「やあシルエット。きみに会いに来たよ」
「おじさん誰だっけ?」
「イワシだよ」
「ああ、コーエンのカンリニンさん」
「またきみに話しかけたくて、来たんだ」
「あたし忙しいんだよ、これでも」
「分かってる。手間はとらせない。で、相談してもいいかな?」
「相談されるの、嫌いじゃなかったっけ」
「いじわるだな、案外」
「よく言われるよ。あんた容赦ないって。ホントのこと言ってるだけなのに」
「傷ついた?」
「当然。いや、ぜんぜん平気だよ。それで何?なに話したいか、言って」
「うん。実は、時間どろぼうの話」
「時間どろぼう?エンデの『モモ』の?」
「きみは読んだことあるの」
「読んだよ図書館で。一度めは難しくて挫折。二度めでクリア。三度めでようやく理解した」
「どう思った?」
「資本主義社会への警告だと思った。時間すなわち『お金』だよね?そう置き換えたらカンタンに解けた」
「きみは賢いな」
「賢いふうに思い描いてるから賢いんだよ」
「ははは」
「少女の理想を投影してますから。それでね、時間どろぼうは現に存在する。いまの社会に」
「うん。そのことが話したかったんだ」
「あたし察しがいいから。つきあい悪いって、よく言われてるけど」
「面と向かって?」
「影法師だけに、陰口。あたし、くだらない問いかけには応じないの。返事しないで、スルーしちゃう。だって時間のムダじゃん」
「だよね。そう思うよな」
「あたし実は、モモとおんなじ究極の聞き上手なの。今日はイワシさんが常日頃から思っていること言語化してあげるね」
「くだらない問いかけって、例えばどんな?」
「相手の都合もわきまえず同意を求めること。そう思わない?としょちゅう確認を取りたがる。違うと思うって返答したら不満に思う。みたいな」
「それ、無視できないの?」
「完全には無視できないな。シルエットにだって、つきあいってものがあるから。ぜんぶやり過ごしてたら、影世界からハブかれちゃう。だから適当に、相手してる」
「その加減が難しいよね?」
「それが世間というものよ」
「おませな口を利くな、きみは」
「イワシさんの想像力の産物だから、どうしてもね」
「暗黙のルールがあるんだろ?」
「ああ即レスね。そう、もたもたしてたら、なに無視してんのさって咎められる」
「大変そうだな」
「うん。だってひっきりなしなんだもん。送り手は一人に向けて話しかけてるつもりでも受けとる側がそうとは限らない。あたしみたいに交友範囲が広いと、四六時中呼びかけられてる状態」
「どう対処してるの」
「だから適当に。同調を強要するだけのメンションはスルー。だけど『これは』と思ったら、じっくり腰を据えて話しあう用意があるよ。膝つっつき合わせて一晩中でも。いつも毎度じゃ疲れるけど。ホントの心配事だったら親身になって相談に乗る」
「それで信頼をかち得るんだ」
「損得勘定ではないってことだよ。即レス=信頼の証みたいな、つまらないルールに縛られたくないだけ」
「そのルール、誰が作ってるんだろ?」
「ユーザーに決まってるじゃん。使う側に問題があるんだよ。自制できずに時間を浪費する。自己責任だとあたしは思う」
「ツールに振り回されるなってこと?」
「通信機器は便利な道具だよ。だけど時間どろぼうは若者の動向をチェックしている。どんなサービスを提供すれば、より時間を費やしてくれるかを研究し、会議し、開発している。あたしたちの情報はぜんぶ蓄積され、そのデータを元に仕様がアップデートされる。この巧妙なシステムに乗っからないでいるのは今日び不可能に近い。でも、だからこそ自制心が必要」
「自制心とは、つまり……」
「線のつながりを断ち切ること。つながってることで安心を得ようとしないこと。暇だから寂しいからなんとなく、を減らすこと。そして時間の決定権を自分が握ること。時間を他人に操られるなんてまっぴらゴメンだわ。あたしの時間をこれ以上奪わないで!」
「ずいぶんボルテージが上がってきたよ」
「……影らしくもないね。あたしドライな性格なんだけどなあ。ひとりきりの時間もっと欲しいよ。だっていつも実像と一緒でしょ?時どきうっとおしくなって実体から離れたくなるんだな。影にだって権利がある、って言いたいわ」
「影なりに苦労が多いんだ」
「まあね。とにかく時間どろぼうには御用心というのが今日の結論ね。連中は『時は金なり』を金科玉条に、あたしたちの時間を吸い上げようと日夜画策してるから。連中の思考法にうっかり乗ってはダメよ」
「思考法?それはどんな?」
「つまりね、すべての時間を労働に費やさせることによって生産性を向上するという経営者的な発想。それが商品にも反映されている。衣料品から通信サービスまで。若者の時間を奪うといったなまやさしいものじゃない。時間を搾取すると言い換えたっていい。それは連中の発言から汲み取れる。そういう経営者や役員のいる会社の物品には近づかないことね」
「連中とは誰?どんな発言をしている?」
「『努力もできない若者は年収200万を受け入れなさい』だの『年収200万は世界レベルではまだまだ高い』だの、好き勝手なこと言ってる人たちだよ」
「それ聞くと痛いな。ぼくもその程度だから」
「イワシさん、もう上がる見込みないもんね」
「だからまあ……慎ましく生きてくさ」
「なんだかわびしくなってきたね」
「せちがらい世の中だからね。
シルエット、今日はどうもありがとう。また会いにきてもいいかな?」
「もちろん。孤独な中年相手は、あたしの得意分野だから」
「……」 (続く)