鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

2018年8月のMedium

火消しではないと思うが……

楊井人文氏の報道検証記事、2つとも読んだけども、読売新聞がトーンダウンしたこと、情報リーク先の意図などの、さまざまな要素を考慮しても、現役男性受験者に有利な選考が行われたという疑いが依然として残っている。「三浪以下の男子に加点」が事実ならば尚更、訂正を打ったから一件落着、とはいかない。

しかも今回の報道で、日本の抱える問題(社会における女性の地位の低さ、男性優位の思考が内面化している等)が副次的に明るみになった以上、官邸&検察の意向だからとか誤報の可能性があるからとかの理由で追及するのを手加減してはならない。また、一面トップで報じた責任上、さらなる検証記事を読売は続けるべきだと思う。

さらに、みずからの裡深くにも「検証」の錐が下ろされなくてはならない。日常生活において、性差による不均衡を薄々知りながらも容認していたことを省みなければ「解」は見つからない。「私」を問題の埒外に置いてはならないのだ。

写真は東京医大の入試における「女性受験者の一律減点」を報じた外電の数々である。

The photograph is a number of overseas newspapers reporting “uniform reduction points only for female examinees” in the entrance examination of Tokyo Medical University.

はっきりカタをつけてよ。 鰯 (Sardine) 2018/08/06

 

【追記】

その後、この元記者による検証自体に、疑義が多く寄せられている。

さまさまな意見を一つに要約すると、

“gohoo”の楊井人文氏に関しては、現役新聞記者や元新聞記者がちゃんと反論した方がいいと思う。いつの間にか日本におけるファクトチェックの専門家としてふるまっている。誤報検証機構を検証する機構、が必要だ。1年かそこらの記者経験でインサイダーとして売り出した設定に無理があるから、時間を追って修正していく記事を「誤報だ」と騒ぐ必要にかられる。せっかく始まった「フェイクニュースへの批判や検証」を「フェイクニュース」レベルに落とし、私物化している。

異議ナシ、としかいいようがない。(8/11追記)

 

NHKの忖度原稿を添削してみた。

安倍首相 総裁選3選に向け立候補に強い意欲 | NHKニュース
安倍総理大臣は、山口県長門市にある父親の安倍晋太郎外務大臣の墓参りをしたあと、来月の自民党総裁選挙への対応について...
www3.nhk.or.jp(元記事は削除されています)

まず元テキストをまるっと引用しよう。

11日から地元、山口県を訪れている安倍総理大臣は、12日午前、昭恵夫人らとともに、長門市にある父親の安倍晋太郎外務大臣の墓を訪れ、線香を手向け静かに手を合わせました。/このあと安倍総理大臣は、地元の支援者らを前にあいさつし、自民党総裁選挙への対応について、「この6年間、国民のため、そして日本国のために全力を尽くしてきたが、この夏、しっかりと考え抜きながら、さらに重責を担っていくという判断をしていきたい」と述べ、3選に向けて立候補に強い意欲を示しました。/これに先立って安倍総理大臣は、海に向かって123基の朱色の鳥居が並び、去年1年間の観光客数が100万人を超えた長門市の人気スポット、元乃隅稲成神社を参拝し、観光客との記念撮影に応じていました。

冗長でしょ? ひどい原稿だ。こんなのを読まされるアナウンサーもかわいそうだけど、放送を聞かされるこっちの身にもなってみろよ、と思う(声に出して読んでみたまえ、恥ずかしくなること請け合いだから)。

拙い箇所を指摘および添削してみよう。

11日から地元、山口県を訪れている安倍総理大臣は、12日午前、昭恵夫人らとともに、長門市にある父親の安倍晋太郎外務大臣の墓を訪れ、線香を手向け静かに手を合わせました。

説明と修飾が多すぎないか?

拙い表現;

  1. 地元、山口県の「地元」は不要。
  2. 昭恵夫人らとともに、もトル。
  3. 長門市にある父親、も説明過多。
  4. 線香を手向け静かに手を合わせました。→「静かに」は余計。

添削例;

安倍首相は12日午前、家族を伴い、長門市にて父・安倍晋太郎氏の墓参りをしました。

このあと安倍総理大臣は、地元の支援者ら(中略)に「この6年間、国民のため、そして日本国のために全力を尽くしてきたが、この夏、しっかりと考え抜きながら、さらに重責を担っていくという判断をしていきたい」と述べ、3選に向けて立候補に強い意欲を示しました。

「」内は安倍首相の喋りが挿入される。彼の言葉の空虚さがお分かりだろうか。具体的な内容がないから添削できない。

これに先立って安倍総理大臣は、海に向かって123基の朱色の鳥居が並び、去年1年間の観光客数が100万人を超えた長門市の人気スポット、元乃隅稲成神社を参拝し、観光客との記念撮影に応じていました。

ね、要らん情報つめこみ過ぎだろ?

このニュースをラジオで聞いていて、私は頭が痛くなったよ。

余計な装飾;

  1. これに先立って、をトル。
  2. <海に向かって123基の朱色の鳥居が並び、去年1年間の観光客数が100万人を超えた長門市の人気スポット、元乃隅稲成神社>云々の過剰な説明も省く。

添削例;

また、安倍首相は長門市の元乃隅稲成神社を参拝し、観光客との記念撮影に応じていました。

こんな忖度だらけのニュースに、のべつ幕なしさらされていたら、そりゃあ国民は洗脳されるわ。でもNHKは官報じゃなく公共放送なんだから、少しはわきまえてもらわないと。

安倍首相は12日午前、家族を伴い、長門市にて父・安倍晋太郎氏の墓参りをしました。/このあと首相は、地元の支援者らに自民党総裁選の3選に向けて立候補に強い意欲を示しました。/また、首相は長門市の元乃隅稲成神社を参拝し、観光客との記念撮影に応じていました。

ほらスッキリした。煎じ詰めればこれでじゅうぶんだ。鰯 (Sardine) 2018/08/12

 

【追記】

けど、年末になってもNHKの報道姿勢は変わらない。むしろ悪化する一方である。2018/12/22

安倍首相 報道写真展鑑賞し1年振り返る 東京 NHKニュース
安倍総理大臣は22日午後、東京・中央区で開かれている「報道写真展」の会場を訪れ、(中略)そして、安倍総理大臣は、(中略)このあと、安倍総理大臣は記者団に対し、(中略)ことし1年を振り返っていました。

そして2018/12/25、日経平均株価は下落、20,000円を割って19,000円台に突入したが、アベノミクスの失敗を指摘するマスコミは、ほぼ皆無に等しい。

 

デッサン

文章の手つきが気にくわないと言われたことがある。いまだに根に持っているくらいだから、当時その講評に相当こたえたんだと思う。

私は文章を書くのが得意ではない。巧くなりたいと思うけれども一向に上達しない。「てにをは」が正しいか、句読点の配置はどうか、文意は通っているかの三点は必ず確認するけれど、自分で読み返してみると、あゝヘタだなあ、言葉に遊びが少ないなあと自己嫌悪に陥るのである。

文章の巧い人は二、三行で全部を語る。説明という余計な枝葉なしに核心のみを書いて事足りてしまう。そういう達筆をいくら拝んでみても手前の筆は良くならない。写経よろしく好きな文を丸写ししてみるのも手だが、写した先の猿真似になる危険性もある。自分なりの書法を会得するにはどうしたら良いのだろう。

藤堂高行という美術の研究者が、先日こんなことをTwitterに書いていた。

デッサン(素描)というのは上手い絵の描き方・方法論を学ぶためにやるんではないんです。いかに自分の眼に見えてるつもりのものが実際には見えてないかを自覚するためにやるんです。あれを繰り返すと、言語的把握に圧縮される前の視覚のRawデータを意識するようになる(把握できるになるとは言わない)。

次いで藤堂先生は十代からデッサンを学べる画塾が少なくなっていることを憂いておられたが、これらを読んで私は思わず唸った。「デッサンする意味」がストンと腑に落ちたのである。それまで私はデッサンを絵が上達するための修行のようなものだと思っていたし、筆の運びが巧みになるための(ピアノの練習に例えれば)ハノンのようなものだと勘違いしていたが、そうじゃないのだ。

デッサンは、「自分の眼に見えているものが、実際にはいかに見えていないかを自覚するためにする」ものなのである。

なるほどねえ……(なんでも相手がいる場合の「なるほど」は失礼らしいが、この際そんな駄法螺は無視だ無視)だから私の文章は良くならないんだ。なまじパソコンやスマフォでスラスラ書けるから、いかに対象が見えていないかを自覚していないんだ。その錯誤がようやく分かった。

手書きだと、否応なしに自覚するのだろう。が、情けないことに私は悪筆で、しかも手紙やら公宛の文書やら、慣れない手書きを書く際にゃ手が震え字が捩れる始末だ。今さら手書きには戻れない。

しかし、筆致とか筆づかいというようにキーで打った文章にも書き手の筆の運びは表れる。ならば文章のデッサンに勤むが一番だ。苦手を克服するではなく、苦手が何処にあるやを自覚することだ。

白状すると、私は情景描写が苦手だ。視覚的なイメージを書き表すことが億劫なのである。上の写真を描写すれば、

夕空を見上げてみれば、細く長い雲が、あかね色に染まっていた。

みたいに凡庸な表現になる。あかね色などという常套句でお茶を濁してしまう。でも、過剰な修飾や余計な説明はもっときらいだ。

三年坂から下通へ下りていく途中、アーケードの屋根の上に狭い空がのぞいた。色あせたような青を背景に、絹を引き裂いたような一筋の雲が、夕陽の朱い色に染まりながら、薄情そうにたなびいていた。

なんてね。恥ずかしいじゃないの、野暮だなって自分でも思うよ。

だけど、こういうデッサンを、厭わずに繰り返そうと思う。確かに私は巧くないし、引き出しも多くない。が、その悪戦苦闘をすることで、自分の得手不得手が見えてくるような気がする。

さらには見えていない欠点を回避したり利用したりもできるようになるかもしれない。いやいや、その雑念を頭から除外せねば。それから……(以下、悶々と続くので割愛)。

先ずは、<言語的把握に圧縮される前の視覚のRawデータを意識>してみよう。

文章を書くとは、言語的把握に圧縮する作業に他ならないから。 鰯 (Sardine) 2018/08/28

 

2018年7月のMedium

スクリーンショット

スクショは趣味じゃないが、今回こんな出来事があった。↓これに関する傍証として、まとめておくべきだと考えた。

韓国プチョン映画祭に招かれた日本人映画監督 鳴瀬聖人、日の丸ハチマキに日本刀で映画館のスクリーンに穴を開ける【温泉しかばね芸者】
韓国の富川(プチョン)映画祭に招かれた大阪芸大出身の『温泉しかばね芸者』の鳴瀬聖人監督が、日の丸に日本刀でレッドカーペットを闊歩、舞台挨拶で日本刀を振りかぶり、スクリーンに穴を空けて250万円を請求されそうになった。… 

私は以下の感想を書いたが、この記述が正確かどうか、自信がなかった。

そこで6月13日〜14日のTwilogから、上記に関するやりとりをピックアップした。

この、ashida10721 というアカウントが、『ファミリーウォーズ』を撮った阪元裕吾監督である。彼はのちに、引用先の予告編動画を載せたツイートを削除した。

すると、前掲 Kase Tamamiさんのツイートに、以下のリプライがあった。

私はこれを見て、かなり腹を立てた。言うに事欠いて、馬鹿はないだろうと。そこで “おしり”氏に返信をかぶせた。ということは、私は絡まれたのではなく、自分から絡んだのだ。そこは訂正します。

↑ここまでが13日、

↓以下は翌朝の14日。

ここで“お しり”氏は〈作品を観ないうちから批判するな〉に近い内容の意見を出しているが、口調は先晩と変わって控えめな感じになった。そこで私は、

と返信した。向こうからも、

というリプライがあった(私が何を健闘するのかは分からずじまいだったが)。

また、カフカ(漫才師にして大学院生)氏の意見も参考にしていただきたい。↓

↑ 最後にKase Tamamiさんが指摘している、出資者等の責任という疑問は、今回の韓国の富川(プチョン)映画祭の一件においても、もっと問題視されるべきポイントだと思う。

さて、件の“お しり”氏、はたしてどんな立場の方だったのだろう。とりまきにしては、語気があまりにもシリアスではないか(だからこそ私は、滅多にしないやりとりを交わしたのだ)。坂元監督本人だとは言わないが、映画『ファミリーウォーズ』の関係者ではないかと睨んでいる。

あまり気は進まないけど、地元で上映されたおりには必ず観に行きます。たぶん酷評するだろうけど、映画人は観客を選べない。頑張って宣伝してくれ。そして、真なる“表現の自由”を獲得してほしい。

健闘を祈る。鰯(Sardine) 2018/07/21

 

Twitterについて思うこと

<今のTwitterは嫌いだ。>

ほんこれ。ヘビーユーザーだけど最近ちょっと無理になってきた。「生産性」がマジでゼロ。親しい相互の人とキャッキャウフフするのは楽しいから良いんだけど、自然と考え方の近い人達でクラスタ化するように設計されてるから、ある思考がクラスタの壁を越えて反対側に届いて理解されることがほぼなくて、いくら「議論」したところでだいたいブロックされて終わる。‪

気持ちはわかる。私もなんだか最近、諦めにも近い心境になっている。先月くらいから私も千をこえるリツイートが幾つかあって、いろんな人の目に触れているように錯覚するけど、でも、広がりに欠けているような気がしてならない。以前の、百前後のリツイートをもらっていた頃のほうが、もっと確実に伝わっていたように思う。

私は、政治や社会のあり方に疑問を感じ、その疑問を誰かに聞いてもらいたくて発言しだした。最初はmixi、次にTwitter、それからはてなブログとこのMediumだ。

とりわけのめり込んだのがTwitter東日本大震災熊本地震の、二つの災害を通じて、私もささやかながら意見を表明しだした。それ以外にもさまざまな出来事があった。プチ炎上したこともあれば、過大にウケたこともある。意外な方と出会えたし、かと思えば物別れに終わったこともある。気脈が通じていると当方が思っていても、相手もそうだとは限らない。

難しいもんだよ、人間関係って。

そう、SNSと言えども人間関係に変わりはない。相互の信頼を築き上げられるかどうか、そこに鍵があると思っている。

だから私は、なるだけ人となりが見えるように、プライベートな部分をある程度だが見せている。趣味や好みも、愚痴や弱みも隠さずにいようと心がけている。

なぜって?

それは自分が飽きないように、だ。

政治や社会問題の話ばかりだと、煮詰まっちゃうんだよ。書くのも、読むのも辛くなる。

だって、Twitterは専門書ではないんだから。それに毎度毎度、安倍政権は怪しからん!ばっかり書いていたら、仕事じゃあるまいし、そりゃ気が滅入るさ。

ところで私は、フォローするとき以下の二つを必ず確かめている。

  1. 自分の話題を持っているかどうか。
  2. 政治問題に特化したアカウントか。

政治のこと「だけ」を語る人や、自分の意見を喋らない人はリフォローしない。だって私は、あなた自身の感想が聞きたいんだ。津田や内田や小田嶋や菅野のリツイートばかりじゃつまらないんだ。あなた独自の見解が知りたいし、語るあなたの人となりを理解したいんだ。可愛い女性の写真をアイコンに使って、そんな問題よりこっちの問題の方が重要だと露骨な誘導を促すような、目的が見え見えなアカウントは警戒している。

それが私の判断基準だ。有名・無名は問わない。人柄の伝わるようなツイートが読みたいし、その人柄を誰かに伝えるためにリツイートしたいな。「ねえ、聞いてきいて、この人なんかとてもいい感じじゃない?」って。

最近、「デマだらけのネトウヨに対抗するためには、こちら(リベラル)も戦略的にツイートするべきだ」という動きがあるみたいだけど、はっきり言って私は乗れない。邪魔だてするつもりはない。が、積極的に応援はしない。

そんな手法で向こう側にリーチするとは到底思えないんだ。

私のツイートはbuzzらない。爆発的にヒットしない。ちょっぴり寂しい思いはするけど、癖のある文体と普遍性に欠ける視点だから、まあ仕方ない。でも、たまに突拍子もないところへ自分のツイートが届いているのを知ったとき、あーオレまだイケるかも、と感じる。その些細な喜びが、続ける糧ではあるんだよね。

あともう一つ、自分が面白い!と思ったアカウントが、ぐんぐん伸びてくところを傍らから見るのは愉快だな。見ていて爽快なんだよ、若い人のツイートは。

くり返すが、オールドスクールの私は若い人の邪魔にならないように一歩引いておく。伸びのびと語らってほしい。論文を発表するんじゃないから、もっと気楽に、自分の部屋で友だちと雑談するように。自分の雑誌を公開するように。Social Network をどう使いたおすかは、人それぞれ、思いおもいだ。どうかきみ自身の考えを自由に表現してくれ、私は読むのを楽しみにしている。

(ゴミ置場に咲いていた名の知らぬ花)※

だって、私はTwitterに倦んでないから。 鰯 (Sardine) 2018/07/25

※この花の名前が“ヒャクニチソウ”だとすぐさま教えてくれる方が現れる。そこがツイッターのいいところ。

 

マイナンバーをめぐる “ゴチャマゼの混乱 ” (Mixed-up Confusion)

Twilogで「マイナンバー」を検索し、関連したツイートを転載。

 

2018年07月31日(火)

(返信)マイナンバー普及は政官財の思惑とは程遠く、職場や窓口での番号提示にも応じない者が多い、民の抵抗は想像以上で、踏み絵がきかぬなら強制加入しかない。官の発想ですね。posted at 05:30:34

マイナンバーの紐付けは収入の捕捉と税収の安定のみが目的だとはとても思えない。政府の執念は何故に?posted at 05:55:48

口座を開設するにも、スマフォを購入するにも、今後マイナンバーの届け出が必須となるというが、民のメリットはきわめて少なく、運営・管理する側のみに便利な制度だ。百歩譲って、手続きの煩雑を省きたい方への「任意」とするべきで、全員の「強制」がデフォルトというのは、為政者の都合でしかない。 posted at 07:10:09

 

2018年07月30日(月)

スマホマイナンバーカード 機能搭載 法改正へ:読売新聞 (記事削除)

政府は、マイナンバーカードに内蔵されている公的な電子証明書を、スマートフォンにも搭載することができるよう制度を見直す方針だ。インターネットでの買い物や銀行取引などが、より安全で簡単になる。来年の通常国会に関連法案を提出する。

<政府は、マイナンバーカードに内蔵されている公的な電子証明書スマートフォンにも搭載することができるよう制度を見直す方針だ。来年の通常国会に関連法案を提出する。>賛成しかねる。利便性の追求もほどほどに。posted at 12:51:57

個人の消費動向を民間の金融機関が把握するのと、政府が一元的に管理するのとでは、まるで意味あいが違う。もう既に私たちの情報は掌握されているのだから今さら騒いだってムダだと諦念に浸っている場合ではない。政府はあらゆる手段を使って庶民の懐に手を突っこんでくる。効率よく巻きあげるために。posted at 13:11:49

 

2017年08月04日(金)

(返信)よいまとめだと思います。手続きの煩雑さが解消されるとの、能天気な賛同の意見がいくつか挟まれていることで、マイナンバーを戸籍に紐つけすることの危うさが逆照射されていますね。ぼくは戸籍制度そのものに疑問があるので、もちろん反対です。posted at 06:32:50

 

2017年07月13日(木)

(返信)ツイートはプライベートな領域を含むから、Twitter&Google社に個人情報を把握されるのはあまり気持ちのいいことではないし、マイナンバーで政府とのつながりを謳うLINE社は一層怖いです。posted at 07:25:09

(返信)ぼくは家族のマイナンバー提示を拒否し、総務は「分かりました」と即答しました。ともあれ、すべての情報が網羅されつくされた社会は、生きていくのにいささかきゅうくつだと思いますね。posted at 07:49:56

 

2015年12月16日(水)

マイナンバー、反対目立たず 自治体「参加するしか…」:朝日新聞

矢祭の根本元町長、国立の上原元市長ら、気骨のある首長が、ほとんど見あたらなくなったことも。posted at 07:29:52

 

2015年11月27日(金)

40都府県で510万通 マイナンバー配達、12月ずれこみ 日本郵便朝日新聞 posted at 08:22:09

 

2015年10月05日(月)

今日10/05からマイナンバー法が施行される。収入や財産、年金や納税などの記録は、私たち一人ひとりに割り振られた12桁の番号で一括管理される。それだけならまだしも、政府はこの網で捕捉できる対象をさらに拡げようと目論んでいる。国は私たち民の暮らし方、生き方を雁字搦めにするつもりだ。posted at 08:00:59

国によって割り振られた番号を拒むことは不可能だ。私たちにできることは限られている。マイナンバーによる行政サービスを最小限に食いとめること。お得ですよ・便利ですよの惹句に乗らないこと。個人認証・確認のために番号を提示しないこと。住基カードのようにマイナンバーカードを無効化するべし。posted at 09:17:23

とにかくマイナンバーカードは使う局面を最小限にとどめること。消極的な方法であり、自分でも書いていてイヤになるが、絵空事ではなく、個人情報を自衛するためには、このくらいしか思いつかない。posted at 09:34:20

 

2015年09月09日(水)

手品師は観る側の意識の裏をかく。安保関連法案とマイナンバーは同じコインの表と裏だ。手の内を明かしたかに見せて、まだ袖の裏地に何枚か隠し持っている。posted at 19:15:05

 

2015年05月15日(金)

事務系、とくにデータ管理等の業務に携わる者は、マイナンバー導入に肯定的なんだろう。共通番号で一括管理すりゃ、七面倒くさい入力や検索は一発で済むんだよ!とブツクサいいながら。だが待て、マイナンバー制度が完成したあかつきには、きみの業務は軽減されるどころか、要らなくなるんじゃないか?posted at 06:50:59

(返信)そうですか。見当違いなことをつぶやいてしまったようですね。マイナンバーが納税捕捉のための制度であることはシロウトのぼくも理解できます。ただ、適用範囲の問題がついて回る。免許証番号と同様、「照合」の目的で利用しない、まっとうな企業が大半であることを願いたいものです。posted at 08:02:35

 

2015年01月20日(火)

マイナンバー、番号カードが健康保険証代わりに : 社会 : 読売新聞

この制度および番号カードについて、機能的に不十分であるとする意見が多いことに驚く。それほど国家に個人情報を一括管理されたいのか。posted at 06:17:17

ハハ、同じコトばっか言ってら。以上、私の “ゴチャマゼの混乱” ぶりでした。 鰯(Sardine) 2018/07/31

 

2018年6月のMedium


『タクシー運転手』

ようやく観てきました(於:熊本電氣館)。高い評判に違わず、非常に面白かった。

光州事件に詳しくない方、韓国に興味のない方でも大丈夫、主人公マンソプ(ソン・ガンホ)の運転するタクシーに乗ってしまえば、あとは一気呵成、事件の渦中へ運ばれる(補足:濡れ場は皆無だから子ども連れで観てもオッケー)。

 

さて観客と同様、最初マンソプは傍観者だ。民主化運動のデモに否定的で、学生の本分は勉強だと思っている。警察や軍の正義を疑わない彼は、権力への抵抗を迷惑に思っているが、ドイツ人ジャーナリストを乗せて全羅南道に入るなり、光州市街の様相がただごとでないことに気づく。

軍事政権は、デモに参加する市民を「暴徒」と見做し、催涙ガスで苛み、棍棒で打つ。目の前で起こる惨事をにわかには信じられないマンソプは市民と軍の闘争に巻き込まれまいとする。が、光州市民の人情に触れ、また自らも私服の暴虐に遭い、ようやく「」はどちらの側にあるかを悟る。

いったんはソウルに戻りかける。けれどもドイツ人記者ユルゲンと、世話になった仲間たちが気がかりでならない。マンソプは引き返すことを決意する。ユルゲンを金浦国際空港まで送り届けることが自分のなすべき仕事だから、と。

しかし、軍はついに暴徒の鎮圧を口実に市民に銃口を向けていた。

同じ国の民同士が血で血を流す争い。それは朝鮮半島が南北に分断された悲劇と無関係ではない。韓国軍が市民を統制する理由は北朝鮮との関係に拠る。軍事政権の専横に否定的な市民を「アカ」と称するのもそのためで、分断こそが相互不信の原因なのである。

他の地域の一般市民は、光州で何が起こっているか知らない。夜の外出が規制されるので不満を口にはするが、戒厳令を疑問には思わない。テレビは「暴徒化した市民が軍に抵抗し」と報じ、心ある記者たちが真実を報じようとしても、上司は輪転機を止め、新聞の発行を中止してしまう。

(この徹底した情報統制、一般市民の無関心、デモや反対運動への弾圧、今の何処かの国の出来事に似ていないか?)

光州の人びとは、軍と市民の衝突する様子を8ミリで撮影していたユルゲンに望みを託す。韓国国内の報道は期待できない。世界に真相を伝えてほしい、この酷い状況をと。

ユルゲンを「東京」行きの旅客機に乗せるため、マンソプは道なき道を走る……

 

細部をもう少し詳細に描いてもよいと感じる箇所がないわけではないけれど(たとえば検問を抜ける場面など)それでは長所であるテンポの良さが削がれてしまうだろう。徹頭徹尾この映画は市民の側に肩入れしており、軍事政権を悪として描いている。権力の「」を扱うことで善悪を相対化してしまうと途端につまらなくなる。先に観た『シェイプ・オヴ・ウォーター』でも感じたことだが、悪は悪として明確に位置づけられたほうがいい。権力には権力を及ぼすべき理由があるのだという懇切丁寧な説明はまっぴらだ。

銃口はどちらに向いている?

きみは銃口を突きつける側か?

それとも銃口にさらされる側か?

二つに一つを、なら私は後者を選ぶ。

『タクシー運転手』で私はそう思った。一人でも多くに観てほしい映画である。 鰯 (Sardine) 2018/06/02

 

【参考】公式でトレイラー(予告編)試聴が可。

klockworx-asia.com

 

くまモンの放送事故」について

昨夜は知人が、くまモンの中の人をdisるインターネットの風潮に憤りをあらわにしており(後追いで知った)ぼくも同感で「あんなの目くじらたてるような案件ではない」と思う派ではあるけども、しかし情報の波に乗って伸してきたキャラクターだけに、そういう批判も織りこんだ上で活動‬せざるを得ないのが、現在の彼の立ち位置なのではないかと思う。あらゆるメディアの表現は視聴者により吟味され、取りざたされ、裁定される。人気者であれば尚更の宿命である。もしあれが〈くまモンの放送事故〉でなければ誰も見向きもしないし、されない。そして一定数の批判が寄せられている以上、彼の周辺は無視できないし、してはならない。‬ ‪私自身小うるさいのはゴメンだし、細かな事柄にいちいちケチをつけるのは嫌いだ。が、しかし他者の意見を疎み、雑言だとして排除し、「聞かなくても良し」と開き直ってきた結果が今の箍(たが)の外れた社会の現状ではないか。意見があるなら遠慮なく言う。批判すべきなら臆さず批判する。度が過ぎれば互いに注意し合うのが、言論の自由な社会だと私は思うのである。

鰯 (Sardine)2018/06/05

 

Goodbye Cruel Japan

I really dislike this country.

I would like to escape from Japan where Prime Minister Shinzo Abe and Deputy Prime Minister Taro Aso ruin the government.

 

ラッドウィンプスの“Hinomaru”って歌、

論ずるに値しない、で切って捨てたい。もちろん社会への影響を考えると見過ごせない問題だけど。すでに多くの方々が指摘するように、日本語の程度が相当お粗末な歌詞だし、それよりもなによりもあの類のJ-POP が端から受けつけられない。音楽的な興味がまるで湧かない。だめ。/音楽に、政治や思想を持ちこむのは大いに結構だけど、林檎もゆずも今回の日の丸も、表現のありようが全くエレガントでない。アイロニーと解釈するには幼すぎるし、国粋主義への誘いにしても妖しさに欠けている。甘く危険な香りがしない。意図的な低レベルだとしたら「愛国力」とやらの蔓延は尚更タチが悪い。/この際だから言っておく。日本語のポップスやロックで私が良いと思える音楽は驚くほど少ない。ワニマのような健全パンクがもて囃され、大御所が相変わらずの借用和音で平たく堅な節を回す、マンネリな風土からは、できるだけ離れておきたい。その微温さが退廃だと私は思う。ラッドウィンプス?  勿論お呼びでない。

鰯 (Sardine) 2018/06/09

 

【参考】

関連記事を一通り見渡して一番腑に落ちたのは、赤木智弘氏の論考。「図書館の自由に関する宣言」を持ちだしたところが秀逸。あと、音楽評論家・田中宗一郎氏の、

この国に蔓延する幼稚で質の低いポップ・ソングに大した作家性などない。それを作り上げているのは彼らのファンダムと、そのファンダムのあり方を容認し、持ち上げてきたこの国の文化的な磁場。それがゆえに、周りにまともな大人がいたら普通は再考を促すような三流ソングがまた作られる。

というコメントが的を射ていた。赤木・タナそう両氏とも、あまり私の得意な論者でないのだが、それだけ事態は深刻ということだろう。(追記:2018/06/17)

 

1分で十分ですよ。

かなり以前にこんな連続投稿をしたことがある。以下twilogよりC&P。

  1. これは突飛な考えだと思うし、どうか怒らないでほしいんだけど。日本のヒットチャートに上る音楽を聴いていると、どうもかったるくっていけない。早い話が冗長なのだ。だったら、と私は考える。曲の長さ、短くしちゃえばいいじゃん、と。
  2. 今どきのシングルをフルにかけると、大概4分を超え、4分半くらいになるものがほとんどだそうな。なるほどね、だから退屈なんだ。ちょっと昔(とはいっても20年ほど前)は3分半だったのに、1分も長くなっているとは。そりゃあ長いなーと感じてとうぜんだ。
  3. どだい今の日本社会、ますます軽薄短小の傾向にあるのだからしてヒット曲もそれにあわせて短くするべきだ。ツイッターなんかその典型じゃないか。140文字という絶対的な制限。Jポップもそういう制限をあらかじめ設けたらどうだろう、たとえば「シングルカット曲は1分30秒までとする」とか。
  4. 個人的には30秒でもじゅうぶんだと思うけど、まあ、1分半ぐらいが妥当な線じゃないかな。その時間の制約があれば、みんなもっとヒットチャートに耳を傾けると思うんだがな。どうせテレビ・ラジオでも途中で切られちゃうんでしょ。だったら、自分のほうから先にEDITしちゃえばいいじゃないか。
  5. いいたいことがじゅうぶんに伝わらないとか、曲が盛り上がる前に終わってしまうとか、泣き言を言う向きもあるだろう。でも、私の提案の狙いは、まさにそこ。1分半だったら、音楽はもっとドライになるだろう。インスタントで一丁上がりの、切れ味のいいポップチューンが量産されるだろう。
  6. そうすりゃ若い人たちが積極的に参画できるようになる。アイデア一発勝負で、世の中を席巻できるかもしれないし。Aメロ・Bメロ・さび頭でちょうど1分です的な「大人の手の入った」楽曲が淘汰されるかもしれない。想像するだけでもわくわくするじゃないか。
  7. 長くは続かない試みだとは思うけど、一度はやってみる価値があると思う。誰かどこか、勇気のある音楽業界関係者はいないかね? したら“ヒット曲を1分半に縮めたオトコ”の称号を、私の方から恭しくさしあげるよ。

書いた日付をみると2011/09/14である。

その後も日本のJ-POP(二重表現)の楽曲構造は、7年前と大差ないけど、海を跨いだ北中南米大陸のヒットチューンは、大いに変貌を遂げた。具体的に説明すると長くなるから、こちらを参考にしてください。

wired.jp

この記事にも示されるように、ヒット曲が短く煎じ詰められる傾向は、ストリーミングが主流になって一気に加速した。今は2分ちょいで決着がつく。飽きる前に終わってしまう。あっさりと。

Spotifyを利用するようになってから、私は新譜をよく聞くようになった。今を反映する新しい音楽に接すると、やはり楽しいし、気持ちが明るくなる。錯覚かもしれないが、今現在を生きているぞと実感するのだ。

チャーリー・プースやら、チャイルディッシュ・ガンビーノやら、ジョルジャ・スミスやら、はてはカミラ・カベロやら、流行りの歌を年甲斐もなく聞いている私。

そしてついに、7年前の夢想を具現化したポップスが、先月末に発売された。

Tierra Whackの“Whack World” である。

まあ、聴いてみてください。私の予言をはるかに上回る、1曲1分の世界を。

それは決定的に新しいから。 鰯 (Sardine)2018/06/14

 

野暮な解説

映画『ブレードランナー』の迷セリフ、「ふたつで十分ですよ」にちなんで。

 

 

「鳥の歌」を想像してごらん

昔おつきあいのあった音楽家のご夫妻がいてね。

ある日ピアニストの奥さまが私にそっと打ち明けた。

私、イマジンあまり好きじゃないのよね。頼まれたら弾くけれど、音楽として単調というか、つまんなくて

するとチェリストの旦那さんもこっそり耳打ちした。

ここだけの話だけど。ぼく『鳥の歌』弾くと眠たくなるんだ、退屈で

シロウトの私は、はあそうですかと返すしかなかったな。じっさい、そんなもんかなと思ったし。

音符の連なりという意味からすれば、確かに両者とも素朴の一言だ。シンプルというより捻りがない。私も若い時分には聴いていて退屈に感じたものだ。

けど、

最近になって、あれらはやっぱり凄い歌だと思うんだよ。虚飾のなさにおいて。

(註:音楽家ご夫妻の名誉のために付記しておくと、それらの楽曲の重要性については、当然深く認識しておられた。)

イマジンについては、以下のツイートを今朝がた記した。

イマジンは嫌いです、という意見をみた。ぼくも若い頃そうだった。理想の夢想、退屈な楽想だと。でも最近やっぱりあらためて凄い歌だなと思っている。だって素っ裸なんだもん、選ぶ言葉も使う和音も、あまりにも無防備すぎて、誰も真似できないよコレは。思想?ないよ多分。

ここMediumではパブロ・カザルス採譜のスペイン民謡、「鳥の歌」をご紹介しておこう(Spotifyに良い音源がないのでYouTubeを)。

カザルスは、1971年10月24日の世界国際平和デー国際連合本部で演奏会を行った際にも、この曲をアンコールで演奏し、これは世界中に放送された。演奏にあたってカザルスは、平和を求めるメッセージとともに、「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は peace、peace と鳴くのです」と付言している(wikipediaより)。

*カザルスについてのツイートも追加。

パブロ・カザルスを好きになったのはNAXOSから出ていたこのCDを聴いてから。このカザルス三重奏団によるメンデルスゾーンOp.49のなんとスリリングなことよ。ドライヴしまくり。邦盤の帯の煽り文句がまた良くって。「コルトーpf、ティボーvn、そして使徒カザルスvc」って。

黒猫くん、ブロック塀の上は危ないよ。 鰯(Sardine)2018/06/22