてしまう。

 いったいどうしてこうなってしまったのか? その原因をたどってみよう。

 

 幼少のころより、偏食の甚だしい子どもではあった。これは好き、それは嫌い、あれは食べる、どれは食べられないと、手間ひまかかるガキだった。しかし母親は、無理強いはしなかった。食べられなかったら他ので補えばよい、という発想の持ち主だったから、小学校に上がるまでは、たいして苦労はしなかった。

 困ったのは、学校給食である。

 給食では、かなりの割合で、マヨネーズを使った食べ物が出ていた。ポテトサラダのように、素材に練りこまれたものもあれば、野菜サラダのように、セパレートになっていたものもある。ポテトサラダなどは人気があったから、食べたいやつに食べてもらっていた。しかし、閉口したのは野菜サラダだ。ぼくはマヨネーズをかけないで素のままで(?)野菜を食べた。萎びたキャベツときゅうりともやし。無味乾燥で、不味かった。

 そして、小さな袋に詰められた味の素のマヨネーズを、ぼくはこっそりポケットに隠して、あとでゴミ箱に捨てていた。ゴミ箱に捨てていたのを担任に見咎められると、家に持ち帰って捨てていた。それでなんとかやり過ごしていたのだが。

 3年生になって、担任が男性になった。

 厳しい先生で、「お残しは許しまへんで ©忍たま乱太郎」の方針をとっていた。食べてしまうまで片付けられない。休み時間になっても食べきってしまわねばならない。食べるのが鈍かったぼくは、よく最後のひとりになって、自分の食器を給食室まで運んだものだった。

 先生は、各班ごとに同席し、児童の食べる様子を観察するのが慣わしだった。

 ぼくの班に来たときは、とりわけぼくの食べる様子を注視していた。そして、その日は運悪く野菜サラダの日だった。ぼくがマヨネーズをかけないで食べようとしたところに、すわ注文が入ったのである。

イワシくん、どうしてマヨネーズをかけないの?」

 ぼくはもじもじしながら、食べたくないからですと小声で答えた。どうしてと尚も訊くので、嫌いだからですと正直に打ち明けた。

「食べず嫌いはいけないな。よし今日たべれるようになろう、それがいい」

 うんうんと頷きながら先生は、マヨネーズの袋の切り口を開け、金属製のお椀の野菜の上に、もりもりとマヨネーズを盛った。そして、

「さあ食べなさい」

 とニコニコするのである。ぼくはなるたけマヨネーズのかかっていない場所を選んで、恐るおそる口に運んでいたが、気の短い先生は、それじゃダメだろうと身を乗り出して、

「ぼくが食べさせてやるよ、ホラ口を開けて大きく!」

 と言いながら、先割れスプーンをぼくの口のなかに無理やりねじ込んだ。

 ぼくは涙を流しながら――泣いているのではなく、苦しかったのだーーろくに噛まずに嚥み下そうとした。が、喉の奥から鼻に向かって、あのマヨネーズの酸っぱみが込みあげてくると、もう飲みこめなくなった。とうとう我慢できずにーー 

 ぼくは吐いた。

 吐き出した先が、また悪かった。ぼくがひそかに〈いいな〉と思っていた女の子のスカートの上に、ぶちまけたのである。

 女の子は泣きだした。ぼくも堪らなくなって泣きだした。

 その後のことは、記憶に残っていない。クラス中、大騒ぎだったろうが。

 先生はその後、さすがに無理強いすることはなくなった。食べ残しに関しても寛容になった。

(その教師をぼくは嫌いではなかった。作文が好きになったのは、この先生が児童に雑記帳を書かせ、こまめに目を通し、的確な感想を書いてくれていたためであると、むしろ感謝している)

 

 その後、偏食は少しずつ治まり、中学・高校と、順調に成長したのであるが。

 高校三年生のときに、もうひとつ、忘れがたい出来事があった。

 ぼくにも人並みにガールフレンドができた。ショートカットのよく似合う、能年玲奈ふうの容貌の女の子で、ぼくは可愛い彼女ができたことで有頂天だった。

 違う高校に通っていた彼女から、運動会に来てねと誘われた。お昼ごはんを一緒に食べようという。ぼくは浮かれまくって、精一杯かっこつけて、他校へ乗りこんだ。

 昼休み時におち合って、大きな楠の木の下にシートを敷き、彼女は手製のお弁当を広げ、ぼくに食べるように勧めた。

「ぜんぶわたしが作ったけん、味は保証できんよ」とはにかみながら。 

 喜びいさんだぼくが、お手元を取り、いただきますと臨んだ、そのときである。

 弁当箱の片隅にブロッコリーの茹でたのがあって、その上にマヨネーズがたっぷりかかっていたのが目に飛びこんだ。

 ――さあ、どうする。

 たじろぎながらも、ぼくは箸を動かしはじめた。まさか、食べる気が失せたなどとは、口が裂けてもいえない。なるべくブロッコリーとは遠い位置のおかずから食べ進めた。箸先にマヨネーズが付着せぬよう気を配りながら。

 ぼくの食べる様子を、彼女は注意深く観察していた。

(ああ、あのときと同じだ……)

イワシくん、口に合わんと?」

「……いや、うまかよ、とっても」

 しかし、やせ我慢もここまで。ぼくは3分の1ほど食べたところで、とうとうギブアップした。彼女の前で、彼女の通う学校で、醜態をさらすのが、恐ろしかったせいもある。

「ゴメン。どうしても食べれん」

「なにが好かんだったと? 教えて」

「ん、マヨネーズ……」

 すると彼女は、目を丸くして驚いた。

「なんでー、こんなに美味しかとに」

 抗議するような視線をぼくに送ると、彼女はぼくの食べ残したブロッコリーを指でつかんで、むしゃむしゃと食べはじめるのだった。

 指先についたマヨネーズをなめている彼女の唇を見つめながら、どうしてだろう、ぼくはこの付き合いが早々と終わってしまうことを予感していた。

 

 このほかにも、マヨネーズ嫌いのせいで、他人から意見されたり、からかわれたりしたことは何度もある。

 いわく、「さっき食べたハンバーグのソースに、マヨネーズ混じっていたよ。イワシくん、ホントはマヨネーズ食べられるんだと思うよ」だの、

 いわく、「いっぺんイワちゃんをみんなで羽交い絞めにしてさ、無理やりマヨネーズのチューブを口に押しこんでみてはどうだろう、意外と好き嫌い直るかもよ」だの(さすがに大人になると、やめてくれ~とかおどけてやり過ごす術を覚えたが)、

 いわく、「マヨネーズ嫌いは克服できるよ。なぜってキミ、原料はビネガーと卵とサラダオイルさ。それぞれのどれかが苦手かね? で、なかったら大丈夫さ」だの、

 だの、だの、だの。

 独身時代、最後の御方の意見に従って、自分で作れば好きになるのかなと思って、休日に挑戦してみたことがある。

 しかし、上手くいかなかった。どうしても分離してしまうのである。

 ボウルの底に沈んだ卵黄と、表面の油膜を見ただけで、食べる気がしなかった。

 意を決して、指にすくってひと舐めしてみたが、酢のにおいの混じったサラダ油に過ぎなかった。

 きっとこの部屋の風通しが悪いせいだなと独りごちて、マヨネーズ作りをあきらめた。

 たしか伊丹十三のエッセイに、そんなことが書かれていたはずだ。

 

【蛇足】

 スマッシング・パンプキンズは、米グランジオルタナティヴの潮流ではいちばんぼくの気持ちにフィットするバンドだった。フロントマンのビリー・コーガンは(トランプを支持するなど逆張り困ったクンだが)ソングクラフトに才能を発揮した。基本的に「うるさい」ナンバーが得意だったけれども、かれらの場合スローな楽曲にも強みがあった。『ギッシュ』の「ライノセロス」や『アドア』の「フォー・マーサ」や『マシーナ』の「トライ・トライ・トライ」など、せつないとしか形容できないうたがいくつもある。それよりもなによりもビジュアルがイカしてた。もの静かな(日系アメリカ人)ギタリストのジェームス・イハ、豪腕ドラマーのジミー・チェンバレン、そして紅一点、ベーシストのダーシー・レッキー。どことなくオタッキーで大きな赤ん坊みたいなビリーの風貌を含めて、スマ・パンは「パーフェクト」だった。

f:id:kp4323w3255b5t267:20150226131638j:plain ダーシー、かっけー!

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