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鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

mixi日記よりアーカイブ 「Have you ever seen...」2011年2月11日

 

「信じるか信じないかは、あなたの自由です」(これって秀逸なクリシェだね)

 ぼくは三度、それを見たことがある。一度目は19歳のころ、熊本の実家の裏方にある岩倉山の山頂で。二度目は29歳のころ、出張先の大阪は枚方市の香里ヶ丘付近で。
 一度目の目撃はぼくひとりだったが、二度目はもうひとりいた。
 運転中の若い営業マンに助手席のぼくは、上空を見ろ! と乱暴なことをいった。ちょうど信号が赤に変わったから、かれはハンドルに身を寄せて、フロントガラスに鼻をくっつけるようにして、ぼくの指す方向を見あげた。
「あーなんか浮いてますねー」
「だろ? たしかに浮かんでるよな。あれいったい何だ? 人工衛星にしちゃ近すぎだろ。翼もなにも見あたらないし、飛行機でもないとすると――」
「未確認飛行物体、ってところですかねー」
 興奮するぼくに、いたって冷静にそう告げた彼は、信号が青になったので、クルマを発進させた。
 鈍色に光る球体は、ゆらゆらと身を揺らしながら、夕刻の淀川上空へと漂っていった。やがて建物の陰になって見えなくなると、ぼくもかれも、その話題については触れなかった。まるで何事もなかったかのように。

Ry Cooder-UFO Has Landed In The Ghetto - YouTube


 そして三度目は三年前の夏、家族で北軽井沢に行ったときのことだ。
 ペンションの裏庭で、こどもたちと花火に興じたあと、ぼくは部屋に戻って、ベッドに横たわっていた。するとドアをノックする音がし、扉を開けたらMさんだった。
「流星群、もうじき始まるようですよ。どうです一緒に、見に行きませんか?」
 うーんどうしよう、とためらったぼくの目の前に、Mさんはクルマのキーをかざしながらほほ笑んだ。
「ぼくはまだワインの酔いが残ってるんで。イワシさんに運転をお願いするしかないんです」
 行こういこうとウチの女性陣は唱和したし、Mさんのお誘いをむげに断るなんて、とても出来なかった。
 行きましょうとぼくは答えた。かれのワーゲンを傷つけないようにしなくちゃと思い煩いながら。

 ぼこぼこと小石の当たる音が伝わる未舗装のでこぼこ道を、ぼくは慎重に進めていった。途中でシカかタヌキに出くわすんじゃないか、いやクマだって出没するかもよと、他のみんなはおおいに盛り上がっていたが。
 10分ほどして広い場所に出た。
 目の前に浅間山のシルエットが黒々と横たわっている。
 鬼押し出しの駐車場。ここに停車して夜空を見あげることになった。視界を遮る木々はなく、星空を観察するには絶好のポジションである。同じことを考える人間はいるもので、ぼくたち一行以外にも、けっこうな台数が駐車場に停まっていた。
 流星を観に集まった人たちはおしなべて静かで、エンジンを止めて、ラジオや音楽を聴くこともなく、期待に胸をときめかしつつ神妙な面持ちで、星空を見あげている。こどもたちもそれに倣って、お喋りを慎んだ。
 するとMさんがトランクを開け、ビニールシートを広げだした。
「首が痛くなるから、みんな横たわって観ようよ」
 勧められるまま横になってみると、昼の熱気がこもったアスファルトから温もりが伝わってきた。
 そこでぼくらは横たわりながら、天を仰ぐことにした。
 満天の星が、こぼれ落ちそうなくらい、無数に煌めいていた。

 やがて駐車場のあちこちから、「あっ、いまホラ」「見えたみえた!」と歓声があがりはじめた。Mさんちのお子さんも流星を見つけたと喜び、うちの子もあっ発見、と嬉しそうだったが、いまだに流星を目撃できないぼくは、内心やきもきしていた。 二、三十分ほど経ち、ようやく一筋の光が天頂から浅間山麓に落ちてゆくのを認めて、ぼくはホッと息をついた。おいオレもようやく流れ星を見つけたよ、そういおうと思った矢先だった――

 浅間山の麓、北の方角だと思うが、そこに“オレンジ色の発光体”が、明滅しながら、上空に留まっていた。

 仰向けだったぼくは、慌てて身を起こして、思わず目をこすった。冗談だろと口の中で唱えつつ、唾を何度も飲みこんだ。むかし二度遭遇したそれとは存在感が違った。どう見なおしてもその明々とした発光体は、ぼくの目には圧倒的にリアルに映った。
「オトーサン、あれ……」
 うちの子がかすれた声をあげた。
「やっぱり、そうだよな」
 そう答えるのが精いっぱいだった。
 やがて、駐車場のあちこちから「UFO?」「UFOだろ……」という声があがりはじめた。半信半疑、だから傍にいる人に本当かどうか確認したい、そんな思いを口々に唱えているように思えた。
 しかし、ぼくを含めるそこにいたみんなは、次第に声を潜め、沈黙を選んだ。
 そこに流れた意識の交流というか、共感のような感情は、うまく説明できない。ことばにするのが、なんとなく憚られたというのが正解か。鬼押し出しの駐車場、そこに居合わせた人たちは、いずれにせよ軽々しく口にするよりも、謎の光をビデオに収めたりすることよりも、黙って、じっと見守ることにしたのである。
 およそ五分間ほど、そんな状態が続いた。ぼくのこころに湧きあがった驚きや不安、あるいは怖れは、その間に解消され、自分でも不思議なほど穏やかな気持ちで、その時間を過ごしていた。
 発光体はしばらくその場に留まり、わずかに上に下に動いていた。たまにオレンジは黄色に近くなり、また青白く輝いたようにも見えた。上下動の理由はヘリコプターだったからかもしれないし、色の変化は目の錯覚だったかもしれない。でもぼくは、流星群の降ったあの晩、たしかに未確認飛行物体を目撃したと断言できるし、Mさん一家をはじめ、証言者だってたくさんいる、たとえ翌日の新聞に報じられなくともね。

 いつ光が失せたのかは、よく覚えていない。
 ただ、浅間山の黒々とした山影が膨らみ、のしかかってくるように感じられた。

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※ 追記:この日記への、ある方のコメントがとても嬉しかったので、その一部を紹介したい。

 

まるで冷えたグラスから落ちた滴がペーパーコースターに滲みていくように、浅間山の黒いシルエットに惹きこまれてしまいました。

シンプルに描かれた情景だからこそ活性化される読む側の想像力。
欠如している僕の想像力でも、浅間山の黒いシルエットに落ちてゆく流星群と直後に現れたオレンジ色の謎の物体を心のスクリーンに映すことができました。

そして僕も沈黙し共感しました。

”しかし、ぼくを含めるそこにいたみんなは、次第に声を潜め、沈黙を選んだ。
 そこに流れた意識の交流というか、共感のような感情は、うまく説明できない……”

もちろんその場にいなかった僕の共感は、リアリティーに欠けます。しかし、冴えた感性の持ち主の文章によって、読む側は疑似体験することができ、そこに共感や共振が生まれます。

リアルに体験した夏天空(註:当時のぼくのハンドルネームです)さんが、上手く説明できないほどのその時生まれた意識の交流と共感のような感情が、自然の原理、宇宙の真理みたいなものに含まれ、融合し、”沈黙”が生まれた。こんなふうに感じます。
たぶん僕はその沈黙の中に浸透したのだと思います。言い方を変えれば沈黙を感じることができた。描き手の冴えた感性によって。

そして共感こそ自然が人の感性に与えてくれる、最高のプレゼントかもしれませんね。
夏天空さんが、媒体となり得ることができました。