鰯の独白

鰯は、鮪よりも栄養価が高いのです、たぶん。

ならない、ならないと連呼したくはないが

 

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益城町を通過した。木山交差点のあたりは相変わらず倒壊した家屋が手つかずのままだった。

いや、方々に瓦礫が寄せられ、ユンボは勇ましく稼働している。なにもなされてないわけではない。町役場から程近い場所には仮設住宅も建ち並んでいる。

けれども、復興からは程遠い状態であると言わざるを得ない。真夏の陽射しは容赦なく地面を灼きつけている。

いったい何時になったら、元の静かな住宅街に戻れるのだろうか?

 

市内に入って、熊本城を見上げる。大西市長は3年をめどに天守閣を復元する旨を発表した。

復元そのものに異存はないけれど、損壊家屋の復旧が先ではないのかとの思いが、どうしてもつきまとう。

市のシンボルである城の天守閣に、しゃちほこがないのは痛ましいけれども、順番があべこべじゃないか?

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もちろん益城町熊本市は別の行政区域ではあるけれども。

熊本はまだ揺れている。微震だけども、揺れは治まっていないのだ。

 

被災した記憶を風化させてはならない。ヴァーチャルなゲームに興じるのは自由だが、うつつを抜かしていてはならない。

今年に入ってどれだけの苦しみが、悲しみが、痛みが、列島を覆い尽くしただろう?

昨日またしても痛ましい事件が発生してしまった。

忘れてはいけない。ぼくたち生身の人間は、感性を鈍磨させてはならない。痛みに慣れきって感覚をマヒさせてはならない。

ならない、ならないを連呼したくはない。できればぼくも、楽しいことだけを考えていたい。

けれども、現実から目を逸らしてはならないのだ。

現実から、目を逸らしては……

 

iPhoneより投稿)

 

 

カセットの時代

wired.jp

 

ワイアードの記事の、編著者の対談にこんなくだりがあって、思わず頬がほころんだ。一部を引用してみよう。

M:(前略)ラジカセは外部からの受信ができて、その録音と発信ができるものだからです。そしてそこには使い手一人ひとりの「念」を乗せることができる。

K:そう、ラジカセは文化的装置であって、人間というもののメタファーでもあるのですよね。(後略)

 

ラジカセを使わない若い世代にとっては、大げさな、何のことやら?と思うだろうが、ぼくは画面に向かって思わず、そうなんだよなぁとつぶやいていた。念を乗せる。これはまさしく自分の実感であり、経験とも重なる。ノスタルジーにはとどまらない記事であるから、本稿を読む前にぜひ目を通していただきたいが、ぼくはぼくで、中年男の回想に浸らせてもらおう(もともとこのブログを始めた動機は「基本的に思い出話」なんで)。

 

 

うちにはラジカセが二台あった。一台は自分専用。ナショナル製の、四角いマイクがスライド式に収まるタイプだった。最初はAMラジオから流れるヒットソングを片っ端から録音していた(だから一本のカセットに「キラー・クイーン」が三回も録音されていたりする)だけだったが、そのうちクラスメイトに感化されて自作曲を作るようになってからは、ピアノを弾きながら歌ったものを録音した「作品集」を制作するようになった。

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トシヤというクラスメイトからは多大な影響を受けた。ボブ・ディランの『時代は変わる』のジャケット写真に似た風貌で、ひときわ目立つ存在だった。女子にもてたし、腕っぷしもかなりなものだったが、ぼくにとって重要なことはトシヤがオリジナルの歌を作るという一点だった。かれも多くの級友と同様に拓郎や陽水からの影響はあったけれども、ヤツの作る歌にはトシヤ以外の何者でもない強烈な個性があって、そこにぼくは惹かれたのである。

自分で作詞・作曲するなんてすごいね、とぼくが感心したら、かれはこう答えた。

「おまえも作ってみたらどうだ。簡単だぜ。だってピアノが弾けるんだろ?」

「レッスン行かなくなってから、何年も弾いてないけどね」

「コードネームを覚えりゃ楽勝さ。いいからやってみろよ」

トシヤは作ったばかりの「アルバム」を貸してくれた。自分の写真を切り抜いて、インデックスカードに貼りつけている。タイトルは『雪子姫』。違うクラスのあの娘のことだなと丸わかりだったが、ぜんぶで12曲入りの、立派な作品だった。

ぼくがどれだけ衝撃を受けたか、こればかりは説明したくとも、なかなか文章に書けない。ともあれ自分もやらなくっちゃという衝動にかられて、ぼくは大学ノートに歌詞らしきものを書き散らし、覚えたてのコードを鳴らし、ピアノを弾き語りはじめた。一か月後には12曲をなんとかこしらえた。カメラの三脚にラジカセのマイクをくくりつけて自作曲を録音した。途中で失敗したらまた曲の頭から録り直し。何度もなんども録音し、やがて一本のテープが埋まっていった。

出来たてをトシヤに聞かせると、反応はイマイチだったが、情熱は買ってくれたようだ。次から何曲か共作してみようか、ライブやるのもおもしろいかもなとかれは言った。

「ライブって何?」

「演奏会のことだよ。知らないの?」

「どこでやるのさ」

「スヤの公民館とか。まあ、いろいろと計画中だ」

そのあたりのことは、いずれ稿を改めて書こう。とにかくぼくは、曲を書くことと、録音することに夢中だったのだ。

「Amのキーでもさ、途中からCに移ると、雰囲気が明るくなるぜ」

「あ、ホントだ」

「もうちょっとリズムを工夫してもいいな。ほとんどドソミソの伴奏だろ? 三連とか」

 「三拍子?」

「いや、こんな感じのリズムさ。ジャンジャカジャン・ジャンジャカジャン」

「ああ、『悲しみはぶっとばせ』のパターンか」

こんなふうに、中学2年から3年にかけての昼休みは専らトシヤとの情報交換に費やしていた。

「ひとつ訊いてもいいかな?途中でハモッてるだろ?あれ、どうやって録音するの」

「簡単さ。ラジカセを二台用意して、あらかじめ録ったのを流しながら、それに合わせて歌うんだ。違うパターンのギターを重ねてもいい感じになるよ」

「あーなるほど。さっそく試してみよう」

家に戻ると親父のラジカセを拝借し、一回録音したテープを流しながら、三度上にハーモニーを重ねてみた。しかしバランスが難しい。あまり大声で歌うと、前に入れた歌がかき消されてしまう。控えめに歌う必要がある。何度もトライした。タイミングがずれる、音程が外れる、もう一回、もう一回。何回も録り直すとテープがくたくたになった。

多重録音の虜になる、あれがきっかけだった。

 

当時のカセットテープはほとんど手もとに残っていないが、セカンドアルバム(笑)のタイトルは『Mr.Dazai』だった。当時ぼくは太宰治を愛読していたが、

中学生の時分、歌を自作しはじめて、だけど歌詞をどうしていいかわからず、太宰の作品タイトルを列挙した「作品集」をカセットに収め、級友に聞かせてまわった恥ずかしい過去がある。子どもっぽさから脱却したい思いで読みだしたのに、子どもっぽい振る舞いで台無しにした>のである(引用:Twitterの過去ログより)。

そんな試行錯誤を重ねながらも、少しずつ曲作りのコツを覚えていった。中学を卒業するころには「10分あまりの三部構成の曲を含む、トータルコンセプトアルバム」を発表(笑)していた。

無理やり貸しても、ほとんど誰も聴かなかったみたいだが……

 

高校に進んでバンド活動が本格的になると、アルバム制作の比重は減ったが、メンバーにはデモを聞かせていた。かれらのチョイスはなかなかシビアで、20曲作ってもレパートリーに選ばれるのは1曲だった。もっと的を絞ったほうがいいと何度か忠告されたが、ぼくはエルトン・ジョンのように量産することに生きがいを感じていた。

バンドが軌道に乗ると、ライブの模様を録音するようになった。とはいっても客席の誰かに頼んで、ラジカセの録音ボタンを押してもらう程度だったけど。当時の録音を聞いたら、顔が真っ赤に火照るに違いない。

ローリング・ストーンズの「アンジー」を高二の文化祭で、おれがピアノを弾きながらソロで歌ったとき、中盤の ♪ アンジー、とウィスパーするところで、女子たちが笑い転げてたっけ。証拠は残ってンだぜ、カセットテープに

そういえばライブの最後で、ぼくは「We Love You」と叫んでいたそうだ。級友に「知ってるぞ」と冷やかされた。オレァそんなこと言ってないと主張したけど、カセットに証拠が残っているという。あらためてテープを聞いてみたら、ん、確かに言ってた。

むかしの録音を聞きかえすのは、けっこう恥ずかしい。

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1980年代に入ると、若者のオーディオ環境は劇的に進化した。ラジカセのステレオ化が進み、ダブルデッキも登場、さらに画期的だったのがSONYウォークマン。街角で自分の好きな音楽が楽しめる、まさに夢の商品だった。いま話題の「ポケモンGO」と同じくらいの社会的インパクトがあった。流行につられて、ぼくもSANYO製の類似品を購入した。電池が少なくなるにしたがってテープの回転数が遅くなる欠点もあったが、外でも聴けるという利点は何物にも代えがたかった。その一方で、屋内のコンポーネントシステムはますます充実の度合いを増し(ぼく自身はそうでもなかったが)、FMのエアチェックにオープンリールのテープレコーダーを使う者も決して珍しくなかった。

そういえば福岡の予備校に通っていたころ、こんな思い出がある。

 <当時廃盤だった『T-REX グレイテスト・ヒッツ』を持っていて、そのダビングを親不孝通りの行きつけのパブスナックでかけてもらったら、そのカセット貸してお願いって見知らぬ女のこから頼まれて、それから何週間も誰かに回し聴きされてて、手元に戻ってきたらテープがベロベロにのびていたっけ

この話には続きがある。レコードからカセットにダビングしてくれたのは旧友のリュウジだったが、かれはオープンリールのテープに偶さか録音していたFM番組の、コマーシャルだか朗読だかは分からぬが、男性のナレーションの一節をループさせ、ラストナンバー「ザ・グルーヴァー」の末尾に、そっと忍ばせていたのだ。

「屈折した・青春、屈折した・青春、屈折した・青春、屈折した……(×20α)」

半月後、親不孝通り界隈で「屈折した・青春」はちょっとした流行語になった。

 

上京したぼくはポリフォニックシンセサイザーを購入し、北千住のアパートで夜な夜ないじくっていた。KORG/POLY6はノイズ発振器がないという欠点があったけど、理屈が分からないまま、つまみを適当にいじくっては、奇妙な音を創りだそうと試行錯誤していた。それは加入していたバンドのためというよりは、自分の興味が赴くままの行為だった。

ぼくはAIWAのラジカセしかもっていなかったが、ダブルデッキ仕様だったので、テープ1からテープ2へダビングするときに、リアルタイムでシンセサイザーを重ね録りしていた。もっとも4回ほど往復すれば、S/N比は劣化の一途をたどり、ヒスやホワイトノイズのかなたに、くぐもった音像が見え隠れする結末となった。

けれども、その「ピンポン録音」こそが原点回帰だった。中学の時代に夢中でピアノ弾き語りを録音した、あの感覚がにわかによみがえった気がした。録音中の高揚感というのはなかなか他人に説明しづらい。経験した者にしか分からない感覚だと言ったら不愉快に思われるかもしれないが、自分の思い描くイメージが少しずつ形になっていく過程は、他のなによりも(スポーツやスクリーンやセックスよりも)スリリングだった。

ぼくが一台のラジカセとシンセでこしらえた作品は、文字通りハウスミュージックだった。じっさい数年後にデトロイト産のテクノが台頭したとき〈何だコレおれが数年前にやってたのと同じじゃん〉と思ったほどだ。不遜に聞こえるかもしれないが、音質やクオリティはともかく指向性は間違っていなかった。あのまま歌ナシの、シンセサイザーを中心に据えた音楽を追求していたら、意外とおもしろい展開があったのかもしれない、

が。

 1年後にぼくは、東京電機大学の真向かいにあった小さな楽器店に勤めだす。店頭のMTR(マルチ・トラック・レコーダー)と出会ったことで、ラジカセによるピンポン録音の時代は幕をおろした。

 

今回も長々と我が音楽遍歴を綴ったけれども、冒頭の話題に戻すと、ラジカセはまさに「文化的装置」であり、各人の思い思いが録音されたカセットテープは、コミニュケーションツールだった。個人のあふれる思いは、ともすれば「念」となり、渡された者にとっては気の重いモノだったかもしれないが、自作とはいかないまでも、独自にセレクトしたテープをお互い交換しあうのは、当時の若者にとって至極あたりまえな習わしだった。曲順や曲間の繋ぎ目にこだわったり、ケースの内側をイラストで彩ったり、一人ひとりの創意工夫が滲みでれば出るほど、カセットテープは持ち主の人格と直結しているように思えた。

ぼくの編集したテープを未だに所有している奇特な御方はおそらくいないだろう。でも、万が一持っていらっしゃるようでしたら連絡してください。ぼくはほとんど捨ててしまって、いま手元にないんだ。いったいどんな曲を選んでいたのか、興味がある(あゝでもその前に、カセットデッキを入手しなくちゃ)。

 

ぼくはイラストレーターの(ハロルド・バッドみたいなピアノの即興演奏を収めたテープを送ったことがある)シューゾーさんの影響で、カセットの一本一本を下の写真のように絵で飾っていた。

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自分じゃカッコいいつもりだったけど、ある日、北沢の部屋に訪れたデザイナーの(早川義夫スコット・ウォーカーのテープをぼくにくれた)オクヤマさんからは「汚ねえカセットだな」と呆れられた。

でもね、描かずにはおられなかった。テープの磁気に詰まった音の粒を自分なりに表現したかったんだ。

For no one.誰のためにでもなく。

 

 

かれらの悪態をなぞってはならない

 

風紀委員を買って出たいわけじゃない。どこのどいつが何をほざこうが、われ関せずを決めこんでいたい。

だが最近ぼくはTwitterを眺めるのが苦痛になってきた。悪罵がはびこり、それに快哉を叫ぶリツイート。露悪的であればあるほど共感されるという状況は見るに堪えない。ここ数日で理性のタガが外れ、加速してしまった感がある。

原因は明白だ。東京都知事選挙候補者選定をめぐるいざこざからはじまって、支持者による対立候補のあげつらい合戦がかしましい。公約にかんする批判や政策面への疑問をはさむのは大いに結構だが、性格や容姿、年齢や過去の言動をいちいち取りあげるのは、見ていてあまり気持ちのよいものではない。それら全部をひっくるめて、「それが選挙というものだ」と開き直る候補者もいるが、だからといって、候補者を応援する側までもが、その身振りを真似る必要はあるまい。「きれいごとばかりではない、選挙とは人間のいちばん薄汚い部分がさらけ出されることだ」的な言説もまた、おのれの手口や悪意を正当化する方便のように思える。

今回とりわけ見苦しいのは、インターネット黎明期から活躍し、ソーシャル・ネット・サービスの発展に寄与してきたであろう何名かの、目を覆わんばかりの言動である。「ばか」だの「ていのう」だのの漢字二文字を遠慮なく使い、相手を徹底的にこき下ろす方法は、かれら自身が軽蔑していた対象であるはずのネトウヨの口調とほぼ同一である。それは「辛辣で容赦ない」の域をとうに超えていて、ユーモアやウィットの欠片もない。いったいどうしたのだ?

この懸念は、どうやら自分だけではなさそうだ。

昨日ぼくと親しい何人かが当惑していることに気がついた。それはネット上ではなく、むしろ現実社会の変容に戸惑いを隠せないでいたのだが、ぼくはインターネットという仮構空間での現象はリアルの写し鏡であり、現実に抑圧された感情を増幅する装置であるとの考えから、返信を起点に、連続ツイートした。

 

①(返信)ツイッターを見ていると、そのことをよく感じます。憎悪をかきたてるような語彙を駆使するアカウントに多くのリツィートが寄せられる。今回の都知事選でそれが露骨に表れています。寝技やら空中戦やらで感情をすり潰してたら相手の思うつぼだのに……

②(返信)最近とみに感じます。剥きだしだな、と。冷笑では飽きたらず、罵倒の段階へ。ブレーキが効かなくなって、レッドゾーンに突き進んでいる。

③(返信)形振りかまわずといったところです。ばかだのていのうだの、とてつもなく下品なことばで異論を圧倒する。俺様がいちばん賢い、偉いと思っている。そんな輩が参院選後の都知事選をめぐって我がもの顔で毒吐いている。これが日本の言論の標準かと思うと情けなくなります。

 

さらに、サングリアを傾けていたせいか饒舌になったぼくは、かまうもんか、と思いを書き連ねた。

 

④かれらは事あるごとに、左派には政権担当能力が無いとか社会保障の充実が経済の停滞を招くとか宣いますが、私からしてみれば、かれらの説く市場万能主義こそが幻想に思えてなりません。いや寧ろ経済の活性化を阻害しているのはかれらのような「ばかは引っこんでいろ」的な傲慢さではないかと思います。

⑤機会均等の原則を足蹴にし、人心に諦めの風潮を蔓延さす、かれらこそが健全な競争社会を破壊している元凶だとは思いませんか。具体的な名前は挙げませんが、誰彼のことであるかは、それぞれ心あたりがあるでしょう。そう、民主主義を軽蔑し、鼻でせせら嗤っている、あの人たちのことです。

⑥私はここ何日か憤りが治らない。自分たちがどれほどのものだと言うのだ、思い上がりも大概にしろと感じる。けれども辛うじて自制するのは、かれらと同次元に堕ちたくないし、心ないことばで悪態をついたら自己嫌悪に陥るだろうから。ホンネをさらすことと他者を屈服させることを同一化してはならない。

⑦私は皮肉もイロニーも嫌いではありません。むしろやや斜に構えて世を見ているほうが性に合っている。だけどね最近あまりにも凶々しいよ。ことばに含まれる毒気の度が過ぎる。「それがSNSですよ」と開き直るかい?知性と理性をかなぐり捨てた粗雑な論に、いったい何時まで溜飲を下げ続けるのですか?

 

翌朝、酔いでやや鈍くなった頭を小突きながら読みかえし、ずいぶん短絡的な結びつけをしたもんだと呆れつつ、それでも全体としては間違っちゃいないと思った。今朝この記事をしたためようと思ったのは、これらことば足らずなツイートに補足するのが目的だったけれども、言いたいことの骨子は、ほぼ含まれていると再確認した。

 

ぼくは現政権の横暴には反対だし、与党が推し進める改憲および弱者切り捨ての方針に怒りを覚えるが、現体制維持の意見にも一とおりは目を通す。そこで気がついたのは、規制を撤廃し市場の原理に委ねよという新自由主義的な立場をとる識者(その多くは経済を評論する)のほとんどが、安倍内閣の方向性を支持もしくは容認していることだ。かれらは政治からの制限を異様に嫌う。そしてかれらの考える政治からの制限とは、公的な社会保障・福祉に予算が宛がわれ、計画した構想が縮小もしくは中止に追いこまれることだ。ヒト・モノ・カネを集約する事業に手を突っこまれてはかなわんとの思いが抜きがたくある。それは参院選後の10日間でひしひしと感じたことだ。

 

青島幸男のことをふと考える。かれが都知事に就任後に都市博を中止したことは財界(大手ゼネコンから広告代理店にいたるまで)にしてみれば痛い失敗体験だったはず。二度とあのタイプを知事にしてはならぬとスクラム組んで阻止するのも無理はない。諸計画が白紙に戻されるのをおそれる都職員も含めて。
⑨広義の意味での)リバタリアンが政治による自由の制限を否定するのは当然の帰結だろうけれども、財産が乏しく、公的扶助を必要とせざるを得ない(私のような)低所得者層が、政治への不信から冷笑的な振る舞いにいたる現象を、リベラリズムの側(政党政治家を含む)はシビアに受けとめなくてはならない。

⑩都知事選の行方は予断を許さない状況だが、小池百合子のようなウルトラ全体主義的イメージ反体制な候補の勃興を食い止めるには、悪行を論うだけではダメだ。なぜなら小池氏の酷薄な態度こそが衆の愚な嗜虐性にフィットしているのだから。庶民はジャンヌダルク的を装った振る舞いに溜飲を下げるのである。

⑪社会に不満を持つ層が、鳥越俊太郎氏のようなリベラルを体現した(そうとは言いきれないが)候補にそっぽを向くのは、ある意味仕方のないことだ。理想論は貴族的に映り、私たち俺たちの生活困難をシリアスに感じとってくれないとのイメージを抱く。これは前回の細川氏のときにも見られた現象だ。/では、鳥越氏にどうすれば活路は切り開かれるだろうか。私は今一度政策に戻るしかないと思う。掲げた政策が社会的弱者・低所得者に立ったものであるとの説明を愚直に訴えるしかないのだ。組織頼り、有名人頼りでは、人は集まるが票には繋がらない。残る期間、できるだけ多くの都民と会話することに尽きよう。

鳥越俊太郎は「強いリーダーシップ」の対極となればいい。強権依存のリーダー待望論から最も遠い存在となれば、他に類を見ないニュータイプの都知事が誕生するかもよ。すなわち「言うことを聞かす/牛耳る」からの脱却。威張りくさった為政者には、きみも飽き飽きしてるでしょ?
 
このように、7月18日のツイートで、ぼくは鳥越氏支持を鮮明にしている。そして、その盛り上がりを阻止するであろう、強権的政治による市場の安定性を確保したい一群が次々に手を打ってくるであろうと予想もしていた。
 
バーニー・サンダースにも高齢で大丈夫なの?との揶揄があったと聞く。鳥越俊太郎が年齢や病歴を取り沙汰されるのは相手が脅威に感じていることの証左。天皇の、生前退位意向の報道にしても、激務に耐えられまい?と印象づけるキャンペーンだったかもしれない。すべては連動している。コレは陰謀論ではないよ。
⑭これほど肩入れするつもりはなかったんだが、あまりにも相手が用意周到なんでね、鳥越俊太郎を応援しますよ。都民じゃないぼくに投票する権利はないけども。
⑮(相手陣営に大きな組織が存在するのでしょう、という意見への返信)あるのでしょうね。ぼくには想像もつきませんが。情勢を分析するアナリスト、火種を仕掛けるパブリッシャーと優秀な頭脳が図を描いている気がします。かれらが投下する情報に私たちは右往左往するばかり。反論や批判も予め織り込み済みなのでしょう。
⑯かといって、黙って事態の推移を見守り続けていても埒はあかない。積極的に意見をいう他ない。ただしかれらのこしらえたアルゴリズムをなぞるような言説は効果的ではない。批判するにもひと捻りが欲しい。表現の工夫を。
 
7月19日のツイートでぼくが示した「かれらのこしらえたアルゴリズム」の意味がお分りだろうか。あえてエラソーにいうとだ、私やあなたの怒りや憤り、腹に据えかねる思いの諸々もまた相手の予想内、つまり勘定に入っているってことです。そういう反発を見越した上で、連中はさらに挑発してくるんだ。意識的に刺激的なことば遣いで。橋の下やら堀の江やら池の田やら高の須やらモ・リーやら山の本やら中の川やらがサヨク・リベラルと十把一絡げにしながら嘲笑し、見下し、莫迦にし、低能呼ばわりする。かれらはべつに安倍政権がどうなろうが知ったことではない。が、しかし自分が今いる位置を失いたくはない。それゆえひっくり返る可能性があると見るや、あわてて否定しにかかる。だけど今回は余裕がない。躍起になっている。だから冷笑のレベルでとどまらず、薄汚い悪罵に走るのだ。それぞれ社会的に立場のある者たちが揃いもそろって下衆なデマを流して煽動している。いい大人が情けない、これが文化と呼べるだろうか?

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博多駅。写真は記事内容とは関係ありません)

 

かれらの口ぶりはうつります。すぐさま感染する。ホンネをさらしたように錯覚しがちです。だけど安易に真似しちゃいけない。冷笑的な態度や嫌味たっぷりの言い回し、揶揄、ほくそ笑み、罵倒、他者を見くびるまなざしのありよう。そんなものに惑わされてはならない。

最初に断ったように、ぼくは風紀委員を名乗るつもりはない。ことばのあやかと誤解した方もいらっしゃったが、本来ぼくはわりとシニカルで、ものごとを斜に構えて眺めるようなヤツだ。そのぼくが、あんまり酷いんじゃないかといっている。日本語の言語空間が歪んでいることに心底から怖れを抱く。

あれを日本語のスタンダードにしてはならない。SNSもまた公共の言語空間であり、感情のゴミ捨て場ではない。もしもぼくがかれらと同じような口ぶりをしだしたら、その時は遠慮なく指摘してください。そしたら直ちに、ぼくはTwitterをやめます。

(7月22日・早朝)