鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

ザ・ベスト・オヴ “鰯の聴いた音楽” 2018年2月~10月

 

Twitterにモーメントという機能がある。使い勝手は良くなかったが、公式仕様だったこともあり、重宝していた。ところが先日(10/23)より、スマフォのアプリで作成できなくなった。タブレットでもダメだった。自分の投稿したツイートを手軽に編集できないのなら使っている意味がない。ぼくは『鰯の聴いた音楽』と銘打って、日々Spotifyで“発見”した音楽をツイートし、半月ごとモーメントにまとめていたが、ここらが潮時だ、やめようと決意した。

では、この半年ぼくがどのような音楽を聴いていたか、ブログに訪問してくれたみなさんにも、お伝えしようと思う。

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いちおう前から言っていますがぼくは政治と社会問題に特化したアカウントではありません。そればっかり考えてたらちっ息してしまうよ。今後は音楽の話題をもう少し増やそうと思います。YouTubeではなく、Spotifyでね。

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2018年2月のベストトラックは、3年前のアルバムですがリアン・ラ・ハヴァスの『ブラッド』より「グリーン・アンド・ゴールド」。これ以外にも佳曲が多い。なによりこの手の音楽にはめずらしく質感が柔らかで温もりを感じる。ギター一本で弾き語れる地力がある歌手だ。

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I listened to the music in March but I still can't find common points. Please let me point out if you think there is a cord or theme that will pass through these.

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2018年3月前半のベストトラックは、狭間美帆のザ・モンク『ライヴ・アット・ビムハウス』より、「13日の金曜日」。うねる木管のアンサンブルはギル・エヴァンスマリア・シュナイダーをほうふつとさせるが、気難しくなく、人なつこい。音楽が各パートのソロ回しの道具とならないよう設計された新手の「ジャズ」。

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2018年3月後半のベストトラックは、エグベルト・デスモンチ1980年のアルバム『シルセルチ(サーカスの意)』より“Equilibrista”。グーグル翻訳だと平衡者、すなわち「綱渡り芸人」。ありとあらゆる要素が一曲になだれこみ、しかも混沌とせず統合し、相互が干渉せず均衡を保ったままの状態を極彩色に描きだしている。

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2018年4月前半のベストトラックは、チカーノ・バットマン17年の力作『フリーダム・イズ・フリー』に収録の「エンジェル・チャイルド」。LAを拠点に活動するラテンソウル系バンドで、演奏能力は高いがどこかとぼけた味がある。MPBからザッパまで、さまざまな影響を消化し、自分たち流の音楽を拵えている。

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2018年4月後半のベストトラックは、渡辺亨さんの編んだCD-Rに収められていた、“It's Been A Long Long Day” 。誰の曲だったか、確かに知ってるんだけど、コステロ? いや違う、調べたらポール・サイモンだった。原曲をはるかに凌ぐ、ノルウェーの歌手ラドカ・トネフ(1952~1982)のカヴァー。録音はノラ・ジョーンズが登場する20年前。

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2018年5月前半のベストトラックは、晴れた朝にぴったり。VENTO EM MADEIRA(ヴェント・エン・マデイラ)の“BRASILIANA”。プーランク室内楽みたいな木管の、繊細で、スリリングなアンサンブル。チアゴ・コスタが弾く精緻なタッチのピアノ。モニカ・サルマーゾのスキャットも美しい、2013年の傑作。

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2018年5月後半のベストトラックは、「あなたもロボットになれる」2014年、坂本慎太郎。<不安や虚無から解放される素晴らしいロボットになろうよ、日本の○割が賛成している~>というアイロニカルな内容の歌詞を子ども合唱団が歌う。より出来のよいカップリング曲「グッド・ラック」は野口五郎のカヴァーだった。

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下の写真は某書店のコーナーに描かれたE画伯とY画伯の直筆壁画です。

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2018年6月前半のベストトラックは、Tierra Whackの

“Whack World”。1曲1分、全15曲15分。いずれのトラックにもアイディアと閃きがあり、退屈とは無縁だ。ポップ音楽が更新を怠らず、今を映しだす鏡であるかぎり、古びることはない。

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2018年6月後半のベストトラックは、カマシ・ワシントンTsの新譜。一度しにかけたジャンルのジャズが今また最前線に躍り出たことを実感。どのトラックもすばらしいが、とくにこの「スペース・トラベラーズ・ララバイ」の大風呂敷にはたまげた。まさにプログレッシヴ。ロック、完ぺきに負けてる。

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2018年7月前半のベストトラックは、ロバート・グラスパーのスーパーグループR+R=NOWの、“Resting Warrior”。10分近くの長尺曲だが、その間ずっとジャスティン・タイソンのドラムが自由奔放・変幻自在に鳴っている。FM番組「ウィークエンドサンシャイン」でかかったときに、ピーター・バラカンも驚嘆していた。

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もう一曲。ボビー・ライト74年の「ブラッド・オヴ・アン・アメリカン」。今朝、知った歌だ。

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Spotifyはある意味こわい。だって毎週カードを切ってくる。「ホラ、きみの好みはこんなんだろ?」「こういうのもあるけど?」「むかしの馴染みばかりじゃなくてさ、最近の流行も聴いてごらんよ」と “Discover Weekly”と “Release Radar”を送ってくるんだから。ぼくの聴く傾向はお見通しってわけだ。ときどき「これは虜になってるってことかな」と訝しむことがある。個人の好みが集約され、数量化されたところの。でも、まあ、どうだっていいや、こんなすばらしい歌にめぐり合えるのならば。

 

 

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2018年7月後半のベストトラックは、ジョーダン・ラカイ(豪)17年のライブ。Spotifyは有望株に小規模のライブを企画するが、これはジェフ・バックリーの"Sin-e"を思わす清冽さがある。今ふうのサウンドメイクが得意なSSWだけど、ギミックなしの直球アレンジが楽想に相応しいんじゃなかろうか。今後の活躍に期待。

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2018年8月前半のベストトラックは、朝のマリンバと呼びたくなるチェンバーミュージック。ダリウス・ミヨー(仏・1892〜1974)の異国情緒あふれる音楽は五感を快くマッサージしてくれる。パーカーションを多用したアンサンブルは小難しくなく何れもおもしろいが、とりわけこの小編成の録音は編曲と演奏技術が巧みで聴き惚れる。

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では、鰯の聴いた音楽(8月後半)をお届けします。今回は暑気払いの選曲ゆえ、あまり冒険してません。限りなくイージーリスニングに近い内容です。イージ好かん、なんちて。

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2018年8月後半のベストトラックは、クラレンス・ヘンリーの「エイント・ガット・ノー・ホーム」。

「こないだ、FMでクラレンス・フロッグマン・ヘンリーって、ニューオリンズの歌手がかかったんだけど」

「あー、あるよ。これでしょ」

打てば響く、ぼくのR&Bスクール。

「ジャケット、最高だろ?」

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ちなみにこの「寝取られ男」ジャケはPヴァインの編集した日本盤。同じデザインの米盤に、例のカエル声が聞こえる「エイント・ガット・ノー・ホーム」は収められていない。地声 → 裏声 → カエル声の三変幻をベスト盤よりどーぞ。

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2018年9月前半のベストトラックは、ブラジルのシンガーソングライターでマルチプレーヤーのアントニオ・ロウレイロ。今もっとも手ごたえある作品を生みだせるアーティスト。例えばピーター・ガブリエル等を好きな方にお勧めしたい。これは今年5月にリリースされたアルバム“Só”の収録曲だが、アントニオ・ロウレイロにいちばん近い感性のアーティストは(アルメニア出身のピアニスト)ティグラン・ハマシアンだと思う。鋭角的なエッジに共通性がある。

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2018年9月後半のベストトラックは、アンソニー・ウィルソン2016年のアルバム“Frogtown”より、チャールズ・ロイドの自由闊達なサックスが耳を惹く“Your Footprints”を。しかし、この歌の最大の魅力はアンソニー自身の内省的なヴォーカルと、歌詞と旋律との調和にある。他にも優れた楽曲がいくつもある、傑作。

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2018年10月前半のベストトラックは、アマーロ・フレイタス。ブラジリアン・ジャズの新鋭だそうだ。タッチの精確さ、使う和声の洗練など聞きどころは多い。9/21リリースの“Rasif”は、スペースを生かしたリズム構造が斬新で、ピアノとシンバルがつかず離れずで並走する感じがたまらなく、いい。

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と、モーメントにまとめたのはここまで。ブラジルに傾倒したのは、やはりエルメート・パスコアールを八代で観た影響が大であろう。

 

【過去記事】

kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

ぼくがSpotifyというサブスクリプションを利用している最大の理由は、少しでもアーティストへ還元されればの思いなんだけど、それともう一つは「消費者」としての立場を明確にしておきたいからです。「楽しむ=消費」とは思いませんが、録音されたモノを消費しているんだという自覚は必要だとも思うのです。

 

 

さて、モーメント毎に一曲という基準でベストトラックを選んできたが、あと10曲、泣くなく外したボートラを貼っておこう。

 

①デヴィッド・クロスビーには、まったく頭が下がる。だってこの『スカイ・トレイル』は昨年の作品だよ。つまり75歳の爺さまが、スティーリー・ダンなみに緻密なアレンジで、しかもフレッシュな音楽を拵えたんだ。声もリズムも感性も衰えしらずとは、すごいじゃないですか。

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エバーハルト・ウェーバー75年『イエロー・フィールズ』の冒頭「タッチ」。典型的なECM録音だけど、これほど玄妙な音響はなかなか見あたらない。ウェーバーのうごめくベースと相まって、ここにあらざるどこかを想わせる。ジャズ? 現代音楽? いいやプログレ

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スコット・ウォーカーを聴いて眠ろう。78年、ウォーカー・ブラザース名義でのアルバム『ナイト・フライツ』の表題曲。ブライアン・イーノが「これを聴くのは屈辱的だ。今でも超えられない」と語っているが、ホント、どうしてこんな弦アレンジを思いつくんだろ?ちなみにクレジットは、

John and Scott Walker – vocals

Les Davidson – guitar solo

Jim Sullivan – rhythm guitar

Peter Van Hooke – drums

Mo Foster – bass

ギターソロ、鋭い。

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④それにしても、ロバート・ワイアットの音楽は何故こんなにもせつなくも気高いんだろう。在英ブラジル人歌手モニカ・ヴァスセンコロスとの「スティル・イン・ザ・ダーク」では、カンタベリー特有の浮遊感とサウダージの陰翳が複雑に絡みあう。聴くたびに胸が締めつけられる。

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Spotifyは週の始めに<フレッシュな音楽を盛り込んだ今週のMIXテープをお届けします。新しい音楽との出会いをお楽しみください。毎週月曜日に更新されますので、気に入った曲はその前に保存してください>と連絡が入る。嬉しいけれど、好みを見透かされているようで怖いね。最近だと、こんな珍品を送りつけてきた。ヤマスキ・シンガーズ。何度聞いても爆笑、嬉しいッ!

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⑥長閑な昏さがたまらない。スウェーデンダブルベース奏者オスカル・シェニング率いるグループの2010年の作品『ベオグラード・テープ』よりヴェルヴェット・アンダーグラウンド的な8分音符の連打がロックしているジャズ、「私は私の記憶を交換したい」を。

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⑦“Blue Moon” 2017 album ver.

Engine-EarZ Experiment; are a UK based live dubstep collective formed in 2009 by multi-instrumentalist/DJ/producer Prashant Mistry.

ジャケットに惹かれて聴いたら刺激的な音響デザインだった。歌はノルウェーのケイト・ハヴネヴィク。でも、菅野よう子の作るアニメソングみたい。

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⑧今年の夏はゴージャスなジャズヴォーカルを好んで聴いた。とりわけジュリー・ロンドン版の「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」を。これほど洒落た弦アレンジは滅多にない。アーニー・フリードマンの編曲。1963年の“The End of the World ”に収録。

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⑨テリー・キャリアー1972年の“Occasional Rain”より“Ordinary Joe”を。歌詞がすばらしい。

“Now I'd be the last to deny

 that I'm just an average guy

 and don't you know each little bird in the sky

 Is just a little bit freer than I”

「時おり雨」の日に。

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⑩9月30日。台風、やはりかなり激しいです。ぼくは家でおとなしくしています。瓦はふきかえましたが、雨漏りは相変わらず。ところでライリー・ウォーカーのこの曲、快速エイトビートがご機嫌ですが、後半の展開におけるしなやかなドラムスの揺らし、かっこよすぎだとは思いませんか?

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まだまだ紹介しきれないけど、きりがない。このへんでお終いにします。モーメントは瞬間、なればこそ長期保存は不可能。インターネットに永遠の二文字はない。聞けば「はてなダイアリー」もサービス終了だとか。困った、ぼくは没記事を非公開であそこに収めていたのだが移動先を考えなくては。もう一個、はてなブログのアカウントを作るか。あー、でも面倒くさいや!

あ、もちろんTwitterやブログでの音楽紹介はやめませんよ。たぶん命つきるまで続けることだろう。こうやって毎日音楽に接していれば、また新しい驚きにめぐり合える可能性があるから。

♪ モーメン、モーメン、モーメン、モーメーント!

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【追記】

今年(2018)の“Myトップソング”をSpotifyが自動的に編集してくれた。この記事と被る部分がずいぶんあるけど、日ごろぼくがどんな音楽を好んで聴いているかがよく分かるラインナップだ。時間に余裕のある方はぜひ聴いてみてほしい。

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しかし、スコット・ウォーカーがやたらと多いなあ。

 

 

 

ぼくは『コヤニスカッティ』のエンディングを観ながら眠りに就く

 

例のごとく、またもや1ヶ月も更新をサボっていた。それでも過去のエントリーで訪問者は途絶えていない。しかしこれではまるで「不労所得で荒稼ぎする資産家」のようではないか。反省したい。

テレビをぼんやりと観ていると気が変になる。一昨日は芸人たちがミスチルを称揚していたし、昨日はワニマが女の子にフリースローさせていて、5回目に成功して会場はみな涙していた。ぼくみたいな年寄りには縁のない世界だ。つまり、関係性が完全に逆転してしまったんだな。ステージの上に立つ人気者に憧れる構図ではなくて、ステージのまわりを囲むキミたち一人ひとりこそが主役なんだよ、と感じさせる図式へと。その変化の先鞭がMr.Childrenで、完成形がWANIMAってことなんだろう。

ぼくはもはや今どきのエンターテイメントを欲さない。

SNSでは、キズナアイというキャラクター(Vtuverと呼ぶらしい)が取りざたされている。是非を問うなら、ぼくは「非」だ。美少女キャラが萌え絵がそこら中に遍在し、一般化してしまうことを疎んじている。そしてビートルズのレコードや永井豪の『ハレンチ学園』を、「へぐれん(くだらん)!」と怒鳴って取りあげていた親父よろしく頑固になっている。要するに、時代遅れを自覚するのが怖い。だから若い人向きの表現物を否定したがる。そんなモンを辺りかまわず撒き散らすなと始終文句をいっている。哀れなもんだ、老害イワシ

いずれ、世の中のいたるところに(『ラブライブ』のキャラクターがそこかしこに描かれた沼津市のように)しどけない媚態を備えた美少女が都市空間を占拠するだろう。そのあかつきには、表現の自由戦士たちvsラディカル “フェミ”たちの不毛なる論争は幕を閉じ、「ふり返るとあの諍いはいったい何だったんだろうね?」と笑い話で済ます未来が来るんだろう。分からない、わからないがぼくは楽観的な未来図をどうしても描けずにいる。その意見は「(混血の多い)ブラジルには差別が少ない」というくらい粗雑なものに思えるのである。そうやって問題を稀釈してしまうのは、絶対よくない。

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でも、ぼくは老いた耳でありたくない。だから今の動向を、たとえ的はずれであっても追っていようと努めている。息切れしない程度に。

ぼくの場合そうだな、最近こんな経験をした。

近所の中学校で運動会が催されたときに、校内放送でこれがかかっていたから、へぇーって感心したんだ。

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エド・シーランの「シェイプ・オヴ・ユー」。一年前のヒット曲だけど、いまだにグローバルチャートに留まっているロングセラー。コロコロしたカリンバ風の音色が印象的だけど、ぼくはこれ、てっきりアフリカン・アメリカンのレコードだとばかり思っていた。ところが調べてみると、エド・シーランはイギリス人のシンガーソングライターなんだ。それにはちょっとびっくりした。

グローバルチャートに載っている音楽の9割は自分には縁遠く、必要のない音楽だが、残り1割には真実らしきが潜んでいる気がしてならない。「シェイプ・オヴ・ユー」なら特徴的なリフレイン。あの執拗な繰り返しが、ぼくには何だか呪術めいた響きに聞こえてくる。

心を捉えて離さない響きは確かにあるのだ。

 

先日『コヤニスカッティ』のことを不意に思い出した。あのコッポラが監修した、映画というよりも映像作品で、日本でも公開されて、当時そこそこ話題になった。説明するのは面倒なので、Wikipediaをご参照ください。

🔗 コヤニスカッツィ - Wikipedia

その陰惨なラストシーンと音楽が脳裏から離れないのだ。観てもらったほうが早いかな、これだ。


Koyaanisqatsi - Ending Scene (Best Quality)

マーキュリー計画時の、おもちゃみたいにちゃちなノズルの、アトラス型ロケットが発射される様子を『砂丘』の「51号の幻想」みたいなスローモーションで映し出したものだ。これを出張中に3泊した人口5万弱の地方都市の、ビジネスホテルのケーブルテレビで観たのだった。出歩く値打ちもない寂れた町だったから、夕食後は何度も放映される『コヤニスカッティ』を繰り返し観て夜を過ごした。

それはまるで、地獄での修行のようだった。

だから当時ぼくは嫌いだと公言していた。最近あるコミュニティーでも同じことをつぶやいた。

コヤニスカッティ』。観たとき、ひどく気が滅入ったのを覚えている。あれは嫌いだと誰彼かまわず言っていた。今ならどうだろう? 分からないけど、今さら観ようとは思わない。

するとジュラ、きみがすぐに反応してきた。あのとき何と言ってきたか今では確かめる術もないけど。例のごとく教養あるところをちらつかせつつ、「観たほうがいいですかね?」と訊いてきたんだっけ。

ぼくが答えあぐねていると、mさんが、「あれは確かに落ち込む。観たほうが良いと思うけど。」と助け船を出してくれた。そこでぼくは、「機会あれば観てみてください。でも今の目で観れば、かなり牧歌的に映るかも、しれません」と返事した。

ジュラ、あれから『コヤニスカッティ』観てみた?

最近ぼくが出会った中でもジュラはずば抜けて頭がよかった。選ぶ言葉の的確さに、コイツはおつむの出来が違うと感じた。そんなきみにとって、ツイッタランドの泥沼めいた状況は、さぞや醜悪に映ったに違いない。人権の「じ」の字も理解してないような連中の鈍らな言説に辟易するのも無理はない、失望したきみは自らを絶滅させた。ぼくはそういうことだけには敏いから、きみの不在はすぐに知れた。

ジュラは白亜紀ともども、姿を消してしまった。

きっと海の向こうで、学業に励んでるのだろう。

だけどジュラ、きみがいないとぼくは寂しいよ。

きみの辛辣な指摘が、どれだけぼくらの目を開いてくれたことか。きみはこんがらがった糸をピュッとほどくのが巧かった。教養の欠けるぼくには、それこそハーバード大学の授業にテンプラ学生したような気分になれた。そしてそれ以上に、自分の子どもくらいの齢の若者と知りあえたことが、ぼくは嬉しかった。

今この氷河期に冬眠するのは仕方ないけど、いずれまた間氷期になるから、そのときは穴蔵から出ておいで。ぼくはそれまで、ジラシックパークならぬジラシックパークで、きみの復帰を待っている。

エド・シーランのカリンバ風シーケンスにも似た、フィリップ・グラスの陰気な御詠歌を聞きながら。

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題名が80年代ふうなのは、年齢の差のせいにしてくれたまえ。鰯 (Sardine)

 

“ラスパルマスのキリスト” 松本隆『微熱少年』より

 

 たとえば、カエターノ・ヴェローソ71年の作品「ロンドン・ロンドン」を聴いていると、ふと松本隆の詩作を想起してしまう。(亡命先である)英国の曇天の空の下で陽光のふりそそぐ故郷ブラジルのクリスマスを想う、みたいな対比の拵えが。

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 あるいは、先日ぐうぜん耳にした<ザンビア出身のアマナズ、1973年の唯一のアルバム『アフリカ』。どの曲もびっくりするくらいフツーのロックで、聴いてて心穏やかになる。この歌なんかホラ、『ゆでめん』ぽいでしょ? でもね、こういう誤魔化しのない録音は時代を超えて尊いの。>なるほど、各楽器の音程こそ怪しげだけど、こいつは確かに「しんしんしん」そっくりだ。

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 こんなふうに、ぼくは半世紀も前に勃興したムーヴメントと、そののち派生した数多のグループに、未だにとらわれている。国や地域が違っても、共通項をたくさん見出してしまうのだ。

 はっぴいえんどに。

 

 ご多分に漏れず、ぼくもはっぴいえんどにかぶれた。彼らの作った3枚のレコードは、好む好まざるにかかわらずロック少年たちの必修科目だった。メンバー4人の活動は欠かさずチェックしていた。とりわけぼくは歌謡曲の作詞家に転じた松本隆のことが気になった。彼はなぜドラムセットから離れたのだろう。彼はなぜ太田裕美アグネス・チャンの作詞に手を染めた(失礼)んだろう? 不可解の理由を知りたくて、2冊の本を買い求めた。その謎が解き明かされるかもしれないと思って。

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左:『風のくわるてっと』発行 ブロンズ社 昭和47年11月10日

右:『微熱少年』発行 ブロンズ社 昭和50年6月30日

 謎は謎のまま深まるばかりだったが、ぼくはよりいっそう松本隆に惹かれた。この2冊は音楽の水先案内人のようだった。『風のくわるてっと』でプロコル・ハルムグレイトフル・デッドを知り、『微熱少年』で“ニュー”ソウルの潮流を知った。ぼくはリズム&ブルースになかなかうまく接近できずにいたが、松本隆の熱っぽく語るダニー・ハザウェイカーティス・メイフィールドのアルバムを通じてソウルミュージックの豊穣に開眼することができた。そのこと一つをとっても感謝している。

 さらにぼくは、彼の文体にも決定的な影響を受けた。少し身構えたような、硬質な筆づかいを無意識に模倣していた。たとえば、こんな箇所に。

昨日、ぼくは春の海という奴を見た。あわただしい演奏旅行の最中だった。屹立する工場の高い煙突や、テレビ・アンテナが帆船の帆檣(マスト)のように乱立している街並の隙間から覗いた海はひねもすのたり、といったイメージからはおよそかけ離れていた。(『風のくわるてっと』60ページ「失われた海を求めて」より)

  カッコいい! ぼくは痺れた。情景を描写しつつも感情に溺れすぎない。ハードボイルド。探偵小説みたい。

 村上春樹が『風の歌を聴け』でデビューしたとき、ぼくは〈松本隆みたいな文体の小説〉だと友だちに説明したけれど、これも距離感が似ていた。自分が日ごろ感じている「曖昧な領域」をみごとに抽出してくれているように思えた。つまり松本隆は、十代のぼくの物差しだったのです。

 ここでひとやすみ。

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 さて、今回ぼくがこの稿を起こしたきっかけは、下の拙いツイートが松本隆さんご本人の目に触れ、リツイートされたからであるが、

 それともう一つ、『微熱少年』の中に、ぜひとも紹介したいエッセイがあったからだ。全部を書き写す愚は控えるが、ここに記されたいくつかの問題提起は、今この時代にこそ読まれるべきではないかと、ふと思ったからである。テキストからいくつかを抜粋してみよう。

 なお、文中は初版の表記に従った(「黒人」等)。

 ジェリーとぼくはアパートメントの入口をふさぐ鉄柵の前に立つと、壁に取りつけられているテレビ・カメラに向かってトムというその詩人の名を告げた。すると鉄柵は自動的に開き、ぼくらをアパートメントに導いた。まるでスパイ映画のような仕組みにぼくは、このビルの何処かで機械を操作した管理人の姿を思い描いていた。(80ページ)

  自分の詞が英訳されることになった「ぼく」だが、翻訳するトム氏とはどうも話が噛み合わない。言葉の微妙なニュアンスやバックボーンの差異ばかりが取りざたされる。たとえば〈歌詞の一節に「十二色入りの色鉛筆」と書かれているが、アメリカに色鉛筆はなく、十二色も伝わりにくい。七色なら虹色として表現されるが〉と諭される。

 ぼくは答えにつまってしまった。日本語の色鉛筆と言う単語から派生しているイメージ群を考えた。というよりも先に表現主体として存在するそれらのイメージ群が、それぞれ志向し、それらが交わり集約したから、この単語自身も存在するのだ。このイギリスの詩人は言葉の目に見える部分だけを読みとっているにすぎなかった。ぼくは既に奇妙なナショナリズムの虜となっていた。

 ーー日本語というのは、余白を大事にするんです。つまり書かない部分があるわけです。とりわけ俳句なんかは、書きたいことが十あるうちで、文字となるのは一か二でしょう。

 ぼくはこんな風にいいながらも、アメリカに来て俳句談義をしようとする自分にうんざりしてしまった。(83~84ページ)

 「ぼく」はアメリカに滞在中、〈奇妙なナショナリズムを感じ続けていた〉が、帰国後には〈想い出す記憶の殆んどが、「何通りの何という店で何を食った」〉であり、日本より味覚が劣ると感じていたアメリカの〈あの店でもう一度あの料理が食べてみたい〉と印象が変化している。

 アメリカでは「ブラック・イズ・ビューティフル」の機運が勃興し、通りの風景は〈日本のそれとは全く別な色素で構成されている〉ように際立った色彩にあふれていた。街を歩く黒人は魅力的で、白人は沈んでみえる。

 ニューソウルの旗手たちのポスターが店頭を飾るハリウッド通りのレコード店で、「ぼく」は中年の白人に声かけられる。

 ーーあんたはアメリカのレコードを買うのかい、私を見てごらんよ、日本のを買うんだぜ。

 (略)「春の海」とか「能楽」とかに英語で解説してあるレコードを、その男は八枚も手にしていた。

 ーーあんた方は聞かんのかね

 ーーこういうのをですか

 ーーそうだ

 ーー学校で聞かされましたね

 ーーふうん、好きじゃないのか

 ーーあまり聞きませんね

 ーーアメリカの音楽がいいかね

 ーーええ

 気恥ずかしくあいづちを打ったぼくは、ここでも奇妙なナショナリズムを感じていた。伝統のないアメリカ。そして伝統のある日本。何故ぼくは日本の伝統を誇れないのだろう。この異邦の街角で、今まで抱いていた〈日本〉が、急にぼやけはじめる。確固としてあるのは日本人という肉体の器を持つ自分だけ。(88~89ページ)

  この、自分が確かに抱いていたはずの「日本人しての意識」が、急速に不確かなるものに変容する感覚は、ぼく(岩下)自身も何度か海外で経験している。そして帰国後に、自分の生まれ育ったはずの国が、まったく違った容貌を見せることも。それを松本隆は〈奇怪な入れ替り〉だと記している。 

 ぼくは初めて日本を訪れた異邦人のように日本を見つめている自分を発見した。

 そしてエッセイは最後のコーナーにさしかかる。「ぼく」はラス・パルマス通りの交差点の角にあるバーガー・インに入った。そこで〈買ったばかりのソウルのレコードを広げていると、隣の席の若い黒人が声をかけてきた〉。

 ーーきみは日本人かい

 ーーそうだよ

 黒人は自分をベンと紹介した。

 ーーレコードを見せてくれないか、やあ、いいもん聞いてるじゃないか

 ーー好きだからね

 ーーいいね

 ぼくは黒人と喋りたかったので愉快だった。ふと言葉が唐突に口から出てしまった。

 ーーアメリカにキリストはいるかい

 ーーえっ、どういう意味だ

 ーーぼくはこの二週間ばかりアメリカを歩いたけど、キリストはいなかったぜ

 ーーそうさ、彼に出会うのはちょっと難しいな

 とベンは笑いながら言った。

 ーーすごく単純な質問をするから、気を悪くしないでくれよ、アメリカはキリスト教の国家だろ、それがどうして戦争して人を殺せるんだい

 ベンは今度は笑わなかった。彼は言葉を続けた。

 ーー日本にもキリストを信じている人はいるかい

 ーー少しね、ぼくは教会に行かないけど、あの人が好きなんだ、最近どうしようもなくね

 ーーいいね、すごくいいね、ぼくもあの人が好きだよ

 ーーぼくがもっとうまく話せたらなあ、もうちょっと学校で勉強しときゃよかったよ

 ーー言葉なんていいさ、来週の日曜日に黒人街の教会に連れてってあげよう、きっと楽しいよ

 ーーああ、とっても嬉しいけど、来週はシスコに行くんだ

 ーーそうか、あそこはいいとこだ

 ーー何かいいコンサートがあるといいけど、ぼくはソウルが見たいんだよ、カーティスなんかがね

 ーーあいつは最高だよ

 ぼくはレコードをまた紙袋のなかにしまった。ぼくはこれだけ喋っただけですっかり疲れてしまった。

 ベンは何か考えているようにうつ向いていたが、ふいに顔をあげて、白い綺麗な歯を出して笑いながら、(以下略。90~92ページ)

 やりとりのほとんど丸ごとを引用してしまったが、途中どうしても省略することができなかった。なお、ベンが何と言ったかは、この記事の末尾にリンク先を記しておくから、各自『微熱少年』文庫版を購入したまえ。

f:id:kp4323w3255b5t267:20180826132732j:plain 挿画:ますむらひろし

 今回、「ラスパルマスのキリスト」のテキストを読み返していて、いかに自分が松本隆の文体に影響を受けているかをあらためて思い知った。ことばの選択、たどる道筋、抽出と省略、その何れもが絶妙な均衡の上に成り立っている。ぼくは書きながら何度もため息をついた、こんなの真似したくっても真似られないや、と。

 そして、常日ごろ忘れていても、ふとしたことで記憶は唐突によみがえる。そうだな、絲山秋子の小説を読んでいたときなんかに、

 河野が、ダッシュボードの中を探してカーティス・メイフィールドのCDをかけた。ファンタジーはしばらく黙っていたが、やがて厳かな声で、

「この人は、俺様より偉い」

 と言って手をこすりあわせ、はなを啜った。やはり大した神ではないらしいと河野は思った。(『海の仙人』文庫版58~59ページ)

  ベンと「ぼく」のやりとりを連想するのである。

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 ぼくは寓話が大好きだ。現代にもおとぎ話は有効だと考えている。それは意外な箇所に穴を穿ち、時を越えて共振することがある。今回この稿をしたためながら、いろんな想念がぼくの脳裏を過った。日本人の意識に潜む人種や男女への差別が、また、美しい国・スゴいよ日本のキャンペーンが内包する空虚な慢心が、さらには沖縄の故・翁長知事の提唱した「イデオロギーよりもアイデンティティを」という呼びかけが。それらの是非をここでは問うまい。ただ、優れたテキストは現在進行形の事象に違った角度から光を照らし、影を生む。まるで十二色の色鉛筆で描いたように、さまざまなイメージ群を与えてくれる。

 ......そういえば、こんなこともあった。

 そのころ受験生だったぼくは、参考書や赤本には目もくれなかった。ある日ついに、父が「くだらん本ばかり読みおって!」と憤慨し、勉強に関係ない本を没収した。とうぶん返ってこないものと諦めていたところ、二時間ほど経って、渋い顔しながら2冊だけ返してくれた。

 ーーいかにもお前の好きそうな本だな

 と呟いて。

 亡き父は、父親なりに、できの悪い息子を理解しようと努めたのだと思う。

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課題図書

エッセイ集 微熱少年 (立東舎文庫)

エッセイ集 微熱少年 (立東舎文庫)

 
風のくわるてつと (立東舎文庫)

風のくわるてつと (立東舎文庫)