鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

70年代の巫女たち(金延幸子、カルメン・マキ、佐井好子)

 

洋楽ばかり聴いてるけど、では、日本の歌に興味がないんですか?

 

たびたび訊かれた質問だ。そんなことはないよとぼくは面倒くさげに答えていた。

日本語の歌も聴くよ。男性よりも女性歌手が好きだな。若いころは矢野顕子とか大貫妙子(いずれ書きます)をよく聴いていた。鈴木さえ子小川美潮も好きだった。わりとふつうの趣味だろ?

だけどこの年齢になると、自分が音楽を聴きはじめたよりもちょっと以前の、ロックやフォークやジャズに興味が向いてきた。話は逸れるけど、たとえば「外道」なんて、当時それほど好きじゃなかったのに、今の耳で聴くと「わーサイコー、こんなにカッコいいロックをどうして見過ごしてたんだろ?」と思っちゃう。

香り - ライブ, a song by 外道 on Spotify

今日はさらっと流したいから、脱線はこれくらいにして。

最近よく脳裏を過るのが、以下に挙げる三人の女性歌手だ。いずれもかの女たちが活動していた70年代には耳にしなかった。カルメン・マキは有名だったけど、OZをまともに聴いたのはずいぶん後だし、他の二人に至っては、認識したのは21世紀に入ってからだよ。

だけどなぜだろう。懐かしい感じがする。聴いていなかったくせに郷愁を掻きたてられる。でも、今日は惹かれる理由を深く掘り下げないでいたい。詳しく知りたければ他を当たったほうがいい。

 

金延幸子

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金延幸子の「み空」は衝撃的だった。かの女はフォークの黎明期から関西で活動していたシンガー・ソングライターで、72年に同名のアルバムを発表している。これがまたなんとも不思議な曲で、調性がよく分からない。長調短調を行ったり来たりするんだ。説明するのが難しいな、聴いてみようか?

み空, a song by 金延 幸子 on Spotifyopen.spotify.com

いちばん近いのはジョニ・ミッチェルか。ファーストアルバムの感触に近い。他の曲を聴くとジュディ・シルみたいな雰囲気もある。サウンドの色彩感はプロデュースした細野晴臣の手腕かもしれないが、しばらく聴いているうちに、〇〇に似ていると考えることが莫迦らしくなってしまう。金延幸子のクセのない歌唱ときれいな日本語の響きに耳を傾けているだけで、ぼくは充足するんだ。

鳩の飛び立つ中を 犬がかけていく

空は どこまでも 青い空

私の腕が 太陽に届いたのは その時

流れる雲に抱かれ 魔法の海へ

過剰に印象づける愚は避けたいが、村上春樹の小説『海辺のカフカ』で、19歳だった佐伯さんが作った「海辺のカフカ」は(二つの不思議な響きのコードを持つという共通点があることを考えたら)こんな歌だったのかもしれないなと想像する。 

【追記】Spotifyに、金延幸子さんが1999年に発表したアルバム『SACHIKO』がアップされている。これまた時間をピンで留めたようなタイムレスな仕上がりで、「み空」を聴いたときと同じような浮遊感を味わえる。

open.spotify.com

ぜひ聴いてみてほしい。

 

カルメン・マキ(&OZ)

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あまりくどくどと説明したくないな。OZが活躍していたころ耳にはしていたけど、それほど好きではなかった。すでにパンクロックの時代に入っていたからか、OZ(の音楽をけん引したギタリスト・春日博文)のアプローチはなんだか古くさく思えた。けれども今ふたたび聴いてみれば、陳腐な言いぐさだけど「時代を超越した音楽」の底知れぬパワーを感じる。

どちらも重要なので一本に絞りきれなかったんだ。両方とも聴いて!

あの空を、と指さすその手に微笑めば
何事もなくあなたの家は沈みこむ
いつのまにか私の体も夕焼け色に
地平線に悲しいしぐさ少し動いて

加治木剛(またの名をダディ竹千代)の書いた歌詞は抽象的だけど、マキの圧倒的な歌唱によって生命を吹き込まれた瞬間、リアルな映像となって眼前に迫ってくる。「私は風」(マキ本人の作詞)の「どうせ私は気ままな女、気ままな風よ」前後の、演歌チックに感じられる箇所ですら、マキが歌えばあたかも聖書の一節、マグダラのマリアのごとく啓示的に聴こえてしまう。 

 

佐井好子

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佐井好子について語るのは気が引ける。アルケミーレコード主宰で非常階段のリーダーであるJOJO広重氏が詳細なデータ&解説を施してしまっているから。「にわか」のぼくが語るよりもそっちを読んでもらったほうがよいね。

Alchemy Records - Culmn - こころの歌・最後の歌⑴

Alchemy Records - Culmn - こころの歌・最後の歌⑵

Alchemy Records - Culmn - こころの歌・最後の歌⑶

『密航』もすぐれたアルバムだが、私的には『胎児の夢』がもっとも好きな作品だ。

大野雄二(『ルパンⅢ世でおなじみ』)による編曲がすばらしい。杉本喜代志(ガットギター)、佐藤允彦(ピアノ)以下の演奏も文句なし。佐井本人のスキャット・歌唱・詩の朗読を含め、国産最高のジャズアルバムと呼ぶにふさわしい、プログレッシヴな出来映えの作品である。

夢野久作の小説をライトモチーフにした、かなりディープな世界観だのに、あまりおどろおどろしくならず、むしろ涼やかで、さらりとした触感がある。ぼくが佐井作品を飽きずに聴ける理由は、情念に溺れない怜悧なアプローチにあるのかもしれない。

 

 

今回、三者の音楽を並べてみて、いずれも歌詞の抽象度が高いと感じた。しみったれた感じがしない、いわゆる世間一般が歌う「恋愛」とは隔たった場所にある。裏を返せば浮世離れしているとも言えるだろうが、こういった、ことばそのものの浮遊した感覚が、昨今めっきり少なくなっているのではないかしら。

金延幸子はフォーク、カルメン・マキはロックとジャンル分けされるが、佐井好子は、はて何だろう?カテゴライズしにくい音楽だ。いや、前の二人にしてもジャンルの枠内には収まりきれない音楽的裾野の広がりがある。一概にフォークだロックだと断定できない独立性がある。

むしろ三者に共通する要素は、シャーマニスティックなたたずまいである。本人の与り知らぬ領域で歌われる楽曲の数々。憂き世の桎梏から離脱する感覚。ぼくは今回の記事に「70年代の巫女たち」というベタなタイトルを冠したが、それは直感に依るもので理屈はあとづけ、説明は不可能だ。ともあれ三人の歌う詞(コトバ)が音楽という媒体を通じて純度を高め、結晶化していく過程が、ぼくにとってはいちばんスリリングに感じるところである。

んー上手く説明できないや。でも、この中途半端な文章を載せることで、今回紹介した三人の歌が一人でも多くの耳に届けば、目的の大半は達成したことになる。それでいい、それだけでぼくは満足だ。